第2話 説明書は未封入
「軍師殿・・・! 軍師殿・・・!!」
俺は身体をグラグラと揺さぶられる感覚でゆっくりと意識を取り戻した。目の前には雲ひとつ浮かんでいない澄んだ青空と・・・覗き込む金髪の少女の顔・・・・?
「ん・・・・・?」
「気がついたであるか軍師殿!」
「はっ!?」
俺は勢いよく身体を起こし、まるっと己の目を見開いた。
周囲を見回すと、そこには年季の入った木造の家々、苔の生えた古びた井戸、手入れされた牛舎、柔らかい感触を伝える土の地面、都会では聞かないような野鳥の
何処かの村なのか?俺はたった今まで教室にいたはずだが・・・。それにこの金髪の少女は・・・。
「お前・・・誰だ?」
「はっ・・・! 申し遅れてすまぬである軍師殿! 拙者は旅の剣士マルポロと申す者! 剣の腕はまだまだ発展途上であるが、これから軍師殿のお役に立てるよう、誠心誠意頑張るである!」
少女は後ろに束ねた髪をたなびかせ、腰に差した剣と左肩に装着した鉄の防具をカチャリと揺らしながら、小柄な体を45度こちらに折り曲げた。白くきめ細やかな肌に、エメラルドを加工したような碧色の瞳・・・明らかに日本人ではない。体系的に歳は中学生くらいか?黒いタイツで覆われた太ももは、女子陸上部員のように締まっている。
「???」
俺は頭の理解が追いつかなかった。突然妙な光が目の前を包んだかと思えば、どこかの村に放り出され、そしてこの少女・・・マルポロの唐突な自己紹介。約17年生きてきた人生の常識の範疇で、この状況を説明できる道理が自分の中で何一つ見つからなかった。
「軍師って、俺のことか?」
「そうである!」
どうしようもなく、ありのまま投げかけた疑問に対し、マルポロが元気よく返事をする。そして俺はまた頭を抱えた。
本当に何がどうなっているんだ・・・。夢・・・なのか?いや、青空から注ぐ光の眩しさ、草の薫り、目の前にいる少女の存在感。夢にしてはリアリティがありすぎる。第一寝落ちしたような記憶なんてないし、これは間違いなく現実だ。
思考を整理し、若干落ち着いてみる。そして改めて目の前の少女に視線を戻す。
しかしこいつどこかで・・・。
少女の風貌にどこか既視感が湧いた。近代的でない身なり。かといって中世時代などの西洋とはやや異なった、まるでファンタジー作品から出てきたような・・・。マルポロ・・・・。
「はっ!」
そこまで思考が至った瞬間に、合点がいった。
こいつ、俺がさっきゲームで引いたユニットじゃないか。
「エレメントクライシス3〜終幕の千年王国〜」の「旅の見習い剣士マルポロ」。先程までリセマラを行なっていた、エレメントクライシス~ブレイブジャッジメント~で、ここに飛ばされる直前の、つくしの目の前で引いた最後の召喚で出現したユニットであった。そして同時に思う。
「ということはここはゲームの中? いやいやいや・・・・・あり得んだろ。どう考えたって。アニメや漫画じゃあるまいし・・・」
超常的な考えが浮かぶものの、すぐに修正する。しかし目の前の事実を理解するにあたって常識が何の役にも立たないのは火を見るより明らかだった。つまりはどうしようもない。
「ッ! 軍師殿!! 気をつけるである!!!」
マルポロが叫ぶと同時に、腰の剣を抜きつつ俺の前に回り込んだ。目で追えない程、凄まじく速い。
