第32話:異変の理由

 随分と森全域が殺気立っている。通常時を知らないレインですら理解できるほどの異常。


 レイン曰く、ここまでピリピリとした雰囲気が続くのであれば魔力濃度がもっと高い場所でなければならないらしい。


 アルドロン大森林では街や平原と比べて魔力量の回復が多いようなので、魔力に満ちていると考えていたが正解であるらしい。


 もっともそれにしてもこうも刺すような敵意を向けられるのは、何かおかしいとのことらしいが。


「もしかしたら、何か強力な魔物が更に進化したのかも」


 レインの言葉を受けて、無意識に手が口元に向かう。


 ムルムルの資料には、丁寧にもマンドラゴラ以外の魔物のことについてもまとめてくれていた。

 それによると、アルドロン大森林の魔物は討伐難度B級を誇る危険種が大多数を占め、弱い魔物でも最低でもC、強い魔物はA級となる。

 A級とは俗に言う災害指定種。

 かつて千年原始人があっさりと屠った三首狼ケルベロスはここの区分であるらしい。


「それ、私たちにどうにかなるんですか?」

「……もう少し様子を見よう」


 三首狼であれば数体遭遇しても千年原始人がどうにかしてくれるはずだ。問題はそれ以上の魔物。どうやらA級の上の魔物も世界にはいるらしい。


 まだ森に入って一時間程しか経っていない。CPも然程稼げていなければ、マンドラゴラも発見できていない。


 現在の総魔力量では千年原始人を召喚できるのは三時間ほど。A級の魔物はレインは一対一であれば勝てるとのことらしいが、群れで襲われることとなれば千年原始人を使わないという選択肢はない。


 防壁がこの森の魔物に役に立たないのであれば撤退を考えたほどだ。


「それにしてもマンドラゴラって本当にこの森に生えてるんですか? もうかなり探しましたよね」

「意外とアオってせっかちなんだな」

「……まぁ、こういう依頼よりは戦う事の方が好きですけど。それにしてももう少し見つかっても良いと思いません?」


 少し飽きてきたといった様子のアオ。ワイバーンを倒してからというものの、生き物が襲ってくる気配もなく、マンドラゴラ捜索に時間を割くことが出来ている。

 しかし、見つからないものを探すのは少しばかり辛い。まして、命の危険があるのだから。


「空気が変わった?」

「戦闘準備」


 全く何が変わったのかわからない俺を置いて、二人が警戒を強める。

 ブック、と言葉を紡ぎ、いつでも召喚を出来るように千年原始人と双頭狼のページを開く。

 静寂が訪れる。


 およそ一分間。


 もしや何も起こらないのではと考え始めていた頃、それは現れる。


 先ほどのワイバーンとは比べ物にならない力。その身体から放たれる莫大な魔力が渦を巻くように立ち上る。生き物が微量に魔力を放っているらしいことは何となくわかってはいたが、それにしても目の前の光景は信じ難いそれであった。


