第8話 塚本優子の素顔

 例え優れた人間だったとしても、たった一つのマイナスがその全てを台無しにすることがある。

 芳子は見てしまったのだ。

 調理実習の時、湯気によって曇った眼鏡を誰にも見られないように隠れて拭いている優子を。


 塚本優子、オタクになると決めた芳子にできた友達。

 セミロングの黒髪に大きな眼鏡が特徴的な地味系女子。

 前髪も長く、【暗い】匂いを漂わせる雰囲気から彼女の素顔を気にする者は一人もいなかった。


 そう、芳子は眼鏡を外した彼女の横顔を見てしまったのだ。



「何…やってんだ鈴木」

「ひょっ…!」

 忍んでいた芳子の肩を叩いたのは帰宅途中の三郎だった。


「佐藤…っ、何故バレたんだ…」

 道端に設置されてある缶専用のゴミ箱の前でしゃがみ込んで身を隠していた芳子。


「身体の大半が見えてるぞ」

「…マジ?」

 これまで隠れるという行動を取ったことがない彼女、隠密スキルは間違いなくゼロだ。


 何をしているのかと聞こうとした三郎は前方を歩く優子の姿を発見する。

 クラスメイトであり親友でもある彼女にバレないようストーキングする芳子。


「…塚本はBL派だぞ」

「お前はとんでもない勘違いをしているぞ…」

 芳子がいけない方向にいってしまったと勘違いをする三郎。


「ってかお前も隠れろ…っ」

「うぉ…」

 とてつもない力で引っ張られ、三郎は芳子と密着し小さなゴミ箱の後ろで身を隠す形となった。



 肩が触れ合う中、芳子は彼に事情を説明する。

 眼鏡を外した優子の素顔、長い前髪が邪魔だったが間違いなく彼女は美しい顔を持っている。

 疑いはあったがそれよりも興味が勝った三郎は前方の横断歩道で信号待ちをしている優子に視線を向けた。

 彼もまた周りと同じで一度も気にしたことがなかった。


「何とかして素顔を見るわよ」

「わかった、だが鈴木よ」

「何よ」

「俺の姿、ほぼ丸見えだ」

 よくこんなストーキングでここまでバレずにやってこれたものだ。



 自分達が悪いことをしていることくらいは理解している、がそれよりも興味が勝ってしまっていた。

 こんな尾行ではすぐバレてしまうため、三郎は芳子を誘導しながら目標の後をつけた。

 誰にも気づかれず動く彼のステルス能力はオタク時代に身につけたものだ。


「なぁ佐藤」

「ん?」

 ぴったりと背中に密着している芳子は少し低めのトーンで彼に声をかけた。


「もしも…もしも優子がとてつもない可愛い系女子だったら」

「…」

「地味なのっておかしいよねっ」

「…それは」

 彼はその後の言葉を飲み込んだ。

 おかしい、その返答は間違いなくブーメランだから。


「ってか元レディースの総長がどの面下げて言う」

「なるほど!」

「あ、納得するんだ」


―――彼らも隠している。





 三郎の言葉が効いたのか、芳子はかなりの罪悪感に襲われていた。

 もしも逆の立場で正体を探られていたらどう思うだろうか、と。

 それを見て彼は少し微笑んだ。


「悩んでるなぁ」

「ああ、今日返ってきた小テストの点数よりも悩んでる」

「返答がアホだな…」


 芳子がこんなにも頭を抱えて悩んだのは生まれて初めてのことだった。

 全て力で解決してきた不良時代。

 彼女が友達のことでここまで悩んでいることに三郎は嬉しく思った。


「佐藤、私帰るわ」

「…それがいい」

 芳子は肩を落としながら彼に背を向けて歩き出す。


「頑張れ、元不良」

 彼女に聞こえないよう小声で呟いた。






「芳子帰っちゃったの?」

「ん、ああ…、ああっ!?」

 振り返ると隠れていた自販機から優子が顔を覗かせていた。


「つ…塚本、お前まさか…」

「あはは、芳子の尾行下手すぎ」

「…ちっ」

 初めから芳子に尾行されていることに気づいていた優子、途中見失うことがあったがそれは三郎が加わったからだということにも感づいていた。


「調理実習の時から芳子変だったからね」

「いや、アイツはいつも変だ」

「あはは」

 隠し事が下手くそな芳子は全て見抜かれていた。


「ま、悪気はないんだ、許してやってくれ」

「もちろん」

 彼の目に映る優子はどう見ても地味で、完全に大きな眼鏡が邪魔をしている。


「なぁ塚本」

「ん?」

「眼鏡…外してみてくれないか?」

「…」

 芳子までとはいかないが、彼も彼女がどんな素顔をしているのか少しは興味がある。


「親の前でしか外さないの」

「あ…、だよな!ああ、うん、ごめんなっ…!」

 そして三郎は自分がとんでもなく失礼な要求をしたことに気がついた。

 化粧をしている女子に「すっぴん見せて」と言っているようなもの。


「う…うお、夕焼けがきれいだなぁ!」

 ステルス能力は高くても言い訳スキルは初心者な彼だった。

 謝った方がいいのか、それとも話題を変えた方がいいのかで頭の中が戦争状態だった。


「ほ、ほら塚本も見て…みろ…よ」

「うん、キレイだね」

「…」

 視線を優子に向けた瞬間彼は言葉を失い、彼女から目が離せなくなった。



 そこには驚くほどの美少女が立っていた。

 手には眼鏡。

 恥ずかしそうに三郎に笑顔を向ける彼女は間違いなく塚本優子だった。


 オタクで地味でBL好きの元モデル。

 優子はもう誰にも素顔を見せないつもりでいた。


「お前…何で」

 彼のその質問にはいろんな意味が含まれていた。

 何故そこまで容姿がいいのに地味を演じているのか、何故隠していた素顔を彼に見せたのか。


「ねぇ佐藤君」

「…うん?」

 再び眼鏡をかけていつもの彼女に戻っていた。


「人には誰にも言えない隠し事ってものがあるんだよ」

「…」

 隠し事、黒歴史、消したい過去。


「ああ、知ってる」

「ふふ」

 不良の佐藤三郎、元オタクの彼が優子の言葉を一番理解している。


―――誰にも言えない隠し事。


 それは芳子も同じ。

 元暴走族の彼女がオタクになっただなんて誰が想像できるだろうか。

 黒髪にして視力のいい芳子もまたその過去を隠す為に眼鏡をかけた。


「でも…いつか…日が」

「ん、塚本今何か言ったか?」

「ううん、何でもないよ」


 永遠に封印するつもりだった優子の考えが少しずつ変わっていっていた。


 いつの日か、

 友人達とそれぞれが隠していたことを振り返って笑い合える日が来たらいいな、と。

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