第18話 影の森

「おーい! こっちこっち!」


 竜紋章の髪飾りをつけ、サルヴァスト軍官学校魔導科の制服である、紺色の厚手のローブを羽織った少女が、セミロングの金髪を揺らしながら小さく手招く。


 鬱蒼とした静かな森が広がる、王都エンジェリアから南東に位置する深い森林地帯。通称「影の森」と呼ばれるこの地は、忘れられた神々の依り代とされる一方、様々な魔物達の坩堝とも言われており、付近の村々や街の住人達も近づかない。


 しかし最近になって奇妙なことが、この森の付近で続いた。周辺の村や街に住む人間が、まるで神隠しにあったように突然消え、その後、森の入り口に消えた人間の身につけていた衣類や装飾品が、まるで森に飲み込まれたことを暗示するかの如く落ちているのだ。神隠しの対象となっているのは10〜20代の年頃の女性ばかり。古い人間が言うには「長年信仰を得られなかった森の神が、供物を求めて狂われた」というが、真偽の程は定かではない。


 初期の調査では、街の憲兵や警察隊を派遣して捜査に当たらせたが、森に向かった者は誰1人として帰ってこなかった。事態を重く見た街の長は、軍都サルヴァストに依頼を要請し、軍都側は発生場所と事件の不透明性から、特殊Aクラスクエストとして募集をかけた(クエストクラスはE〜SSまで存在し、一般に高難易度と呼ばれるのはBクラスクエストからである。さらに、対象の解明が進んでいない、或いは全くの不明なクエストは特殊クエストと呼ばれ、主に新種の魔物の捕獲や討伐、原因不明の怪奇現象などにつけられる)。


 森を進むは、軍都からクエストを受注した齢18歳の若き5人。剛槍を振るう重装騎士ゴウゼル・正確にして力強いサルヴァスト弓術を得意とし、魔導の才にも秀でるマジックアーチャーのマリオス・神々の言葉を宿した聖鈴を鳴らし、女神の力で皆をサポートする聖女ルーナ・サルヴァスト軍官学校魔導科創立史上最高の天才と称された魔導師サリカ・軍都の剣術大会で12歳で初優勝を果たし、その後6連覇を成し遂げ、剣姫の称号を得て殿堂入りした稀代の剣士ライラ。この者達はいずれも、1学年の生徒総数が1000人を超え、選りすぐられた猛者達の集まるサルヴァスト軍官学校において、自身の扱う武器専攻科を首席で卒業しており、ライラに至っては、全学科を含めた総合成績1位という秀逸である。


 5人は在学中、幾度かSクラス以上のクエストにも同行しており、高難易度クエストに関しての経験は、同学年と比較すれば抜きん出て豊富で、今回の特殊Aクエストも卒業して最初の仕事、言うなれば肩慣らしのようなものだった。


「あまり声を出しすぎると魔物が寄ってくるわよ、サリカ」


 呆れた様子でライラが言った。


 黒いサラサラのロングヘアに、黒真珠のような美しい瞳が陽のハイライトで引き立てられる美顔。彼女の装いは、薄くも強固で軽い素材のプラチナスクで作られた銀の胸当て、機動性を重視した短いスカートに細身のブーツと、気品に溢れながらも実用性が高い。


「へーきへーき! 追尾魔導弾を不可視化して私達の周囲に置いてるから、気配が近づいてきたらその時点で戦闘は終わってるよ。はぁ〜、早く帰ってサルヴァスト軍官学校闘牛科名物、白毛の牛娘監修の極熱マグマステーキが食べたいよぉ〜」


「あんたこの前それ食べて、熱すぎて口の中が脱皮したとか騒いでたじゃない。なのに食べたいの?」


「その感覚がクセになるんだって! とにかくさっさと終わらせて帰るぞー! ひゅーひゅー!」


 サリカはライラを挑発するように口笛を吹きだした。それだけ己の魔導の腕に自信を持っている。


「やはり影の森と呼ばれるだけあって、昼間でも視界が暗いな。だがサリカの魔導弾もあることだ。ルーナ、あれをやってくれ。」


 ゴウゼルは物々しく頑丈なサルヴァスト重騎士団の銀鎧を全身に身につけており、頭につけた二本角のヘルムのスリットからルーナを見た。


「は、はい! サンライト・ミスト!」


 ややボディラインの強調された聖女のローブから膨らむ大きな胸を揺らし、赤茶髪の巻き髪からいい香りを振りまきながら、ルーナはシャンシャンと触媒である聖鈴を鳴らした。まもなくして、辺りに霧状の光が漂い始めた。


