八月だョ!海から異臭!
1.
「わたしは、敬虔なるキリスト教徒であると自分のことを信じている……それを一番実感したのは『創世記』にある『ノアの方舟』の一節を読んだときだった。イエローモンキーは、深遠なる神のことなど解らないだろうから、簡単に説明しておくと、要するに、人の世に悪がはびこったらどうしよう、という話だ。
悪というのは癌細胞のように、一度発生したら、次々に転移してしまうように、一気に切断をしなければいけない。その切断作業というのが大洪水であったのだ。だが、悪を洗い流すのに、わざわざ清浄な水を使うのは非常にもったいないというもの。だったら汚い水を使ったほうがいいのだ。例えば、糞尿がたくさん混ざった下水のような……」
インポテンツ・オーガニズム・委員会、通称IOCの会長はそのように述べる。目の前には、豪雨によって処理しきれなくった下水が東京湾に溢れ出している。便所とも生ゴミともつかない異臭が鼻に伝わってくる。
ここで20XX年に国際的なスポーツの祭典が行われるのか……。
そう考えると、林木元総理は男根が固くなる思いがした。林木元総理はモルダウを口ずさむ。このような糞尿に溢れる水面こそが、清き流れのように感じたのだ。
林木元総理はモルダウが好きだった。
モルダウを歌えば中学校の頃を思い出すからだ……。
林木が、初めて自らの異常性癖を自覚したきっかけはこうだ。地元にあるI県にある肥溜めに、同級生の男の子が落っこちたのだ。その男の子は筋肉隆々であり、頼りがいのあるガキ大将気質の男であった。その男の子が、肥溜めで助けを求める姿を見たときに、こんな強い人間が惨めな姿に陥るとは……と思うと、その未成熟な禁断の果実がすくすくと育ち始めるような、そのような気持ちになったのだ。
彼の父親は議員であったために、中学生の頃にはやりたい放題であった。だから、おどおどとした青瓢箪のような男子生徒を捕まえては、男子トイレの個室に閉じ込めて、糞尿の詰まったバケツを上から被せるようなことを行っていた。だいたい、地方の官僚組織というのは議員に弱い。彼の悪行三昧は、父親の権力によって握りつぶされていたが、彼に根付いた禁断の果実を満足させることはできなかった。なぜなら、弱いものが迫害されるのは当然だからだ。普段は偉そうな教頭が、父親にペコペコと頭を下げている姿のほうがよっぽど興奮できる……。その教頭が、ちょうどモヤシのようなハゲ親父であったりとしても。
やはり強いものが迫害されるのがいい……。
三島由紀夫が演説したあとに切腹したという事実は、彼の男根をたぎらせるのに十分だった。それで毎回自慰を行っていた。
筋肉隆々な男が、社会の歯車に惨めに押しつぶされる姿……。それが素晴らしいのだ……。
彼は東京湾を見つめた。そして想像した。
筋肉隆々に鍛え上げ、自らの限界を更新するべく自制心に溢れたアスリート達が、惨めにも糞尿にまみれた汚らしい海で泳ぐ……。そのように考えると、いてもたってもいられなかった。恐らく、そんな光景を見たときには射精を何回もしてしまうだろう。
IOCの会長と、林木元総理は、天を貫くが如く怒張していた。
彼らは全裸であった。
なぜなら、母なる海に対して全裸で接するのは礼儀というものだからだ。
そうだろう?
ちなみに、インポテンツ・オーガナイズ・委員会の会長も特殊性癖であった。
2.
