罪あることの荒唐【短編】

河野 る宇

◆罪あることの荒唐

「おーい。おっさん。遅いぞ」

「おまえな。名前、おしえた、だろうが」

 男は呆れて、登ってきた緩やかな坂道を振り返る。いくらなだらかだとはいえ、こうも長い坂道には体力が追いつかない。

 若いっていいなあと腹を空かせている男は、はしゃぐ子どもに目を据わらせた。

 十歳を過ぎた頃だろうか、マロンブロンドの短髪はボサボサで、黒い瞳に少し藍色が混じったような瞳は快活さを物語っている。

「おっさん。罪人とがびとのくせに、食べ物の調達も出来ねえのかよ」

「うるせえ、クソガキ」

 男の子に見えても、こいつは女の子で、王女だ。殴りたい気持ちを抑えよう。それが大人ってもんだ。

「ガキの頃に親が死んですぐ、首領に育ててもらってたんだよ」

 親が罪人とがびとだからと焼き付けられた胸の烙印は今でも時折、痛みが走る。でも、本当に俺の両親は罪人だったのか。それは解らない。

 食料は商人を襲えば手に入る。首領は仲間を沢山、集めていたからそのなかにはコックもいた。

 だから、俺は料理をする事はなかった。

「山賊」

「あ?」

「さんぞくー」

 子どもはにやりと笑って繰り返す。わざとだなこいつ。

 男は呆れたように肩をすくめ、

「えーえ、山賊ですよ。嫌ならどっか行けよ」

「なに言ってんの。家来のくせに」

 ことあるごとに、こいつは俺を家来、家来と言う。確かに、そういう流れにはなったが、あんまり言われ続けると本当に腹が立ってくるぞ。

「ユタ」

 唐突に名前を呼ばれて向き直る。

 本当の名前はユタカなのだが、仲間からはユタと呼ばれていたため、今ではそっちが俺の名前だ。

「どうした、ツム」

 ツムの見ている道の脇に目を移す。

「これ、食べられるよ」

 雑草を指差す。

「こんなもんが?」

 ユタには他の草とあまり見分けが付かない。湯がいて食べると美味いらしい。下の方より、上の方の葉が柔らかくてえぐみもなくスープによく使われるとか。

「じーさんに教えてもらったんだ」

 懐かしむ声のあと、表情に影を落とした。黙り込むツムにユタも目を伏せる。

 行き倒れの俺を助けなければ、じーさんは死ぬ事はなかった。罪人に少しでも接した人間にも厳しい罰はくだれる。

 俺を見つけて、助けてと頼んだのはツムだ。だから、ツムは自分にも責任があるのだと感じているのかもしれない。

 俺だって、誰かに助けを願えば、助けた奴が咎めを受ける事は知っていた。けれども、俺には死ねない理由があった。

 討伐隊に追われた俺たちは全滅して、俺だけが生き残った。首領が命がけで助けてくれたから俺は死なずに済んだ。

 首領が死の間際に俺に頼んだ事を、俺は果たさなければならない。

 血まみれの手に握られた赤い石のペンダント──西の国のユリって人に、これを渡さなければ。首領の遺言だけは、絶対に──

 それにしても、罪人に殺されたと伝わっていた王女が生きていた。それだけでも驚きなのに、王室の賢者だったじーさんは死んだはずの王女と、こんな田舎町で暮らしていた。

 どうしてだ? 何かからかくまっていたのか? 罪人から? おかしな事だらけだが、ツムはまだ全部を話しちゃくれない。

「なんて言ったっけ」

「なにが?」

 記憶を辿るユタに、ツムはいぶかしげに顔を上げた。

「ああ、そうだ──」

 口にしようとした刹那、

「いたぞ!」

 男の声と激しい馬の足音に振り向けば、土煙をあげて馬に乗ったいくつもの影がこちらに迫ってきていた。

「騎士団!? もう来やがった!」

「おっさん! 逃げろ!」

 罪人には容赦なく剣を立てる騎士たちが、未だユタが生きていると知って追いかけてきた。

 たった一人に大勢で殺しにくるとは、暇人なのかと呆れてしまう。

 解っている。これは罪人を決して許さないという意思表示と、見せしめなのだ。

 罪人を知らずに助けただけでツムがいた村は焼かれ、賢者だった老人は殺された。徹底的にやることで、誰も罪人に手を貸そうとは思わなくなる。

 かつて、王族を根絶やしにするために集まった者たちから「罪人とがびと」という反逆刑が生まれ、それは未だに続いている。

 王女が殺された事で罪人、全体への締め付けが強くなり今や、罪人狩りすらも許されている。

 何十年も前に、たった一度だけ起こった抵抗なのに、それが現在でも罪人を作り出している。おかしな話じゃないか。

 ツムは逃げろと叫んだが、馬に乗った騎士から逃げ切れる訳がない。とにかくユタはツムを草むらに突き飛ばし、囲んだ騎士団の連中を睨みつけた。

「覚悟はいいか」

 問答無用かと覚悟を決める。しかし、このまま死ぬのは腹が立つ。

「俺なんか追いかけて。騎士団てのは、よっぽど暇なんだな」

「それで満足か」

 勝ち誇った物言いが鼻につく。やっぱり、無駄なあがきでも死ぬ直前まで抵抗してやろうか。

 剣が大きく振り上げられたそのとき──道の脇から出てきた影が、振り下ろされた剣を受け止める。

「なに!?」

「え?」

 ユタは呆然と眼前にいる男を見つめた。剣を持つ腕には、その強さを物語るように筋肉のすじがくっきりと表れている。

「なんだ貴様は! そいつが罪人だと知ってのことか!」

 騎士団の連中は狼狽うろたえ、男から少し距離を置いた。

 いくら油断していたとはいえ、瞬時に罪人の前まで駆け寄り、騎士の剣を受け止めるなど並みの腕ではない。

 ユタは、剣を構え直した男の背中に目を眇めた。

 目深に被ったフードで顔はよく見えない。しかれど、体格は優にユタのふた回り以上はあるのではと思われる。

「我ら騎士団に刃向かうなど。貴様も罪人か!」

 男は無言で、かかってこいと言わんばかりに剣を見せつけるように構えていた。その迫力に押されたのか、騎士たちはしばらく戸惑ったあと、舌打ちをして去って行った。

「あ、あの。ありがとう」

 振り返った男はフード越しにユタを見て、剣を仕舞う。

「おーい。おっさん。大丈夫か」

 草陰から様子を見ていたツムが姿を見せると、フードの男は素早く駆け寄った。

「!? ツム! 逃げ──」

 もしや本当の狙いは王女なのかと青ざめた。しかし男はツムの前にひざまづき、ユタは目を丸くした。

「え?」

 唐突に男がひざまづきツムは呆気にとられている。

「よくぞ、ご無事であらせられた」

 野太い声で発しフードを脱ぐと、栗色の髪がさらりとこぼれる。服装こそ、みすぼらしく見えるも、手首の手甲から男の育ちの良さが窺えた。

「え? ジルファリド!?」

 知り合いなのか、ツムは嬉しさで顔を瞬刻、ほころばせてすぐ眉を寄せた。

「なんで、ここにいるんだよ」

「申し訳ない。私の不徳の致すところ」

「それ、きっと違うよね」

 今までにない凜とした眼差しにユタは驚いた。これが、本来のツムなのか?