「うぅ〜ん、やはり便利だよねぇ〜。女神ヴェロナの聖鈴はさ〜。魔導と神言の触媒を兼ねることができるからねぇ〜。まぁ、そんな器用なことができる人間は、限られるんだけどねぇ〜」


 キザな笑みを浮かべたマリオスは、矢を一本右手で持ち、それをペン回しのようにクルクルと回しながら、ルーナの才能を賞賛した。


 彼の細身で長身な体と銀の髪は美しいと軍都でも評判であり、愛用しているレザーの防具は都のトレンドにもなっている。


「そ、そんな〜。照れちゃいますよぉ、マリオスさん」


 ややたどたどしくも、素直で優しく、慈愛に溢れた性格のルーナは、スタイルの良さも含めて、男性兵士達に絶大な人気を誇っている。


「ッ! 全員警戒して。この先、魔物の瘴気が強くなってきたわ・・・。数はそう・・・30体以上」


 魔物は皆須らく瘴気を放っており、それは人間や動物には決して備わらない。その禍々しさ故に区別され、忌み嫌われているのだ。


 ライラは魔物の瘴気を察し、その濃度から数や強さを判別することができる。彼女の言葉を指標に、他の4人は相手に見合った魔術や戦技を備える。


「・・・・・あれ? ここは・・・」


 瘴気の濃い方へ進んでいくと、森に囲まれた廃村に出た。ひどく朽ち果てた木造の建築物が並び、長い年月に渡って人の出入りがなかったことを思わせた。


「こんなところに森の奥に村があったとは・・・。しかし、ずっと誰も住んではいないようだな」


「それはどうかなぁ〜」


 村の状態を一見で推察したゴウゼルに対し、マリオスが足元に落ちていた深緑色の綺麗なペンダントを拾って言葉を挟んだ。


「ここにぃ〜、緑水石でできたペンダントが落ちてるんだ〜。この地方の特産品でもある緑水石は〜、その性質上長時間外気に触れさせると〜、色がくすんで発色が悪くなるんだよねぇ〜。まぁコーティング剤を使えば抑えることはできるんだけど〜、それも2年は持たないはずなんだ〜。だからね〜、このペンダントに色のくすみが全く見られないのは〜おかしいと思うんだよねぇ〜」


「つまり・・・き、消えた人間はここに集まってきているということですか・・・」


 ルーナはやや緊張気味に唾を飲み込んだ。


「ッ! 殺気よ!! 気をつけて!!!」


 バシュウウウウウヴン!!!

 

 ライラが叫んだ瞬間、周囲に展開させていた魔導弾が一斉に散り、複数体の青黒いウロコを光らせる二足歩行のトカゲ達が黒焦げになって倒れた。


「リザードマン!? 水辺に生息する魔物が、なんでこんな森の奥に!?」


 サリカの惑いと同時に、隠れていたリザードマン達が次々と姿を現して、5人を取り囲んだ。


「ひぃふぅみぃ・・・・・・ぱっと見数え切れない数ってわけね」


 サリカが指折りを諦める。


「怖気付いたかしら? サリカ」


「誰に対して言ってんの! こぉ〜んなの! あたしにとってピンチのひとつにも入らないんだけどぉ?」


「フ、そうこなくっちゃね」


 ライラとサリカは余裕の表情を合わせ、各々の武器である剣と魔導書を構えた。


「皆さん! 【アーマーラック(急所防護)】と【パワースプリング(力の湧泉)】を多重詠唱します! お気をつけて!!」


 ルーナは素早い判断で詠唱する神言を選択し、手に持つ聖鈴で音が重ね合わさっているような音色を鳴らした。


 多重詠唱は、魔術の効果や威力を1度の詠唱で最大まで引き出すというものである。高速詠唱や黙唱と並び、魔術を扱う者の中でもごく一部の人間のみが扱える高等技術だ。


「ゴーレム・タックル(巨人の猛追)!!!」


 ゴウゼルは己の身を顧みず、リザードマンの大群に槍を構えながら突進した。その剛勇な攻めに、リザードマン達は成すすべなく跳ね飛ばされた。


「スコール・アロー(死の豪風雨)」


 マリオスが魔導弓から放った1本の矢は、空中で何百にも分裂し、まるで豪風雨のような激しさでリザードマン達に降り注いだ。矢の雨が上がると、そこには全身を貫かれたリザードマン達の屍が散らばっていた。


