(中の人が)四人いる!

1.


 メロスは激怒した。必ず、かの邪智暴虐の王を除かなければならぬと決意した――という書き出しで始まるのは、太宰治の『走れメロス』である。

 この書き出しと同様に、俺もまた激怒しており、必ずかの邪智暴虐の運営を除かなければならないと決意し走りだしていた。


 何の運営か。

 それはバーチャルユーチューバーである。


 とあるバーチャルユーチューバーの運営会社、「性的搾取やる社」は最初期から「コロシアイ」というバーチャルユーチューバーを運営しており、その存在が認知された今もなお、トップランナーである。俺は最初期ではなく、有名になりはじめる頃に見始めたのだが、愛情では古参以上であると思う。

 「愛情が古参以上ある」と確信できるのは、俺がこれだけ激怒できるからだ。


 なぜこれだけ激怒しているのか。

 理由は、「性的搾取やる社」の社員酷使事件が挙げられるだろう。「性的搾取やる社」は、その名前からして性的搾取をやりそうなものだが、しかし実際は労働搾取を行っており、とにかく社員をタダ働き当然で働かせており、事業立ち上げ頃だったらまだ金が無いから耐えれたものの、しかしあとから入ってきた外国留学生のバイトほうが、元社員よりも給料が高いことが判明したのである。

 正直、俺は金がなくて気持ち悪いおっさん社員には全く何の憤慨もないし、勝手にやってくれと思うのだが、しかしとある匿名掲示板の意見によれば、「そもそも社員がこれだけ安く働かされているとするならば、コロシアイもかなりやばいんじゃないのか?」という意見が出されたのである。

 言われてみればそうだ――何度も言うが、俺は金がなくて気持ち悪いおっさんには全く興味はない。とはいえ、社員が粗末に扱われているということは、コロシアイの中の人も粗末に扱われているに違いない。

 動画を見直してみると、確かにだんだん声に覇気がなくなってきている気がするし、また動画の中の企画も「三角コーナーの隅に溜まった野菜をよく洗って料理にしたら食べられるのか」といった、想像するだけでもおぞましい動画が上がるようになってきていたのである。俺はこの動画で十三回抜いた。なぜなら、コロシアイの嫌悪する声がとてもリアルでたまらないからだ。


 許せない。

 俺は昨今の事情を顧みて、名前をあげることが出来ない液体をペットボトルに詰めると走り出したのである。

 今宵、シチリア島は炎に包まれる――。


2.


 俺がスタジオに入ると、四人の女性が俺に向かって挨拶をしてくる。

「あなたが新しいプロデューサーですね!」

 俺が新しいプロデューサー?一体どういうことだ?

 とぼけながら、周囲に話を聞いてみると、どうもこの「性的搾取やる社」はワンマンで残虐で猜疑心が強く、執念深い、最悪の社長の独裁体制(掲示板の書き込みと一致する)が敷かれており、その社長が女性秘書に対して少しひとにらみすれば、その秘書は股を開かないといけない、といったような、いわばフランス書院ですら見たことないようなことが行われているということなのである。

 心の底で、おい、ここは現代日本だぞ、少なくとも紀元前のギリシアじゃあないんだぞ、と思うが、そういう企業は多いのかもしれない。あるいは、私たちが勘違いしているだけで、紀元前ギリシアのほうが牧歌的だったかもしれない。

 問題はその最悪の社長が福岡に旅行に行ってしまったのである。福岡に行くのはいいのだが「新しいプロデューサーが来るんだ、彼に全部まかせてある。じゃ、さよなら〜」ということらしいのだ。で、その新しいプロデューサーに関する情報は全く何もないというわけである。

 なるほど、どうせ「昨今の事情を顧みると名前をあげることが出来ない謎の液体」で特攻したわけだ。俺にはこの世には未練がない。バレるまでプロデューサーを演じ続けるか。

「そうだ、俺が新しいプロデューサーの西広蔵だ、皆よろしくな!」

 そういうと、皆が明るい顔をして元気に返事をする。元気があることはいいことだ。元気があれば何でもできる。芸術は爆発であり、爆発こそが元気の象徴……

「西プロデューサー、それはいいんですけど、ちょっとこの企画書を見てください」

 ディレクターが企画書を見せる。

 人間というのは不思議なもので、先程までは無職特有の挙動不審さを全開にしていたのだが、プロデューサーと呼ばれるや否や、背筋がシャキっとし始める。俺は無いヒゲをさすりながら、できるだけ尊大になるような態度で企画書を見る。


『コロシアイが自分を殺し合う!コロシアイが三人に分裂してバトルロワイアル!』


 それを見ながら、不思議に思う。

「いま、スタジオにいるのは四人だけど、企画書では三人だよね」

 ディレクターを見ると、その表情には困惑が見て取れる。

「そうなんですよ……企画書の段階では三人なんですが、ここにいるのは四人じゃないですか。社長の言うところによると『これはコロシアイが更に躍進するための企画だから慎重にやらなければならん。全ては新プロデューサーに話をしてある』ということなので、待ってみたんですけど、結局四人来ているわにけで……」

 なるほどな、と思う。

 本来であるならば、三人になる筈のコロシアイ候補が四人というわけか。

 これは難しい問題である。

「まあ、確かにこちらで三人にするとは言っていたが、こういうのは慎重さが必要なのだ。だから、ここで最終面談を行って決めることにしたのである」

 ディレクターはため息を吐く。まるで、このような無責任かつ気まぐれめいたことは何度でもあったと言わんばかりである。

 この手の学習的無気力が組織に蔓延しているからこそ、コロシアイは新興のバーチャルに追い抜かれそうになっているのだな、と思った。

 

3.


