ブルシット・人工知能・ワークス

 私は机の前で頭を抱えていた。

 この時間はとても静かである。どれくらい静かかといえば、壁にかけてある時計がチクタクと鳴っているのが聞こえるくらいには静かだ。時計の音は「どれだけ悩んでいたとしても、時間は経過するものである」という、残酷な真理を強調する。

 急かされると焦る。

 これは人間の心理というものだろう。

 私は机の前で頭をかきむしり始めた。

 

 ムチャブルブルポン(着信音)ブッ。

 

 私は驚く。驚きの余り、屁が出てしまった。

 何を隠そう、今一番したくないものは電話だ。さらに言えば、一番見たくないものは「編集者の名前」であった。しかし「泣きっつらに蜂」というように、したくないものを強要させられるときに、自分の一番見たくないものを見せられるものなのだ。

 私は恐る恐る確認する。

 残念なことに、「編集者の名前」が画面に表示されいる。

 ため息混じりで私は電話に出た。

 すると、相手の機嫌を伺う、あの特有の猫なで声が電話の向こうから聞こえてくる。だが、その調子は一方的である。

 恰も「既に結論はわかっているが、念の為にそのことを知っているということを伝えるためだけに、確認のフリだけしている」と言わんばかりに。

 

 「すいません、藤子・ファック・圭一先生!今週掲載分のマンガのネームってどうなっていますか?いや!先生のことだから、信頼はしていますし、こちらとしては完成稿を貰えれば結構ではあるんですが……その、先生がアイデアが何も出てないなら困るなーと……ほら!調子のいいときは、ネームを三本分くらい頂けますので、調子が悪いのかな、と……実際に、アイデアが出てこないときって、眠りが浅いのか、いつもこの時間に起きていますし……いえいえ!調子が悪いときはお手伝いをしないとマズイと思いますんで!ではでは!」


 私はただ「わかった」と返事をして切る。

 それは編集者への返事だったが、恰も自分が「調子が悪く、アイデアが何も出ていないことに困っている」ことを再確認しているかのようでもある。

 敏腕な編集者ほど、漫画家のことを良く知っているとはいうが、知られる身にもなってみろとも思う。

 

 ◇◇◇


 アシスタントが一人入ってくる。

 一人はアイデアがまだ出ておらず、ペン入れ作業に入れないことを見通しているかのように、復刻版ファミコンに電源をつける。刺さっているカセットは『月風魔伝』である。


「雑誌に穴を空けないことがプロとしての誇りみたいなところはあると思うのですが、出ないものは仕方ないんじゃないんですか」


 私は近くにあったタバコを一本取り出し、火を付け、ひっきりなしにふかして、心を落ち着かせる。

 

「しかし君だって、あの編集者の恐ろしさというのを知っているだろう。あの編集者は表では優男で貧弱だが、締切を破った途端に豹変するじゃないか……前回、連載に穴を空けたときは恐ろしかっただろう!急に身体を震わせると、肌が緑色になっで筋肉質になり、電柱をひっこぬいて大暴れ。私の妻を捕まえて、東京タワーに登っていって大騒ぎになったじゃないか!その後、私の妻は寝取られて、私は文字通り『急病のために連載を休みます』という状況になってしまった」

「なんというか、色々な作品が混ざってますよね。小学生ですら、そんな拙いパクリをしませんよ。とにかくあの編集者は締切があるときはニコニコしていますが、締切を破ったあとが怖いですからね。締切を破った漫画家の先生は皆、心的外傷を負って、筆を折るか、傷を癒やすために未成年者と淫行をして捕まるか、あるいはオンラインゲームばっかりやって、連載の続きを描かなくなったりしますからね。まあ、あの編集者は……ファミコンゲームでいうところ『彷魔が刻』っていうゲームみたいなところがあります。とはいえ、一回目であれだけ怒るということは、二回目だと……あっ、しまった」


 すると、画面に大きく「死」と表示される。

 私はつい「ギャア!」と声を出す。


「ああ、もう、ビックリさせないでくださいよ。まあ、死ぬことはないですよ。せいぜい、右手と左手は動かせるくらいに半殺しにされるくらいだと思います。例えば、足の爪の間に熱した針を一本ずつ入れるとか、熱した鉛を口の中に入れるとか、そういう感じですよ」

「君は悪趣味だ!想像するだけでゾッとする!とにかく、この状況を打開しないと、漫画しか書けない廃人にされてしまう!」

「そういうことでしたら、いい知人がいるのですが、紹介しましょうか」


 私は藁にもすがる思いであったので、二つ返事でそれを承諾した。

 アイデアが出ないときは、外に出るに限る。

 もしそれでも何も上手くいかないならば、そのまま失踪すればいいのである。

 

