狂人日記☆2019

「大将、殺ってる?」

「殺ってるよー」

 気さくに声をかけ、周囲を見渡す。いつもの馴染みの店。決して綺麗ではないが、暖かみのある、落ち着ける店。席は疲れを癒やしたり、あるいは祝杯を上げたり、あるいは普段の日常の膿を吐き出すために、思い思いにアルコールを傾けている。食欲をそそる美味しそうなつまみたちが見える。

 今日は何を頼もうか。ホッケがおいしそうだな。いや、ここは定番の枝豆でもいい。あるいはいっそのこと刺し身の三種盛りにしようか……。

 席を見渡していると、一人の男がこちらに手を振っていることに気がついた。典型的にその笑顔に無邪気さが漂う好青年は、既にビールに、お好み焼きとししゃもで、少し顔が赤くなっていた。その様子は、男であったとしても母性本能がくすぐられ、何かをやろうとしたりしたときに守ってやりたくなる気持ちになる。

 昼の仕事で少し疲れていたのか、どっかりと椅子に構えると、店員を呼んでビールを頼む。こういうときは「とりあえずビール」というのが、日本のサラリーマンというものである。あとは……この「まんまるメンチカツ」が美味しそうだ。

 注文を済ませて、おしぼりで手を吹く。店員がジョッキを持ってくる。そのジョッキには、水滴が幾つも付いて輝いており、飲みごたえがあるということを主張していた。


「乾杯!」


 ジョッキをぶつけ、そしてビールを喉に流し込む。ホップの苦味と、炭酸のさわやかな刺激が喉を刺激し、まるで乾いたスポンジに水が染み込むかのように、五臓六腑に広がっていく。目の前の、元同僚である好青年が、ししゃもを勧める。それを一つ箸で掴むと、小骨が小気味よく歯で砕かれ、お腹の卵がプチプチと気持ちよく弾け飛ぶ。絶妙な塩加減が、またビールを飲めと誘ってくる。

 いわゆる一日の終わりを堪能していると、ふと我に帰る。


「そういえば、柳澤。何か相談があると言っていたっけ」

「いやあ、急いで話すことじゃないんで……」

 彼はニコニコした笑みを変えないが、すこし顔が真面目になり、意を決したのか、話を切り出してきた。

「実は……僕、起業しようと思いまして」

 ほほー、いいじゃないの。どちらかというと慎重肌であまり冒険をしないタイプだと思っていたが、大胆なことを考えていたんだな。

「いいじゃない、応援するよ。で、ビジネスモデルはなんだい」

 店員が「まんまるメンチカツ」を持ってくる。湯気が立っており、衣のきつね色と、玉ねぎの良い香りが、食欲をそそる。箸で半分に割れば、油がしっとりと滲み出てくる。それを口に運ぶと、衣と玉ねぎが歯ごたえを生んでいる。噛んでいると、肉から旨味がにじみ出てくる。こりゃ、ビールおかわりだな。ビールおかわり!

「ビジネスモデルは……殺人です」

 なるほど、殺人か。

 柳澤らしいといえば、柳澤らしいかもしれない。


 元々、柳澤は会社の同僚であった。仲良くなったきっかけは、柳澤がマルキド・サドを堂々と読んでいたのがきっかけだった。マルキド・サドの話をするうちに、いつの間にか『羊たちの沈黙』のハンニバル・レクターの話になり、あれは駄目ですよ、むしろ『ノーカントリー』アントン・シガーがいいですね、などのシリアルキラーの話になったのである。

 とにかく二人の共通の興味は殺人であった。柳澤はともかく、俺がなぜ殺人に興味を持っていたかというと、むかついたとき、そいつを殺すことを想像すると心が晴れるのである。上司がむかつく。殺す。顧客がむかつく。殺す。隣人がむかつく。殺す。存在がむかつく。殺す……。

 俺は単に感情を沈静化させるために、殺人という手段を想像し、それに酔いしれているだけだったが、柳澤が殺人に関心を寄せる理由は若干違うものらしく、どうもその殺人の効率性に興味を持ち始めたようで、例えば『共産主義黒書』といった本であったり、あるいは『海と毒薬』であったり、そういう本を読みはじめたのである。アントン・シガーが好きなのも、武器が効率良さそうだから、という理由らしい。最終的には『ソイレントグリーン』にたどり着いたという。