「なんだ!?」
俺はマルポロが叫ぶ方向に急いで視線を向ける。
「何者であるか!!!」
「ひっ!」
目線の先には、俺と同い年程の青く長い髪をした少女が怯えていた。藍色の大きな瞳に桃色の赤みを帯びた白い肌、背丈は女の子にしてはやや高めで、175センチの俺より少し小さいくらい。素朴で質素な手縫いのドレスと見目麗しくエレガントな整った顔がアンバランスだった。
「あ、あの! 私丸腰です! この通り!」
「魔導書・・・魔導器の類は!? 指輪やイヤリングもしてないであるな!?」
マルポロは剣を顔の横で構え、鋭利な気迫でさらに疑いをかけた。
「は、はい! 貴金属類は一切身につけておりません!」
*
「え・・・!? 目が覚めたら突然この村に!?」
「あぁ」
家の玄関に面した広いリビングは家具を含め全て木造で、現代社会の家々とは全く異なった趣を感じさせるものだった。きめ細かく鮮やかな木目の入ったテーブルに、己の身を憂うことなく預けることができる芯の通った椅子。この重厚でしっかりとした造りは、この辺りに生えている広葉樹を使っているのだろうか。
俺とマルポロは、疑いの晴れた少女の家に案内してもらい、ここに到るまでの事情を話した。ご厚意により、お茶も頂いている。
「スマートフォン・・・アプリ・・・エレメントクライシス・・・私にはわからないことだらけですが・・・。あっ、申し遅れました! 私フローラと言います。このルアリト村の村長、ユーチの娘です」
「旅の剣士マルポロである! こちらは拙者のお仕えする軍師殿、龍宮寺咲人様である!」
なんでお前は俺の名前を知ってるんだよ!?と、紹介するマルポロに心の中でつっこんだ。全く色々と不可解なまま話が進んでいる。
「龍宮寺咲人だ。よろしくな」
俺が手を差し出すと、フローラは笑って握手に応えてくれた。柔らかく、優しい温もりを持った手だった。
「しかし、さっきはいきなり剣を見せて悪かったな」
「本当に申し訳なかったである〜」
マルポロは心底申し訳なさそうに頭を下げた。ゲームにおいても、真っすぐが故に単純で、ドジの多い性格だった気がするが、本当にそのまんまだ。しかしお仕えする軍師殿なんて呼ばれるのは、先刻までただの学生生活を送っていた俺にとっては心底困惑しか生まない言葉だな。なぜこいつは俺を軍師と呼び慕うのか・・・。
「待てよ」
俺は手を口に当てがい、もう一度先程否定したゲームの中に入った可能性について考察してみる。
ゲームのキャラが自ら意思を持って行動し、語りかけてくる。ゲームを模した世界であることは間違いない。だがゲームの中に入るなんてことが本当にあり得るか? 仮にそうだとして、俺の体をゲームの中に転送するなんてことは、俺が電子媒体でもない限り不可能だ。
仮にゲームの中に入るとしたら、バーチャルリアリティだ。ゴーグルやヘッドギアなんかを付けてゲームへの没入感を高める。しかし、それはここに来る前の状況からでは説明がつかない。そもそもいくら没入感を高めたとはいえ、現代技術でここまでのリアリティを再現するのは不可能なはずだ。視覚や聴覚だけでなく、嗅覚や物に触った感触まである。よってここはゲームを模してはいるが、ゲームの中ではない、やはり現実の世界ということだ。つまりは・・・!
