不登校ユーチューバーが垂れ流す害悪な思想から子供たちを守れ

「まったく、このような動画をアップするのは非常識だし、犯罪行為です。正確には、法律として禁止されていないとは思いますが、いわば社会通念と反することを声高々に言うことは、それは犯罪に近い行為であり、極限を取れば即ち犯罪です。四捨五入しても犯罪です。私は文系です。文系だからわかるのですが、そのうち法律上でも犯罪になります。いい加減にしてください。昨日はこのチャンネルを16回通報しました。今日はは32回通報します。明日は64回通報します」


 このように書き込むのは、絶対的な教育ママとして、絶対的に正しい教育方針を貫く、幸子ママだった。その絶対性は何か信仰者を思い浮かばせる、そういう絶対的な教育ママである。

 そして息子は三回目の幸男であったが、その名前からは不幸そうに見えて、幸子が好みそうな昔風の表現を使えば「青びょうたん」という形容がふさわしかった。

 三回目という言葉を不思議がるかもしれないが、事実三回目なのだ。

 あるいは三男、という表現が正しいのだが、長男と次男は既に死んでいる。

 

 なぜ死んでいるのか。これは明らかに事件である。きっと、この事件を追いかければ現代の病理についての洞察が得られるかもしれない!

 この不思議を解くためには、教育ママの様子を観察する必要がある。世界に行かなくても不思議は発見できるし、奇妙な物語はあるのである。

 恐らく、君の周りにも……。


 さて、幸男はもうすぐ「お受験」という部族の儀式が行われようとしている。


 民族学者によれば、「お受験」とは通過儀礼である。

 通過儀礼とは、ある集団に対して参加するさいに、外側から内側の人間にやらなければならない儀式であり、アジアのような土人たちが住む未開民族は、このような通過儀礼を通さなければ、教育システムに入れてもらえないのだ。

 

 誤解なく言うと、「アジアの土人云々」は私の意見ではない。

 とある白人至上主義的な考えを持つアメリカ人が述べていたことである。

 何度も言うが、私の意見ではない。

 むしろ私は愛国者である。三島由紀夫と佐川一政を崇拝している。

 ちなみに彼らの教育方針は、学校に行かせず自宅で教育することにしていた。というのも、学校では地動説という悪魔に取りつかれた邪悪な思想を教えているからであり、唯一正しいのは天動説であるからだ。


 皆さんは割れ窓理論というのを知っているだろうか。

 治安の悪化は一枚の窓ガラスが割れていることを放置していることにあるとする、治安維持に関する考え方の一つである。

 この考え方からすれば、邪教を信じたり、国家の衰退を招くのも、地動説という一つの学説からである。

 だから、絶対に信じさせてはいけない!そう彼らは信じているのだ。

 だいたい、地面が動いていたら、人間なんで飛んで行ってしまうし、地球が丸かったら裏側の人間は落っこちてしまう。

 非常識である。

 非常識な世界を神様が作ったとは思えない。このような考えを疑うということは、神を疑うことであるし、人間の理性を疑うことでもある。


 軽薄なアメリカ人の考えはどうでもいい。今は幸子と幸男(三回目)の問題である。

 要は私立中学校に通わせなければいけない。

 そういう絶対的な教育方針があったのである。

 それは、保守系アメリカ人が聖書に書かれてあることを絶対視するのと一緒だろう。

 

 とにかく、私立中学校に通わせなければ、公立中学校に行き、不埒な女学生に誘惑され、草むらの影で、非常に汚らわしいことをやるに決まっていたし、そのような獣に堕する行為は絶対的に問題があると信じていた。

 このような性に対する考え方も、保守系アメリカ人の発想に似ていた。

 ちなみに、彼女は避妊もしないので、ばんばん子供を産んで、三回目である。


 幸男は漢字の書き取りをしていた。

 丁度、「死」「殺」「呪」という言葉が出て来るページだった。幸男は漢字の書き取りが大嫌いだったが、このページは好きになれそうだ、と直感的に思った。ちょうど黒いペンが切れたので、赤いペンで書くことにした。

