猫よりかわいいホームレス
「それでは、人種差別と黒人がキライなYoutuberのディーゴでした!」
恰も違法薬物を摂取したような異様なテンションで、三脚にセットされたアイポンに男は叫ぶ。
この発狂したかのような男はディーゴと呼ばれていた。
読者の皆は、何かの撮影だから、恐らくスタジオにいるかもしれない、あるいは撮影用の部屋の中か……と推測するだろう。
だが、その推測に反して彼が撮影していたのは風の吹き荒ぶ公園である。
彼は苦虫を噛み潰したようにアイポンに駆け寄り、録画を止める。
ディーゴはこの瞬間を何よりも嫌悪していた。
どれくらい嫌悪していたかというと、最後に録画を止めるシーンが入った動画には、あらゆるサブ垢を駆使して低評価を連打。そのあとには、ここに書くと規約違反になりそうな、眉をひそめるような罵倒コメントを羅列といったことを行うくらいには嫌いであった。なぜ嫌いかというと端的にしみったれていて汚らしい、という美学的観点からである。そのような下賤な仕事というのは演者がやるべきではない、と確固たる信念がディーゴにあった。
とはいえ、ディーゴの不機嫌さは、アイポンを止めただけでは留まなかった。
「なんで俺はこんな公園で動画をとらなければいけないのか」
ディーゴは空に向かって叫ぶ。
すぐそばを通った親子はディーゴのことを、頭のおかしい人間だと思ったかもしれない。
常識的な人間といいうのは、誰かが叫んでいるとすぐ頭のおかしい人間だと決めつける。ディーゴならば、こういう人間こそ本当に「人種差別と黒人がキライ」なタイプだと述べていただろう。
良識のある読者は単にディーゴが頭のおかしい人間だと判断し、読むべきではないなどと考えず、もう少し文章を読んで欲しい。
なにせ、ディーゴが叫ぶのには理由があるからである。
◇◇◇
元々ディーゴという男は、テレビに出演するようなタイプの人間であった。
肩書はサイケディスト。彼の言い分によると、サイエンティストとサイケをあわせた「心理に詳しい人」という造語のようで、そのキャラクターと甘い顔立ちで大人気だったが、一冊も本を読まないようなお笑い芸人や俳優にいじられるのはプライドが譲らなかった。なぜなら彼は一冊は本を読んでいたからだ。
ゼロとイチは違う。そういうところにディーゴは誇りを持っていた。
そんなテレビ業界を見て、ディーゴはYoutubeのほうが可能性があるように見えた。なぜなら、Youtubeがテレビより自由であり、好きなことが出来るからであり、表現の幅があるから……ではない。
単純に一冊も本を読んでいない無学な芸人共に支配されている日本のガラパコス化したテレビに一冊くらいは本を読んでいる自分が媚びを売るくらいだったら、天下のGoogleに媚びをうったほうがいいからである。恐らくGoogleの社員なら、最低でも二冊は本を読んでいる筈だからである。
長いものに巻かれるなら、より大きなものに巻かれたほうがいい。
より長いもののほうが、より高い収益を集めてくれる。
これは昔からの、世界の法則であり摂理である。
そういうわけで、テレビの出演料でスタジオやらなんやらを借りて、Youtubeをスタート。Youtubeで人気を取るために、まず過激なことをやる必要がある。過激なことはしたいが、されたくはない。そこで過激なことをされるための「生贄」を見つけるならば「ディーゴ様がYoutuberをはじめるならば、是非お手伝いをさせてください」と集まった奴隷……ではなく、ボランティアスタッフから選ぶのが良いだろう。
入れ墨が入っていたり、耳やら舌やらにピアスをつけていたり、普段着ている服がメタルTシャツのような奴らはダメ。こういう奴らは後で如何なる報復をされるかわからない。月の出ていない夜に一人歩いたりしたら大変なことになる可能性がある。従って、満月の夜じゃなければ一人で歩けないような奴が良い。さらに言えば、太陽がカンカン照っている昼間でもカツアゲされるような人間がよい。
