1981年2月22日 アニメ新世紀宣言 その日
1981年2月22日日曜。その日はまんま青森の小学生ですよ。英語たるニュータイプを前面に押し出した「アニメ新世紀宣言」なんて、全く理解出来る訳も有りません。
そもそも、その当時「アニメ新世紀宣言」は地方の青森でも話題になったかと言うと、皆無です。いや日曜だから青森の模型店ビーバーで、既に品薄も辛うじて入荷されるガンプラ獲得の為のジャンケンに参加していた筈だから、ガンプラ仲間からうっすら聞いていたかもしれないけど、映画公開を前に何してるの位の感じだったかも。
そして報道に至っては、今の様にニュースがショウとして成立してもいなく、且つニュースの放映時間も15分30分程ですので、尋常ならざる「アニメ新世紀宣言」でさえも、見た記憶は残っていません。新聞は…小学生だから読むよしもないかで、蚊帳の外。
仮にニュースで見たとしても、モビルスーツがテレビに出てないやで、どうしても記憶に残らなかったかなと。小学生の視線はまずそこです。巨大人型兵器です。
そして小学生はニュータイプよりガンプラ。まあ、ガンダムでプラモデルブームが来たと思われていますけど、ガンダムに至る迄サンライズ作品は漏れ無くプラモデル化されており、超合金よりお手頃に手に入るので何れは大波だったのですよね。個人的には「未来ロボ ダルタニアス」の合体プラモデル秀逸でした。
とにも「アニメ新世紀宣言」の熱狂経ての「劇場版 機動戦士ガンダム」なのですが、夕方のガンダムで再放送で充分なのに、映画にしてもなともで。
確かにビデオがほぼ普及していない時期なので、映画でより集約された名シーンは必見の価値も有りました。でもモビルスーツ少ないよもガンプラ小学生の感想です。それでも興行が成功したのは、適度な青年部の鑑賞の牽引あればこそなんでしょうか。
そんなガンプラ小学生が、成長に従う経緯で仲間を通じて「アニメ新世紀宣言」の伝説は後々知る事になりますけど、結局ニュータイプって何なのですよ。
ガンダム語る上でアムロは適度なアイコンなのですけど、これを説明出来るヤングがほぼいなかったなと。
映像視聴が少ない時代で、戦記物の印象が強くも長らく生じて、連邦とジオンのモビルスーツとはで終始する諸兄らがほぼほぼであり。それが高じてこその、昨今におけるニュータイプの存在が明文化されないガンダム一連作品の流れも、必然だったかなと。
真打ちたる「機動戦士ガンダムUC」登場も、ニュータイプ表現が薄味なのも、ガンプラ世代が作り手になると、或る意味止む得ないかなとも思うわけです。
まあ、ニュータイプに惹かれ、ガンダムフィーバーの波が起った筈なのに、ニュータイプ無しでも成立するガンダムの一部の作品って、何を語りたいのでしょうね。
リアルで実名国の戦争創作しては憚る環境故に、虚構の中で戦争が永劫続くしかないのも分かります。
そうであれば、ニュータイプは貴重な兵卒でしかなく、それは「アニメ新世紀宣言」で切望されたニュータイプ像とはかけ離れて行く一方です。
それでも、ガンダムが続くのは一戦記ものでも楽しめる作品のフォーマットに差し代わったという、シニカルな側面でも有ります。
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