「ギガ・フリーズ(大氷結)!」


 サリカの指先から凄まじい冷気が迸り、次々とリザードマンを氷のオブジェへと変えていった。


 ギガ・フリーズはブリザーよりも3階位上の上級魔法に位置している。


「ハッ!!!」


 ライラは目にも止まらぬ速さで、残った十数体程のリザードマン達の首を落とした。その間僅か1秒足らずであった。


「ちょっとライラー!? みんなが大技披露で倒してる中、何1人だけ地味な攻撃してんだよぉ〜!」


 サリカが口を尖らせ憤慨した。


「この戦闘でクエストが終わるわけじゃないでしょ。力は温存しておかなきゃ。それに、あんた達も大技って程のもの出してないじゃない」


「まぁ、そーね」


 サリカはコロッと顔の険を解き、笑った。


「ゲヒ、ゲヒヒヒヒヒ!」


「あっ! 皆さんあそこ!!」


 ルーナが崩れた建物の影を指差した。ギロリと鋭い目を向けていた薄汚い茶色の小鬼のような魔物が、背を向けて一目散に走っていった。


「あれはヴォブリンか。この廃村を住処にしている・・・ということは」


 ゴウゼルは何かを察した目で4人を一瞥した。


「ええ、間違いない・・・。奴らはここで増殖を行なっている。若い女性ばかりが消えたり、リザードマンがここを守っていたのも合点がいくわ」


 ライラが目を鋭く細めて頷いた。


 ヴォブリンという種族は、戦闘狂で支配欲が強く、個体の全てがオスである。彼らの生殖方法は特殊であり、瘴気を持たない他種族のメスを母体とする。洞窟や地下など湿った場所を好み、そこに巨大な巣を形成して、他種族のメス達を家畜のように繋ぐ。子の強さは母体に左右され、特に高い知能を持つ人間のメスは標的にされやすく、人里近くにヴォブリンが巣を作ると、その周辺から人間の女が全くいなくなるほどである。そうして彼らは数を増やしていき、他の魔物を使役させながら、自分達の支配域を広げていくのだ。増殖ペースは約1ヶ月とサイクルが早く、母体を多く用意すればするだけ爆発的に増え、一説では一国が増えすぎたヴォブリンにより滅亡したとも言われている。


 5人はヴォブリンが逃げ去っていった方に歩いた。崩れた建物の裏手に行くと、地下に続く大きな穴を見つけ、立ち止まった。


「禍々しい瘴気の残滓・・・。間違いない、ここが奴らの巣だわ」


 ライラが直感で瘴気を感じ取った。


「ヴォブリンは個々の力は基本的に弱いが、その分数が多い。しかも人間を母体としているとなると、知能も優れているだろうから、罠の可能性も考慮した方がいい・・・。ふむぅ・・・」


 厄介な状況に、ゴウゼルが溜息を漏ついた。


「じゃーさ、ここにもうどデカイ魔導ぶっ放して、潰しちゃう? その方が手っ取り早いんじゃないの〜? 蟻の駆除みたいにさぁ〜」


 サリカがやや膠着気味な状況にノープランな横槍を入れた。


「それはダメよ。村や街の人が囚われているかもしれないんだから。無事に連れ帰ることも視野に入れないと」


「ライラはそうやって言うけど、ヴォブリンに囚われた人達って十中八九もう無事じゃないからね!? 常識のタガが外れて狂うか、もしくは廃人に・・・」


「や、やめてくださいよぉ! サリカさん!」


 サリカの生々しくリアルな話に、怖いものが苦手なルーナが拒否反応を示した。











「皆さま、御機嫌よう」












「「!!!」」


 何処からともなく聞こえた謎の男の声に、5人はすかさず警戒態勢をとった。


「怯えることはありません。この村には魔導水晶のかけらが散りばめてあり、ワタクシの声がどこにいても届くカラクリになっています。さて、ここから話すのは私からの提案なのですが、ワタクシ達は貴方がたと戦う気はございません。先ほど向かわせたリザードマン達との戦いを拝見いたしましたところ、ワタクシ達には貴方がたを倒す力がないと判断いたしました」