「ちんこを、しゃぶれーい!」
場所は官邸。AB総理は、壁に向かって絶叫していた。声の調子がよろしくない。ごほごほ、と咳をして声を整えると、もう一度絶叫する。
「ち、ちんこを、しゃ、しゃぶれーい!」
どうもよろしくない。
AB総理は椅子に座ると、少し考えていた。
なぜこのような気が狂ったようなことをしていたのか。特殊者を理解するためには特殊なことをして見るのが一番だろう。狂人の真似とて大路を走らば、即ち狂人なりである。そう思って絶叫してみたのだが、いまいち理解できない。
何を理解しようとしているのか。
それは、林木のことである。
なぜあれほどまで、国際的なスポーツの祭典にこだわるのか、ということである。
もちろん、彼が何やらサディスト的な倒錯に取り憑かれていることは知っていたし、それを理解するためにマルキド・サドを読んだりしていた。だが、自分に合わないどころか、野党の奴らから「サブカル!」と罵られて萎えてしまった。
林木の特殊性は、フロイト的には幼年期のトラウマを癒やすためとも言えるが、そんな単純なことでもいいのだろうか……。
そもそも科学的ではない……。
またAB総理が立ち上がり、咳ばらいをする。
すると、ちょうど官僚の佐藤がドアを開けて入ってくる。それに気が付かないAB総理。
「ちんこを、しゃぶれーい!」
「は、はい!ただいま!」
そういって、佐藤はしゃがみ込み、股間に顔を近づける。AB総理はびっくりして制止する。
「お、おい!なんだ、ちんこをしゃぶれ!って言ってしゃぶるやつがいるか!」
ズボンを下げようとする佐藤に抵抗してズボンを上げる。AB総理もわかっている。官僚とは、与えられた任務を如何に執行するか、ということである。チンコをしゃぶれ、と言われたらしゃぶる。そのような、忠誠心に基づく特攻精神が必要であり、それが出世の秘密であることは十分に理解していた。
「と、言われても、総理がチンコをしゃぶれ、と言われたのでそうしたまでですが……」
「バカモン!柔軟性がなくて官僚などできるか!今日は黒かったカラスも、明日になったら白いカラスかもしれないだろ!そういうのに臨機応変に対応できなくて、何が東大卒だ!」
そのように罵倒する。佐藤は身を震わして、恍惚の表情を浮かべたのちに、真面目になって「は、はい!」と元気よく返事する。AB総理はその様子が本当に嫌であった。まるで鍵がかかっていない息子の部屋に入って、射精した直後の顔を見てしまったときの、ああいう嫌な気持ちを佐藤から感じるのだ。
ズボンを丁寧に履き直し咳払いをすると、いい機会なので、佐藤に相談をする。
「実はだな……その、林木元総理が、例の国際的スポーツの祭典にこだわる理由について、少し考えていてな……」
佐藤は東大卒であり、センター試験で現代文は満点に近い点数を叩き出す男。したがって、総理が言わんとすることと、この小説がやりたいことを瞬時に判断し、解答を出す。
「なるほど、林木先生の情熱の根源を知りたいというわけですね」
ははあ、さすがは東大卒。特殊な性癖に執着する様子を、情熱の根源と言い換えるとは。このような言い換えが国会の答弁に生かされているというわけか。AB総理は非常に感心した。
佐藤はパソコンを取り出して、ハッカー顔負けのタイピングを行う。まるでキーボードからモーツアルトが聞こえてくるようだ。最も、AB総理はモーツァルトより普通に「X JAPAN」のほうが好きだったが。
「分析が終わりました。林木先生のことを理解するためには、この店に行ってください」
都合よく置かれたプリンターが、ネットワークを通じて紙を吐き出す。
そこには『SMクラブ パールハーバー』という文字が大きく書かれ、その行き先のマップが書かれてあった。
3.
