1986年3月1日 Zガンダム最終回 幾つもの終焉
Zガンダムの第50話にあたる最終回はキー局テレビ朝日では1986年2月22日。地方では1週間2週間遅れ位かな。まあ衝撃でしたね。
Zガンダムの締めたる最終回。ファーストガンダムでは、ニュータイプ同士の相互理解が見れたのですが…Zガンダムでは、もうエゴのぶつかり合いしかなく、カミーユ・シャア・シロッコ・ハマーンそれぞれの弁明に、子供ならそうかなと打ち負かされるしかなく、どのニュータイプが然るべきなのかの判断が出来ません。
そして、そうのこうの激闘の末に、あの当時で言えばカミーユ廃人。現在の様に精神疾患の症例など出回っていないので、後追いの雑誌ではただ戸惑う記事しかなく、挙げ句は先鋭的なアニメ雑誌では正面切っての批判記事。
ここは子供とは言え、ライターの方は何に怒ってるかさっぱりでした。Zガンダムをビデオを録ってはその週には二度三度見てましたので、少年がこれだけ大人に塗れて戦争していたら、どうにかならない方がどうかしていますの直感。そして私のお別れ際にぽつり一言、アニメは残酷なんだなと、Zガンダムをきっかけにアニメとは疎遠になっていきます。
まあです。その当時はアニメより、現実のJ-ROCKセンセーションの方が面白かったに付きます。楽器機材のピックアップの進化で、欧米人程のパワープレーが出来なくても高出力の出音が確約されての爆音を響かせる事が可能になりましたしね。
そのセンセーションって、言わば機材と感性が相まっての状況ですよね。アニメも高度経済成長期を順調に推移して、アニメでも戦争が表現出来る域に達しました。そこから真なる1981年2月22日アニメ新世紀宣言が起っても不思議では有りません。
ですが、そこからですよね。Zガンダムを機に創作革新は有るべきだったと思います。頂上を越えれれば更なる高みが見える筈なのに、最終回にまで何とか漕ぎ着けた達成感で閉じてしまう。その風潮があの頃の作品群に見え隠れし、メッセージ性がやや希薄になったりとも。
まあまずは安定したクオリティが求められた時代でしたからね、それも時代なんですよね。
クリエイターを最大支援していたアニメックは最後まできっと頑張ったと思います。ですけど私はアニメを離れたのでその最後迄は見れませんでした。
月刊ニュータイプに関してはニューカマーのクリエイターを目敏くピックアップしていたので、立ち読みでもああこういう方出て来たのか大張さんと思ってた次第です。でもその立ち読みさえも徐々に減って行きます。大人の世界の方が楽しかったですからね。
そうですね、世間の流れをリサーチ出来る部署が確立している会社は、アニメ関連に関わらずまだ出始めの頃で、当時苦境に入るアニメーション制作会社はここに人材を投入すべきだっかたかもしれません。
止む得ないアニメーションの停滞、現実にも真を唱えるニュータイプがいたらどうだったかなと。当時いたとしても少数意見で片付けられていたかなと。それもまだ日本という閉鎖的な時代の出来事ですね。
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