 幸子はその様子を、包丁を持って眺めており、「うんうんよく頑張ってる」という顔をして眺めていた。

 その包丁から、長男の血が取れていないということに幸子は気づいたが、お受験に比べれば些細なことだと思った。

 たとえ、それが殺人だったとしても……。

 幸男は、インクの色が次男の血の色に似ているな、と思う。

 

 ところ変わって、喫茶店である。

 無学・無職・無能の無満貫という、幸子が見たら失神して倒れそうな男と、幸子が読んだら失神して倒れそうな小説を書くライトノベル作家が二人して並んでいた。後者は最近、ウェブ小説で連載を行っており、500京PVを記録し書籍化した。

「というか、500京PVっておかしくない?」

 無満貫の男は、無学であったが非常識ではなかったので、そのことに気が付いた。

「たぶん、宇宙やら平行世界やら異次元から見ているんじゃない?結構、この世界に来てるらしいよ。そういう人たち」

「そっかあ」

 無学なのですぐ説得されてしまう。


 この無満貫の男とライトノベル作家がなぜ喫茶店に来ているのか。

「そういえばさ、どうやったらライトノベル作家になれるの?何冊かそういう本を読んで、小説を書いてみたんだけどさ、ぜんぜんダメなんだよ。匿名掲示板に気持ち悪いってアンチがつくし、アドバイスにも『才能がないからやめたら?』とか書かれるし、最近はSNSで『死殺呪死殺呪死殺呪死殺呪』って赤文字で延々と書いてあるリプライが飛んでくるし、散々だよ」

 いわば人生相談の類である。

「あー、なるほど。確かに、作家指南系の書籍には二つのタイプがある。技術論と精神論だ。どっちにしろ、大切なことが書いていない。だからそんな本を読んでも作家にはなれないんだ」

「何だよ、大切なことって」

「例えば雨を降らす。これは現代科学でも難しいことだし、だからといって気合でなんとかなるもんじゃない。技術でも精神でも上手くいかない領域というのがあるんだよ。どういうことかっていうと、第三の道、昔からやられている人類の英知というものが全く書かれていないんだ。そして、実は作家になるためには、第三の道が重要なんだ」

 無才能で無気力で、さらに言えば無自我な無満貫太郎は、そういうものなのかな、と納得してしまう。

「つまり、その第三の道というのを知れば、すぐに作家になれるということ?」

「その通りさ。第三の道というのは、儀式と呪術さ。世界というのは儀式やら呪術で成り立っているんだ。雨を降らすというときにも、奴隷を買ってきて海に突き落とす。すると雨が降る。そして浮かんできた死体を切り分け人肉を食べるんだ」

「要は、作家になるための儀式があるということ?」

「そうさ、作家になるためには、詩の神様に生贄を捧げ、生贄の人肉を食べること。これが重要なのさ」

 無意味で無気力で、無駄な文章しか書けない無満貫太郎は、無表情で無思想のまま、そういうものなのかな、と納得してしまう。

 賢明な有満貫太郎の人々は気づいているかもしれないが、ライトノベル作家になるためには、人肉を食べる必要はない。

 単にこのライトノベル作家は、人肉を食べるのが好きなだけなのである。

 往々にして、世間に流布している意見など、そういうものである。

 

 また舞台が変わって、幸子家の食卓である。


 「さん、てん、いち、よん、きゅう、に……」

 スピーカーからは、幸子の声で円周率が流れている。

 カセットテープで何度も再生していているため、少々劣化を感じるしひ無機質な声が、ラジオの周波数を合わせているときに聞こえてくる乱数放送の声に近く、その数字の列が、恰も見知らぬ誰かに対して暗殺の指令を促しているようにも聞こえる。


 幸子の前には、日本の豊かさを象徴するような食事が並んでいた。北京ダックに、フォアグラのステーキに、松茸ご飯。貧乏人が想像する「如何にも」な金持ちの料理であり、この食卓には想像力の欠如が感じられる。

 なぜこのように無意味に豪華な料理を嗜んでいたか。

 何かの「お受験雑誌」に、お受験に成功する家庭の食卓は豪華である、という記事を読んだからだ。その時から幸子の食事は豪華になった。


 幸男も大変なお受験の合間に、このような中国の歴代皇帝でも食べたことのない豪華な食事に舌鼓を打っており、果ての見えない砂漠のような道程の途中にある、オアシスのような安らぎを得てる、そう想像するかもしれない。