「異世界・・・転移・・・!!」
「どうしたであるか? 軍師殿。・・・!?」
ガチャっと、玄関の木の扉が開くと、ゆっくりと1人の女性が入ってきた。
「ただいまフローラ。あら、お客様?」
「あっ姉様! おかえりなさい!」
フローラは女性に駆け寄り、靴を脱ぐのを手伝った。フローラと同じ色の髪を短く切り揃えており、顔も背丈も似ている。が、よく見るとお腹がやけに大きい。
「すみません、お邪魔しています。この土地の人間じゃないのですが、訳あって迷いこんでしまって・・・」
「あらあら、旅のお方? だからそんな変わった服を着ていらっしゃるのね。こんな服は見たことがないわ」
女性は俺の学校の制服である黒の学ランをまじまじと見つめた。確かに、この世界の人から見ればこの格好は奇奇怪怪、妙ちくりんなことこの上ないことだろう。
「わぁ〜! そのお腹、赤ちゃんであるか?」
マルポロが興味津々な様子で目を輝かせ、女性のお腹を見つめた。武人とはいえ、自身も女なだけあって、こういうことには関心があるようだ。
「うふふ、来月には産まれるの。あ、私リーリア。よろしくね!」
「龍宮寺咲人です。そしてこっちが、早とちり剣士のマルポロ」
「ぐ、軍師殿〜! その言い方はないであるよ!」
「あははは!」
マルポロがぐぬぬと顔を歪ませているとこを3人で少しからかうように笑った。
「どーも! どーも! 村長のユーチです!!」
「うお!!? ビックリした!!!」
俺は驚きで声を上げ、仰け反った。やや太った、ちょび髭を生やした中年の男性が唐突に笑顔で家に入ってきた。マルポロも驚愕のあまり「わぁ!?」と尻餅をついた。
「もう、お父様!」
フローラは眉を釣り上げ、怒りを露わにした。普段から村長の悪ふざけに対して、このように叱っていることが垣間見れる一場面だ。
「いやぁ、驚かせてしまったかね。話は外で聞かせてもらってたよ。出発の目処が立つまではこの家を使ってくれたまえ! 部屋余ってるから!」
村長は気さくに俺の肩を叩き、ニカッと歯を見せて笑いかけた。
「あ、ありがとうございます」
なぜ素直に家に入ってこなかったのか、妙な謎は残るものの、それは俺たちを脅かす為の悪ふざけと結論づけた。
とりあえず気前のいい人で良かった、と俺は心の中で安心した。なにより、村長の家ならこの村に滞在するにあたってはなにかと都合が良いだろう。
「おふたり共、今日は年に1度のお祭りがあるんです。これからの暖かい季節の豊穣を願うんですけど・・・よろしければ参加してください!」
フローラは俺の手を取り、真っすぐこちらを見つめた。その深く澄んだ藍色の深い光を
「も、もちろん」
*
「すごいであるな〜」
村の中央、薄暗い夜の始まりを照らす篝火の火。厳かな祭壇と供物として捧げられた多くの農作物を前に、マルポロは感嘆の声を上げた。その様子をフローラが嬉しそうに眺めている。
「軍師殿ー! 拙者、向こうで放牧されてる牛たちを見に行ってくるであるよー!」
マルポロは、目新しさからくる好奇心を目一杯詰め込んだ風船を抱えたようなはしゃぎっぷりで、牛舎近くの放牧地までかけて行った。その軽やかなステップになんだかこっちまで楽しくなってくる。
「あまり村の人に迷惑かけんじゃないぞー」
「わかっているであるよー!」
「フ、まったく心配だなあいつは」
見送ったマルポロが見えなくなると、俺とフローラは篝火近くの、切り株でできた2人分のスペースのある腰掛けに座った。
「剣を持たれている時はすごい気迫でしたけど、ああやって子供らしい一面を見ると、なんだかホッとしちゃいますね」
「まぁな」
マルポロの、普段と交戦時のギャップをフローラと2人で笑いあった。早とちりと称したが、何だかんだでマルポロは頼りになるし、こうやってフローラにも好かれているんだから大したものだ。
「さっきから気になっていたんだが、この村は女性ばかりだな」
俺は辺りを見回しながらフローラに尋ねた。確認した限りでは、男は村長と数人の子供しかおらず、他は全て女性だった。