「お前は何者なの? それに戦わないだなんて、街や村の人達を攫っておいて都合が良い要求だと思わないの?」


 ライラが謎の男に対して高圧的に返答した。


「これはこれは申し遅れました。ワタクシはこの森の生態系のバランスを保っている者でございまして、個体数が減少傾向にあるヴォブリン達の増殖の手伝いをしておりました。人間と魔物が分かり合えないのは当然のこと。しかし、あまりにも強引な手段であったと今は自責の念に駆られております。しかし、連れてきた女子達には多少の行為には及ばせていただいたものの、自我の崩壊や傷もなく、肉体的にも精神的にも健康でございます。このままお返しして、今後一切人に手は出さぬよう約束いたします。わが森の、誇りに誓って」


 男の言葉が終わると同時に、1匹の丸腰のヴォブリンが穴から出てきた。


「オマエタチ、コッチクル。ナカマ、カエス」


 ヴォブリンは片言の人語を喋り、5人を手招いた。


「見ての通り、丸腰でございます。身につけているのは腰布1枚・・・。もしも信用できぬのであれば、その場で斬り捨てて頂いても構いません」


「自分は安全な位置にいてさ、そこから仲間を斬り捨てていいだなんて、随分とお偉いよね〜。あんたを魔導で蒸発させてもいい可能性を作るんなら、話は別だけど?」


 サリカの言葉は悪魔的ながらも、義憤に満ちていた。


「それはもちろん、貴方がたがここまで来てくれるのであれば、ワタクシもちゃんと逃げも隠れもせずお会いいたします」


「それはダメね。現時点で信用できる要素が何もないから、だから・・・え!?」


 ライラがギョッとして足元を見下ろすと、5人の立っていた場所に、人数分収まるほどの転移魔法陣が描かれて発動していた。


「黙唱に不可視化を重複させてさらに高速詠唱までした!? あたしでもそんなことできないのに!!」


 サリカが言い切ったと同時に、5人の姿は地上から消えた。












「・・・!!」


 転移した5人が立っていたのは、周囲に無数の穴が空いている、地下の巨大な空洞の中であった。だが、大量のヴォブリンで犇いていると思わせたそこは、逆に閑散としていた。


「か、会話で時間を稼いで、その間黙唱しながら魔法陣の不可視化も同時に行なっていたというの・・・。しかも転移魔法は詠唱にかなり時間がかかるから、あ、あれはやはり高速詠唱も兼ねてたとしか考えられない・・・! 嘘・・・嘘よ・・・・・・こんなの」


 サリカは、首席の自分でも到達できない次元の魔導に、呼吸を乱した。


「ようこそいらっしゃいました。皆さま」


 魔導水晶越しのやや篭った声ではなく、純度100%の男の生声が空洞内に渡り、5人は一斉に目を向けた。


 そこには黒いローブを身に纏い、顔に面妖な白い仮面をつけた男が立っていた。


「お前が、さっきの・・・! だが中に入れたのは迂闊だったわね。私たち5人を相手に、1人で戦えるのかしら?」


 ライラは白銀の鋭い光を湛えた業物を抜いて構えた。


「貴方がたにワタクシ1人で・・・? とんでもない! 役不足も良いところです」


「な・・・・に!? 言葉の意味がわかっているのかしら?」


 男の挑発にライラは眉間にしわを寄せた。


「ワタクシの作ったこの子達と闘って、勝てたらワタクシと戦う権利を授けましょう」


 男がパチンと指を鳴らすと、5つの召喚陣が地面に描かれ、そこから普通のヴォブリンよりもふた回り大きい、成人男性程のサイズのヴォブリンが、ある個体は両手に剣を持って、ある個体は槍を持って現れた。


「な!?ホブヴォブリン!? あの大きさの個体は珍しくはないけど、手に持ってる武器は・・・私たちの武器種と同じ!?」


「ホホホ。自分の腕に自信があれば、熟知している己の武器使いを相手に遅れを取るなど・・・ましてやヴォブリン程度に負けるなどあり得ぬことでしょう。・・・ね?」


「ギャハハハー!!! コロス!! コロス!!」


 ホブヴォブリン達は、それぞれ自分と同じ武器を持っている者に襲いかかった。


 ガキキキィイイン!!!!! ゴオオオオオオ!!!!!