 だが幸男の皿、正確にはかわいい骨が書いてある犬用の皿には、DHA、EPA、DMAE、イチョウ葉エキス、マルチビタミン、葉酸、コリン、チロシンなどのサプリメントの他に、ピタセタムなどのスマートドラッグ、それに加えてリタリンやコンサータなどの精神を鼓舞する薬品を、コーヒーによってがぶ飲みするのである。

 なぜ犬用なのかというと、長男がお受験のプレッシャーのために、ペットの犬を惨殺したからだ。

 その様子を見て、幸子は思ったのだ。

 「ああ、これは欠陥品だな」と。

 社会はお受験よりも厳しく、たかだかお受験如きで犬を惨殺していたら、将来的に幼稚園児を捕まえて、その悲鳴を聞いて勃起するような異常者になってしまう。確かに、長男を殺したときは悲しかったが、同時にほっとした。

 ちなみに殺した長男は、乱雑に黒いゴミ袋に入れて、外に放置していたら、何時の間にかなくなっていた。


 無機質な数字の読み上げが響き渡る。

「ろく、ご、さん、ご、はち、きゅ、なな、きゅう……」


 その食卓で、幸子が幸男に話しかけることはなかったし、幸男は幸子に話しかけることはなかった。なぜなら、幸子は自分が無学であることを知っており、無学であることが社会で馬鹿にされ、蔑まれることも知っている。


 実際に、パートの仲間に、不器用でありながらも愛嬌があり華があり性格もよく、きっとその話を聞いたら心が温まるだろう中卒の女性が入ってきたときに、過酷ないじめによって自殺したという話を知っているからだ。

 如何に善良で有益な人間であっても、中卒だからというたった一点の、たかだか人間が作り上げた制度の一つで死んでしまうことがあるということを、幸子は知っていた。彼女は文系だからである。

 ちなみに、その女性を自殺に追いこんだ首謀者は幸子である。

 中卒の人間が、のうのうと善良で有益な人間であってはならない。むしろ精神薄弱の異常者である必要があり、それもこれもお受験に成功させるためである。

 もし中卒の人間が彼らなりの身の丈にあった幸せを堪能しているということがわかったなら、「子供の将来を思って」という恩着せがましい言い訳が使えなくなってしまうではないか!そのような邪悪な思想を蔓延させてはならない!

 そう強く幸子は確信していた。

 

 幸子はそのようなことを考えていたら、豚のようなくしゃみを一撃ぶっ放した。

 窓を閉め忘れたのかしら。そう思いながら窓を見ると、そこには人型の穴が開いていた。ここはマンションの四階である。急いでベランダから下を見ると、幸男が頭からコンクリートに飛び込んで死んでいた。

 今日の性交は激しくなる――そう幸子思うと、身体中が火照り始め、無意識に敏感なところに手が伸び始めた。

 生命が失われると、その生命を補おうとするんだ、それが生物学的に人間の遺伝子に書き込まれた本能であると幸子は信じていた。夫がそのように熱弁していたからだ。

 夫も同様に、生物学的に人間に書き込まれた本能を満たすべく、女子高生に対する「パパ活」という言葉でラッピングされた売春を行っていた。

 元々、彼の本業は文化人類学者であり、その興味は様々な対象に広がっており、上は老人、下は幼稚園児とその文化人類学的興味は幅広いのである。


 無機質な数字の読み上げが響き渡る。

「さん、に、さん、はち、よん、なな……」


 例の作家ワナビーの男と、新人作家の二人は、外を歩きながら、どのキャラクターが一番興奮するかという話題で盛り上がっていた。正確に言うと、その話題で盛り上がっていたのは、新人作家のほうであった。そして、不思議なことに性的に興奮するとなぜか人肉の話になるのである。