「えぇ・・・。男の人は、みんな王国の兵士として連れていかれたんです」
フローラは少しうつむき、一変して哀しげな表情を浮かべた。
「王国の兵士?」
「今から3年ほど前の話になります。この村はツセリト王国という国の属領なのですが、国王が変わってからというもの、軍国主義を推し進めるようになって・・・。税もうんと重くなりましたし、男の人は皆徴兵され、数ヶ月に一度、ほんの僅かな期間しか帰ってこなくなってしまいました。そして、戦争でいつ死ぬかもわからない」
「それじゃ、リーリアさんの夫も・・・」
「はい、王国の兵士として働いています。でも、姉様は運が良いと言っていました。彼の子を身籠って、形見ができたからと・・・。ですが、そう話してる時の姉様の顔はとても悲しげでした」
「・・・俺の話を少ししてもいいか?」
安易に触れてはいけないこと、少し気を巡らせ配慮すればわかることだったのに、気安く質問をした自分に罪悪感を抱いた俺は、自分自身の話題を振ることで、彼女を出来るだけ悲しませないようにした。
*
「で、そのつくしっていう俺の後輩が、どうっっっしようもなくくっついてくるもんでさ、いつも鬱陶しくてな。」
「あはは! でも、それだけ好かれてるってことは、やっぱり咲人様にはその方を惹きつける何かがあるってことなんじゃないですか?」
「いや、好かれてはないな。あいつ嫌味ばっか言ってくるし。好意を向けた言葉なんて一度も・・・」
「咲人様、好意は言葉には現れないものですよ」
そう言うと、フローラは少し俺に寄りかかり、肩をくっつけた。男とは違う、丸みと柔軟さを持った肌と女の子の甘い匂いが触れた瞬間、緊張の糸がピンと張り、心臓の音が大きくなっていった。
「好意は自然と行動に現れるものです。それを汲み取ってあげるのが咲人様のお役目だと思いますよ」
「そそそそうなのか? よ、よくわからんが・・・」
再び心臓の音がバクバクと高鳴っていくのを感じた。今まで幼い容姿のつくしやマルポロだけと近くで接してきたせいか、少し大人びた印象のフローラは、俺には新鮮で不慣れだった。しかしこの緊張は不快感とは真逆の・・・・。
「はぁ〜。私、今すごく楽しいです。実は同い年くらいの男の方とこんなに話したのは初めてで・・・。あ、見てください!」
フローラが指差す空を見上げると、そこにはビーズを散りばめたかのような満点の星空が広がっていた。先程まで落ちかけた日が燃える夕暮れ時だったのに、随分と話し込んでしまったようだ。
「流れ星、見えました?」
「あ、いや、見逃してしまった」
「あっあそこ! また!」
フローラはとっさに手を合わせ、目を閉じて祈り始めた。
「・・・願い事か?」
「昔、流れるお星様に願い事をすると、それが叶うと亡くなったお母様に教わりました。だから・・・」
「咲人様ともっと仲良くなれますようにって」
*
「もっと仲良くなれますように・・・か」
布のカーテン越しに月明かりがぼやける寝室、俺は木製のベッドに横たわり、体を揺らすたびに軋む木の音を耳に入れながら、ずっとフローラのことを考えていた。あの時のフローラの幸せに満ち溢れた顔が、俺の瞼に焼き付いて離れなかったのだ。
しかし、俺はなぜこの世界に来てしまったのだろう、一体あの時、あの光の中で何が起こったのだろう・・・。一瞬垣間見えた花畑は・・・あの女の子は誰なんだろう・・・。そんな疑問とフローラとのひと時の幸せが混ざりながら、俺はいつのまにか深い眠りに落ちていた。
*
ガヤガヤ。ガチャガチャ。
「ん・・・・?」
なにやら妙に騒がしい。表の話し声とぶつかる金属が立てる音で俺は目が覚めた。なにかあったのだろうか。
寝室の扉を開け、広間に続く廊下を歩いていると、広間の扉の前でマルポロが身を潜め構えていた。その表情は険しい。
「マルポロ、何かあったのか?」
「しっ! 軍師殿、静かに扉の隙間から見るである。」
「ん?」
隙間から見える広間には、フローラとリーリアさん、そして玄関先には物々しい鉄の鎧を纏い、腰に剣を携えた連中が並んでいた。昨日フローラが話していた王国の騎士団だろうか?
