2 後宮の生活 (5)
「へっぷし」
フェリアはくしゃみをした。鼻をヒュッとこするが、鼻水は出ていない。
「何だろ、寒気がするわ」
その呟きにゾッドが反応した。
「フェリア様、どうぞ邸宅にお入りください。後は私たちが片付けておきますので」
フェリアはうーんと
邸宅の中でフェリアは
「ちょっと疲れたのかな」
リカッロの野営箱から丸薬を取り出すと、フェリアは鼻を
しばし悶絶したのち、ベッドに
やはり、慣れぬ土地での開墾と、後宮生活に
外では三人の騎士が心配そうに邸宅を見守り、朝がくるのを寝ずに待つことになった。侍女がいない不便さが
翌朝、
「あれ?」
「フェリア様、良かったです。昨日の夕刻から出てこられないものですから、心配致しました。お
フェリアは目を見開いた。こんな風に心配されて、瞳がウルウルと
フェリアが、ありがとうと
「フェリア様、今日はのんびりしてください。たまにはいいではないですか。ね」
ゾッドの提案にフェリアは口を尖らせながら頷いた。
邸宅から
フェリアが騎士らの作った朝食を食べていると、いつも朝食を食べに来る騎士たちがフェリア邸に訪れた。
「お
手に持っているのは花だ。
フェリアは目をパチパチさせた。お見舞いなんてもらった覚えがないのだ。騎士が差し出した黄色のガーベラを受け取る。フェリアの好きな元気な色、お日様色の黄色である。
「ありがとう! お見舞いは初めてなの。嬉しいわ」
その言葉に花を贈った騎士らが驚き慌てる。初めての存在が自分たちでいいのかとの
本来ならお妃様へのお見舞いは王様が贈るものだろう。しかし、王様のお越しはこの31番目の妃邸にはまだない。仕方のないことだ。さらに、侍女もいなければ妃の不調が王に届くわけもない。
騎士らは眉を下げた。不遇のフェリアをおもんぱかって。
そんなことなど思ってもいないフェリアは、嬉しそうに黄色のガーベラをクルクルと回し眺めているのだった。
* * *
二カ月が過ぎ、最後の一カ月が始まる。
マクロンは、フッと息を吐き出して15番目の妃邸へ赴いた。やはり、予想通りであったが、いざこざを起こした妃らは内密の通知を承知せず、王との最後の交流を望んだ。よって、マクロンは赴く。
「おはよう、ミミリー嬢」
マクロンは名を口にした。ビンズの忠告を受けての行動である。
ミミリーは、瞳にいっぱいの涙を
「先日の
頰を伝う涙をマクロンは見つめる。気にするなとも許すとも答えられないのは、妃候補に求めるものが、それを許容できないからだ。
「マクロン様、王様……私が間違っておりました。どうか、お許しを」
そう言って、ミミリーは膝を崩した。
マクロンはこの
ミミリーには、許しを得ることしか頭にないのだとわかる。謝ること、間違っていたことを認識すること、どうすべきであったかを見つけること、対処すること、それをマクロンに報告することによって、初めて許しの言葉が
涙を見せすがるなど、どこの三文芝居だというのか。これで、許すなど純情な青年か、
「妃としてこの邸にいる立場のそなたである。妃に求めるものをそなたが持ち合わせていないのは、明らかである。そなたは、我に許しを
自身の間違いを気づき、(自己欲のためしきたりを軽んじた行いを)
どうすべきであったかを考え、(
妃候補のそなたがどう対処するか、(責任をとる行いを自らできるか)
自分に妃としての資質がないことを気づき得るか……そなたが自身を叱責し身を引く姿勢を見せたなら、我はそなたを許したであろう」
マクロンはそこで一息ついた。
ミミリーは顔を真っ赤にして、ぷるぷると体を震わせている。頰を伝っていた涙は消えている。怒りや悲しみ、悔しさなどがごちゃ混ぜになったような瞳でマクロンを見ていた。そこに一瞬、すがるような色が
この表情をもってして、先ほどまでの謝罪が心を伴っていないものだと理解できる。マクロンは、首を小さく横に振った。そして、言葉を紡ぐ。
「我は、そなたミミリー侯爵令嬢に妃辞退を求む。我は今日をもってこの邸に来ることはない」
王マクロン自身の口から最後通告がなされた。
ミミリーは首を横に振った。『いいえ、いいえ』と小さな声で呟いている。
『いいえ、いいえ、私が選ばれぬわけはないわ』……マクロンにはそんなミミリーの心の声が聞こえている。
「三カ月の……交流……、妃の意向の
ミミリーは
「浅ましいな」
マクロンは足搔くミミリーに冷たく言い放った。
マクロンが許容できるのは公言している通り一回だけの失敗である。王妃の器を判断基準にするならば、二度目の失敗は許されない。それがたとえ人情のかけらもない非道な決断だとしても。国を背負う者の責務であるからだ。
「再度告げる。我は今日をもってこの邸に来ることはない。そなたの意向が通ろうが、我はここには来ない。残りの九カ月、日にちこそ指定されるが、我の意思で妃と交流することがしきたりだ」
マクロンの意思、つまり、ここ15番目の妃邸には来ないということだ。
ミミリーは青ざめ、『いいえ、いいえ』と首を横に振る。
そのミミリーに心の
「お待ちを! マクロン様!」
マクロンは振り向くことなく邸を後にした。
後宮のくねった道を進むマクロンの心は重い。いくら、妃の心の内が自分には向いておらず、王妃という座に
マクロンは、後宮の出入口で
マクロンが庶民であったなら、もしくは単なる一貴族であったなら、15番目の妃の行いは
しかし、マクロンは王である。その妃は、王と同じ責務を負う。今、マクロンが負った傷を生涯共に受け続けることが妃に求められるのだ。
『あの傷を、この責務を生涯共に背負える妃……』
マクロンは心の内で、まだ
今夜にでも、警護騎士からマクロンに報告が来るだろう。15番目の妃はきっと辞退しない。そうマクロンは予想した。今夜は当たり散らすか……それとも、侯爵に使いを出し圧力をかけてくるかと考えながら王塔へと歩を進める。
マクロンはすでにこの令嬢の名を呼ばない。ビンズには悪いが、名を口にする気は起きない。それがマクロンの
未だマクロンが心を込めて呼ぶ名はいない。
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