第10話 どんな橙色が好き?

「数学って、何のためにあるのだろう」

「あー、それ俺も思ったわ」

「じゃあ聞くが……英語って何のためにあるんだよ」

「それ僕も思った~」

「というよりさ……」

「ん?」

「なんで夏休みに宿題があるんだ?」

「「「「同感」」」」


 蝉の声が五月蝿い。けれどそれもまた夏の情緒だ。夏を感じさせてくれる音であり、夏を満喫させるBGMだ。けれど、こうして屋内に閉じ込められていたら、蝉の声も耳障りにしか聞こえてこない。

 修司しゅうじの隣で ゴッ と鈍い音がした。嵐志あらしが机に突っ伏した音だった。「終わりませーん」と乾いた声で唸っている。その隣では睡魔に負けた冬喜ふゆきが、すっかり寝息を立てていた。

 夏休みの宿題を終わらせるために、嵐志の家にやってきたところまではいい。壊滅的に宿題が進まないのだ。

「ほらー、嵐志も冬喜も、そんなことしてると終わらないよ~」

 幹斗みきとがおっとりと促すが、嵐志は「そうはいってもですね~」とのらりくらりと身体を揺らし、急にがばっと身を起こした。

「そうだ、夏休みを終わらせなくさせればいいんだ!」

「いきなりなにを言い出すかと思えば」 

 ゴスッ と嵐志の額に教科書の角がめり込んだ。それをやった煌晟こうせいは、理科の教科書をうちわ代わりにしながら、あぐらをかく。

「しゅーじー、代わりに数学やってー」

「休み明けの試験で痛い目見るのはおまえだぞ」

「なんで休み明けに試験あるんだろうね~ うちの学校」

「知るか」

 無駄口ばかりが交わされる。本来、勉強会というのはわからないところをわかる人に教えてもらう、少し知的なイメージだった。仕方ない。できないヤツばかりが集まっているのだから。

「お、やってるね。チビども」

 リビングに顔を出したのは、嵐志の兄、大樹だいきだった。正直、修司は最初に大樹を見たとき、嵐志の父だと思い込んでいた。なんていったってチビの嵐志との身長差がありすぎるのだ。

「おー、なんだい兄者あにじゃー 冷やかしに来たのかー?」

「せっかく差し入れを作ってやったというのに、そんなことを言うのなら全員おあずけだな」

「ありがとうございますお兄様ッ!」

 差し入れと聞いて、誰からともなく机の上を片付ける。勉強中の差し入れほど、この場から抜け出す口実はない。

 テーブルに置かれたのは、ガラスポットに入ったアイスティーと、満月みたいなバニラアイスが乗ったクリームぜんざい。

「さっすが兄者!」

「ありがとうございます大樹さん!」

「いつもすみません」

「うわぁ……ありがとうございますッ」

 各々お礼を言ってから手を付ける。ぜんざいは甘くなくて、かえってバニラアイスの甘さが引き立っている。切ったバナナもちょうどいい甘さだった。

 アイスティーは、少しだけオレンジがかっていた。グラスに注いでから、その原因の香りがふっと鼻先をくすぐる。思った通り、柑橘系が入ったシトラスティーだ。

 クリームぜんざいの後に飲むにはぴったりだ。爽やかな酸味が、口の中に残っていた小豆の甘さをかき消してくれる。

 オレンジ色の夕陽みたいな色が、氷を通してテーブルの上に陰を作る。くらりとグラスを回すと、万華鏡みたいにきらりと光った。こんなものを見せられたら、文芸部としてなにか書き残したくなってくる。

「やっぱ兄者のシトラスティーは最高……」

「え、これもお兄さんの手作り!?」

「は? "も”? "も”ってなに? 他にも作れるのあの人!?」

 買ってきたものだと思っていたシトラスティーは、実は大樹の手作りだった。修司も思わず「はぇ~」と呆けた声が出てきてしまった。嵐志曰く、友だちを連れてきた日には、兄がなにかしら用意してくれるとのことだ。

「そんなことよりッ! 準備はいいか?」

 嵐志がばっと立ち上がる。

「遊びに行くぞーッ!」

「は?」

「そんな大声で言ったら……」

 言いかけて修司は口を噤んだ。もう遅い。

 嵐志の頭をむんずっ、と大樹の手のひらが掴んでいたのだ。

「あーらーしー?」

 にこやかに笑って入るが、声が笑っていない。あ、これ怒らせたらダメなヤツだ。そういえば、嵐志こんなこと言ってなっかったっけ。


「先生が怖くて中学生が務まるかッ! そもそも兄者のデコピン以外、俺に怖いものはねーんだよっ!」


 修司は他の三人と顔を見合わせた。うん、と一つ頷き、各々宿題に戻っていった。シトラスティーの酸味が、夏なのに妙に寒気を誘った。


 


 春澤はるさわ 修司しゅうじ

 閑話休題のアイス・シトラスティー

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