「あまり隠し立てすると良くないぞ。さっさとこの家にいる若い男を差し出せ」
騎士達の中でも一際大きな体格の、王国の国章が入ったマントを鎧の背に纏った大男が、フローラとリーリアさんを見下ろし、迫った。髭を生やしたゴツい顎下からは一筋の傷跡が伸びており、自身を歴戦の手練れであることを物語る。
「で、ですから何度も言ったように、この家に男は父である村長のユーチしかおりません! お引き取り願います、騎士団長様!」
フローラは怯えつつも、声を絞り出して懇願した。その肩を横でリーリアさんが支えている。
「若い男・・・? 軍師様のことであるか?」
「おそらくな・・・。しかしなぜ王国側が俺のことを把握しているのか。俺はいきなりこの村に飛ばされて、村の外には出ていない。奴らが知る術はないはずだが。・・・!」
刹那、昨日感じた些細な疑問、違和感が突然膨れ上がった。もしかして・・・あの時!
「こら! フローラ!! 騎士団長殿に失礼ではないか!! さ、団長殿お上りになって、こちらでございます」
やはり村長のユーチが部屋に入るや否や、物腰低く団長を手招きした。
「お、お父様!? なぜ!」
「フローラ、あの旅の若造を差し出せば、今期の税を免除してくれるそうだ。蓄えができれば労働時間も減り、飯も豪華になる。お前も嬉しかろう?」
村長はなだめるように優しくフローラを諭した。
「そ、そんな! 嫌です! 私は、咲人様とマルポロ様ともっと・・・!!」
「話は済んだか村長・・・。早く案内してもらおうか。私も忙しい身でね」
しがみつくようなフローラの拒否に団長が割って入り、案内を急かした。
「はい! こちらへどうぞ!・・・ん!?」
リーリアさんが静かにユーチと団長の前に立ちはだかり、昨日の微笑みにあった優しさを一片も残さない眼力で団長を睨みあげた。
「あの方達は旅の者で、この国の人間ではございません。徴兵に従う義務はないのでは?」
「生憎だが、先日法が変わってな。我が領内に足を踏み入れた者は、その時点で国民とみなし、義務が発生する。いくら何も知らぬ旅人といえ、その例外ではない」
団長はフッと口元に薄ら笑いを浮かべた。蓄えた髭がまた嫌味ったらしい。
「貴方方は、その身勝手な法の改正が自分達の国を破滅に導いていることに気づいていないのですか!? 私の大切な人まで奪って!!!」
「よせ! リーリア!!!」
村長が我を忘れたリーリアさんの手を掴み、グイッと引き寄せた。自分と夫を引き離した元凶に仕える者が目の前にいるんだ・・・怒りを抑えられないのはわかる。が、しかしこれはまずい。リーリアさんの今の行動が、団長の逆鱗に触れた可能性がある・・・!
俺は緊張で息を飲み込み、呼吸を落ち着け、扉の隙間を見つめ直す。
「退け、村長。今この女は国王の下した取り決めを批判した、いわば反逆者だ。我々には反逆者を見つけ次第、その場での斬り捨てが命じられている」
「そ・・・そんな! 娘の無礼は詫びます! どうかお許しを!! お許しを!!! 一片のご慈悲をお与えください!!!!」
「おい、やれ」
「はっ!」
騎士団の1人は団長の命を受けると、腰の剣を抜きリーリアさんに駆け寄りながら振りかぶった!
ッ! やめろ!!