「……これが人間?」


 レインがポツリと呟く。現れたのはどこにでもいそうな普通の男。しかし、その圧力が普通でないことは明確に感じ取っている。否、感じ取らされている。


「こんなところに人間がいるとは珍しいな」


 くすんだ灰色の髪と深い赤の瞳をした細身の男は俺たちを視界に収めてそう言った。

 男が一歩近づく毎に増していく圧力に、アオが口を開く。


「あ、なたは……」

「ん? あー悪い悪い、犬っころ共が煩わしいから少しばかり威圧してたのを忘れてた」


 どうにか言葉を吐き出したアオに、男は首を傾げた後、快活に笑った。そして、直後その威圧があっさりと消え去る。


「目的は?」


 警戒を解かないレインが鋭い視線を向けたまま、男に尋ねる。


「おー、怖い怖い。スライムの嬢ちゃん、主人が大事なのはわかるが喧嘩を売る相手は考えた方がいいぞ。でないと簡単にぶっ殺されちまうからなぁ」


 男が指を一本立てたかと思うと、頭上に太陽の如く輝く光の球体が発生し、辺りを強く照らし出す。


 本能が警笛を鳴らす。あれが落ちた瞬間俺たちは終わる。俺は防壁を五千枚展開し、その上で千年原始人を召喚した。


 恐らくこれだけあれば防げる。だが、その後こいつが何をするのかわからない。せめて逃げる時間を稼がなければならない。


「冗談、冗談だ。本気にするなって。ちょっと揶揄っただけだ。俺らがぶつかったら面倒なことになりそうだし、この辺で鉾を収めようぜ」


 俺の張った防壁と、即座に臨戦態勢に入った千年原始人を見て、男は目を細めた後、頭上の魔法を消した。俺も防壁を解除し、幾らか戻ってきた魔力で、万が一の準備を行う。


「……わかった。で、目的はなんなんだ。一応聞いておきたいんだけど」


 こんなところ、と男は言った。つまり普段ならばここには来ないのだろう。

 アルドロン大森林の異常事態。それは紛れも無いこの男によるものであるのだろうが、なぜわざわざここに顔を出したのか。


「うちの死霊術師様が、何を思ったかデカいワイバーンが欲しいっつってな。それで巣に襲撃をかけたんだが、一番デカいのに逃げられてな」


 大したことじゃないんだが、と前置きして、男は恥ずかしそうに頰をかく。

 間違いなくさっきの奴だと思う。殺してしまったんだが、これはどうしたら良いのだろうか。


「殺すだけなら簡単なんだが、空を飛んでるワイバーンを損傷少なめで殺すとなると少しばかり手間がかかる。飛ばれる前に仕留めるつもりだったからどうしたもんかと思ってな」

「デカいワイバーンの死体、ね。心当たりはあるんだが……」

「本当か!」


 俺がそう言うと、男が詰め寄ってくる。そうはさせないとアオが剣を手に俺の前に立ち塞がる。レインも俺の側に張り付き、冷たい視線を男に向けた。


「おいおい。俺は交渉したいだけなんだよ。なぁ、そのワイバーン、どうしたら譲ってくれる?」

「レアな装備品か高ランク魔物の死体と交換なら構わない」

「んー、なるほどな。見たところあんたは魔法使い兼召喚士で腕っ節は強くないと見た。魔力量はもしかしたら俺より多いし、これと交換でどうだ?」


 男はそう言うと、腰に吊るしている袋から指輪を一つ取り出した。そう言われても、俺にはどんなものかわからない。カード化させてもらうわけにもいかないだろうし。


 そんなことを考えていると、本が一人でに立ち上がり、パラパラとページが捲れる。



 レース・アウトラインが交換を申し込んでいます。


 出)虚無の円環

 求)ワイバーンの死体


 名前:虚無の円環

 レア度:7

 分類:装備

 説明:装備者は自身への致命の攻撃を一度だけ無効化することが出来る。任意で発動することも可能。使用後、再使用するには魔力を補充する必要がある。

 変換CP:42000000


 トレードしますか?



 そのあまりの効果に俺は息を呑む。間違ってもワイバーンの死体と交換しても良いようなものじゃない。

 それにしても交換機能なんてあるんだな、この能力。


「なぁ、本当にそれと交換で良いのか?」

「俺の指には残念ながら空きが無くてな。使える指輪ではあるんだが。あとデザインがそんなに好みじゃない」


 そう言って両手を見せてくる男の全て指に、指輪が嵌っていた。恐らくこれ以上の効果のものが揃っているのだろう。敵対していればどうなっていたか背筋に冷や汗が流れる。


「わかった、じゃあ交換は成立だ。」

「おう」


 俺はページ下部にある了承の文字をタッチする。投げて寄こそうとした指輪が男の手から消え、俺の手の中にカード化した状態で現れる。


 そして男の手の中に、ワイバーンの死体のカードが現れる。


 男が一瞬目を白黒させた後、ボンッと音を立てて先ほどのワイバーンの死体が現れるのだった。

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