第7話 どんな青が好き?

 頬を撫でる風が心地いい。さわさわと身体の下で緑が揺れて、なんとも気持ちのいい子守歌を歌っている。

 桜が終わり、紫陽花あじさいが終わった。この時期はシロツメクサとタンポポが一面に広がっている。甘い香りに包まれて、文乃あやのの気分もぽかぽかとあたたかかった。

 華道の家元の家系に生まれ、小さい頃から花を生けることを教え込まれていた文乃。花は好きだ。でも華は好きじゃない。蘭に百合、菖蒲あやめ杜若かきつばた水仙すいせん牡丹ぼたん。どれも綺麗だけれど、華美すぎる。シロツメクサみたいな、小さな花の方が好きだった。

「んっんー、あぁ、ほんっとうにいい天気だ」 

 持ってきた文庫本を放り出して、ごろりと横になると草葉と湿った土と花の蜜の香りが強くなった。

「読書もいいけど……昼寝もいい……」

 見上げた空は夏に近い群青をしていた。岩のようにごつごつした雲が浮かんでいたが、それでも空は綺麗だった。

水主かこ……」

 そっと零したのは、既にいない弟の名前。半一卵性の双子である文乃と弟は、男女の差はあるが、見た目も背格好もそっくりで、鏡合わせという言葉がぴったりだった。

「水主、今日は空が綺麗だよ」

 まっすぐに空に手を伸ばす。澄んで綺麗な青色は、底へ向かうほどに青色を濃くしている。光の具合で色を変える宝石みたいだ。宮沢賢治も『十力の金剛石』の中でそう言っている。

「ザッザザ、ザザァザ、ザザァザザザァ、

 やめばやめやめ、ひでりあめ

 そらは みがいた 土耳古玉トルコだま

 その一節を暗唱してみる。本当に空が磨き上げられたトルコ玉のようにつるりとなめらかに輝いていた。

 理科の授業で聞いたことがある。光の波長が短い青い光は、大気中の水蒸気や塵にぶつかって広がりやすい。それがあちこちで起こるものだから、空いっぱいに青色が広がるのだ。

「水主は、青色、あんまり好きじゃなかったよね」

 空の青は寂しい、と弟は言っていた。だから海と悲しみを分け合いっこするんだと。海が青いのは、空の悲しみを半分持っているから。海の水がしょっぱいのは、空が流した雨という涙だから。

 その話を聞いたときは、華道の家を継ぐよりも小説家になった方がいいんじゃないかと思った。弟が考える話は壮大だけど、どこか優しい。

「思い出すね。言理とこうして、寝転んで、いつの間にか眠っちゃって、お祖母さまたちにこっぴどく叱られたっけ」

 その時の空は赤色だったっけ。思い出すだけで微笑ましくなってくる。あの頃は、今よりも門限が厳しかったから尚更だ。

「水主はシロツメクサが好きだったね」

 シロツメクサというよりは、よく四つ葉のクローバーを探していたっけ。全然見つからなくて、その代わり文乃はすぐに見つけるものだから、変な対抗心を燃やして見つけるまで帰らない、とか言い出す始末だった。

「なんで、四つ葉にあんなに執着していたのかなぁ」

 文乃がすぐに見つけるからだよ。

 そう、青空の向こうから聞こえたような気がした。水主らしい。思わず頬が緩んだ。懐かしいなぁ。



 瞼を閉じると、成長して同じ背格好の弟の姿が、ありありと想像できた。同じように草原に寝転がって、同じ青空を見上げている。壮大に広がる夏の空。見上げていると、苦しくなって、泣きたくなるくらいに鮮やかに青くて、いっそ、あの中に落ちていけたらと思ってしまうほど。そして、その下だと向日葵のように咲く君の笑顔が、とてもよく映えているんだ。



 起き上がって辺りを見回してみる。こうしているだけでも、あの頃はすぐに見つけたのに、今は全くだ。

「あーあ、やっぱり見つかんねーや。どうしたら、あんなに簡単に見つけられるんだよ」

 空を見上げる。悲しいほどの青色だ。甘やかで、艶やかで、妖しい青色。そのくせ落ち着いていて、凜としている。

 地上のあらゆる悲しみを見ているから、いつしか空が悲しむようになって、その涙である雨が生まれた。

「あぁ……文乃」

 唇から零れたのは、既にいない姉の名前。

「やっぱり俺、空の青色は好きじゃないや」




 山下やました 文乃あやの

 平成最後のビビット・ブルー

 

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