2 後宮の生活 (4)


 * * *


 一カ月半が過ぎた。

 フェリア邸は大きく様変わりしていた。まず、たけほどあった雑草は刈り取られ、干し草となって、邸の入口に増設された農機具小屋にたくわえられている。

 根はかえされてしようきやくがまで焼かれ、できた灰は肥料として保管されている。

 視界の広くなった庭園は、他のお妃様の邸ならば、れんな花やごうな大輪の花でいろどられるであろうが、フェリア邸はうねが山脈のように連なっている。

 大きく六つに分かれた畑では、リカッロの野営箱から拝借した薬草の種がかれた。葉物薬草、根薬草、花薬草、新芽薬草、つた薬草などどれもしゆうかくの早い物で、三カ月以内に収穫できる。

 かいこん一カ月半であるが、畝には濃い緑やら、むらさきの蔦やらが勢いよく育っていた。

 さらにフェリア邸が様変わりしたのは、この一カ月で訪れる者が増えたことだ。

 他の隊の騎士がフェリア邸の朝食を食べに来ることで多くなったのだ。お妃様には三名ずつ騎士がついているのだが、みんや休みに入る時に、このフェリア邸の朝食におもむくようになった。なぜそうなったかというと、味噌っかすの四の隊が楽しげに邸を警護している様子をていさつに来て、そのままきんちようを要しないフェリア邸にすわるようになったからだ。

 フェリアからは朝食が振る舞われ、その代わりに邸の畑作りを手伝って騎士の体の鍛練を行う。美味しい食べ物と、適度な体の疲れが良い睡眠へとうながされ、農機具小屋のふかふかれ雑草ベッドへとさそわれ、そこでねむってしまう。

 今やフェリア邸は騎士のオアシスと化していた。

 フェリアは農機具小屋に転がる数名の騎士らをあきがおで見ている。

「帰る家がないの、この者たちは?」

 フェリアの呟きに、フェリア邸担当の警護騎士の一人であるゾッドは肩をすくめる。

「他のお妃様の警護って神経を使うらしいですよ。それに、警護といっても何かあるわけでもなく、体はにぶっていくのです。動かしたくともその時間は三人体制では無理ですからね。お妃様をほっといて庭園でけんなど振れませんし。それに、三カ月の予定が五カ月にも延びていて、騎士らは心も体もキツいんです」

「ふーん、そんなものなの。で、この『神経を使わない』私の邸で伸びていると? 私もお妃様であるのに、皆元気に剣やら鎌を振り回しているように見えるのだけど?」

 フェリアは、農機具小屋の前でひろげられている剣対鎌の戦いをいちべつしてからゾッドに視線を送る。

 じとりとフェリアに見つめられたゾッドは、『いやいやいや』とおおに手を動かした。

「心も体もいやされるこの『がみ邸』のおかげで、皆このようにくつろげるのです。あのように鍛錬ができるのです。流石、フェリア様でございます」

 今さら持ち上げたところでと、フェリアは思ったが、これが存外いい気分になった。根っからのあねはだのようだ。

「仕方ないわね。時間がきたら起こしてあげてね」

 やさしい言葉にゾッドはホッと胸をでおろした。

 フェリアが農機具を持って出ていくと、こめかみを押さえたビンズがやってきた。この男はいつもこめかみを押さえているなあと思っていると、ビンズはフェリアに頭を下げた。

「本当に頭が痛くて、薬草を煎じて頂けませんか?」

「あら、頭痛ね。ちょっと待っていて」

 フェリアは農機具を小屋に戻すと、ゾッドに命じてビンズのどこを作らせた。ビンズをそこに寝かせると、フェリアは薬草を煎じるために邸に走っていく。

 農機具小屋には、ビンズとゾッド、深い眠りの騎士数名が残っている。

 横になったビンズに、ゾッドが顔色をうかがいながら問うた。

「何かあったのですか?」

「……ああ、まあな」

「ここより、医務室がいいのでは?」

「いや、わかっているが、自然とここに足が向いてしまったのだ」

「確かにフェリア様の薬草茶は、体の不調によく効きますからね」

 フェリアは、朝食以外にも騎士らに与えているものがある。カロディア領特産の薬草茶である。しようじように合わせてフェリアがれる薬草茶は、よく効いた。ビンズが思わず、フェリア邸に足が向いてしまったのはそういう事情があるからだ。

「お妃様同士のいざこざが起こっているのだ」

 ビンズは大きく息を吐き出して、ゆっくり目を閉じた。

 目に浮かんだのは、髪をみだし取っ組み合いをする15番目と20番目のお妃様。

 朝の一時の交流しか王に会えない状況が、妃を暴挙に駆り立てた。二度の交流を終えた15番目のあの妃が、王と20番目の妃の交流時にぐうぜんよそおい参入したのだ。

 二人だけの交流をじやされた妃は、王の退散後に激高した。たとえ、15番目の妃がこうしやく令嬢であろうと、20番目の妃であるはくしやく令嬢はかんに言い放ったのだ。しきたりはんのお妃様には資格がないと。王のお妃様になる資格はないと。

