第44話:虚の狭間

 休息を取った後、どういうわけか奥が見えない道の前に立つ。


 準備は念入りに確認している。アオも新しいナイフを手で弄び感覚のチェックをしているが問題はなさそうだ。


「先頭は俺でいいか?」

「私が行く」


 名乗り出たのはレインだった。虚無の円環と防壁がある俺は、何か不測の事態が起こっても他の仲間よりは死ににくいはずだ。ただレインもその能力柄、耐久性は高い。

 全員に降りかかるトラップがあった場合などは、俺がレインの後ろを歩くメリットもあるような気がする。


「……お願いします」


 しばらくアオが考えていた様子だったが、レインが先陣を切る事に問題はないらしい。


「すまん、こういう時私達では役に立てない」

「シュノー隊長……」


 悔しそうにしているシュノーとイミシア。しかし俺たちも策なんてない男解除を決行しようとしているのだ。

 無謀極まりない行動に巻き込んでいるのだからこちらとしても申し訳なくなってしまう。


「行きましょう」


 レインがコクリと頷き、その闇の中に足を踏み入れる。それに俺たちも続く。


 暗闇が続く。しっかりと歩けている感覚はある。なぜか進むべき場所もわかる。全員が歩けているのか確認しようと声を出そうとするが、声が出ない。


 明確な異変。罠。


 手で周りを探るが、手に触れる感覚はない。


 急に不安になってくるが、帰り途すらわからない。俺はそのまま歩き続ける。

 本当に道は合っているのか。一歩踏み出せば何か取り返しのつかないことになるんじゃないのか。もしかすると魔物が待っているのではないか。


 取り留めのない不安がごちゃまぜになる。


 それでも歩く、歩き続ける。そうしているうちにわからなくなってくる。なぜ自分はここに来たのか、自分は何がしたいのか。


 一体この先に何が待っているのか。


 ふとアオとレインの事が思い浮かんだ。あの二人は無事に進む事が出来ているのだろうか。立ち止まっていやしないだろうか、と。


 シュノーやイミシア、エリノアはどうしているだろうか。意外とすんなり帰り道なり進む先へと辿り着いているかもしれない。


 どちらにせよ、今できることは前に進むこと。長いことみんなを待たすわけにはいかない。


 長い、長い時間を歩いている。その事だけはわかっている。感覚が薄れてきたが、進むべき道がわかっているならば進むしかない。


 何かあったとしても一度だけなら命は助かる。レースのくれた虚無の円環がただただ心強い。


 そもそもこの状況はどういったものなのか。そんな疑問が頭に浮かぶ。

 幻術の類なのか、単純に真っ暗闇の現実を歩かされているのか。それとも魔法的な要素で作られた空間を歩いているのか。


 出来ることは思考だけ。自分が誰なのか、なぜこの世界に来たのか。知り合いは誰がいて、何が最近の趣味なのか。


 自らを見失わないように考える。考え続ける。前の世界で人間は何もない暗闇に閉じ込められると発狂するなんて話を聞いたことがある。それは事実かもしれないというのはまさに今身をもって体験している。


 不安が、恐怖が身を蝕む。


 この暗闇を抜けた時は廃人だったなんてのは勘弁だ。気を強く持って進むしかない。全員が無事である事を祈りながら。


 何時間経ったかわからない、もしかすると何日か歩いているのかもしれない。

 不思議と空腹や喉の渇きはない。だが、精神的な限界はとっくに通り過ぎている。


 何でもいい、感覚が欲しい。自分の心臓の鼓動すら聞こえなくなって久しい。一体何をしているのかすらわからなくなる。


 カードコレクターを使えばどうにか出来るだろうか。頭の中にそんな考えが浮かぶ。能力の使用に言葉は必要ない。


 頭の中でブックと呟く。目には見えず、どういうわけか触ることができないが、手元に本は間違いなくある。そして能力を通じてレインとの繋がりが感じられた。


 良かった。少なくともレインは無事らしい。


 ほっと安堵したその時。何かに見られた気がした。

 そして次の瞬間、背筋に冷たいものが走り、見られていることが疑問から確信に変わる。


 少なくとも向こうに敵意はないらしい。

 だが気持ち悪い。この感覚は何だ。

 人や魔物から向けられる悪意や害意はわかるようになった。けれどもそれとは違う何か。


 決してこちらに対して友好的なそれではない。無関心とも違う異質な何か。


 言葉に言い表せない不快感。ゾクゾクと悪寒が続く。

 考えたくないことだが、どうやらそいつはこちらに近づいてきているらしい。相変わらず視覚は意味を成しておらず、嗅覚や聴覚も同様だが、そのことは間違いない。


 なぜ気づかれたのか。いつからこの空間にいたのか。

 止めどない思考が頭の中をぐるぐると回る。


 逃げなければならない。死の恐怖がそこまで這い寄って来ていた。


 その瞬間、光が射す。


 あの光のところまで行けば助かる。根拠はないが、そんな気がした。

 敵が何かはわからないがここにいるのは不味い。進めているのかどうかすらあやふやな状態で。しかし懸命に俺は光に向かって走る。


 肩に何かが触れる。あと少し、あと少しなのに。


 全身が感覚を取り戻す。

 後ろに引きずられそうになる力に抗い、腕を伸ばす。


 光が俺を包み込む。後ろからの力が消えていく。俺の手に誰かの暖かい手の温もりが伝わる。


 そうして長い闇が終わりを告げた。


 あまりの眩しさに目を閉じ、ゆっくりとそれに慣らすように目を開けていく。


「や、気分はどうかな。三浦賢人くん?」

「ぁ……え」


 返事をしようとするが、掠れて声が出ない。


 チカチカと明滅する視界に映ったのは、一人の女性。少し背の低い人懐こそうに笑う黒髪の少女だった。


「あー、ごめんね。無理はしなくて良いよ。よく無事だった、頑張ったね」


 その一言になぜか涙が流れる。

 感情が堤防の堰を切ったように溢れ出す。


 恐怖が、不安が、安堵が。ごちゃまぜになったそれらが自己主張を始める。


 今の表情を見られないよう必死で隠し、感情が落ち着くのを待つ。

 その間目の前の少女は何も言わず、ぽんぽんと俺の背中を叩くのだった。

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