バイト開始
ここで待ち合わせしよう、そう「野本」と約束した場所が、三日月堂書店の入口を入ってすぐの場所だ。都合の良い時間が見付かり、この時間帯なら、と龍人に言ったのが今日の、正にこの時だ。今、俺はここでスマートフォンを弄りながら「野本」を待っている…。
「いたいた、君が中山純太君だね」
俺のすぐ側で、囁く声がした。俺はすぐさまスマートフォンをバッグの中に仕舞って、声のする方を振り向いた。そこにいたのは、当然ではあるのだが、あの人、「野本」だった。
「す、すみません、野本さん…。この前はご迷惑をおかけしました…」
俺は慌てて弁解した。「いいの。これも何かの縁だよ。あの出来事が契機となって、うちに応募してくれてありがとうね」と「野本」は言う。こんな人だったの?と言うのが第一印象だ。もっと、凜々しい感じの女性だと思っていたので、明るくて、失礼かも知れないけど「軽い」性格の彼女は、予想外だった。尤も、この言葉に表れた彼女も断片的な部分でしか無いから、もっと深く話さないと本当の性格は分からないけど。予想外ではあったけど、この彼女も良いな。後、間近で見ると、胸がデカかった事も分かった。目線をそっちに向けるのは、駄目だから、絶対に胸を凝視しないようにはするけど。やっぱり身長が高くて、整った身体をしているな。下心が止まらない…。いかん、こんな目で見ちゃ。本当に男って最低な生き物だなと、つくづく感じた。
「野本さん、ありがとうございます。私はどちらへ行けば良いのでしょうか」
俺は言う。「それは、今から私が案内するから、付いて来てね」と野本さんは言った。俺は野本さんの導きに従って、職員用の部屋に繋がるドアに案内された。そして「ここからは職員用の部屋になるよ」と言って、職員管理システムらしき物にカードをかざして、ドアを開けた。トイレとか、休憩室とか、幾らか部屋があり、俺は事務室から襖で仕切ったテーブルと椅子の置いてある場所へ案内された。襖の向こうでは、職員が事務をしているのが見て取れる。「中山君、どうぞ座って」と、野本さんは示す。「分かりました」と俺は言って座り、野本さんと対面する形になった。
「今回はね、面接では無いのだけど、まあ、色々と確認したい事があるんだ。早速だけど、履歴書と、キャッシュカードを出してくれる?」
野本さんから、俺は履歴書とキャッシュカードの提出を求められた。俺はバッグから取り出して、渡した。履歴書を見て、「バイトをするのは、うちが初めてなんだね」と野本さんは言う。「そうです」と俺は答えた。
「私は野本綾子。綾子の綾の字は分かる?糸偏の、旁が”旬”じゃない方の”あや”」
野本さんは自己紹介を兼ねて言う。「分かりますよ、それ位」と俺は答えた。下の名前は綾子か。覚えたぞ。「ねえ中山君、私、何歳に見える?」と、野本さんは聞いてきた。そんな事を言われると、戸惑ってしまう。「えっ?」と俺が言うと、野本さんは「遠慮しなくて良いよ。五十歳でも、六十歳でも、正直に言って」と言う。だから「二十七かな」と、俺は正直に彼女を見た感じを述べた。「惜しいっ!三十一だよ」と野本さん。微妙に惜しくないような気がするのは、俺だけか?「そうですか…。お若いですね」と俺は言った。「でしょでしょ。これでバツイチ、出産も経験してるからね」とサラッと衝撃的な告白を受けた。「えっ?離婚歴があるのですか?」と俺は言う。「ああ~っ、これは後でゆっくり話そう」と野本さん。「それよりも、キャッシュカードをコピーしてこないと」と言い、キャッシュカードを持ってコピー機へ向かった。
コピーをし終えると、野本さんが戻ってきた。「お待たせ、コピーしたから、キャッシュカードは返すね」と言って俺にキャッシュカードを返却した。「ありがとうこざいます」と俺は言う。「悪いけど、履歴書は預からせて貰うよ」と野本さん。「大丈夫です。分かっています」と俺は返した。
「接客係は基本的にみんなバイトで、私が接客係で唯一の正社員なんだよね。私が、接客係のまとめ役みたいな形になっているから、分からない事があったら、私に聞いてね」
野本さんは言う。「はい、分かりました」と俺は返す。
「じゃあ、研修に行こうか。こっち来てくれる?」
野本さんは履歴書やキャッシュカードのコピーを鞄の中に仕舞い、俺を休憩室まで案内した。休憩室には、テーブルと椅子、自販機の他に、荷物を置くスペースと、ユニフォーム、服の上から着る、エプロンのような物なのだが、それが掛けてあった。
「悪いけど、ロッカーとか無くて、荷物置くスペースはバイトのみんなで共用なんだよね。だから、貴重品の管理はしっかりして欲しいな。三日月堂の方では、責任取れないからさ」
