平行世界をかけるオヤジ
男は怒っていた。
その怒りがどれほどかというと、もし彼が神であるならば、大地は割れ、溶岩が噴出し、人々は逃げ惑い、天に祈りを捧げたところだろう。
幸いなことに彼は神ではなく、ただの人間であった。
しかし資本主義においては、大企業の社長というのは構造的には、神に類する存在であるともいえる。有名な民族学者の著書にもそう書いてあった。実際には書いてあるところを読んではないが、たぶんたくさん読めばどこかに書いてあるだろう。
要は彼は、大企業の社長なのであり、近似的には神であった。
そんな彼が、なぜそれほどまでに怒っているのか。
端的に言ってしまえば、自社が経営するコンビニエンスストアの名前を使った、電子マネー決済サービスを作ったわけだが、200兆円という日本の国家予算を遥かに超えるハッキング被害をたたき出し、企業の株価がマイナスになるという前代未聞の大事故を起こしたからである。
株価がマイナスになるということは、株について金を払っても引き取って欲しいということであった。
というのは、この企業の株を持っていると、一家一族が不幸に見舞われるだの、世間に後ろ指を指され村八分にされ仕舞には引き裂かれて四方の海に投げ捨てられるだの、足にまだ未発見の不治の類の水虫が出来るだの、娘が闇営業で反社会勢力と付き合う芸人のようなロクでもない男を連れて来るだのという呪いが起きるからであり、皆が一刻も早く手放したかったのである。
しかも、株主優待が「魔太郎くんが来る!呪術セット」だったから、混乱にますます拍車をかけた。
「さすがに666payは不味かったんじゃないんでしょうか、安直なホラー映画じゃないんだし」
そのように進言する社長補佐であったが、この男は周囲の空気が全く読めないため、社長にもこのような不遜な発言をしてしまい、周囲の空気を凍らせるという特殊能力を持っていた。
逆に言ってしまえば、日本社会に生きるにおいて必要な能力を欠如してものうのうと生きられるということは、それだけこの男が有能だという証でもあり、そのためか崇拝者も多いし、ネット上での炎上も多い。そして自分の顔がでっかくうつった書籍を出す。
空気を読まずに成り上がる、というのは、それだけで英雄の条件を備えているものなのだ。
「ぐぬぬ、黙らっしゃい。ファイブ・イレブンだから、一歩先を行くという意味で、666なの」
「それはともかくとして、なんでIDやパスワードを忘れたときのために、パスワードそのものを無くすんですか。二段階認証を組み込むことが出来ないとかならわかりますが、そんなサービス前代未聞ですよ。あとファイブだから6なんでしょうけど、なんで三つにしたんですか」
「前代未聞のことをやってこそイノベーションっていうものがだろうが!」
社長補佐の目で「はー、この会社もおしまいか。お金もたんまり貰ったし、適当な経営者つかまえてコンサルやって、家に帰ってそれなりに高い白ワインを傾けながら、猫でも撫でながら、ネットで女性に対する根源的な恨みを隠して年収マウントするか」という感情を社長は読み取る。
もっとも、社長補佐はそんなことを一ミリも考えてはおらず、全部社長の歪んだ鏡像に過ぎない。簡単に言えば、社長が社長補佐の立場であった場合に、考えることである。
「君が考えていることは良くわかる。この会社はもうおしまいである。従って、私も逃げようと思う」
そのように社長は言うと、足元から一つのピカピカのイカすマシーンを取り出した。
「これは我が社の技術部が総力をかけて発明した『他の平行世界に行くマシーン・可能☆世界旅マシーン』だ」
「良くわかりませんが、そういう技術があるのならば、そもそもその技術力で電子決済システムちゃんと作ればよかったわけだし、客観的に見れば社長は狂ってますね、そんな技術聞いたことないし」
この男は「狂っている」が口癖だった。
例の電子決済の設計を見たときも「狂っていますね」と言っていた。
社長は「なんて斬新的でイノベーションが起きそうなシステムなんだろう」と思ってたし、周囲もそれに賛同していたが、賛同というよりは黙認に近い、あるいは小数点で0.9999……と続くくらい反対よりなのだが、小数点切り捨てにすると0になる、といった類の賛成だった。
心の底では、皆「こんなシステム動かすんだ、狂ってるよなあ」と思っていた。
要はクビになりたくないし、下手に口出すと責任を取らされるので、皆賛同していた。そういうことになる。
社長はそのような意思決定における小数点の概念がわからないので、この狂っている男が邪魔で仕方がない、社員の圧倒的な支持を得ていなければ、速攻に首にしていたのだが、と思っていた。
「とにかく、俺は別の世界に行く、こんな世界にいられるか」
「よくわかりませんが、どうぞ」
社長はスイッチを入れると可能世界に飛んだ。社長補佐は欠伸をしながら、机に座る。そして、おもむろに電話をかける。
「あ、すいません。社長が失踪したんで、例の通り私が社長でいいですかね」
その男が社長になった途端、ファイブ・イレブン・ホールディングスは急成長を遂げ、GAFA5という、GoogleやAppleに並ぶ企業までに大成長した。つまり、ファイブ・イレブン・ホールディングスにはそれだけのポテンシャルがあったのであり、そのポテンシャルを活かすのも殺すのも、上層部によるものである、とその男は解っていた。
残念なことに、ファイブ・イレブン・ホールディングスがハッピーエンドになる世界線はここだけだった。
男は、超超超超高層ビルの最上階から地球を見下ろしながら、手元の「可能☆世界旅マシーン」をじっと見た。
その男も、ファイブ・イレブン・ホールディングスの社長であったが、他の世界線よりも圧倒的に優秀であった。
だが、彼の場合は「部下が余りにも無能な世界線」から飛んできたのだった。
この世界は「部下が有能だが、上層部が無能な世界線」だからやりやすかったな――そういって男は満足した。そう思うと、部下たちへの感謝が生まれ、それが彼自身の有能さと相まってカリスマ性を作り上げたのだろう。
しかし……その男は手元の「可能☆世界旅マシーン」を見ながら考えた。
この隣の「世界線」は「そもそも日本そのものがアメリカ合衆国の第五十八番目の州で、しかも南北戦争では南部が勝利したため、未だに奴隷労働が続いている世界線」じゃなかったっけなあ。しかも、トランプが生まれる前から大統領なので、白人と有能以外にやたら厳しい世界である。言い換えれば、有色人種で無能はダブル役満で迫害対象である。
まあいいだろう。
そう言いながらノートパソコンを開こうとすると、いきなり隕石が地球スレスレを飛んできて、その超超超超高層ビルをぽっきりと折った。
宇宙空間に投げ出されたノートパソコン(マックとも言う)の画面には、ただただ、シューティングゲームのスコアのような、膨大な売り上げの数字がリアルタイムにチカチカと更新されいた。
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