「ジルが正しくないことをする訳がないじゃん」

 それに、男は苦笑いを浮かべる。

「王の叔父を覚えておいでか」

「感じの悪いおっさんだろ」

 数年ほど前から病弱な王の代わりに国政を任されている摂政せっしょうである。

「常々の罪人への厳しい処置が目に余り。王に報告をしたところ──」

「はあ!? あのおっさん、ジルの意見に反抗したの!?」

「叔父上のいないときを計ってご注進したのですが、聞かれてしまい」

「でも。それでなんで、ここにいんの?」

 ツムの問いかけに、男は顔を伏せ右の手甲を外す。その途端、ツムの表情は険しくなり、握った拳を振るわせた。

「あのハゲオヤジ──ぶっ殺す」

 ふつふつとツムの怒りが見て取れる。

 罪人とがびとの烙印にユタも息を呑んだ。話からしてこの男は、かなり上の地位にいた奴だ。少なくとも、王族から信頼されていただろう。

「で、誰?」

 ユタは二人の話が飲み込めず問いかけた。

「聞いたことねえのかよ。烈刃れつじんのジルファリドって言えば、おっさんでも解るだろ」

「烈刃……って。ええ!? 騎士団長の!?」

 騎士団はいくつかの隊に別れており、その全てを束ねる者が騎士団長である。

 忠義にあつく、王から最も信頼されている人物と言われている。騎士団長は罪人を討伐しない人物であったため、ユタは今まで一度も見た事がなかった。

 黄色い瞳に彫りの深い顔立ち。引き結んだ口は、芯の強い男であると思わせる。

「あのハゲオヤジ。前からジルを目の仇にしてたから」

 自分の剣の腕を信じていたジルファリドの利き腕に、あいつは罪人の烙印を刻みつけた。ジルの自尊心を傷つけようとしたのだろう。

「底意地の悪いあいつのやりそうなことだ」

「王女。この男は──」

「ああ、このおっさんなら大丈夫。僕の家来だから」

「家来?」

 ジルファリドが顔をしかめる気持ちはよくわかる。

「今こそ、真実をお話するとき」

 気を取り直したジルファリドは、ツムに向き直り深々とこうべを垂れた。


***


 ──ひとまず三人は道から外れ、森の中に身を潜める。倒木に腰を掛け、落ち着いたところでジルファリドが口を開いた。

「貴殿も罪人とがびとであるのだな」

「貴殿だなんて、仰々しいな」

 初めて言われてユタは照れたのか頭をかく。ジルファリドはそれに柔らかに笑い、ツムに目を配る。

「すまない。貴殿ら罪人が、王女暗殺の濡れ衣を着せられたにも拘わらず。さらなる重圧に苦しめられていると解っていて、私はどうすることもできなかった」

「待てよ。濡れ衣って、どういうことだ」

 一体、何があったんだ。

「僕はあのとき、まだ小さかったから。よくは覚えてないんだ」

 ツムも知りたいと身を乗り出す。

「殺されそうになったことは、覚えておいでか」

「うん」

「あれは、罪人の行いだと言われているが、本当は違うのだ」

 王室の庭で賢者といた王女に襲いかかったのは罪人ではなく、野盗だった。

「なんだって!?」

「王女を守ったのは罪人だ」

 賢者の部屋は城の裏手、城壁の側にあり、王女はよく裏庭の花畑で遊んでいた。もちろん、いくら城内でも危険だからと護衛もつけている。

 ある日、いつものように花畑でバスケットを広げ、昼食を食べようとしたとき突然、現れた野盗が王女めがけて短剣を突き出した。

 そこに罪人が飛び出して盾となり、王女の命を救った。

「罪人がいたことも疑問だが、野盗は一人ではなかった」

 失敗だと解ったと同時に、野盗がさらに二人現れて護衛たちが立ち向かう。

 賢者は王女を抱きかかえてその場から逃げたが、野盗は執拗に追ってきた。賢者は野盗の攻撃をかわすため、部屋に駆け込み火を放ち隠し通路から城外に脱出した。