だが「窮鼠猫を噛む」ということわざがあるように、どんな人間であれ、追い詰められれば報復をする。
気弱そうなスタッフの原付きに悪臭を混ぜたペンキを塗りつけたり、そのスタッフの大切にしていたフィギュアの首を割ったりなどのイタズラを定期的にやっていたところ、その気弱そうなスタッフが大勢の反社会勢力を連れてきて、スタジオで大暴れということになる。どうやら、その気弱そうなスタッフは反社会勢力の息子だという。人を見た目で判断すると、見た目ではない部分で足をすくわれる。
命からがら逃げ出したのはいいものの、Youtubeは更新しなければならぬ、ということで動画を撮影しているわけであるが、しかし低評価と登録者数が激減。今となっては、再生回数は千回ほどしかないのに、なぜか低評価は十万回という異常事態になってしまった。
このままでは家賃が払えず、俺がホームレスになってしまう。
ディーゴは焦っていた。
ホームレスになるのは不味い。
何故なら、自分で自分を見下すというのは最も辛いものだからだ。
◇◇◇
良識ある人間である読者ならば、ディーゴが頭のおかしい人間だと判断するだろう。実はこれを書いている著者も同意見だが、しかし「頭がおかしい」ということと「金が儲かる」とか「バズる」というものはまた違うものだ。往々にしてインターネットとは頭のおかしい人間のほうがバズる。この小説集がバズらないのも、私が頭が真っ当であるからである。
それはともかくとして、今回公園で撮影したディーゴの動画はバズった。
それこそ、やたらとバズった。
最初、ディーゴは「悲惨な事件が起きたあとの動画だからバズったのか」と思った。
人は根源的にサディズムがあり、人が不幸になったり、悲惨な目にあったりしていると喜ぶ、という人間哲学な信念を持っていた(恐らく、心理学をかじった人間ならば、これは自分の嗜好を他人も同じものを持っていると考える「投影」と呼ばれる心理現象だと考えるだろう)。
だから、今回の動画についてもアンチどもが騒いでいるからバズっているのではないか、と考えた。そしてアンチを晒し上げてファンに攻撃させるのが飯の次より大好きなディーゴは、さっそくエゴサーチ、つまりSNSでつぶやかれる自分の感想を探し出し、晒しあげようと思ったのだ。
だが、意外なことに「アンチ」の投稿は思ったよりも少なかった。
そこに書かれていたのは「かわいい」「癒やされる」といった、ディーゴが普段見ることのない感想であった。
最初、ディーゴは「かわいい」やら「癒やされる」という言葉に激怒していた。何故なら、かわいいという言葉は自分より弱い人間に投げるものであると考えていたし「癒やされる」といった言葉にしても「自分の嫌いな人間がひどい目にあっているのは癒やされる」といった意味に勘違いしていたからだ。
しかし実際はそうではなく、本当に「動画」が「かわいい」もので「癒やされる」ものが写り込んでいたのであった。
それはホームレスであった。
ディーゴは驚いたのであった。
ディーゴの意見として「ホームレスは猫よりかわいくない。だから追い出すべき」と動画で主張した。もちろん、この動画はいけすかないリベラルな知識人や、人権活動家、あるいは支援団体から酷いクレームが来た。表立ってでは反省の色を見せたが、しかし心の中では「ふん、偽善者め」と思っていた。実際に、コメントでは「よくぞいってくれた」とか「その通りです」という言葉が並んでいたじゃないか。もっとも、正論や反論はスタッフたちに消させてはいたし、その半分もスタッフが書き込んでいた。
だから、今回も偽善者達がホームレスを無理矢理かわいいとか言って動揺させようとしているのだ、と思っていた。
しかし、実際にかわいいのである。
