第9話 どんな黄色が好き?

 この中学校の図書室には、魔女がいるという噂がある。

 それが、国語担当の神無月かんなづき祈夜きよ先生だ。

 中学生から見てもその外見は若い。けれど、ただ若いだけではない。表情によっては幼い少女のようにも、妙齢な女性のようにも、はたまた優しい老女のようにも見えるのだ。誰もがその年齢を知らないのも、彼女が魔女と呼ばれている所以だ。

 現実世界の出来事にどこか疎くて、でも文学の話になると、まるで子どものように目を輝かせる。

 例えば古典。

 祈夜先生はまるで現代文を読むかのようにさらさらと音読する。それから自分の言葉で、少女漫画でも読んでいるみたいに教鞭を執るのだ。『落窪物語』を童話のシンデレラに例えたり、『とりかへばや物語』では女装男装を楽しそうに語っていた。

 神無月祈夜は、そんな先生だった。

 実は、そんな先生が呪文を唱えるところを目撃している。

 あれは部活動が終わる頃。陸上部の部室に宛がわれている教室の施錠をしてから、ふと図書室の前を通り過ぎたときだった。図書室の中から、聞き慣れないメロディーが聞こえてきたのだ。

 まだ施錠されていない図書室の扉を開ける。いつもなら奥に文芸部員が陣取っているけれど、既に帰ったのか、しんとしていた。ただスズランの香りのようなハミングだけが、こだましていた。

 書架の間から覗いて、はっと思考を奪われた。

 臙脂色の膝掛けを、まるでローブのように肩から羽織り、図書室には不釣り合いなロッキングチェアに腰掛けていた。手には、どこから持ってきたのだろう、白いティーカップを持っていた。

 そしてその唇から旋律が聞こえてくるのだ。


 

 Lz lylis celene li derec toe sirley ?


 Lz dec li feriey ? Ce ysric li dec ralon ?


 Dec ces ryue erasteec lif ruy?


 Qest celene rima via chell yed. aluon...

 

 それは何処の国の言葉なのか。

 英語ではない。あんなふうに流れるようにふにゃふにゃしていない。かといって、ドイツ語みたいに固いわけでもないし、フランス語みたいに華やかでもない。イタリア語みたいにちゃらちゃらしてないし、ロシア語みたいに気高くもない。

 まるでそれは、古代の言葉で歌われる子守歌のように聞こえたのだ。

 彼女の声に呼応するように、窓から蜂蜜色の光が差し込んでくる。ティーカップを持っていない烽の指で、膝の上に開いた分厚い本の頁を捲る。

 声が溶けて、蜂蜜色の陽の光と、紅茶色の図書室の空気が絡まって、神聖な黄金色に染まっていく。



 さぁ、おやすみ。

 大丈夫。

 この星空が落ちてこないように、

私が守っていてあげる。



 Lz lylis celene li derec toe sirley ?


 Lz dec li feriey ? Ce ysric li dec ralon ?


 Dec ces ryue erasteec lif ruy?


Csric li, cell toe Qest Celene estarte...



 踏み入ってはいけない。この歌声を聞いてしまったら、もう、図書室に足を踏みいることができなくなる。




 神無月かんなづき 祈夜きよ

 黄昏図書室のブライト・ライツ

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