第16話 彼女への“問題”

 少し前まで彼女がいた世界は都会とはお世辞にも言えない場所だった。

 電車に揺られて二時間、すでに日は落ちており間違いなく終電には間に合わないコースだ。

 そもそも電車の本数自体が少ない田舎。


 何も考えていない三郎ではないが、自分がどれだけバカなことをしようとしているかと思うだけで大きなため息がこぼれてしまう。


―――それでも後悔はない。


 無人の改札を抜けると自動販売機前で態度の悪い座り方をした男三人が三郎をジッと睨みつける。

 逃げ出したい気持ちをグッと堪えて三郎は彼らの横を通り過ぎる。

 絡まれませんように、と心の中で何度も呟く。



 問題はその後だ。

 彼は芳子の通っていた中学校の名前は思い出せたが、それを知っているからといって彼女を見つけられるとは思えない。


 後方で鋭い視線を感じながら彼は足を止めた。


「あの…お聞きしたいことがあるんですけど」

「あぁ?なんだお前?」










 無心、無表情、懐かしい場所に来たというのに彼女は顔付き一つ変えることはなかった。

 伝説と言われた女が戻ってきたことに周囲は大騒ぎ。

 芳子はその中央に腰を下ろす。


「おかえりッス総長!」

「ああ」

「いやぁヘッドが戻ってきてくれて嬉しいです!」

「ああ」

「さっそくナメたチーム潰しに行きましょうや!」


 バイクや車の騒音が彼女を包む、これが芳子のいた世界。

 喧嘩無敗の女帝の帰還、チームのメンバー達から歓喜を浴びるがやはり芳子の心は動かなかった。


「懐かしい特攻服ですね」

「…」

「あ、それと黒髪にしたんスね」

「あ?」

「あ…あぁいや、なんでもないッス!」

 怒らせると何をするかわからない女帝はいつも周りから恐れられていた。

 芳子はあの事件を起こした後、家にいる母親にバレないよう窓から忍び込んで過去に着用していた特攻服とお金だけ持って飛び出した。

 特攻服を纏い、下に女子高の制服を着た女帝。


「静かにしろ、うるせぇんだよテメェら」

「す…すいません」

 彼女の一言で頭を下げるチームメンバー達。


「(そうだ、これがアタシの世界だ)」

 長い髪をなびかせながら、今日まであったことは夢だったことにしてしまおうと決めた。




「総長!」

「叫ぶな、殺すぞ」

「すいません…、ですが総長に会いに来たって奴がいまして…」

「…あ?」

 鈴木芳子が帰ってきたことを知ったどこかのチームの襲撃か、それとも警察か。

 きっと今何が起きてもこの心は動くことはない、と彼女はゆっくり立ち上がる。


「で、どこのチームだ」

「ボサボサ髪のオタクです」

「…うん?」

「眼鏡をかけたオタクが一人です」

「あ、え…ん?」

 芳子にそんな知り合いはいない、かと言ってオタクに恨まれるようなことをした覚えもない。


 いるとすれば、それは…。


「見つけた」


―――【オタクだった】友達。


 たくさんのライトの光に囲まれながら彼は現れた。

 陰キャラそうな男がこんな場所に一人でやってくる、周囲の不良たちはその異様さに言葉を失っていた。


「お…お前、さささ佐藤!?」

「お前有名だから探すの簡単だったよ」

 恐怖に負けず、駅前にいた不良に聞いてみたところ三人とも芳子の存在を知っていた。


「その姿…」

「ん…あぁ、これは…」


 三郎は優子と別れた後コンビニで洗い落とせる黒染めを買い、家に眼鏡を取りに帰った。

 今彼の姿は芳子が拾った中学時代の三郎の生徒手帳に貼られていた写真そのもの。


「コスプレだ」

「コス…ん?」

 彼が何を言っているのか理解できない芳子だが、何の考えなしにこんなことをするような男ではないことくらいは知っている。

 あの事件を知り、こんなところまで追いかけてきた彼に少し心が動いてしまう芳子。



「帰れ佐藤、ここはお前のいるべき場所じゃねぇ」

「ああ、そうしたいから早く帰るぞ」