なんだろう、周囲に猫たちがたくさん集まってきているからそう見えるのかもしれないが、彼の格好はどことなく、国民的アニメであるところの山猫のような幻獣にも見えるし、あるいは文学作品に出てくる山猫のようでもあるし、あるいはゴマアザラシのようにも見える。あるいは熊にも見える。とにかく、人間世界を超越した微笑みを浮かべ、動物のようにも、聖人のようにも見える。実際に、逆光になっていたが、それがより彼の神々しさを引き立てている。
……もしかしたら、これは俺を再起させてくれる存在かもしれない……
ディーゴは彼に神様を見た。
◇◇◇
その日から、彼は過激な発言をせずに、その「猫よりかわいいホームレス」に密着取材することにした。
とにかく、その動画は評判が良く、さらにはネットニュースからも質問が来るようになった。
そこで、図々しくディーゴは自分はマネージャーということで、それらのメディア対応をしていた。
当然、彼は自称・心理に詳しい人であったので、過去のことをすっかり忘れたように「このような境遇の人たちも一生懸命になって生活している。そういう姿を伝えていければ」などと言えば、動画はさらに伸びることもわかっていた。
アンチやら人権活動家は彼が心を入れ替えたのかと思ったし、彼の発言を利用して鬱憤を晴らしていた人たちはこれを裏切りのようにも感じたが、既に新しいオモチャがあったのでどうでもよかった。残っていたファンの人たちは「これも深慮と思索の結果だろう」と信念を新たにする。
その一方で、収益化は上手くはいかない。
確かに動画の伸びは良かったのだが、家賃を払えるまでには上手く行かず、一度家を引き払うことになり、公園で寝泊まり。動画をアップロードするときだけはネカフェに泊まる。
もちろん、こんなところに留まる自分ではない。軌道に乗ってしまえばおさらばである。あとは好き勝手やり放題。また気弱なスタッフを捕まえては、激辛毒入りラーメンを入れてはトイレにこもらせたりするなど、人をコケにして遊びながら優雅な生活を送れるのだ……。
だが、彼は大切なことを忘れていた。
というのは、ちょうど家を引き払い、公園で寝ることになったその日というのは、新月――言い換えば、月の出ていない夜だったのである。
◇◇◇
辺りは静まりかえっている。ときどき、虫の音と、発情したカップルの荒い息が聞こえてくるだけだ。そして、その熱に当てられたのか、ディーゴは欲情を催してしまったために、ちょっと近くのトイレにまで足を運ぶことにしたのである。欲情だけではなく、妙に寒くて単純に尿意がこみ上げて来たというのもあるので、誤解なきよう。
コツ……コツ……コツ……。
真っ暗闇の中、歩いていると後ろから何やら足音がする。
一人は入れ墨の入ったスタッフであり、もう一人は耳やら舌やらにピアスを付けていた。ちなみに二人は同じメタルバントのTシャツを着ている。
「な、なんだ……!君たちは……!えーと、その……スタッフ!」
ディーゴは、名前を覚えないことで有名であった。名前を覚えてしまうと、そのスタッフを人間として遇することになる。いわゆる物を言う家具として扱うならば名前を覚えないのが一番である。きっと奴隷を酷使していた古代ギリシア人ならこの考え方に同意してくれるだろう。
「その通りだぜェー!ディーゴちゃーん!」
そう言いながら、ナイフの刃をキラキラと光らせて、舌を舐め回す。それはまるで、アニメで主人公に倒される悪役のようである。
ディーゴは恐怖を感じながら「おちつけ、おちつけ、俺は心理の専門家だ」と心に呟く。
「ま、待ってくれたまえ。君たちには何もしていないじゃないか。むしろ、私は君たちへのねぎらいから、他のスタッフより高いサンドイッチを買ってきたり、味わいカルピスを買ってきたじゃないか。他のスタッフは十倍に薄めた、ほとんど水のカルピスだったというのに!」
「おやおや、それは感謝しているゼェー!ディーゴ!これは本当に……ねぎらいかどうかはわからんけどな!ただの恐怖心からかもしれんけどナァ!それはともかくとしてダァ……」