俺は心の中で叫ぶも、裏腹に体は硬直しきっていて全く動かない。
「リーリア!!!!!」
リーリアさんは咄嗟に背を向け、お腹を守るように身を屈めたが、ヒュン!という剣先が振るわれる音と共に、リーリアさんの背中に深く剣が斬り込まれた。
「「あぁ!!!」」
「「姉様あぁああー!!!!!!!」」
辺りに夥しい量の赤黒い血が飛び散り、傷の深さを物語った。
リーリアさんはその場に倒れ込み、激しい呼吸で肩を揺らしている。
なぜか・・・いや、必然と俺の顎はガクガクと震えを起こした。初めて目撃した・・・人が斬られる瞬間、しかも昨日あんなに親しみをもって話していた人が斬られ、飛び散った生々しく痛ましい血液の色・・・。ショッキングなシーンなんて、映画やアニメで幾度と無く目にしているはずなのに・・・。俺の肝は凍りつき、額にはジワリと生汗が浮かび上がった。
「フン、バカな女だ。その傷では赤子共々助かるまい」
団長は慈悲もない目で、倒れたリーリアさんを嘲笑った。村長とフローラは声も出せない様子で、固まっている。
「「あいつら!!! 許さないである!!!!!」」
「待て!! マルポロ!!」
俺の制止も虚しく、マルポロは怒りの形相で扉を蹴破り、抜刀と共に飛び上がってリーリアさんを斬った兵士にその刃を向けた。
「ハッ!」
幅にしてゆうに10メートルは飛んだだろうか、走り幅跳びの世界記録など意に介さない程の凄まじい跳躍と速さで距離を詰め、殺意を込めた刃を突き立てた。
「な、なんだ!! きさ、ぐあ!!!!」
飛燕の如きマルポロの強襲を前に、兵士は反応できないまま首元を剣で貫かれ、血を吹き出しながら倒れた。
同時に、マルポロが攻撃した瞬間、CTという文字が表示され、その後倒れた兵士の頭上に、LOSTという文字が表示された。
「あれは! エレクラでクリティカルヒットを出した時のCT・・・! そしてキャラが死んだ時のLOST・・・か!?」
異世界だと考え直していたが、あの表示はゲームのもの・・・いや、しかし・・・!
「貴様ら一歩退けい!! この小娘は私が相手をする」
団長は腰に携えた分厚い剣を抜き、マルポロに構えた。その剣身は一見しただけでもマルポロの身長を超えるほどの厳つい大剣だった。
「王国騎士団長! 相手にとって不足なしである!!」
マルポロも同時に、両手で顔の横に剣を構え、相手を鋭く見上げる。
あの騎士団長・・・。体格と鎧を見るに回避率は低そうだが、その分高HP、或いは高防御・・・またそのどちらも兼ね備えている。そしてあの剣だが・・・重い分軌道が単調で見切り易くはあるが、それ故に当たれば即致命傷・・・。受けるなら避けの一手で防御姿勢は禁物・・・。エレクラの基準に当てはめればそんなところか。!? ・・・だとしたら!!
「「マルポロ!! そいつと戦ってはダメだー!!!!」」
悪い予感が過ぎり、俺は渾身の力で声帯を鳴らしたが、もうすでに遅かった。
「ぜりゃあ!!!!」
団長は両手で大剣を振り、力一杯の横薙ぎをマルポロに放った。
マルポロは団長の一撃を、軽やかに身を捻り躱した。剣の軌道にあった木製のテーブルと椅子は粉々に吹っ飛び、パラパラと部屋中に木片が舞った。
「ハァッ!!!」
マルポロは間髪入れず、正確に急所である脇腹の鎧の隙間に剣を刺し入れた。しかし・・・。
「ぐっ! ・・・フフ、いい身のこなしだ・・・攻撃の狙いも的確・・・。だが剣が軽い。私を一撃で死に至らしめるには程遠いな。・・・それがお前の誤算だ」
「な、なに!? 効いてないであるか!?」
【受撃反殺】回避率が高く、攻撃を当てづらい身の軽い敵の一撃を防御姿勢でわざと受け、一瞬その動きを封じた隙に確実に攻撃を当てる・・・!重装ユニットの多くが持っているスキルだ!やはりこいつも・・・!!