だいたい、なぜSMクラブなんだ……。
AB総理は頭を抱える。
確かに、佐藤が言うように、林木の根っこには、倒錯的なサディズム、すなわち国家を背負った崇高な選手たちを、糞尿まみれの海に叩きこむことによって、聖と俗を転倒させるという、エロティズムがある、簡単に言ってしまえばシスターにエロさを感じるのは、そういうことだ、ということを、バタイユを使って延々と論じられたわけだが、そんなことは頭で理解すればいいのだ。問題は身体のほうだ。
SMクラブの常連客には、銀行員や官僚などのお硬い仕事の人たちが、その下半身をお硬くしているらしく、佐藤もそのようなメンバーの一人である。
AB総理はてくてくと歩いて、その店に向かう。
週刊誌の記者に突然写真を撮られたりしないかとビクビクしていたが、佐藤によれば、記者たちは公安警察がタコ殴りにしているから大丈夫だと言う。
『パールハーバー』という看板が怪しげに光る店の前に立つ。看板には「覚えて帰ってね!リメンバー!」と書かれてある。
AB総理は苦笑して中に入る。
すると、野党の不渡がいつもよりも10くらいIQが上がったような顔をして、外に出てきた。不渡は賢者を思わせるような、ゆったりとした動きで、AB総理を見つめる。
「あら、AB総理もいらっしゃっていたんですか。 まさか、総理にもこのような趣味があるとは……やりますねえ……」
そう言いながら、テカテカとした笑顔を浮かべる。国会では敵同士であっても、風俗では何か一体感を覚える。いわゆるこれがホモソーシャル的な絆か……ということを実感する。
AB総理も、政界に入る前は童貞であったが、林木におごってもらったことを思い出した。いわゆるニューハーフ風俗というやつである。そのときから、国会答弁にて、男根を持っていそうな女性に責められることに興奮するようになっていた。考えてみれば、ニューハーフ風俗で童貞は解決するのかという話はあるのだが、話の勢い上、そういうことにしてもらいたい……。とにかく、そんなこんなで、いわゆるホモソーシャル的な絆があるという話だ。
彼は受付に予約の件を伝える。
「ああ、お待ちしておりました。今回は『右派コース』ですね」
右派コース?AB総理はそう聞き返す。
「あれ、ウェブ予約だったのに、この店のことについて何も知らないんですか……しょうがないですね。改めて説明しますけれど、この『パールハーバー』は、政治的な責めを行う専門店なんです。初心者は右派コースと左派コースに分けられるんですが、上級者になると、極右コースから極左コースまでありますね。例えば、極左コースだと『この頭に付けたヘルメットはなにかね、ゲバ棒で総括しなくちゃならないね!』と言われながら、大きなディルドで菊のタブーを責められながら自己批判を迫られるわけです」
それを真顔で説明されると、気が狂っているのかとAB総理は思う。しかし……私が気がついていないだけで、皆は本当は狂っているのかもしれない、と思う。自分の内面に狂気を抱え込み、そしてそれを抑えながら生活をしているのかもしれない。そして、その狂気を解放できるのは、実はこのようなSMクラブしかない……。
そんなことをぼんやりと考えると、名前が呼ばれる。
ここからはプレイが始まる。詳しく書くと、様々な規約に引っかかることになるので、正確なことは書けない。とにかく「お前、本当は自虐史観が好きなんだろ、ほら、自虐してみろ!」といって責められていたことだけはここに書いておこう……。
4.
ネオンが綺麗だ……。古くは天に星があったが、今は地上に星があるのだな……。
AB総理は晴れやかな気持ちで店を出る。晴れやかな気持ちになったのは、さまざまなものが、解消されたからだ。
そして、AB総理は確信した。私が林木を理解できないのは、私がマゾだからだと。私は糞尿を浴びせるよりも、浴びせかけるほうが好きなのだ。そう考えると「下痢便総理」という下品な名前も愛着を持てるような気がする。実は前からそれほど嫌いではなかったのである。だが、この感情が何処からくるのか、さっぱりわからなかったが、今になってやっと理解できたのだ。
国際的なスポーツの祭典が待ち遠しい。AB総理はそう思う。この国際的なスポーツの祭典が、壮大な失敗をすれば、日本の人々は間違いなく怒る。怒った人々は官邸に押し寄せたり、演説をしている最中に糞尿を浴びせかけるだろう。それを浴びながら絶頂することを考えると、段々と興奮しはじめてきた。いや、それだけじゃだめだ。私も何か適当な理屈を付けて、選手達と一緒に海に飛び込むのだ。糞尿まみれの姿がテレビに映し出される。だが、もし、日本の人々が怒らなければ……。それは絶望するしかない。
一方、既に怒り狂った老人達が、バキュームカーで総理官邸に突っ込んで大惨事になっていた。
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