野本さんが言う。「大丈夫です、そこは」と俺は言う。「まあ、使わなければ業務中でもスマホはポケットに入れていても良いよ。電源はしっかり切るんだよ」と野本さんが言う。「分かりました」と俺は言う。「じゃ、早速ユニフォームを着てね」と野本さんは俺にユニフォームを着るように促した。野本さんの言葉に従って、俺はユニフォームを着た。着終えると、野本さんは「はい」と『研修中 中山純太』と書かれた名札と、ICカードを渡した。野本さんは「カードはユニフォームの胸ポケットに入れてね。従業員専用のスペースに入る為に必要だから。持ち帰って貰う事になるけど、三日月堂で働く為の証明書だと思って。絶対に無くしちゃ駄目だよ」と話した。「大丈夫です」と俺は言う。「じゃあ、研修に行ってみようか」と、野本さんに付き従い、従業員専用のスペースを出て、店内へ。研修と、一目で分かるようになっている。俺はまず、検索システムの機械の所へ行かされる事になった。タッチパネルで、どこに本があるか分かるシステムだ。
「ねえ、中山君、この機械の使い方、分かる?」
野本さんが軽く煽るような言い方で聞いてくる。「分かりますとも」と俺は言う。「本当?じゃあ、新潮文庫のカラマーゾフの兄弟がどこにあるか、表示して、印刷してみて」と、出版社も細かく指定して言った。
「新潮文庫のカラマーゾフの兄弟ですね…。ええっと…」
俺はタッチパネルを操作して、新潮文庫刊行のカラマーゾフの兄弟を探した。それに関する情報が出てきたので、印刷機能を使い、印刷してその紙を持った。
「良く出来たね。それじゃあ、その本がある場所へ連れて行って欲しいな」
野本さんが言う。「はい、分かりました」と俺。紙に書いてある情報に従い、二階の、文庫本コーナーの、海外小説を扱うコーナーの、その場所へピンポイントで行った。そして、陳列してある『カラマーゾフの兄弟』を手に取って、野本さんに見せた。
「良く出来ました。花丸あげたいな」
野本さんは満面に笑みを浮かべて俺を褒めた。「えへっ」と、俺は思わず照れてしまった。
「もし、本を探している人がいたら、あの機械を使うように誘導してあげてね。でも、探しても分からない人がいたら案内してあげて。それと、機械の使い方が分からないお年寄りがいたら、突き放さずに、代わりに操作してあげてね」
野本さんは的確に教えてくれた。「どうも、ありがとうございます」と俺は感謝の言葉を述べる。
「後はレジだけど…。レジは次回、説明するから、今日は私と、インフォメーションで待っていよう。質問とかが来たら、答える仕事だよ」
野本さんは言う。「はい」と、俺は返す。俺と野本さんは、フロアの中央の、例の機械の横に小さくあるインフォメーションという場所で、客が来たら応答する、という役目をする事になった。本当に小さい空間で、立ちっぱなしだから、座りっぱなし程では無いけれども疲れるな。だが、良いのは本当に狭いという所。野本さんの間近にいられるのだ。俺は野本さんの方を見る。やっぱり、デカいな、胸…。何カップだろう。聞いたらセクハラになるから、聞かないけど、少なくともEカップはあるだろう。
「ねぇ、中山君」
野本さんは妙に色っぽい声で俺に語りかけた。突然、しかもこんな声で言われたから、俺は慌てて「えっ、何でしょうか」と返す他無かった。
「今日、一緒に飲みに行かない?」
急なお誘いだ。俺は心臓が止まるかのような感覚がした。何て反応したら良いか分からなくて、俺は「…。業務中ですよ。私語、良いのですか」と言う他無かった。「別に…。殆どみんな聞いて来ないから大丈夫だよ」と野本さんは言う。「だけど…。未成年ですよ。飲む、って…」と俺が言うと、野本さんは「ジュースやお茶を飲んで、一緒にお話しながら食べるだけで良いよ」と言う。俺は顔が真っ赤になってしまった。「その…。自分だけ特別にって訳には…」と俺が言えば、野本さんは「新人バイトとはよく飲みに行ってるよ。君が特別扱いじゃない」と返した。「でも、お金掛かるから…」と俺は言う。「いや、お金はいらない。私が全額出すから」と野本さん。
「だけど、従妹達に心配かけないか…」
そう言うと、野本さんはまるで求愛のポーズをするかのように「行こうよ、ねっ」と言ってきた。これじゃあ断れそうに無い。
「い、行きましょう。従妹達には、友達と食べてくる、と言っておきますから」
俺は野本さんの誘いに乗る事にした。バイトが終わったら、野本さんと一緒に飲む、と。野本さんと、ゆっくり話す良い機会だ。野本さんの事、沢山知りたい…。今の内に、野本さんへの質問を考えておかないと
バツイチアラサーの彼女が可愛くって… 阿部善 @Zen_ABE
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