異世界ヨットスクール

 何を隠そう、私は金持ちである。教育学の権威であり、そして愛国主義者である。つい最近、『父性の再起動』という本を出した。これはやたら売れて、さらに金持ちになった。

 売れる本を出す私は、資本主義の勝ち組なのである。えっへん。


 しかし、私は胸を張ることが出来なかった。

 なぜなら、資本主義の負け組がうちの家族にいるからである。


 資本主義の負け組とは、うちの息子で、42歳になるのに未だに引きこもってプレーなんちゃらというピコピコというのをしている。困ったものである。

 教育学の権威なのに、うちに引きこもりがいる。医者の不養生というやつである。これは良くない。


 今日の今日こそは、部屋から叩きだしてやる。そう決意して部屋へ向かう。漏れ出て聞こえるのは軍歌である。愛国に目覚めるのはいいが、まずは労働に目覚めて欲しい。そう思いながら、扉の前でドンドンとドアを叩く。


「おい、善文(よしふみ)、いい加減にしろ」


 そうすると、ドアから初代ネオジオが飛んでくる。

 びっくりした。既に百七回投げられているので、この初代ネオジオは動かない。しかし、初代ネオジオは硬くて重いので武器になる。いわば抑止力である。日本も抑止力を持たなければ、外敵から侵入されてしまう。しかし、この場合には抑止力は必要はない。

 ともかく、壊れているなら捨てればいいのに、とは思うが、きっと善文なりに大切にしているのだろう。だって子供の頃に、同級生に自慢させるために買ったのだからな。つまりは、息子が息子として尊重されるものが初代ネオジオだったのだ。つまり、息子の自尊心は一初代ネオジオ、ということになる。

 しかし困ったことになった。藤子・F・不二雄の漫画に出てくるキャラのように、リビングをくるくると回る。私のような、とてもえらい教育学の先生の家に、引きこもりの息子がいる、と思われたりもしたら……。


 そう考えると気が気ではない。

 リビングのテレビからは『引きこもりの男性が近くの幼稚園で露出』という事件をやっている。そういえば……『魔法使いサリン』という二次元の同人誌を買っていたな。あのアニメはロリコンキャラがわんさかである。もし、息子も幼稚園で露出なんかしてしまったら……私は教育学の「裸の王様」として皆に笑われてしまう。いわば精神の露出プレイである。


 もう、壊れてしまったものは捨てるしかない。

 妻はヨガのインストラクターと一対一の終日レッスンコースで帰ってこない。やるなら今だ。

 私は包丁を握りしめ、扉へ向かって玉砕、自衛隊に演説後、そのまま腹を切って死のうと思った、その時だった。


 ピーンポーン。

 チャイムが鳴る。


 出てみると、唇がやたらデカいセールスマンが立っていた。その男はお辞儀をしながら、名刺を差し出した。そこには「異世界ヨットスクール 転成させ蔵」と書かれていた。


「なんですか、異世界ヨットスクールというのは」

「いやあ、千川さん、教育学者だというのに、こないだの歴史書素晴らしかった。愛国心に溢れていて、大和魂を感じましたね。日本には四季があり、そして武士道が存在している。新渡戸稲造から脈々と続く、民族の美徳というものですよ」


 急に褒めだして「なんだこいつ」と思ったが、しかしここまで褒められて悪い気はしなかった。承認と貨幣はいくらあってもいいのである。褒めれば褒めるほどよい。従って、私の周りにはイエスマンしか置いていない。SNSでも、いいねしないフォロワーは速攻でブロックである。


「最近の若者はたるんでいると思いませんかね、千川さん。すぐ大企業をブラックだ、なんだいちゃもんを付けて働かない。何か揉めるとすぐ辞めて引きこもる。良くしてくれた上司に立てついて労基に逃げ込む。挙句の果てに売れない作家が売れっ子作家を批判する。これ全部ダメ」

「全くです」


 資本主義ではお金を持っている人間が偉い。それ以外はクズ。そんなことを最近流行の賭博将棋漫画で見たことがある。あの漫画は面白いぞ。蛭子さんの推薦の帯で買ったらハマってしまった。最新の勝負は駒が透けている勝負の奴だ。将棋の駒が透けていて何の意味があるのか、という突っ込みを気にさせない勢いがある。


「で、まあそういう……なんていうか、若者をですね、《引きこもり感知魔法》というのを使いまして……あ、魔法というのは忘れてください……要は、再教育するというのが目的なんですね」

「なにを!私の息子が壊れていて、クズで、ゴミで、バカで、トンチキで、クソで、いかれポンチのブタで、どうしようもなくて、使い物にならない、世間にもお見せ出来ない、いっそのこと殺してしまおうか!と言うのか」