ディーゴは足を震わせていた。
彼らの見た目が怖く、また見た目同様に極悪非道な存在であり、ディーゴが弱い立場に追い込まれたときに、脅迫してくるから……ではない。
問題はディーゴのスタッフには二種類のタイプがいる。もう一方は奴隷であり、もう一方は信者である。そして、信者の中でも彼ら二人は特に狂信者であった。例のスタッフが反社会勢力を集めてスタジオ暴れまわったときに、火炎放射器で応戦し、汚物を消毒しようとしたのは、他ならぬ二人だったわけである。
要は、ディーゴのことを真に受けて、それを上回る過激なことをしてしまう二人なのである。そういう人間たちのほうが怖い。
「俺達のモットーは『汚物は消毒』なんだよナァ……!ところで、ディーゴ……!普段から言っていたことはなんだっけなァ!」
「まさか……ホームレス?」
二人は大きな声で笑いだした。
「ピンポーン!その通りダァ!ディーゴは普段から『ホームレスを消毒だぁ』と言っていたよなァ!まず最初に、あのいけすかねえ、かわいいホームレスから消毒してやるのサァ!」
それを聞いて吃驚したのはディーゴである。
ホームレスにも『消毒』する時間とタイミングがある。
例の「猫よりかわいいホームレス」をこのタイミングで『消毒』してしまうと、収益が途絶えてしまい、一時期的なホームレスが恒常的となり、消毒される側となってしまう。
だいいち、ナイフで殺してしまうと『消毒』で無くなってしまう。
「汚物は消毒だ」というセリフは、高温消毒をモチーフとしているわけで、すなわち火炎放射器でなければ意味がないのだ。
ディーゴは咄嗟に走り出し、この信者を止めようとした。ディーゴにとって、命より大切なのは金であり、そして金を生む木である。だが、金を生む木が成長する前に枯れてしまうのは意味がないのだ。
ディーゴはスタッフともみくちゃになる。もみくちゃになった宿命として、ディーゴにナイフが刺さってしまう。
◇◇◇
スタッフ二人は現場から走って逃げる。
確かに人を殺そうとしたのは事実である。だが、それは無益な人間であって、ディーゴのような有益――少なくとも彼らにとっては――ではなかった。
青ざめながら走っていると、公園の灯の中に立っている「かわいいホームレス」がいた。
「おや、お二人さん、そんなに急いで、何か事件でもあったのかね」
スタッフは訝しげに「猫よりかわいいホームレス」を見る。そういえば、こんなところに灯りがあったっけ?
一方、「猫よりかわいいホームレス」は、スタッフが握っている手のナイフをちらりと見る。
「ほほう、なるほど……。ディーゴも自分の信者に殺されてしまったというわけか……。もっとも、私の場合には告発されたから、直接殺されたわけじゃないが……似たようなものだろう」
「うるせえ!ホームレスのくせに、ディーゴより偉そうにしやがって!揚げ物を差し入れしたときも、何が『ワシはオリーブ油しか受け付けん』だ!前々からテメエのことを社会の寄生虫だと思っていたんだ!覚悟しやがれ!」
そう言うとスタッフはナイフを振り上げてホームレスに斬りかかる。
だが、その刹那、ホームレスは姿が消え、ナイフは見事に空振る。
もう一人のスタッフは、ホームレスについて「何処かでみたような」と頭を巡らせていた。だが、気がついたのだ。それは確か、幼き頃に母に連れていってもらった教会の中で……。
「あ、あなたはイエ」
そう言い終わるか否か、二人の顔が「ひでぶ」という音と共に砕け散る。
その様子を見届けたあと、ホームレスは首を横に振る。
「しかし、二回目の復活が遅れた如きで、人間というのはこんな風になっちまうのかねえ……」
そして、何事も無かったように、彼は歩き出す。そして、このように呟く。
「やはり、ユーチューバーはダメだ。信心が無い。やっぱり時代はインスタグラマーだな」
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