 衝突する金属音や、詠唱された魔導の発動音が空洞内に響きだした。


「なっ!? 速い!!!」


 2本剣のホブヴォブリンはライラの斬撃を次々と躱し、或いはいなして、熟練された達人のような剣さばきで反撃してきた。それをライラも紙一重の動きで躱している。


「こ、こいつら! 普通のヴォブリンと全然違う!! 技の精度や威力が並外れてる!!!」


 サリカは魔導書を持ったホブヴォブリンと、巨大な魔導弾を衝突させ、その爆風に身を屈めた。


「ぐっ!!! クソ!!!」


 ゴウゼルは槍のホブヴォブリンの強靭な体幹と攻撃の重さ、そして素早い身のこなしに苦戦を余儀なくされていた。


「ゴウゼル危ない!!!」


 態勢を崩したゴウゼルに、トドメの一撃を入れんとボブヴォブリンは槍を真っ直ぐに構え、突き立てた。


「待ってたんだよォ!! コレをぉぉぉ!!!」


 ゴウゼルは左腕を心臓の前に持ってきて、槍を受けた。左腕は貫かれたが、分厚い手甲と筋肉により、攻撃は止まった。


「せい!!!!!」


 カウンターのような形で、ゴウゼルの槍がホブヴォブリンの腹を貫いた。


「グギギギィ!!? グギャアアア!!!」


 腹を貫かれたホブヴォブリンは苦痛の声を上げ、必死に槍を抜こうともがいた。


「喰らえ!!! 【ギガ・ドロップ(大落下)】!!!」


 ゴウゼルは槍先にホブヴォブリンを刺したまま、円を描く様に振り回し、そのまま空中に飛び上がった。そして空中で回転を強め、その遠心力で地面に勢いよく叩きつけた。


ドギャシャアアア!!!!!!


 大きな衝突音の後、叩きつけられた箇所には半径3メートル程のクレーターができており、槍の先端に貫かれていたホブヴォブリンは跡形もなく砕け散っていた。


「左腕は犠牲になったが、貴様を倒すだけなら利き腕があれば十分よ!! 行くぞ!!」


 ゴウゼルは、その勢いのままに謎の男へ槍を構えて【ゴーレム・タックル(巨人の猛追)】を繰り出した。











 「ヴォル・ガノン(豪火柱)」










 ゴウゼル以外の4人は戦いの最中に目の端で捉えた。巨大な魔導の火柱が、ゴウゼルを無慈悲に飲み込んだのを。


 火柱が収まると、そこにあったのは人の原型を留めていない黒焦げた物体だった。灰色の薄汚れた煙を立て、ポロポロと焦げクズが下に落ちていった。ほんの、一瞬の出来事だった。


「ゴウ・・・ゼル・・・。そんな」


 仲間の変わり果てた姿に、4人の頭の中は戦闘中にも関わらず、空っぽになりつつあった。


「ホホホホホホ。少しは楽しもうと、加減したんですけどねぇ・・・。どうして人とはこう脆く崩れやすいのでしょうか」


 軍都指折りの重騎士であったゴウゼルを、まるで問題にしない謎の男に対して、マリオスの中に明らかな恐怖心が生まれつつあった。その恐怖心は、互角だったホブヴォブリンとの戦いを、徐々に劣勢へと運んでいった。


