第3話 農場の手伝い ・欺瞞に満ちた世界を抜けだした私。

夏休みになって気づいたことがあります。私は村の学校の勉強はダメだけれど案外農場の仕事は器用にこなせることに気づきました。熱心な働きぶりに感心したのか、初老の男性は初めて笑いました。私は彼らは喜怒哀楽を完全に失っていると思っていたのですから、大変驚きました。そして生まれて初めて認められた気が致しました。というのも、私は学校の勉強は頗る良かったのでよく先生や親に褒められました。けれど百点満点の答案や学年一位であることを告げる書類などは私の心を満たしませんでした。そして、どんなにいい結果を出しても本当は誰にも認められていない気がしたのです。これは生まれ持った性格なのでしょう。私の異常なまでの自己暗示によって自分は無価値な人間である、と思ったのです。ですから、周りは無価値な私を可哀想に思うから褒めるのだろう、と強く信じておりました。私は何か勉強以外で認められたかった。もっとこう、生きているだけで充分だと認められたかったのです。けれど、

誰も私の心象など考えません。私は表面的には知的でウィットに富んだ紳士を演じていましたが、中身は厭世的な気持ちでいっぱいの屑人間でした。T大学を一等の成績で卒業した時、私は嬉しさより吐き気がいたしました。特別努力したわけではないのに一等になってしまう。周りから褒められる。しかし褒め言葉は屑人間の私を可哀想に思うから言っているのであって、本当は無価値な人間だと言いたがっているのだろう、と思いました。私は思い込みが激しい性格なのです。幼稚園の時分からそうでした。周りの幼児がお絵かきとか唱歌を楽しんでいる中、一人木陰でぽつん、といる自分は異常者だと思っていました。今考えてみれば、おとなしい子の一言に尽きますが、当時の私は真剣に自分が異常者だと思っておりました。そうして、学年が上がっても自分は異常者であるという意識は無くなりませんでした。


私は美少年(?)だったらしく、多くの女学生から好意を抱かれました。

(不思議なことに『美』というのがまるで理解できないのです。私は自分の顔を終ぞ『美しい』と思いませんでした。それどころか、下等な畜生よりも酷い顔だと信じていました。)

ですから、女学生に告白されても、醜い私を揶揄っているのだろう、と思い、随分冷たい態度をとったことを覚えております。一番酷いのはまだ中学生になったばかりの純粋な少女に水をぶっかけたことでしょう。

当時の高校生(T大学は幼稚園から大学まで一貫教育です)の私は、こんな未熟な者にも揶揄われるのかと憤怒しました。もう怒り心頭の私は夢中になって近くにあったバケツに水を入れて二階の教室の窓から彼女の頭に水を掛けてしまいました。彼女がワンワン泣くのを見ても、私の同情を買おうとしてるなと思いました。

きっと、私が謝れば彼女は泣き真似を止めて舌を出して私を挑発するに決まっています。もしかしたら、茂みに隠れた人が出できて『ドッキリ大成功!』などとやるかもしれません。私は呆れるほど卑屈な妄想をしていました。

その女学生が余りに五月蝿く泣くので、先生が何処から駆けつけて彼女を宥めていました。二階の教室にいた私は、犯人が私であるとバレぬよう咄嗟に窓を閉めました。(そんなことをしても彼女が先生に私の名前を言えば一発で私は黒なのですが。私は学校とか勉強とかを心底嫌っていましたけれど、それを失えば本当に何も残らないのです。勉強が出来ることで先生に褒められ、生きている価値が与えられるのだと思っていたのです。そう、私にとって先生は『神』でした。先生に怒られるというのは『信者』の私にとって耐え難い苦痛なのです。ですから、咄嗟に窓を閉めるという全く意味の無い行動をしてしまったのです。)


その後の記憶は余りはっきりしません。余り覚えていないということはお叱りを受けなかったのでしょうか。もしかしたら『神』に叱られたショックで記憶を忘却しているのかもしれません。兎に角、私は思い込みの激しい性格なのです。


そんな私は初老の男性に褒められた時、初めて生の歓びを知った気がします。誰かに認めらるのはこんなにも嬉しいことなんだと改めて思いました。勉強と農場の手伝いは全くの別物です。勉強は親や周りの環境のお陰でスラスラ出来ていただけであって決して私が賢いからでは有りません。無価値な私を肯定するために調節された紙切れでいい成績を納めても、それは当たり前だ。としか言いようがないでしょう。そもそも、本当に私が賢いかどうかすら怪しい。もしかしたら馬鹿な私でも解けるように先生方がテストを作ってくださったのかもしれないし、毎回一桁の点数しか取れなかった生徒は実は道化だったのかしらん。学校にいる時や家にいる時、私は周りの人間は無価値な私を騙すためのエキストラなのかもしれない、とさえ思ったことがあります。兎に角、私の眼前に広がる世界は欺瞞で溢れていました。しかし農場の手伝いは全て自力です。農場の仕事には調節が加えられていません。私を揶揄うために牛は糞をするわけではありません。生理的な理由で排便するのです。誰のためでもなく自分のために排便するのです。それが屈折した性格の私には嬉しくて堪りませんでした。何故なら牛たちの生活に一切の欺瞞がないからです。欺瞞(=私の思い込み)に溢れた世界ばかりを見てきた私にとって農場は天国でした。嘘つき(=私の思い込みが入り込む隙間)が一切存在しないのです。そして、一生懸命働けば褒めてもらえるのです。誰かに認められるのは私にとって最上級の歓びです。嗚呼、もっと早くにこの村に来れば良かった。夏休みの終盤、私はこの村の生活に満足していました。

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