 ◇◇◇

 

 私はアシスタントは喫茶店でコーヒーを飲んでいると、ドアが鳴り、一人のスーツの男が入ってくる。

 スーツの男は、少しだけ店員と話をすると、二人が座っている席の前に立った。

 

「どうも、田中不二夫です。普段はデジタル漫画のソフトウェアに関する営業をやっています。あの有名なファック先生にお話ができるどころか、お手伝いもできるということで、とても楽しみにしていました」


 スーツを着た爽やかそうな青年は、丁寧に自己紹介をしたあとに、深々とお辞儀をしながら、名刺を差し出した。

 久しぶりの「社会人」という概念に触れたためか、机に膝を当てて鈍い音を喫茶店中に響き渡らせてしまう。

 その机の音に動転してしまい、片手で名刺を受け取ってしまう。

 しまいには自分に名刺が無いことに気が付き、三重に恥ずかしくなって、顔を真っ赤にしてしまった。穴があったら今すぐ入っていただろう。

 

「いえいえ、むしろサラリーマンの世界にだって、たくさん無作法な人はいますから。こないだなんか、ふんぞり返った偉い方に山折りにされたことがありますからね。そのあとに持論と説教をきかされました。本当にまいったんですから」


 さっきの失態をフォローして貰ったこと自体は、ますます恥ずかしく感じる。ただ、このように接してくれること自体は、悪い人間ではないということが伝わってきて、幾分かは緊張した気持ちがほぐれるような気がした。

 

「で、今回田中さんを呼んだのは私の『わらわんセールスマン』という連載のアイデアが切れしまったらしくて、それのアイデア出しを手伝って欲しいなと。特に田中さんは、リアルのセールスマンだから、リアルなアイデアとかが出てくるんじゃないかなと思うので」

「『わらわんセールスマン』ですか……確かに面白いですし、自分もSNSでファンとして絵柄を真似したパロディーを描いたりもしましたし……ただ自分としては『22世紀ナシえもん』のほうが好きで……ああ、こんなことを先生の前でいうと、ますます不調になってしまうかもしれませんね、やめましょう」


 私はその歯切れの悪さに、腹を立てるというよりも、一人のファンとしての釈然としない正直な感想があって、むしろ聞いてみたい気持ちになった。

 今の編集者は「こうしたら売れる」という話に偏りがちであるし、アシスタントとしては技術とかコツとか、そういった漫画術に偏りがちである。

 特にこの主人公はセールスマンである以上、同じセールスマンとしてどのような引っかかりがあるのか、というのは、今後作品に生かすためにも重要なことのように思われた。


「いえ、是非是非聞かせてください」

「そうですね……藤子さんは怒られるかもしれませんが……。

 『わらわんセールスマン』の物語というのは、自分の私見では次のような構造になっているように思われます。

 

 まず最初に、現実の問題に悩む男が出てくる。この現実の問題に対して、男は解決するべき願望を抱いている。

 次に、この男の願望に対して、解決できる商品を持っているセールスマンが現れる。このセールスマンは無愛想で、余り喋らないので、警戒する。果たして、この人の商品を信用してもいいのだろうか、と。恐る恐る、悩む男は商品に手を出す。

 最後に、悩む男は商品を使って願望を叶えようとするわけだが、確かに願望どおりではあるが、しかし結果のほうが間違っているということになる」


 私はちょっとだけ感心をしてしまった。

 SNSで自分のパロディ漫画を発信しているだけあって、ちゃんと作品の内容を分析している。恐らくここまで分析出来ているとするならば、彼の漫画はバズっているのだろう。もしかしたら、私は良く知っていて、いつの間にか私が褒めたりしているようなアカウントの可能性もある。

 帰ったらぜひ確認してみよう。


「問題は、このセールスマンの無愛想さなのです。

 もちろん、この不気味な無愛想さというのは『相手を信じるべきかどうか』という、キャラクターに葛藤を生み出す理由になります。だからこそ、願い事が叶った時との落差、そして彼が堕落し、没落したさいに『ほら、こんな人間の言うことを信用するもんじゃない』という、人間のサディズムに似た願望が叶えられるわけです。

 ですが、これはどうも現実的ではないように感じるのです。

 現実的には、詐欺師であったり、陰謀家というのは、他の人間よりも信用が出来て、ニコニコしているものです。

 話の効果とか、読者への効果を狙った場合には、信じられないうさんくさいキャラクターのほうが良いのですが、その点が釈然としないのです」


 ◇◇◇

 