 そこからはらんとうだった。騎士は妃らの警護はするが、妃同士の乱闘を止めるすべがない。

 なぜなら、妃に……しゆくじよれることができぬからである。

 取っ組み合いの乱闘を体に触れることなく止めるには、マクロンを呼ぶしかなく、ビンズはしつ室に戻ったマクロンに助けを求めた。

 しかし、マクロンの答えは素っ気ない。『ほうっておけ』たったそれだけであった。ビンズは仕方なく、ただ乱闘を見守るしかなかった。

 二人の令嬢が勢いをなくした時を見計らい、ビンズは告げる。

「王様はお二人に興味がなく『ほうっておけ』とのことでした。こんな乱闘をする方を王様がどう思われるか、お二方ともにお考えください!」

 そう発した後に、二人の令嬢から天をくような悲鳴が上がる。

 かくして、ビンズはこめかみを押さえここフェリア邸にいる。いまだに耳に残る悲鳴に頭がズキズキと痛むのだ。

「女性の悲鳴、さけごえに駆けつけて守るのが騎士の仕事だと思っていたが、私は逃げ出したいと思ってしまった」

 ビンズの告白にゾッドはうんうんと頷いた。

「あら、良い口実ができたじゃない」

 そこに現れたのは、フェリアである。サッパリとしたかおりがただよう薬草茶を持っている。

「口実?」

 ビンズはフェリアの言葉を復唱した。

「ええ、そんなお妃様は落第だってね。長老会議だっけ? それにかけてどんどんめんどうな妃をふるい落としたらいいのよ。それで、おだやかで、心の抑制ができて、自己の主張をひかえた……王様にとって良いお妃様だけが残るのでなくって? 王様とお妃様の交流だけが目的ではなくて、王様とのあいしようと……うーん、妃の資質をきわめたらいいのよ」

 フェリアは好きなように意図なく発言している。自身がその妃候補であることなど、念頭にはない。ごとなのだ。

『穏やかで、心の抑制ができて、自己の主張を控える』など、フェリアは全く持ち合わせてはいない。カロディア領で育ったフェリアは生まれてこのかたそのような淑女に会ったことはない。全くもっていい加減な発言である。

 フェリアはコポコポとカップにお茶を淹れて、えに満足しビンズに差し出した。

「フェリア様、ありがとうございます。いえ、ありがとうございました。これを飲みましたら、すぐに対処しましょう」

 ビンズはそんないい加減な発言に何かを得たのか、気難しげだった顔を晴らした。

 フェリアの軽いノリの発言が、他のお妃様をとした。いや、まだだ。長老らとの会議が開かれるまでは。


 フェリアの発言は、ビンズの進言となって会議にかけられた。それにより……。

 マクロンは機嫌がいい。灰色であった景色がせんめいになっている。

 つまり、ビンズの進言で妃のふるい落としが始まったからだ。問題を起こした妃はずい報告され、長老会議でそれが発表される。

 申し分ない位であっても、容姿がずばけて良くても、……王が気に入っても、資質のない者を王妃には据えられない。そんなごく当たり前のことではあるが、このダナン国では妃選びのしきたりによってそれがないがしろにされてきた感はいなめない。

 というか、三十一人も揃えばそれなりの者が王妃となってきたのだ。資質とやらをかんがみなくとも選ばれてきたと言えよう。

 しかし、時が過ぎれば形骸化されていく王妃選びと、変わりゆく実体。

 昔は1~31のお妃様はそれなりに素晴らしい資質の者が集められたが、今やていさいや欲望や野望を抱く者らがつどってしまっている。

 マクロンはここでやっとほんごしを入れた。ビンズの進言で妃選びの本質をつかんだからだ。

 王妃のうつわ相応ふさわしいか否かで見極める。その一点で妃候補らを判断すれば、おのずとふるい落としは進んでいく。

「1、5、6は辞退。15、20は資格がない。まあ、王妃としてはだがな。20に今回のいざこざの責はないが、その後が悪い。15をたしなめるまでは良かったが、取っ組み合いの乱闘まで起こしては、王妃の器ではあるまい。互いに、そうならぬような場の仕切りができぬ者ではな。後は……12、24、30が召し上げられたのは親の欲であろう。私に、令嬢らは泣いて訴えてきたぞ。こんやくしやがいたのに引き離されたとな。ついでに言っておく。2の気位が高いニコリとも笑わぬ姫は論外だ。表情を変えぬことを美徳とする国から来たからであろうが、このダナンにおいて、たみに笑みを向けぬ王妃ではやっていけぬ」

