第12話:制圧
騎乗する技術はない。だからこそ全力で走る。こちらの世界に来てからなぜか体力が有り余るほどにある。 以前であればとっくに息切れしており、膝に手を置いているはずが、特に疲労感もなく走れていた。
隣を見ると、それはアオも同様なようで、寧ろアオの方が体力などには余裕がありそうで。
「これ、大丈夫なんでしょうかねー」
心配そうに双頭狼と周りの人を眺めるアオ。言いたいことはわかる。日本で言うならライオンを市街地で放し飼いにしているようなものだろうか。もっとも危険度は双頭狼の方が遥かに高いのだが。
「ひいッ!」
「すいません……」
怯える人々に一言だけそう言って、双頭狼の後を追う。しばらく走ると、裏通りとでも言えば良いような薄暗い路地へと双頭狼が進んでいく。
「やっぱりこういうところに入らないといけないのか」
「あはは、ちょっとだけ怖いですね」
食い詰めた人々がそこかしこに転がっているというのをなんとなくイメージしていたため、人どころかネズミ一匹いないこの様子は予想外だった。
アオは緊張しているようだが、サンドラから借りた剣はまだ抜いていない。ただ、いつ何が起こっても大丈夫なように、右手を剣の柄にかけている。
匂いがキツくなったからか、双頭狼も確かめながらゆっくりと歩いていく。足音をできるだけ立てないように双頭狼に着いていくと、ある建物でピタリと止まった。
「────」
「ーーーーーー」
「──」
中で何か話しているようだが、こちらには聞こえない。俺はアオの顔を見る。
「えっと、入るん……ですよね?」
「そのつもりなんだけど」
双頭狼の方を見ると、この建物で間違い無いとでも言うように頷く。
アオと顔を見合わせると、俺は扉に手をかけた。
指で三を作る。
二。
一。
勢いよく扉を開くと、中の男たちの視線が一斉にこちらを向く。
「なんだァ坊主。ここはてめーみたいなのが来る場所じゃぁ……?」
一番奥の屈強な男が双頭狼に気がつく。他の面々もそれに気がついたようで近くにあった武器を手に取る。
「おい、これはどういうつもりだ」
「兄貴、そいつ……騎士だ」
一人の男がアオの持っていた剣に気がつく。
「バカな、早すぎるッ!」
「当たりみたいですねぇ」
夜光の花は目に届くところには無い。ただ、ここのどこかにあることは確実。もっとももうぐちゃぐちゃになって捨てられていたり、焼却処理されていたりする可能性もないではないが。
「────ンぅ」
呻き声のようなものが奥の部屋から聞こえる。囚われている人がいるのだろうか。
「かかれェッ!」
しかし考える時間もなく、男たちが剣を持って踊りかかってくる。
「まずッ」
双頭狼は確かに強い。だが、この狭い場所で弱い俺を庇いながら戦うのは難しい。高さのないここでは千年原始人は出せない。
小さく舌打ちすると、椅子を掴んで目の前に翳す。
スコンッと小気味いい音と共に剣が椅子に刺さる。
「アオ、大丈夫……」
慌てて横を見ると、アオは二人を斬り伏せていた。
返り血に塗れたアオはどこか美しく、見惚れかけたその時。
「避けろッ!」
ギリギリと引き絞られた短弓からアオ目掛けて矢が放たれる。
間に合わない。
そう思った次の瞬間。アオは放たれた矢をいとも容易く左手に掴むと、それを弓兵に投げ返す。射られた速度よりも速く、その矢は目標へと飛翔し、男の方を貫いて壁に縫い止める。
「こっちの心配は無用。奥に進んでくださいッ!」
「バケモノめ……!」
「女の子にそんなこと言っちゃダメですよ」
俺の方に向かおうとした人間を見て、地面に落ちている剣を空中に蹴り上げて、左手に掴み投擲する。
「ギャッ!」
短い悲鳴と共に、足に剣を突き立てた男が転倒する。
「早くッ!」
「助かる!」
なぜ急にアオがここまで強くなったのかはわからない。だが、俺がここにいても邪魔なだけだ。
「|双頭狼(オルトロス)!」
「グルゥッ!」
双頭狼が奥の扉を守る男に突進し、男ごとドアを突き破る。
片方の頭が大きく吠える。その先には小太りの男がガタガタと震えていた。そしてその近くに縄で縛られた見覚えのある女性が転がされていた。