 俺は個室にて、パイプ椅子に座って待っていた。しかし、この個室はクーラーが効きすぎて辛い。とにかく身体の震えが止まらない。

「どうもこんにちは、グラビアアイドルの浅田彰子です☆」

 グラビアアイドルねえ。確かに、その出るところは出ていて、ひっこむところはひっこむ、といった体型を維持するための壮大な努力は認める。だが、それは果たしてバーチャルユーチューバーに必要なのか。だって、彼女の身体はコロシアイとは全く関係ないんですよ。

 そのような困惑を察してか、私にグイグイ近づいてくると。

「確かに身体を露出してナンボのグラビアアイドルが、バーチャルユーチューバーみたいに中の人の身体を隠してナンボの、中の人になるのがおかしいように思うと思うんですよ」

 そう言いながら、浅田は服を脱ぎ始める。俺は今まで生で女性の裸を見たことがない。そこにあるのは恐怖でしかない。

「ま、ま、ま、ま、枕営業か。そういう下品なことはやめなさい」

「えーっ、『チョコバナナなめなめ三〇分耐久動画』を流したくせに、いまさら下品って言われてもねー」

 俺もその動画は見たことがあるが、あの三〇分耐久動画は良くない。だいいち露骨すぎるのである。露骨であるということはオッサン臭いということだ。俺は金がなくてキモいおっさんのことは興味がないのだ。俺は『うなぎのつかみどりをやってみた』のようなものが好きなのだ、好き、スッ……アーーーッ

 

 俺は部屋の中になぜか置かれていたファブリースを使い、部屋を消臭していた。

 消臭しているということは、臭いが立ち込めているということで、臭いが立ち込めるというのは、臭いが立ち込めるような行為をしたからなのだ。

 次のコロシアイの中身候補を呼ぶ。

 

「どうもこんにちは、フェミニストの但馬春です」

 なぜ「性的搾取する社」にフェミニストがいるんだ。名前の通り、この会社は性的搾取側であり、性的消費を行う側だぞ。っていうか、実際コロシアイは、フェミニストが抗議していたじゃないか。

「そもそもですね、いわゆる男性優位社会というのはカルト宗教と同じようなものです!外から批判しても、自分たちの男根を固くするようにして、批判に対して身を固めて否認するのです。その結果、社会は何も変わらない!いいですか、このような支配構造は内側から変えていかなければならない!つまり、去勢ですよ去勢」

 但馬は軽蔑したような目で、俺の股間を見ている。さきほどの行為の余韻がまだ残っていたのであった。

「どうも、この部屋は臭いますね!そのように、権力を使ってセクハラを行い、自分の獣欲を満たしているのでしょう!ケダモノ!そのような人間が外に出て、小学校の前で露出行為などを行うのです!そのような科学的根拠はありませんが、絶対そうです!なぜなら、私たちがそう確信しているからです!全く許せない!だから、今すぐここであなたのその獣欲を去勢しなければなりません!」

 そういって、但馬は服を脱ぐ。すると、中から『女王様』を感じるようなボンテージ服が出てきたと同時に、なぜかムチとロウソクを持っていたのであった。なんだそれ、映画のシーンを繋ぐのを失敗したかのように湧き出てきたムチとロウソクに唖然としながら、なるほど、確かに但馬はキツくはあるが、女王であると考えると、ひれ伏したくなるような淫靡な感じがあり、あ、あ、あ、アーーーッ。

 

 俺は手首に付いた縄痕をなでる。床にしたたり落ちたロウソクを雑巾で吹いていると、なんだか惨めな気持ちになってくる。

 前のプロデューサーにとっては、こういうのが「望み」だったのかもしれない。今、俺はプロデューサーを偽っているが、実際はただのバーチャルユーチューバーファンなのである……。他のファンはともかく、俺は幻想を求めているのだ……現実など求めてはいない……綺麗で可愛らしい炉端に咲く一つの幻想を……。

 最後の赤いろうを拭き取ると、次のコロシアイの候補が出てきた。

 

「あの……ここでイイですか?」


 そこから現れたのは、オリエンタリズムを刺激する褐色の肌と発音を持つ少女であった。


「あ、さすがに、未成年は犯罪なのでは」

「ミセーネンじゃないですよ!れっきとした成人です!ほら」


 そう言ってパスポートを見せる。名前はミシェル。確かに、生年月日を確認すると成人であったが、しかしそれにしても、とは思う。恰も彼女の中で時間が止まってしまったかのようだった。