 拳を振り上げながら、「食欲と性欲は繋がっているんだ、風俗の資金で焼肉行ったらもう風俗にはいきたくなくなるだろ、それと一緒だ」と演説していた。

 無満貫太郎は、無関心にそういうものかな、と無作法な返事をした。そもそも、彼は貧乏だし無友情なので焼肉は未体験であった。

 急にその無を打ち破る有の音が頭上から響く。

 上から、先ほどの新人作家が熱弁した性欲と食欲を隆起させるキャラクターそっくりの男児が降ってきたのである。その男子の頭がぐしゃりと潰れ、すこし痙攣したあと、地面に何か文字を書こうとして、動きが止まった。

 無満貫太郎は、無良識で無神経だった。

「さっきの映像を撮っておけば、SNSで拡散されて、有名になれたのにな」

 そのようにぽつりと呟く。

 一方で、人肉大好き作家のほうは、落ちてきた死体を眺めてうっとりした。その血の流れは清きモルダウ川を思い出させ、まるでワーグナーの壮大な音楽が流れてくるかのようだった。そして、この作家はワーグナーの音楽を聴くと食欲が増すという特殊な体質の持ち主だった。

 男はその落ちてきた男児を拾い上げると、舌舐めずりして、その作家の卵と一緒に自宅のアパートへ持っていくことにした。彼はここで幸子の長男の死体、そして次男の死体を見つけたときと同じように喜んだ。

 

 さて、このあと幸子はどうなるか。

 この物語の最初に掲示された通報回数にヒントがある。最初の通報の日を1日目だと加算すると、そこから通報回数が2の(日数-1日)乗になっていることがわかるだろう。そのように考えると、11日目には通報回数が1024回となり、31日目には10億回以上の通報を行わなければならなくなる。

 そこで、仮に1秒に1回通報できると考えた場合、一日で消化できる通報回数はたったの86400回程度。さらに、その日に消化できない通報回数は次の日に持ち越される。そうすると、幸子が行わなければならない通報は日に日に増えていく。彼女は、眠ることも食べることも出来ずに通報しなくてはならない。

 そうなると衰弱死ということになる。ただまあ、この人肉ほど小説が好きではないライトノベル作家も、幸子の死体には特段興味を持たないようだ。


 ……ここまで書き連ねていると、隣から子供の泣き声が聞こえて来る。

「おかあさんごめんさい次からちゃんとやりますたたかないでいたいいたいよ」

 そういう声が聞こえてくるのだが、同情するとか、あるいは通報するとか、そういった正義的な価値観は持ち合わせていないが、小市民の休息を阻害するような騒がしさは死を持って償われるべきだと確信しているし、また愛情持って育てなければ、おいしい肉を作ることができないのだ。


 さて実は幸子が見ていた、不登校ユーチューバーの動画を私は見たことがある。

 最新の動画では「漢字は検索エンジンで調べればよい」という意見を述べていたように思う。

 この意見に私は反対である。というのは、死ぬときになってダイニングメッセージを残すときに、漢字を調べていたら死んでしまうのである。死ぬ間際になって、小学四年生みたいなメッセージを残した場合、刑事や警察にバカにされるのである。

 また、私の意見では、無知な人間というのは牛や豚、そして羊と同じであり、そういった肉というのはスーパーで並んでいる。これでは、わざわざ危険を冒してまで食べる必要がないというものである。人肉というのは、人間という存在を食べるのであり、それは理性がなければ、人間とはとても呼べないのである。


 しかし、このような意見は観念的ではないか。

 キッチンに行き、フライパンで肉を焼きながら考える。

 即物的に考えれば、肉などは腹に入ってしまえば全部一緒なのである。このように食物に対してああだこうだ言うのは、人肉食を実践していない、頭で考える人間が観念的に作り上げた妄想に過ぎない。実際の人肉食というのは、それほどまでに感動的ではないのかもしれない。

 実際はどうなのだろうか。


 私は近くにある二体の死体を見る。

 その二体は、頭が悪そうな男と、もしかしたら未来があるかもしれない子供である。そして、その死体の一部は切り取られていた。

 「そういえば、こいつ焼肉食ったことないんだよな、焼肉童貞のまま死んだのか、死体だけど食わせてやるか」

 頭が悪そうな男に、焼いたそいつ自身の肉を口に入れると、力なく口から落とし、その間抜けさに私はつい笑ってしまうのだった。

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