「ちっ!【スコール・アローズ(死の大豪風雨)】!!!!」


 追い詰められたマリオスは、自身の最高技を逆転の一手として放った。頭上に放った一本の矢が何千もの矢の雨となり、隙間なく相手に降り注ぐ。


「ゲヒヒ! オデモ オナジコト デキル !!」


 弓のホブヴォブリンはマリオスと同じように矢を放ち、その矢も同じ数ほどの雨となってマリオスの技と衝突した。


「バカな!? マジックアーチャーの高級技を!?」


 相殺した際に周りに分散したエネルギーが、マリオスの態勢を崩す。その隙に後ろに回り込んでいたホブヴォブリンが、マリオスの右手を掴んだ。


「そんな!? いつの間に!?」


「ゲヒヒ テ コワス」


 ホブヴォブリンはマリオスの右手を間接とは逆方向に捻り始めた。


「や、やめろろおおおおおおおおおお!!!」


 ブチッという音と同時に、マリオスの右手が地に落ちた。瞬く間に足元には血の溜まりが作られ、激痛とショックでマリオスは気絶した。


「マ、マリオスさああああん!!!!!」


 同時に、ルーナは戦意を喪失して戦っていたホブヴォブリンに拘束された。背中を蹴押されて、顔を土の地面に擦り付けられながら、涙を流している。


「ルーナァァァァァ!!!! この!!!」


 ルーナを拘束するホブヴォブリンに向かって、サリカは彼女を助けんと魔導詠唱を始めた。その瞬間、サリカの両足が数十本の矢で貫かれた。


「「ひぎゃああああ!!!!! 矢が!!! 矢があああああ!!!!!!」」


 サリカはこれまで歩んだ人生の中で、未だかつて上げたことの無いような絶叫をした。血液の赤に染まりきった両足は機能を失い、彼女の身を地に落とした。


「ゲヒヒヒヒヒ!!! オマエ モウ タテナイ! イッショウ タテナイ! ゲヒヒヒヒヒ!!!」


 矢を放ったホブヴォブリンが醜く腹を抱える。


「ホホホホホ。メスは母体にするのですから、あまり手荒なことをして欲しくはないのですが・・・。まぁ、立てないくらいなら問題はないですがね」


 男は少々呆れ気味に首を振った。











「・・・・・・・許さない。絶対に、許さない!!!!!!」











 ライラが口にした怒りは、即座に行動に現れた。


「ハァ!!!」


疾風の如く突き抜けた彼女の剣は、相手していたホブヴォブリンを駆け抜けた。そしてホブヴォブリンが言葉を発する間も与えず、首を地に転がり落とした。


「ゲヒ!? オマエ!! チョウシニ ノルナ!!」


 残っていた3体のホブヴォブリンが、ライラに武器を向けて次々と飛びかかった。


 「【ライネル・フラッシュ(雷神の疾剣)】」


 雷光が走ったかの如き刹那の一閃が、3体の体を抜けていった。いつの間にかライラは、ホブヴォブリン達が体を向けた方とは逆の位置に立っていた。


「ゲヒヒ!! オマエ ナニヲシ・・・ゲヒ!?」


 少し間を置いて、3体の身体は50以上の無残な肉片と化し、崩れ落ちた。


「ホホホホホホ。友を失い、怒りから限界を超えた力に覚醒したようですね。いいです、いいですよぉ! ワタクシは! もっと! もっと! その力が知りたい!! 人という存在に備わる幾千幾万もの感情を!!! 生命の啓蒙を高めるのです!!!」


「ええ、見せてやるとも。貴様の冥土の土産として・・・我が怒りの剣を!!! む!?」


 ライラが踏み込もうとしたその時、突然目の前に大きな召喚陣が出現し、彼女は攻撃を止めた。


「ホホホ。素晴らしいですよ。実に素晴らしい。そんなあなたに敬意を称しまして、ワタクシの最高傑作と戦わせてあげましょう」


 召喚陣から出現したのは、体長4メートルを超える巨体を持つ魔物であった。鬼のような顔つきに2本の大きな牙が生えており、体色はヴォブリンよりもやや黒い。分厚い筋肉に覆われており、強く握りしめた両手は尋常ならざる握力を感じさせ、この世の全てを握りつぶしそうな迫力だった。


「な・・・んなのこの魔物は・・・。オークともゴーレムとも違う・・・」


「ホホホ。当たり前です。ヴォブリンですから」


「ヴォブリン・・・ですって!? こんなに大きくなるわけが・・・!」


「なるんですよ。貴方の知っていることが世界の全てではないのです。ヴォブリンという種族は、元となる母体の改造や遺伝術の応用で幾らでも進化できる可能性を秘めている。その上、他の種族より圧倒的な速さで増殖を行うことができ、小規模国家程度であれば1年足らずで征服することも可能です。ワタクシは彼らを使って、この世界を手に入れるんですよ。汚れた人間共に支配され、クズ底に成り下がった世界を作り変えるのです。その為には、もっと母体が必要なのです。私の兵を作る機関が・・・野望の贄となる者達が・・・・。ホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホ」


 男は自身の目的について一通り話し終えると、突然狂ったように高笑いを始めた。


「お前は・・・生かしてはおけない!!! さっさとこいつを片付けて、貴様を闇に葬り去る!!」


「ウゴォオオオオオォオオオウ!!!」


 ライラの強い殺気を感じ取った巨体ヴォブリンは、巨体に似合わぬ素早さでライラとの間合いを詰め、その鉄塊のような巨腕を彼女に叩きつけた。


「す、凄まじく速い・・・! さっきのモブヴォブリンを上回るスピード・・・!」


 当たれば即死は免れぬであろう猛速の剛槌を、ライラは紙一重で躱し続けた。


 速いけど動きが単調だわ・・・しかも隙が生まれるパターンがある。右→左→両手と叩きつけた後、両腕をコマのように一回転させる薙ぎ払いを高確率でしてくる。そして薙ぎ払いが終わると数瞬の間動きが止まる。【ライネル・フラッシュ】を喉笛に打ち込めるのはその時・・・!


