2 後宮の生活 (5)


「へっぷし」

 フェリアはくしゃみをした。鼻をヒュッとこするが、鼻水は出ていない。

「何だろ、寒気がするわ」

 その呟きにゾッドが反応した。

「フェリア様、どうぞ邸宅にお入りください。後は私たちが片付けておきますので」

 フェリアはうーんとうなって考えた。たまにはいいかと思い、農機具をゾッドに渡し邸宅に向かった。

 邸宅の中でフェリアはだんに火をつける。いく分厚いと思われる服にえ、薬草茶を淹れた。

「ちょっと疲れたのかな」

 リカッロの野営箱から丸薬を取り出すと、フェリアは鼻をまんで一気にんだ。すぐに薬草茶を飲むが、それでももんぜつした。このようきようそう丸薬のくさいこと臭いこと……。

 しばし悶絶したのち、ベッドにたおれるようにまれていった。

 やはり、慣れぬ土地での開墾と、後宮生活にろうちくせきしていたようだ。夕食も食べることなく、フェリアは眠りこける。

 外では三人の騎士が心配そうに邸宅を見守り、朝がくるのを寝ずに待つことになった。侍女がいない不便さがきわった夜だった。

 翌朝、じゆくすい一夜で元気を取り戻したフェリアが勢いよくドアを開けると、心配気な騎士ら三人が目の下にうっすらとくまを作って立っていた。

「あれ?」

「フェリア様、良かったです。昨日の夕刻から出てこられないものですから、心配致しました。おなかはすいておられませんか? 腕は悪いですが、作ってあるので食べてください」

 フェリアは目を見開いた。こんな風に心配されて、瞳がウルウルとれ出した。あたたかい気持ちになると、涙が出るのはなぜだろう。

 フェリアが、ありがとうとうるんだ声で答えると、騎士らが嬉しそうに笑顔になった。

「フェリア様、今日はのんびりしてください。たまにはいいではないですか。ね」

 ゾッドの提案にフェリアは口を尖らせながら頷いた。

 邸宅からを引っ張り出して座ると、朝陽がやわらかくフェリアを包んだ。

 フェリアが騎士らの作った朝食を食べていると、いつも朝食を食べに来る騎士たちがフェリア邸に訪れた。

「おいです」

 手に持っているのは花だ。

 フェリアは目をパチパチさせた。お見舞いなんてもらった覚えがないのだ。騎士が差し出した黄色のガーベラを受け取る。フェリアの好きな元気な色、お日様色の黄色である。

「ありがとう! お見舞いは初めてなの。嬉しいわ」

 その言葉に花を贈った騎士らが驚き慌てる。初めての存在が自分たちでいいのかとのあせりだ。

 本来ならお妃様へのお見舞いは王様が贈るものだろう。しかし、王様のお越しはこの31番目の妃邸にはまだない。仕方のないことだ。さらに、侍女もいなければ妃の不調が王に届くわけもない。

 騎士らは眉を下げた。不遇のフェリアをおもんぱかって。

 そんなことなど思ってもいないフェリアは、嬉しそうに黄色のガーベラをクルクルと回し眺めているのだった。


 * * *


 二カ月が過ぎ、最後の一カ月が始まる。

 マクロンは、フッと息を吐き出して15番目の妃邸へ赴いた。やはり、予想通りであったが、いざこざを起こした妃らは内密の通知を承知せず、王との最後の交流を望んだ。よって、マクロンは赴く。

「おはよう、ミミリー嬢」

 マクロンは名を口にした。ビンズの忠告を受けての行動である。

 ミミリーは、瞳にいっぱいの涙をめてマクロンに頭を下げた。

「先日のれいお許しくださいませ」

 頰を伝う涙をマクロンは見つめる。気にするなとも許すとも答えられないのは、妃候補に求めるものが、それを許容できないからだ。

「マクロン様、王様……私が間違っておりました。どうか、お許しを」

 そう言って、ミミリーは膝を崩した。

 マクロンはこのしばがかったミミリーの行動を無表情で眺めていた。

 ミミリーには、許しを得ることしか頭にないのだとわかる。謝ること、間違っていたことを認識すること、どうすべきであったかを見つけること、対処すること、それをマクロンに報告することによって、初めて許しの言葉がつむがれるべきなのだ。

 涙を見せすがるなど、どこの三文芝居だというのか。これで、許すなど純情な青年か、やさおとこ程度であろう。決して王に対する行動ではない。マクロンは心を鬼にして告げる。