 ブオーンギギギギ。

 だいぶ長い間使っているパソコンのせいなのか、排出音が酷いことになっている。アシスタントにも「先生ももうそろそろデジタルを覚えたほうがいいですよ」とは言われているのだが、どうしてもパソコンだと、気が散って仕方がない。

 例えば、漫画用のドローイングソフトの使い方を検索しようとして、つい「熟女 緊縛 動画」と入力してしまう。もちろん資料用なのだが、とはいえアシスタントがいる以上、音声を聞くことが出来ず、資料価値として半減してしまう。

 だったら、最初からペンを握っていたほうがいいというものだ。


 しかし……ウィンドーズが立ち上がるまで考える。

 なにやら引っかかりを感じるのである。

 彼の違和感というのは、私の漫画において「願望を叶えつつ破滅させるサラリーマン」というのは、恰も自分のような人間であるとアピールしているような印象があったのである。

 そして、私の漫画において重要なのは、怪しい人間をつい信じてしまう、という、陳腐な言い回しを使えば「人間の弱さと願望の強さ」みたいなものがある。

 だが彼はその点について、わざわざ「私のような人間が願望を叶えつつ破滅させるサラリーマンかもしれませんよ」と私に伝えたわけである。

 実際に、私の願望はどうやら叶うようなのである。

 私の願望は「今は出ない漫画のアイデアをどうにかして絞り出してくれるような何かが欲しい」ということだった。

 そして、いま開いたメールには、そのようなアイデアを出してくれるソフトウェアが付随していた。

 『アイデアもりもり君』という名前がついたそのソフトは、どうやら機械学習によって、大量の物語データを学ばせ、追加で、その漫画家のチューニングを施したものであった。

 恐ろしいことに、そのような夢のような機械が「タダ」で使えるのである。

 というのも、まだ研究の最中であり、実際にこれがどれだけ使えるのかがわからないものだからだ。田中にも「まあ気休めだと思ってください」と言われていたのである。

 だが、出力された作品は八割くらいは完璧であった。私は二割を手直しすればいいだけだった。

 そのソフトの高性能さに、私は技術の発展に驚愕すると同時に、なにやら不吉なものを感じ取らずにはいられなかった。

 なぜなら『アイデアもりもり君』こそが、私の願望であるからだ。

 

 ウィンドーズが起動し、そのあと『アイデアもりもり君』が起動する。

 そこで、私は同意書に即座に「承諾」のボタンを押す。今や、誰が同意書をわざわざ読むというのか?

 

 ◇◇◇

 

 私は今までより十倍ほど忙しくなった。なぜなら、例の『アイデアもりもり君』で手直しした話というのが、大いにウケたからである。

 私からすれば「なんでこんなものが……」という印象だったが、漫画にしろ小説にしろ「自分が書きたいものよりも、ウケるようなものが正義」という事が出来るだろう。だからむしろ『アイデアもりもり君』のアイデアこそ、非常に参考になった。

 とはいえ、タバコも一本手を出したら、ニコチン依存になって、また一本、また一本……と増え続けてしまうものである。

 同じように、簡単に自分が出すアイデアよりもウケるネームを出してくれる『アイデアもりもり君』はとても素晴らしいものであり、私は『アイデアもりもり君』を使い続けてしまった。

 そんなことをすれば、そのうちアイデアが出なくなり、漫画家以前に創作家として、無能になってしまう可能性が出てくるにも関わらずだ。

 もし『わらわんセールスマン』というマンガであるならば、主人公はマンガを描かなくなり、酒浸りになり、修正も施さなくなってしまうと、人気が急降下してしまうというオチにする。

 それくらいわかっているので、私は絶対修正を施すことだけは決めていた。それが、最後の漫画家としての挟持だと思ったからである。

 だが、それも崩れてしまった。

 

「『アイデアもりもり君』の試用期間は終わりました。製品版を今しばらくお待ちください」

 

 ◇◇◇

 

 私は机の前で頭を抱えていた。

 この時間はとても静かである。どれくらい静かかといえば、壁にかけてある時計がチクタクと鳴っているのが聞こえるくらいには静かだ。時計の音は「どれだけ悩んでいたとしても、時間は経過するものである」という、残酷な真理を強調する。

 例の『アイデアもりもり君』の試用期間とやらが終わり、全く使用できなくなるや否や、アイデアが全く出なくなってしまった。だから、私は焦るべきだった。

 だが、全くもって焦ってはいなかった。

 