「ウオォォオオオオウウウ!!!!」


 ライラの見立て通り、巨体ヴォブリンは両手の叩きつけの後薙ぎ払いをしてきた。


「そこよ!!!」











 ギイイィイイイイン!!!











 眩い閃光が暗い地下洞穴を照らし、同時に鋭い金属音を響かせた。


「・・・・・・え?」


 ライラはゆっくりと、持ち慣れたグリップで右手に収まっている己が剣を目にした。











「刃先が・・・・ない」











 信じ難い状況を、すぐ飲み込める程度には肉体・精神共に疲弊していた。軍都の名匠が鍛え上げた最上級の白銀剣。飛龍の鱗さえも難なく斬り裂き、鋼の鎧もバターのように切断する、自身が最強と信じてやまなかった剣。それが・・・・・・今。


「概念装甲・・・。当然、貴方程度の人間が存じているはずもありませんね。このヴォブリンの皮膚は、世のあらゆる斬撃属性の攻撃が無効化され、更には攻撃者の剣に倍の力となって返る・・・いわば斬撃反射外骨格。剣を持つ限り、貴方に勝ち目はございません。まぁ、打撃や魔導・・・あらゆる概念装甲を持つヴォブリンをワタクシは所有しておりますので、相手によって使い分けてます」


「お前は・・・一体」


「ホホホ。ワタクシはこの森の神・・・。人間が神に、勝てるはずないでしょう?」


「神・・・・・・」


 そうだ。無謀だったんだ、最初から。人間の私達が、神様に勝てるわけがない。どんなに努力しても、才能があっても、血の滲むような思いをしても・・・決して届かない神の位・・・。


 攻撃の手段を失い、呆然と立ち尽くしているライラの両腕を、巨体ヴォブリンがガシリと掴んだ。


「なっ! 何を!?」


 掴んだ両手にはだんだんと力が込められていき、中の腕がミシミシと音を立てる。


「ヴォウ!!」


「ぎゃあああああああ!!!!!!」


 ジワジワと力を込めていた手が、一気に握られた。ベキベキと痛々しい骨の粉砕音が手の内から鳴る。


「あが・・・! ハァッ! ハァッ! ・・・・」


 解放されたライラは、潰れた両腕をダランと弱々しく垂らし、脂汗を大量に流しながら虚ろな目を薄く開いた。


「ホホホホホ。その腕ではもう、得意の剣を振るうことは2度とかないませんねぇ。それにしても実に良い・・・。たった今まで無事で健康だったものが、一瞬にして壊れ砕ける時・・・。失われるはずではなかったものが、失われる瞬間・・・。力を込めなければ、矢を放たれなければ、魔導で焼かれなければ・・・! なんて残酷で美しく、そして快感なんでしょう!!!」


 巨体ヴォブリンは再びライラに近づき、今度は片手で頭部を覆うように掴んだ。


「オマエ キョウカラ オレノ モノ。オレノ ドレイ」


「さぁ、オスは適当に処分して、メスは奥に運びなさい」


 周囲の穴から、大量のヴォブリン達が雪崩出て、ライラ達に群がる。弱った獲物に、小さな蟻達が食いついていくように。


「いや・・・・・・そんな。嫌だ・・・! 助けてお父様!!!! おかあさまああああ!!!!!! いやあああああああ!!!!!!」











「ホホホ。おやすみ・・・・・・」















                   *






「こんにちわぁ〜」


「いらっしゃいませ」


 クエスト斡旋所のガラス造りの綺麗な正面扉を開き、南條鈴莉はカウンターの向こうにいる受付嬢達に挨拶をした。テクテクと中に入った鈴莉の後、フリードルが静かに入って扉を閉めた。


 王都エンジェリアの中心からやや西に外れたエクスシア区。貴族が多く住まう高級住宅街のこの区域にあるクエスト斡旋所は、主に魔物の討伐・捕獲を目的としたものを取り扱っている。そのせいか、必然とメインストリートを歩く人たちの背負っている武器は、対人用よりも対魔物用の大きなものが多い。


