NO.NEWTYPE

判家悠久

1979ー1982年 何度ものガンダム再放送 功罪

ガンダムの放送に関しては、地元青森の放送局ですとRAB青森放送になります。辛うじて夕方5時位の放送だったかなと。

記憶がどうしても曖昧なのは、子供は夕方迄遊ぶ迄が基本です。まああの時代テレビゲーム無しで遊んでましたから、如何に想像力と行動力があったかですよね。子供もそれは必死な時代でした。


サンライズ制作の「無敵超人ザンボット3」と「無敵鋼人ダイターン3」は確かに夕方に数話程見た記憶が有ります。その後の「機動戦士ガンダム」となるとかなり曖昧なのです。何故かなとwebを見ていたら、wikiで衝撃記述…青森放送は第26話で打ち切り。


まあ察します。小学生に延々戦争見せるのは如何なものですから。何となくフェードアウト感はあったものの、さして残念感が無かったのも事実。子供には何故戦争するか全く分かりません。喧嘩の延長とは違う何か。ここを現時点での作品でも優しく解ける作品はあるでしょうか。無いのは止む無き事。時代は繰り返し当然同じ反応でしょうね。戦争なんて難しいよ。


いや待てよ、このネット局第26話打ち切りがボディブローとなり、本局の打ち切り方針になったのは…まさかか。


とは言え、「機動戦士ガンダム」の皆のリクエスト及び再評価で、本放送から映画に至る迄の期間で再放送が幾度もされます。見慣れる事での戦争の娯楽化。今ではエンターテイメントと持て囃されますけど、戦う事、殺す事、死ぬ事、ここの然るべき一線の定義が無いままに、優れた玩具としてのガンダムの意匠が確立されました。


あとはメッセージ性ですか、小学生は戦争への理解で困惑している上に、そこにニュータイプの概念ですよね。

今でこそ相互理解は今日迄繰り返される物語で、辛うじても理解の方向に向っていますけど、結局は原点の疑問に帰ってしまうのですよね。ニュータイプなら何でも許されるのかと。軍人では無いニュータイプも描くべきだったかも知れませんが、その尺削って良いだろうが限られた放送の尺でもあろうし。


こうして、ガンダムを通じて子供の口からも、まだ真意を知らない”戦争”が何気に吐き出される様になっていきます。

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