 気を取り直して、机に置かれたコミック雑誌を開く。

 すると、自分の描いていない漫画が自分の漫画として掲載されていた。 

 さらには、机から引っ張り出して、通帳の履歴を見る。そこにはちゃんと「自分の描いていない漫画」の原稿料が支払われている。

 全く意味不明なことであった。

 

 例によって、アシスタントが一人入ってくる。今日は彼の最後の出勤日である。

 もうアシスタントはいらないのである。

 なぜなら、私は全く描かなくなったからである。

 

 そのことを見通しているかのように、アシスタントは復刻版ファミコンに電源をつける。刺さっているカセットは『彷魔が刻』である。


「このゲームは『ジギルとハイド』という有名な小説が元になっていて、ある一定までゲージが溜まると、別のステージにいくんですが、両方のステージのバランス調整が悪く、テンポが悪すぎてとてもじゃないけどクソゲーって感じなんですよね。でも、こういうクソゲーってのは、下手にウケを狙わない分、好感がもてますよね」

「お前は気楽でいいな。私にとっては不思議なことが起きている」

「ああ、自分が描いていない漫画が描かれているという話ですか?」


 アシスタントがゲームをストップして振り返る。

 アシスタントが操作していた紳士が犬に噛まれて仰け反っているシーンで、ゲームは停止している。


「そういえば、例の田中とかいうサラリーマンを紹介したのはお前だったな!例の『アイデアもりもり君』で、私を無力化して私の漫画を乗っ取るということだったのだろう!」


 私はつい声を荒げてしまった。

 アシスタントはゆっくりと立ち上がり、ホコリだらけの自分の席に座る。

 そして、机の中から囲碁盤と、『人工知能が見つけた新しい定石ガイド』という本を横においた。

 

「人工知能による技術革新が叫ばれた時、人間にとって雑用となる仕事は全て機械に任されることが期待されました。その結果、人間は仕事から解放され、創造的な行動に没頭することができる。そう信じられてました」


 彼はもう一つの本を取り出す。

 そこには『人工知能によるポーカー必勝法ガイド』という本である。

 

「しかし、囲碁とポーカーにおいては、事態は逆でした。これらにおいて、むしろ囲碁の指し方というのが、定石という人間の偏見にまみれていて、実際には多数の『より定石に近いもの』があることが確認されました。

 また、同様にポーカーも同じです。

 ポーカーのルールである『ノーリミッテッド・テキサスホールデム』において、複数対戦のプロに圧勝することになります。記事によれは、人工知能は『人間があまり採用しない手』を使うことによって、圧勝することが出来たということです。

 私のビジネスパートナーであり、またベンチャーの創業者でもある彼は、一つの真理に気が付きました。それは、私のような才能のない、アシスタントするしかない漫画家や、あるいは彼みたいなエンジニアにとっては、受け入れやすい結論でした。

 『人間の創造性というのはたかだか知れている。なぜなら偏見まみれだからだ。むしろ人工知能のほうが創造的である』と。

 ではこういった機械にとって人間といはどのような存在かといえば、話は簡単なんです。

 『人間は、機械が持つことができない整合性、つまり汚れ仕事にこそ意味が有る』

 というわけなんです」

 

 彼はファミコンの電源を切ると、背負っていたリュックサックに、それらを詰め始めた。


「この仮説は、二割の修正作業が一番統計的に『機械と人間の作業分担』によって効率がよいことがわかりました。

 そして大切なことは、この二割の修正作業は、実際は誰でも出来るような仕事であるということなのです。もちろん、先生が直接やるのがベストですけれども、私のような先生についていたアシスタントでもベターなのです」

 

 リュックサックのジップを締めてアシスタントは立ち上がる。

 

「先生、いまなら私たちの仲間になれますが、どうでしょうか?」


 私は怒鳴り込んだ。


「それは全く持ってプライドが許さない!そんなバカなことがある筈がない!それに、元はといえば、あれは私の……私の……」


 果たして、それは私の作品であったのだろうか。

 私は週刊誌を読みながら、恰も一読者としてその物語を楽しんでしまった。もはや、自分の作品として、続きであったり、山場を考える必要のないものとして、楽しんでいたのである。もう少し言えば、私はファンだったのである。

 

「大丈夫ですよ、死ぬまでの間、生活できる程度の原稿料はお支払いしていますから」


 そう言うと、彼は出ていった。

 彼の言葉は不穏であった。生活できる程度の原稿料というのは何なのか。

 恰も、私が、私が殺されるような口ぶりであった……。

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