 マクロンは長老に睨みをきかせながら、次々に言い放っていく。

 基準は王妃として、ただ一点だ。三十一人の妃らの半分はふるい落とされた。

 本来なら、三カ月の交流期間後に決めることが、マクロンの大なたでどんどん進んでいく。マクロンの機嫌は上々だ。

「では、内々にお妃様らに告げていきましょう。承知くだされば、王様とのじかの交流はなくし、二カ月後に……いえもう一カ月半後ですな。お妃様候補に選ばれためいかかげ、帰っていただきましょう。承知されぬお妃様に関しては、王様申し訳ありませんが、しきたりに従い引き続き交流をお願い致します。失敗のばんかいの機会を与えるのも、王の器でございましょうから」

 そう長老はめた。

 マクロンはなつとくしないものの、反論せず無言でを示す。あの15と20の妃は承知しないだろうと頭をかすめていた。

 確かに20番目の妃は災難だったであろう。しかし、選ぶのは王妃である。高位令嬢の横暴くらいく処理できねば、その資質はないと言えよう。むろん15番目の妃も同じである。低位の者の言葉を上手く心の内で処理できない度量では、王妃には相応しくない。何より、人の言葉を受け入れる耳がなければ、国など背負えぬ。

 そう考えをめぐらしていたマクロンは、少々しようした。自身も長老らの言葉を受け入れてはいないと気づいて。

「では、二度の失敗があれば強制辞退だ。一度は機会を与えよう。王妃に二度の失敗はあり得ぬからな」

 長老らは口を開きかけたが、マクロンが立ち上がり会議は強制的に終わりとなった。

 その後、執務室に戻ったマクロンはビンズを呼んだ。今後の報告に関して密命を出すために。

「担当騎士らに報告させる。いつも警護している者こそ、妃の本質や資質、器の力量を知ることができるはずだ。密命であるぞ。私は騎士らの目を信じている。妃らには気づかれるなよ。まあ、気づかれたとて、その後の行動でさえも報告させろ。金を積む者もいるかもしれんな」

 マクロンはゆがんだ笑みをビンズに向けた。狡猾な貴族らと渡り合い、つちかってきた力の有り様が顔に表れていた。妃選びも、マクロンにとっては渡り合いなのかもしれない。身構え、相手のミスを探す。自身の弱み(心)を見せない。その姿は王としては見事と言えるが、人としては大きな歪みである。

 その歪みに、ビンズはため息をついた。マクロンはかんじんなことを蔑ろにしている。

「お妃様も人間です。どんな性格であれ、王様に気に入られようとがんっている者たちです。都合上○番目のお妃様とお呼びしておりますが、皆名前があるのです。生身の人間なのです。心があるのです。王様は、今、自身の責と辛い現状を打破するために尽力しすぎて、見なくてはならぬもの、感じなくてはならぬもの、おもいをせねばならぬものに気づいておりません。選ぶのはしようがいの伴侶なのです。王様はその伴侶を番号で呼ばれるおつもりですか? 心を寄せ合う努力をなさってください。……お辛い状況は前回の進言と、今回の会議でなくなったものと考えます。これ以上のお妃様へのなた振りは、王様をおうにさせますよ」

 マクロンとビンズの間にちんもくが流れた。

 先に動いたのはマクロンである。立ち上がりビンズの前へと進む。

「流石『烈火団』の団長だ」

 マクロンはビンズの肩に手を置き、ポンポンと叩く。

「すまん。いつも私を正気に戻すのはお前だな。長老が言わんとしていたことだろ? そうだな……本当にそうだ。妃でなく王妃を選ぶ。だが、それ以前に王妃でなく生涯の伴侶を選ぶのだな」

 マクロンは自身のごうまんさを自省した。知らず知らずに身構えて、妃らと接してきていたのだ。『生涯の伴侶』と『心を寄せ合う努力』というビンズの言葉に、マクロンの肩の力が抜け、やわらいだ表情が自然とにじていた。

 ビンズはそんなマクロンにホッと一息ついた。ここからが、妃選びの本番である。マクロンの心がささくれたままでは、たち行かなくなるのだ。

 ビンズはふとフェリアを思い出す。あのお妃様も、マクロンとは違った意味で心の土台ができていないのではないかと。いや、土台以前の問題で、唯一マクロンに会っていないのだ。始まりたくとも始まっていないお妃様である。

 ビンズは眉を寄せて、しぶい顔になった。

 元々フェリアは帰りたがっていたと思い出して……。

 フェリアとマクロンはまだ出会えない。三十一日までまだ一カ月もあるのだから。

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