 柳澤は、いつも会議で活発に切れ味のよい議論を行うタイプで、もしかすると、ドイツにおいてヒトラーの演説が大衆を魅了したときの恍惚感というのはこういうものだったかもしれない、というカリスマ性があった。会議というのは、会社生活の中では退屈で憂鬱なものでしかないわけだが、柳澤がいることで、その印象は一変してしまうのである。

 柳澤のそのときのセリフを思い出す。

「もし『死の工場』みたいなものが実際にあるとするならば、同様に死の生産にも効率化であったり、品質管理、そして採算性などの問題があるように思うんですよね」

 俺は殺人の「人」の側面にしか興味がなかったが、彼は殺人の「数」の側面にしか興味がなかった。俺が古典的なサイコパスだとするならば、彼はニュータイプのサイコパスだった。

 

 俺が「まんまるメンチカツ」のふた口目をガブリとかぶりつくと、「ガリ」と何やら異物が歯に挟まるような音がする。それをティッシュの上に吐き出してみると、なにやら指輪のようなものであった。


「ああ、それはあたりですね」


 彼は、にこやかにいう。

 明らかに、これは女性がつけているような結婚指輪の類だと思うのだが……その指輪には、小さく「一人を殺せば殺人者だが、百万人殺せば英雄」と書いてある。

 

「いつも思っていたんですが、多くの殺人鬼って、死体を放置して腐らせるじゃないですか。あれビジネスチャンスだなって予感がしたんですよ。ジョン・ロックだって、『腐るような食べ物を腐らない貨幣と交換し、価値が減少することを防ぐ』みたいなことを言っていたわけです。また、元々無価値な人間を死体にして料理にすることで、有価値にすることができるわけだ!

 で、つい最近、気分転換に『八仙飯店之人肉饅頭』って映画を見たんですよ。その中で、死体を処分するために饅頭を売る、という話が出てきて、これだ!って思ったんですよ。要は、食肉として売ればいいわけです!最初のうちは、食肉というと抵抗感があるでしょうから、まず最初は身近な料理に分けていくわけです。つまり、人肉を自然なものにしていくわけです」

 手のひらで指輪を転がした。まんまるメンチカツに指輪が入っているということは、既にそのような計画が進んでいるのか、あるいは、はたまた……。

 

 暫くすると、柳澤が衆議院選挙に立候補していることをテレビで知った。党名の名前は『出生から国民を守る会』。その公約としては「本人の意思による自殺を手助けする法案の成立」を掲げていた。生きているのが苦痛のままで時間を無為に過ごすことは、それは拷問であるだろうし、また公共的にも、反社会的な行動へ繋がるリスクになってしまう、という話だった。

 しかし、同様に「死体毀損許可制」というのを掲げていた。これは、適切なプロセスを経て、死体毀損の免許を取得すれば、誰でも死体を加工することができる、というものだった。

 周囲の人間は、この二つを同時に掲げているのを不思議に思っていたが、柳澤は既に「殺人のビジネス化」ということを本気で考えていたのだ。本人の意思による自殺を手助けするというのは、多少なりとも殺人である。

 元々、彼にとってビジネスのロールモデルというのは、殺人鬼なのかもしれない。「どのように殺すか」に秘められた、創造力や計画力。そして頭で捏ね上げた「殺人」という観念を現実社会でやってみる挑戦力と実行力。さらには、人様の考えていることを気にしない常識破り、疑いふかさ……。まさに自己啓発の本に書かれている一流のビジネスマンの内容そっくりだ!

 ホリヨシモンの『多殺力』を読んでいると、鉄板で音をたてるハンバーグが運ばれてくる。そのハンバーグは、まるでミニチュアの、何かの頭部のような印象を与える。良い鉄板の音は、悪魔が亡者を焼く音に似ているということを思い出す。そう考えると、鉄板で泡立つデミグラスソースは泡立つ溶岩に似ているかもしれないな、と思う。

 ハンバーグを丁寧に半分にしてかぶりつくと、またしても指輪が出てきた。最近の飲食店は指輪を混ぜる趣味でもあるのか。そう思いながら見ると、次のような言葉が刻印されていた。


「人を食ったことのない子供は、あるいはいるのだろう?

 子供を救え……」

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