 

「うーん、パスポートということは、海外からやってきた人なの」

「ソノトオリです」


 話を要約するとこういうことになる。

 彼女は発展途上国出身で、その途上国の中でもそこそこ良い家庭に育ったと言われている。彼女は、自分たちの国で安価な紙を使った日本の漫画を皆が読んでいるということに興味をいだき、日本語を覚えて、そういった貧しくて教育が受けれないような子供たちでも、明日楽しんで生きていけるようなコンテンツを自分たちで作れるようになりたいと思って日本へやってきたという。彼女が暮らしていたところの人々は決して頭が悪いわけでじゃない。ただ、格差が酷すぎてどうしようもないのだ。人はパンのみに生きるにあらず、そしてパン以外のもので引き上げられ、そしてきっと私たちの国の歪みを直してくれるだろう、ということであった。

 その話を聞きながら、俺は自分の金銭的な貧しさではなく、精神の貧しさを恥じた。気がつくと、俺はミシェルを抱きかかえていた。ミシェルは、俺にお兄さんの臭いがする、といってくすくすと笑った。お兄さんはいつも汗だくだくになりながら、貧しい人たちと一緒に働いていたから、獣みたいな臭いがしていたの。

 それは俺が風呂に入っていて汗臭いからか。ミシェルは笑顔を崩さない。ダメだよ、あなたは名前だけかもしれないけど、先進国で暮らしているの。先進国にいるということは、服がボロボロであっても、身体は綺麗にすることができるということなの、この仕事が終わったら、一緒にお風呂に入りにいきましょう。

 いや、その、一緒にお風呂に入るような施設といえば、アレくらいしかないのだが。

 そのとき、ロビーから叫び声が聞こえてきた。

 すると、オリジナルのコロシアイが一人の男性を刺していた。

 

4.


 俺はベビーカーを引いていた。中には子供がいて、笑顔を振りまいている。俺に似合わない、愛想のいい子供である。

 こんな俺でも父親になれるのか。俺はビールを開ける。そして、流れる川を見つめる。川はいつも汚い。ビニール袋やら、沈んだ自転車やらなにやらでいっぱいだ。しかし、川の汚さは人々の心の綺麗さだ、とミシェルの父親は言っていたようだ。私たちの心は汚れている。だから、いっぱいいっぱい川を汚さなければならないのだ、と。


 コロシアイは自然と消滅してしまった。

 まるで、ローマ帝国が滅びていったようにそれは儚かった。


 あとから新聞やらネットやらで見たのだが、元々コロシアイを三人に分裂させるというのは、いわゆるオリジナルのコロシアイを追い出すための方便だったらしい。というのも、オリジナルのコロシアイと元プロデューサーが出来ていたのだが、グラビアアイドルの子と浮気をしてしまっていたらしい。

 あんな感じだから、グラビアアイドルをねじ込もうとしたのまではいいのだが、当然そうなると、オリジナルと激突する。そういうわけで、今回の企画。そんなものは話が通るわけもなく、あっけなく死亡。

 本来くる筈だった新プロデューサーは、社長が乗っていた航空機をハイジャックしたのちに、そのまま革命的な国へと飛んでいってしまい、現在革命的な国営バーチャルユーチューバーを作っているということであった。確かに、それは明らかにコロシアイにそっくりで、新しい名前はカクメイシロというわけで、なるほど、全世界を共産主義にする野望に燃える国にはちょうどいいのかもしれない。

 その騒ぎを見て、もう俺はバーチャルユーチューバーへの情熱が冷めてしまっていた。もう例の名前を出してはいけないガソリンにも興味がなくなった。

 俺はバーチャルユーチューバーに幻想を求めていた。愛も幻想だ。だが、実際はホンモノという名の幻想に過ぎない。統計的には、お見合い結婚より、恋愛結婚のほうが離婚率が高い。愛は後付なんじゃないか。俺の子供が、あのときの面談後の不用意な性交のあとに出来た子供であるように。


 カクメイシロは次のように訴える。

「国家も資本もバーチャルなものでしかありません」


 但馬春は次のように訴える。

「家父制も家族制度もバーチャルなものでしかありません」


 子供が出来た時、ミシェルは堕ろさなかった。俺もそれに同意した。一緒に育てることにした。結婚して、日本の国籍を取得した。そして愛を確認した。あたかも、あの晩の性交に愛があったかのように。そして、彼女が目の前で手を振っている。

 わからない。私たちはバーチャルなものに熱をあげ、そして最終的にバーチャルなものとして冷めて捨てていく。人々はバーチャルだと斜に構える。

 でもそれでいい。

 俺はせっかくだから、この赤いバーチャルを選ぶ。それだけの話なのだ。その選択肢の中にたまたまコロシアイがいたというだけなのだ。

 ベビーカーの中で子供が笑っている。

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