「いや、そこまでは言ってません。ていうか、そう思ってるんでしょ」

「自分の息子が虫ケラだとは思ってない!」

「誰も虫ケラなんて単語使ってませんよ。いや、別に息子のことを隠していても仕方ないと思いますよ。ほら、週刊誌の記者が、あなたの息子のことを書こうとしているんですよ。これがいわば原稿」


 私は茹でタコのような顔をして、その原稿をひったくると、見出しに大きく『千川教授の息子は引きこもり!タピオカ粉でオナホールを大量に作成』という記事が載っていた。


「引きこもりは百歩譲ろう!タピオカ粉のオナホールってなんだ!こんなもん知られたらおしまいだ!」

「そっちのほうは割と有名ですよ。tapiokaholeってアカウントがインスタにあって、これが女子高生に大人気。女子高生はタピオカ好きですしね、オッサンの偏見ですけど。ちなみに小麦粉よりももっちりして吸い付くそうですよ」

「そんなことはいい!勃たない私への当てつけか!なんだ、こんなものを見せて!お前の狙いは金か!」

「いえいえ、そんなものは頂きません。こちらの金は無駄になるというか……諸事情がございまして、息子さんを再教育したいなと。要は徴兵制です」


 なるほど、徴兵制か!なんだかよくわからんけど納得できるぞ!調子に乗っている若者の根性を叩きなおすのなら徴兵制だからな!

 私たちはすっかり意気投合し、話を聞いてみることにした。


 どうやらこの男、引きこもりの男たちを異世界に集めて、そこでヨットを教え、魔王を倒すことによって、立派な道徳的男子にしたところで、この世界に返すということをやっているらしい。異世界は、この日本の厄介者を捨て……鍛えなおすのにちょうどいい場所なのだという。

 なぜなら異世界は周囲が敵であり、一歩外に出れば外圧が多く、自分の身は自分で守らなければならない。弱肉強食であり、オークは暴れ、ドラゴンは飛び回り、ワーキャットは発情してそこらの男とまぐわう、いわば福岡県北九州市のような場所らしい。そこで、一から焚き木を切ったり、エルフになじられたり、王様に媚びへつらい、勇者のご機嫌を取るなど、「上のものを上ものとして敬う」ということを身をもって教えられるのである。


 常識的に考えろ。異世界なんてありえない。

 そもそも、ヨットと魔王を倒すことなんて関係ないじゃないか!


 だが、男の目を見ると、ギラギラしており、まるで蛇のような目をしており、口からチロチロと細長い舌を出している。その奇妙な目を見つめていると、妙な納得感が心の底から湧きだしてきた。

 それに、息子は狂っている。狂っている男に狂っている息子をかければプラスになる可能性は高い。

 最悪、私が世間から文句言われなければよいのである。


 私は、六芒星の書かれた契約用紙にサインをした。

 男はその巻物を丸めて、ニッコリ笑うと、後ろを向いて合図した。そこから急に爆走デコトラ伝説が、息子の部屋向かってドーーーン!とぶつかったのである。


 脆くも崩れる我が家。あがる息子の悲鳴。

 本来ならば「この悪魔!」と罵るべきだったが、少しだけ安堵したのである。私は金持ちなので、マンションを2つ持っている。むしろ、マンションに住みたいくらいだった。


□■□


 私は貧乏になった。教育学者ではなく、奴隷になった。今、あのよくわからない円柱をまわしている。

 なぜ、私がそうなってしまったのか。


 本来ならば「この悪魔!」と罵るべきだった、といった。

 事実そうだった。あいつは悪魔だったのだ。

 異世界から兵隊を集めるべく、この世界にやってきたのである。


 悪魔というのは、元となる母体の欲望と、この世への憎しみが高ければ高いほど、チート級の力を発揮するらしい。この世界において、そのような存在を探した。その結果「引きこもり」がいいだろう、という結論になったのだ。そして、集めた「引きこもり」をヨットに乗せることによって、悪魔に仕立てあげたのだという。

 あとはチートを使って攻め込めばチョチョイのチョイで、あとはフランス書院の黒猫も、ノクターンノベルズも真っ青の展開というわけである。


 ヨットに乗せることと、悪魔になることの関係は、私にはわからない。

 もしかしたら、作者にもわからないと思う。


 その魔王軍は、異世界を滅ぼしたあと、平行世界である私の世界にもやってきたのである。魔王軍の「元ひきこもり」達は、「真の日本」を立ち上げるべく、赤い手帳を掲げ、私達を老害として指名し、一掃し始めた。彼らは異世界大革命と呼んだ。愛国心だけは変わらなかった。天皇を崇め、日本の文化を讃えた。しかし、私たちは讃えられなかったのである。


 「元ひきこもり」達は、今もなお「真の日本」を「ゲルマン魂の復活」という名で支配しようとしていた。もはやここは資本主義ではなく、血と力が支配する自然状態になってしまったのだ。

 そして、魔王軍のリーダー、つまり魔王は……

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る