「「むぅうん!!!!」」
ブゥン!! という大剣の重い風切り音と共に、辺りに血の赤飛沫が飛び散り、その後バァン!!! と衝撃音が鼓膜を突いた。その瞬間、俺の胸は氷の塊を落とし込んだかのように冷たくなり、頭からは雪解け水のような汗が吹き出した。
「す・・・すまぬ・・・ぐ・・・ぐんし・・ど・・・」
「「マルポロ!!!!!」」
圧倒的で絶対的な攻撃力を感じさせる王国騎士団長渾身の横薙ぎ。マルポロは回避はしたものの、攻撃直後の硬直に囚われた体は、その本来のスピードを失っており、攻撃を避け切るには不十分だった。見事に【受撃反殺】が決まった瞬間だった。
剣の衝撃で壁に叩きつけられたマルポロは、そのまま床に落下し、切り裂かれた腹からドクドクと溢れ出す血を水溜りのように広げがら動かなくなり、頭上にLOSTの文字を浮かべた。
「し・・・死んだ・・・?そんな・・・マルポロ・・・」
エレクラはユニットが死ねば、ゲームをリセットしない限り二度と蘇ることはない。LOSTの表示はユニットが命を失ったという証明。それはプレイヤーにとって兵士の命を守れなかった、いわば重罪の枷に等しいのだ。それが・・・現実のようなこの世界で目の前で突きつけられれば尚更・・・。
「そこにいたか、若い男。連れて行け!!」
もはや足を動かす気力さえない、全ての身体機能が停止して、瞳孔が開きそうな放心状態の俺を、騎士達が取り囲んでいく。成す術のないまま、俺は無抵抗だ。
「咲人様!!!!!」
騎士達をかき分け、フローラが駆け寄り、そして抱きついた。手に込められた力は、痛いほどに、決して離さないと言わんばかりに俺の肩をがっちりと掴んでいた。
「フローラ!?」
「行かせません!! 咲人様を連れてなんか行かせません!!!!!」
フローラの顔は怒りと憎しみで溢れた涙でぐちゃぐちゃだった。昨日の晩、笑い合っていた彼女とはまるで別人のような、かけがえのない大事な幸せを全て壊されたような・・・。
「村長、お前の娘達はどうも出来が悪いみたいだ。国王批判に旅人の隠匿・・・。王国にとっての癌は、どんな些細なものであっても潰すのが掟、わかるな?」
「そんな! 団長殿! フローラまで!!」
「斬り捨てよ!!!!」
団長が命じたその瞬間、フローラめがけて剣が振り下ろされた。
「!!!」
いや、俺の体は剣が来ることを理解し、既に動いていた。
なぜだろう、全ての時が止まっていくかのようにゆっくりだ。フローラの顔がよく見える。こんなに美しく、優しさに溢れた子は俺の周りにはいなかった。なぜフローラやリーリアさんがこんな目に会わなくてはならないのだろうか。もし俺達の世界に生まれていたのだとしたら、同じ町で暮らし、一緒の学校に通えていたら、彼女はきっと幸せになれたのだろうか・・・。
左の上顔面から真っ直ぐと、刃が深く体を裂いていくのがわかった。そして剣を振り抜かれた時に、それが致命傷であることも・・・。
「咲人様!!! 咲人様!!!!!」
いくら将棋が強かろうが、チェスが強かろうが、後輩のチビ女にからかわれていようが、この終わりは揺るぎない。これまでの全ての過程が、頭の中に収束していく。そして今ここがまさに、俺の人生の終着点だ。揺るぎない生の終わり・・・。俺は遠く離れた異世界で、女の子を庇って死んだ。ただ、それだけだ。
フローラの呼ぶ声が遠いていく。俺の名前を必死に呼んでいる彼女の声が・・・温かく・・・気持ちのこもった彼女の声が・・・・・
やがて何も聞こえなくなった。
何も・・・・見えなく・・・・なった。
フロー・・・ラ・・・・・・・・・・・。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・」
第2章 「説明書は未封入」
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