 そうして賢者の部屋は焼失し、王女は死んだとされた。

「ちょっと待てよ。死体がないのに死んだことになったのか?」

「私もそう言ったのだが、すすとなって遺体はなくなったと摂政が主張した」

 確かにあのとき、見ようによっては罪人が王女を襲ったと受け取られても仕方のない状況だった。

 いくら私がそうではないと意見しても、摂政の前では私の言葉など一蹴に付されてしまい。

「王はただ、嘆くばかりで疑おうともせず」

 ここ最近は、玉座に座していても、ずっと上の空なのです。

「父上の容態はそんなに悪いのか」

 ツムは顔をしかめた。

「王女が死んだと聞かされてから、さらに悪化しました」

「薬も効かないの?」

「それについて、少しおかしな点があります」

 ツムはいぶかしげに目を眇めた。

「王女が亡くなったあと、宮廷医師が代わりました」

 摂政が推薦した医師が王の主治医に就いたのです。

 今までの薬では効果がないと調合を変え一日、二度の服用をしているものの──

「良くなるどころか、私の目からは悪くなっているように見えました」

「──帰る」

「え?」

 よく聞こえずユタは聞き返す。

「帰る! ジル! 今すぐ帰ろう!」

「ちょ!? おいツム! やめろ」

「ハツムギ様! いけません」

 そうだ──王女の名はハツムギだ。娘の幸せを願ってつけられた名前。そこから仮の名をツムにしたのか。

 ユタは思い出し、ツムの腕を掴んで止めるジルファリドを視界全体で捉えた。

「いま、戻ったとしても追い返されるか。悪くすれば命を奪われかねません」

 とにかく、摂政は信用できない。今も王女を探しているはずです。

「今は耐えてください」

「父上……必ず、助けるから」

 ツムは体を震わせ、ジルファリドの腕にしがみついた。


***


 ──それから、落ち着いたツムは二人に笑顔を見せる。強がっているのは解るけれど、二人には何も言えなかった。

「それで、これからいかが致します」

「まずは西の国を目指す」

「ユタ殿が首領に頼まれたという、ユリなる女性を探すのですか」

「ジル、さっきも言ったよね。その殿っていうの、だめだからね」

「申し訳ない」

「それもだめ! 僕はツムで、ジルはー……ルド!」

「──ルド。ですか」

 王女であることも、二人が罪人であることも隠さなければならない。これは、かなり難儀な事だとジルファリドは溜め息を吐いた。

 西の国はその名の通り、国の西にある。そこまで辿り着く事が出来たなら、警戒も緩むだろう。

 ここはまだ城に近く、西の国までは数週間はかかる。

 理由があって西の国に向かうにせよ、今よりも落ち着ける場所でしばし鋭気を養い、今後について話し合うのが得策であろう。

「さあ。西の国へ!」

 意気揚々とツムが声を張る。

「ユタ殿」

「ん?」

 呼び止められて振り返る。

「ツム──さまを助けてくださり、ありがとうございます」

「いや、あれは俺が……」

「いいや。貴殿は間違いなく、ツムさまを助けてくださった」

 追っ手は確実に王女に近づいている。あのまま村にいれば、見つかっていたかもしれない。

「これはまさしく、運命ではないかと私は考えている」

「運命ねえ」

 そんなもの、信じちゃいないが──

「とりあえずは、タメ口に慣れろよ」

「了解した」

 ジルの教育は大変かもしれないとユタは口元を緩ませた。





END

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