 強がっているだけで実は恐怖で漏らす一歩手前の三郎。


 尊敬する芳子に馴れ馴れしい態度を取る三郎に、当然周囲の不良達が黙っているわけがない。

 190cmはあるだろう巨体の男が彼の胸倉を掴む。


「しばくぞコラ」

「…」

「ガキが、家に帰って勉強かゲームでもしてろや」


―――それは俺がすることではない。


「すぅ…」

 彼は腹が破裂する寸前まで大きく息を吸い込む。


「室町幕府を開いたのは誰だ!」

「足利尊氏っ……あ…」

 三郎は最近彼女に教えた歴史を大声で叫ぶと咄嗟に答えてしまう芳子。


「んじゃそれを滅ぼしたのは誰だ!」

「え…う…あ~…」

 思い出せそうで思い出せない問題を出されたら唸りながら視線を上に向けてしまう芳子の癖を彼は知っている。


 三郎の胸倉を掴んでいる手が離され、周囲は何が起きているのかわからないといった様子。

 乱れた服を正して彼はゆっくり芳子の方へと歩み寄る。


「前に教えたよな、鈴木」

「ちょ…待っ…」

「復習してない証拠だよなぁ」

「いや…そこまで出てるんだが…」

 もう彼女には周りの目は見えていない。


「鈴木、もう一問だ」

「…は?」

「ここにいる連中はお前の舎弟だよな?」

「…ああ」

「んじゃ…」

 三郎はポケットからスマホを取り出して待ち受けにしていた画像を彼女に向ける。


「ここに写ってんのはお前の何だ」

「…」

 そこに写ってあるもの。

 三郎、優子、琢磨、そして芳子、夏休みに海水浴に行って皆で撮った写真。



「鈴木」

「…」

「人はすぐには変われねぇよ」

「…」

「でも変わり始めてんだよ、俺もお前も」


 芳子の頭の中で頑張って変わろうとしていたこれまでの日常が過ぎる。

 そしてその日常を普通に送れるようになっていたことに彼女は今になって気がついた。



「…優子に知られた」

「その本人にお前を連れ戻すよう頼まれた」

「…うぐ」

 表情が崩れそうになるのを必死に堪える芳子。


「…佐藤もそう思ってくれて…」

「次のテストで赤点取ったら一ヶ月ゲーム禁止だ」

「んごっ!」


 もう心配なかった。

 すでにここにいる芳子は彼らの知らないただの女子高生だ。


「で、聞きたいことあるんだが」

「ん…?」

 三郎は腰に手を当てて特攻服を着た芳子の姿を眺めながら呟いた。


「その姿は何だ」

「…」

 芳子は一瞬驚いた表情をした後、薄っすらと笑みを浮かべて羽織っているものを脱いだ。

 そして【過去】を地面に置いて三郎に笑いかける。


「コスプレだ」

「だろうな」


 彼女はもう二度とこの場所には戻ってこないだろう。

 きっと何があっても。








「で、どうすんの」

「ああ、どうしようか」

 迎えが来ないことを知っている真っ暗な無人の駅のベンチに二人は座っていた。


 制服を着た高校生の男女がどこかに宿泊できるはずもなく、かといってウロウロしていれば間違いなく補導されてしまうためこうして駅のホームに逃げ込むようにやってきた。


「始発を待つしかないか…」

「何時間あるのよ…それ」

 同時にため息をつく。

 始発に乗ったところで学校には遅刻することが確定している。


「学校行く前に髪落とさないとな…」

 三郎には登校する前にやるべきことがあった。



「なぁ佐藤」

「ん?」

「さっき佐藤が出した最後の問題の答え思い出した」

 実は恐怖であまり自分が何を言ったか覚えていない三郎。

 歴史の問題を出してそれからどうしたか、彼は曖昧な記憶のまま空を見上げる芳子に視線を向ける。



「答えは…」


―――確かその後、スマホを取り出して…。



「親友だ」


 少し目に涙を浮かべる芳子を見て彼は自分が出した問題を思い出したのだった。

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