 エクスシア区のメインストリートの中央に位置するルィズ斡旋所。ガラスの正面扉に内装は赤カーペットにシャンデリア、大理石の床とやたら豪華である。ここで取り扱うクエストは高難易度のBクラスクエスト以上のものばかりで、クライアントである国や都市、貴族からの資金援助で運営費が潤沢にあるのだ。クエストを受けに集まってくる者達も、勲章や認定許可書を持つ凄腕ばかりである。


 南條鈴莉は、1週間ほど前の火竜ネルファの討伐クエストで、鈴莉の持つ☆5ユニットのフリードルが、圧倒的な剣使いで瞬く間に火竜を倒したことから、上位斡旋所の所長達に注目されていた。


「やぁ、鈴莉ちゃん。今日は2人かい?」


「あっ所長さん! そうなんです!」


 奥からオールバックの黒髪に綺麗に整えられた口髭を生やした中年の男性が出てきた。黒のネクタイにベスト、鳶色の滑らかな光を放つ革靴、まさに気品に溢れている。


「火竜ネルファに邪眼イービル・デス、そして一昨日は牙竜ゼノルクス・・・。1週間という短期間で、Aクラス以上の魔物をたった1人で討伐してくるフリードル君には驚きだねぇ」


「えへへへ〜。ですよねですよね! 所長さんもフリードルを大いに推してください! お望みとあらば、Dear・フリードル〜南條鈴莉presents愛の語らい3時間スペシャル~をお聞かせしますが♪」


「そ、それは遠慮しておこう・・・。っていうか、そんな彼を従えている君にはもっと驚きなんだけどねぇ。さぁ、今日はどんなやつを紹介しようか」


「この前から気になっていたんですけど、特殊って付いてるクエストがあるじゃないですか? これってどういう意味なんですか?」


「ああ特殊クエストかい? まぁ主に討伐対象とかの解明が進んでないクエストにつけられるんだ。危険だけど、その分報酬も良いから大きく稼ぎたいって人にはオススメだけど・・・」


「へええ! いいじゃないですか! 好奇心そそりますね! 紹介してください!」


 鈴莉は目を輝かせて、所長に顔を接近させた。


「え!? いいけど、情報が少ないから満足に対策もできないクエストが多いよ? 難易度もそんなに当てにならないし・・・。特殊Aクラスで設定されてるけど、実際はSクラスだった、なんてザラにあるからね。それでもやるかい?」


「はい!」


 鈴莉は忠告も気に留めない、元気な返事を返した。


「でも、フリードル君程の強者なら大丈夫かもしれないね。よし! とっておきのやつを紹介しようか!」


 所長はカウンターの奥へ行き、ゴソゴソと本棚を物色すると、冊子で綴じられた依頼書を持ってきた。


「ここから南東にある軍都サルヴァストに要請が出ているクエストなんだけど、あそこの地域には【影の森】って呼ばれる森林地帯があってね、半年程前からその森付近の街や村で若い女の子が消える事件が起こってるんだ。神隠しにあったみたいにね」


「わ、若い女の子限定の神隠しですか・・・」


 鈴莉は自分にも当てはまる条件に、やや恐怖でゴクリと息を飲んだ。


「それで、これまで何人か調査に向かってるんだけど、まだ誰も帰ってきてないんだ。あの地域は、特に【影の森】は魔物が多いから、遭難したというより、みんな殺された可能性が高い。2ヶ月前に軍都の精鋭が向かったらしいんだけど、その人達も未だに帰ってきてなくてね。それらの理由から、最近特殊Sクラスクエストに難易度が格上げされたんだ。当然、報酬もね」


「ふ、フリードルぅ・・・。どう?」


 鈴莉はやや怖気た顔で、フリードルを見上げた。


「一概に魔物の仕業とは言えないが、この事象には少々心当たりがある。だが、それにしては妙だな・・・。個人的には興味深い」


 フリードルはクエストの冊子を読んで、静かに呟いた。


「じゃあ、とりあえずやってみよっか」


 鈴莉は少々心配に押されながらも、フリードルの力を信じて、受注を決めた。











 しかし、何か不穏なにおいが漂う。殺しきれない一抹の不安が、鈴莉の胸中にへばりつく。これまでのクエストとは一線を画す何かが潜んでいるような・・・なんだかそんな悪い予感がした。





 第18章 「影の森」

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