第26話:不安と好意とすれ違い
なんで、どうしてこうなった。
いや、そもそもどうして俺が見知らぬ女の子と歩いていただけで浮気現場を見られた夫みたいな扱いになっているのだろうか。
俺とアオは断じてそんな関係ではないはずだ。
あれか、指輪の件で気付かないうちに勘違いさせてしまったとかだろうか。
「ねぇケント。私は怒ってはないですよ。ケントがそいつといつ何処で出会って、どうしてそんなに親しげなのか気になっただけですから。これが不幸な勘違いである可能性も考えていますし、ケントが悪いとはもちろん微塵も思ってないんですよ。ただ、今後の私たちの関係を考えるとあまりそういうのは良くないんじゃないかなって思っただけなんです。だから……」
「落ち着け、な? こいつはアレだ、アオも知ってるはずだ」
アオが疑問を浮かべる。アオの視線がレインに注がれる。いや、これで誰なのかわかるはずはない。誰だって今のレインを見てスライムだとは思わないだろう。
慎重に言葉を選ばなければ、アオとの関係が拗れかねない。しかし、アオがこうなっている理由がわからない。
「……すみません。ちょっと考えてみましたがやはり記憶にありません。もちろんケントが言うことは正しいとは思うんです。でも私には少しわからなくてですね」
「信じられないとは思うが、スライムだ。ほら、この前ランダムパックで出たスライム。今日能力の検証してるとなぜか進化したんだ」
胡乱な瞳。これは不味いと思う前にアオの手が腰に提げた剣へと向かう。
「なんでスライムが人間の真似して、しかもケントに色目使ってるんですか。とりあえず死ねばびちゃびちゃの水溜りに戻りますよね?」
「ちょっと聞きたいんだけど。いや、なんでアオは俺が女の子と歩いてたらダメなんだ?」
それは本気ですか? とでも言うようにアオが首を傾げた。なまじ顔が整っている分ホラーでしかない。今なら殺人鬼に追われる脇役の気持ちがわかる気がする。
剣に手を触れたまま、一歩踏み出したアオに俺は言葉を絞り出す。
「待て、いや今のはやっぱなし。質問を変える。その、だな。アオは俺のことがもしかして好き、だったりするのか?」
これが勘違いであれば最高に痛い奴だが、今はその痛い奴でいい。俺はいるかどうかもしない神に祈る。
その問いを受けて、硬直していた表情が一気に溶解し、アオがにへらっと笑う。嫣然とした笑みを浮かべてみせたアオはもう一歩踏み出した。
「あれ、知らなかったんですか。私、ケントのことが大好きですよ?」
「なる……ほど。でも仲間に剣を向けようとするのは違うと思うんだ。それに俺たちは恋人とかそういう関係じゃないと思うしだな」
そう告げるとアオが一転して泣きそうな顔になる。ふらふらと足取りがこちらに向かってくるが、ここで後ろに下がれば悪化するだけだと踏みとどまる。
「この指輪はそういう事じゃなかったんですか? それともケントは好きじゃない子にもそういうこと、するんですか?」
「指輪はその、アオが使った方が良いと思っただけで。ええと……」
くしゃくしゃに表情が歪む。アオの縋るような手が空を切った。
「……ですか。じゃあ全部私の勘違い、なんですね。馬鹿みたいだ、私。一人で舞い上がってただけですか」
ボロボロと涙が零れおちる。アオが抱きついてくると、シャツを掴み頭を当ててくる。
「こっちにきた時はすっごく不安だった。車に轢かれたって知った時は、これまでの人生に意味あったのかななんて考えて」
慟哭。濁流のように押し寄せる感情に、俺はこれまでの行いを振り返る。
「あぁもういいやって。死んでも構わないくらいに思ってたんです。なのに、助けてくれる人がいたんです。街にたどり着いてからは不安で、不安で。でも、その人はこんな面倒くさい女に一緒に行こうって言ってくれて!」
思えばアオが不安そうな時は幾つもあった。俺は馬鹿だ。耳障りの良い言葉ばかり選んで、小野葵乃という人間に向き合ってなかった。
そんなに助けた記憶もないが、いつのまにかアオの中で俺はそれなりの立場になっていたらしい。意図しないこととはいえ、極度の状態ならあり得そうなことではある。
「嬉しかったんです、ワクワクしたんです。年甲斐もなくはしゃいだんですよ。こんなの、好きになっても仕方ないじゃないですか!」
「アオ……」
グスグスと嗚咽を漏らすアオの頭を撫でる。俺の後ろからレインが慰めるように背中をさすっていた。
「ごめんなさい。卑怯ですね、優しさに付け込んで、ちゃんと伝えなかった私が悪かったのに期待だけして」
アオがぐしゃぐしゃの顔を上げて不器用に笑った。
「ケント、私着いて行くのやっぱりやめます。こんな私だと迷惑かけるだけです。でも私がいた事も偶には思い出してくださいね?」
微笑んで、アオは逃げるように背中を向けた。俺はその肩を掴んで引き止める。
呆気に取られた様子のアオが目に映る。
「待ってくれ。その、俺は一度もアオが嫌いだとか迷惑だなんて言ってないだろ」
顔が熱を持つ。恥ずかしさもある、がこれだけは伝えないといけない。
「なんて言えば良いかな。俺もこっちに来てから余裕なくて、全くそういうことには気づかなかったんだ、本当にごめん」
でもな、と続ける。
「まだ出会って間もないけど、アオは話しやすいし、一緒にいて楽しい。俺もアオと居たいって気持ちはある。だからさ、その……俺と一緒に付いてきてくれないか?」
「良いん、ですか?」
真っ赤に目を腫らしてアオが尋ねる。
「アオさえ良ければ。えっとその、恋人とかそういうのはもう少し返事を待ってほしいんだけど……」
「わかり、ました。……待ちますよ私は、いつまでも」
抱きしめてくるアオを抱きしめ返す。思っていたよりもずっと弱々しいアオが、クスリと笑った。
レインは俺とアオを撫でた後、どこかの千年原始人のようにドヤ顔で親指を立てる。
どうなることかと思ったが、流血沙汰になることもなく、この修羅場のような事件は無事に解決することができるのだった。
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