「妃としてこの邸にいる立場のそなたである。妃に求めるものをそなたが持ち合わせていないのは、明らかである。そなたは、我に許しをう以外に何をした? 失敗の対処もできていない。くだんのあれは、我に対する無礼でない。

 だれに謝り、(20番目の妃に)

 自身の間違いを気づき、(自己欲のためしきたりを軽んじた行いを)

 どうすべきであったかを考え、(を抑えること)

 妃候補のそなたがどう対処するか、(責任をとる行いを自らできるか)

 自分に妃としての資質がないことを気づき得るか……そなたが自身を叱責し身を引く姿勢を見せたなら、我はそなたを許したであろう」

 マクロンはそこで一息ついた。

 ミミリーは顔を真っ赤にして、ぷるぷると体を震わせている。頰を伝っていた涙は消えている。怒りや悲しみ、悔しさなどがごちゃ混ぜになったような瞳でマクロンを見ていた。そこに一瞬、すがるような色がかくれしている。

 この表情をもってして、先ほどまでの謝罪が心を伴っていないものだと理解できる。マクロンは、首を小さく横に振った。そして、言葉を紡ぐ。

「我は、そなたミミリー侯爵令嬢に妃辞退を求む。我は今日をもってこの邸に来ることはない」

 王マクロン自身の口から最後通告がなされた。

 ミミリーは首を横に振った。『いいえ、いいえ』と小さな声で呟いている。

『いいえ、いいえ、私が選ばれぬわけはないわ』……マクロンにはそんなミミリーの心の声が聞こえている。

「三カ月の……交流……、妃の意向のかくにん……、辞退しなければ、ここに居られますわね。妃選び三カ月後は、妃の意向が通るしきたりですもの!」

 ミミリーはく。なりふり構わず足搔く。件の令嬢と取っ組み合いの乱闘をした如く。つまり、マクロンの言葉はミミリーの心には届かなかったということだ。

「浅ましいな」

 マクロンは足搔くミミリーに冷たく言い放った。

 マクロンが許容できるのは公言している通り一回だけの失敗である。王妃の器を判断基準にするならば、二度目の失敗は許されない。それがたとえ人情のかけらもない非道な決断だとしても。国を背負う者の責務であるからだ。

「再度告げる。我は今日をもってこの邸に来ることはない。そなたの意向が通ろうが、我はここには来ない。残りの九カ月、日にちこそ指定されるが、我の意思で妃と交流することがしきたりだ」

 マクロンの意思、つまり、ここ15番目の妃邸には来ないということだ。

 ミミリーは青ざめ、『いいえ、いいえ』と首を横に振る。

 そのミミリーに心のすきなどいっさい見せず、マクロンはきびすかえした。

「お待ちを! マクロン様!」

 マクロンは振り向くことなく邸を後にした。

 後宮のくねった道を進むマクロンの心は重い。いくら、妃の心の内が自分には向いておらず、王妃という座にしつしているとわかっていたとしても、女性の涙に対して心を鬼にするこうは、自身の心をも傷つけるものだ。それを、後何人の妃候補に行えばいいのか……マクロンは心痛を抑え込むように腹に力を込める。王たるしんを崩さぬように。

 マクロンは、後宮の出入口でいつたん振り向いた。しかし、すぐにそびえ立つ王城に視線を移す。心に負った小さな傷は、王という責務でふたをした。

 マクロンが庶民であったなら、もしくは単なる一貴族であったなら、15番目の妃の行いはわいらしいものであると許容できたかもしれない。男のしようとして、ままな令嬢をとりこにする甘い言葉を吐くこともできただろう。

 しかし、マクロンは王である。その妃は、王と同じ責務を負う。今、マクロンが負った傷を生涯共に受け続けることが妃に求められるのだ。

『あの傷を、この責務を生涯共に背負える妃……』

 マクロンは心の内で、まだりんかくさえも現れぬ妃を求めていた。しかし、見えぬ妃は姿を変え15番目の妃が追いすがってくる。先ほどの残像がマクロンをおそった。

 今夜にでも、警護騎士からマクロンに報告が来るだろう。15番目の妃はきっと辞退しない。そうマクロンは予想した。今夜は当たり散らすか……それとも、侯爵に使いを出し圧力をかけてくるかと考えながら王塔へと歩を進める。

 マクロンはすでにこの令嬢の名を呼ばない。ビンズには悪いが、名を口にする気は起きない。それがマクロンのそつちよくな気持ちであり、妃候補らへの線引きである。


 未だマクロンが心を込めて呼ぶ名はいない。

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