「殺さずに無力化しろ!」
「ガァッ!」
俺の指示に双頭狼が叫ぶと、とてつもない速度で男の背後に回り、飛びかかる。
呆気なく男は押し倒され、食らいつくフリをした双頭狼を見て意識を失った。
何がなんだかわからないと言った様子の女性。口元に布をかまされていて話せないようなのでそれだけ外す。身体を縛っている縄はかなり固く、俺では解けそうにない。
「どうして、ケント殿が……」
「成り行きだ。それと悪いけどもう少し我慢してくれ」
こちらの部屋は制圧完了。目につくところに花はない。となると、アオに加勢すべきか。
そう考えて後ろを見ると、服を真っ赤に染めたアオがそこにいた。
「ひッ!」
恐怖からか上擦った声を出す女性だが、その女性がアオだと気づくと少しホッとした様子を見せる。
「アオ、怪我はないか?」
「全部返り血なので問題ないですよ。全員意識は奪いましたけど、かなり失血してる人もいるのでこのままだと何人か死にますね」
人が死ぬ。それを為した張本人は、なんでもない事のようにそう言った。若干青い顔をしているが、寧ろ青い顔で済んでいるのがおかしい。
しかし、俺も仕方ないかと心のどこかで思っており、日本にいた時とは考え方が変わっているような不思議な感覚になる。
「で、どうします?」
「縄で縛るなりなんなりしないと逃げられると困ると思うけど……」
「えっと、私の縄を切ってもらって良いですか? 多分後の処理は私で出来ると思うので」
そう言った彼女の縄をアオが切る。
「本当に助かりました。ケント殿とアオノ殿。改めまして、騎士団所属のイミシアと言います。多分見覚えがあるかと思うんですけど」
「あー、シュノーと残って三首狼と戦おうとした?」
「あ、はい、それです。ところで、厚かましいとは思うんですけど、この処理の手伝いをお願いできます?」
血の匂いで少し気分が悪いが、これをしたのは俺たちだ。俺はイミシアの問いに頷くと、アオもそれを確認して頷いた。
「ありがとうございます!」
ぱあっと笑顔を浮かべると、イミシアは部屋の隅に乱雑に置かれた縄を手にとって小太りの男を縛っていく。
「こんな感じで」
手を後ろで組み、身動きの取れない状態で縛っていく。手慣れた様子で縛っている途中で男が目を覚ます。
「お、お前たち。こんな事をして良いとでも」
「おっさんは寝ててくださいね」
ドスッという鈍い音が聞こえたかと思うと、男は再び意識を失う。
「元気そうなのでもう少ししっかり縛った方が良さそうですね」
微笑むイミシアから俺は目をそらし、先ほどの部屋へと戻り、先程見た通りに縛っていく。
十分弱で縛り終えた後、アオが真っ青な顔で外に出る。捕縛したのは十人。その内二人は途中で命を落とした。
先ほどまではどうにか平静を装っていたが、やはり無理をしていたのだろう。
「早く行ってあげてください。ここは私一人で大丈夫ですよ」
「……ありがとう」
念のため、双頭狼を待機させ、俺は扉を開いて外へ出る。
そして、右へ少し歩くとアオが蹲っていた。辺りから酸っぱい匂いと血の匂いが同時に鼻を刺激する。
白い顔をしたアオの背中を摩る。
「ケント……」
「気にするなとは言えない。けど、この先こういうことは多分何度もあると思う」
「わかってます。ただ、少し怖くて」
「そうだな」
アオは立ち上がるとこちらへと向き直る。
綺麗に吐いたらしく、身体に吐瀉物がかかった様子はない。
「少し、胸を借りても?」
返事をする前に、涙目のアオが抱きついてくる。むせ返るような血の匂いと冷たさが身体を襲ってくる。しかし、不安そうなアオを放置出来ず、抱きしめ返す。
「あったかい……ふふっ」
アオが何か呟いた気がして背筋がゾクっとしたが気のせいだと思考の彼方に追いやり、胸に顔を埋める彼女の頭を撫でる。
動こうとしないアオに、早く誰か来て欲しい、とそう思った。
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