2 後宮の生活 (3)


 * * *


 庭園であったのなら、そこにはだんがある。花壇にはレンガがある。レンガがあれば簡単なかまを作れる。フェリアにとって、容易にできる窯作りを担当騎士三人が手伝ったのだから、さらに簡単に時短で出来上がった。後宮生活三日目の朝のことである。

「これで美味しいパンを作れるわ」

 そこに、ビンズが現れた。肩には大きなふくろかついでいる。はぁとため息をつき、荷物を下ろした。

「食事の材料です。本当に食事は……」

 ……いいのですか? との問いは、目前の美味しそうな朝食を見た瞬間、不必要だとさとる。そして、また五人で食事をるのだ。

 朝食後のフェリアは整備されていないれた邸宅のそうに取りかかった。

 こぢんまりした邸宅である。カロディア領の自室よりは流石に広いが、カロディア領の自宅よりは小さい。

 それもそのはずだ。なぜなら、カロディア領の自宅は、自宅けんてん兼、薬草調合室兼、薬草研究室兼、薬草倉庫と増築に増築を重ねたきよだい邸宅なのだから。

 毎日、その巨大邸宅を掃除していたフェリアには、このくらい、赤子の前かけぐらいの広さにしか感じない。

 フェリアがただもくもくと邸宅の掃除をしている間、騎士らは外で草刈りを続けている。

 王と侍女以外はつう妃邸に入ることはなく、男である騎士らもフェリア邸に入ることはない。

 初日、邸宅に案内され、こぢんまりしているがピカピカにみがかれた入口を目にした時、フェリアの心は浮き立った。

 だが、中はひどさまで、ほこりでむせ返り、浮き立った心はしゆんにすぼんだ。小さなため息をつき、埃をかぶったベッドの掃除から始めた初日であった。

 三日かけて綺麗にしてやっと落ち着いたフェリアは、へとへとの体で夕食を作っていた。

「侍女も食事もなくて、邸宅内もみすぼらしい。お妃様って、案外ぐうなのね」

 コロコロと笑いながら発する声は、夕刻に訪れたビンズの耳にやりすが如く聞こえた。昨日と同じように。そう、昨日と同じなのは、その後の言葉だ。

「兄さんたちが言っていたのとは大違い。お妃様だから何でも揃っているはずだからって、三日分の服しか持ってこなかったのに、邸には埃以外なーんにも無いのだもの。びっくりしちゃったわ。やっぱり、ダナン国の国庫って大丈夫なの?」

 まさかそんなことはないはずだと、ビンズは慌ててピカピカとびらの邸宅を開け部屋をくまなく点検する。本来あるべき姿見や鏡台はなく、さらにはお妃様におくられる衣類の詰まったたんもない。あるのはかたしんだいだけだ。フェリア持参の野営箱三つ以外何もないという結果に、ビンズは昨日と同じように頭を下げた。

 担当騎士らもびっくりだ。男である騎士らが、邸宅に入れなかったのがあだとなった。これは流石に酷い仕打ちである。

 ビンズは、ここの準備を女官長にキッチリ命じてある。それにもかかわらず、邸宅の中は酷い有り様だった。いや、フェリアが掃除した後を見てそう思うのだから、それ以上であったと、ビンズには容易に想像できた。ピカピカの邸宅の扉にだまされていたのだ。庭園は整備できなくても、邸宅内は綺麗に整えられたと。

「あんの女ぁっ!」

 騎士隊長らしからぬその叫びに、フェリアはポカンと口を開けた。

「ここの準備金をくすねやがったな!」

 ごくの底からの声とは、このようなものかもとフェリアは思った。

 ポカンと見つめる先のいかれるおにのようなビンズは、グルンと体を回転させしていた。それを追って慌てて騎士らも走り出す。

「隊長! 落ち着いてください!」

 騎士の一人が大声で叫び、一人はビンズに体当たりし、一人は邸の門を閉める。

 怒れる鬼ビンズは三人の騎士によって何とか足を止められたが、ふぅふぅと鼻息あらく自身のよくせいに必死だ。

 そのビンズのわきにフェリアはかろやかに進んだ。フェリアのためにおこっているとはいえ、騎士のはくりよくあるを見せられて、普通でいられるフェリアはきもわっているのだろう。

「女相手に荒くれたら、騎士の名が廃るでしょ。女には女の戦いがあるわ。……いいえ、田舎娘には田舎娘のほこりがあるの。気位の高いこの王城の女官や侍女らは、田舎娘の世話をしたくないものね。お前はその程度の存在だとにんしきさせたいし、自分のプライドを保ちたいのよ。準備金はくすねたのではないわ。『あなたなんか、お妃様だと認めないわ!』って、そういうことでしょ。泣いて助けてくれって頭を下げたら、ふんぞり返ってここに来るはずよ。それが目的の嫌がらせなのでしょ?」

 ビンズに向けて発するフェリアの声は、どこかたのしげだ。だがものを見つけた獣のようにするどい。

 ビンズは熱くなった頭が急激に冷えていった。

「フェリア様、何をお考えで?」

「昨日、売られた喧嘩は買うって言ったじゃない。忘れちゃったの?」

「手助けは不要だと?」

「ええ、この程度のこといたくもかゆくもないわ。田舎娘の誇りをなめないでほしいわね。昨日届けてもらった布で衣類は作れるし、食材だって届けてくれるのでしょ。なーんの不自由もしていなくってよ。あの女に助けてくれだなんて絶対に言ったりしないわ!」

 ビンズは昨日の夕刻、頼まれて届けたものを思い出していた。王都で流行の布がしいと要望したフェリアに、かし織りの布を届けていたのだ。テーブルクロスにでもするのかと、ほほましく思っていた自身を、なぐって目を覚まさせたい気分だ。

 今朝もまた、布を頼まれたのだ。無地の布とレースとしゆう糸を。

 まさか、衣服を作るためだなどと思ってもいなかった。他のお妃様のように、刺繡を楽しむものだとのんに考えていたのだ。

 フェリアが普通の令嬢だったのならば対処のしようもなく、女官長のおもわく通りそのこうべを垂れて、助けを願い出ていただろう。誇りをみにじられていただろう。それが女の嫌がらせというものなのだ。しかし、フェリアは困ってはいたが、この程度のことは自力で対処できる。元より女官長の嫌がらせとすら思っていなかったのだから。フェリアは女の戦いに意識せず勝っていたのだ。

 ビンズが激怒するほどのことが、フェリアにとってはさほどたいしたことではなかった。

 現に、目の前のフェリアは打ちひしがれてなどいない。堂々たるたたずまいである。

 その事実に、ビンズはフェリアの前でひざをついた。

「……お心のままに」

 おおうなばらを初めて目にした時、胸打ちふるえ自然に膝が折れたように、山頂から見たゆうだいなる自然にひざまずくように、ビンズは膝を折っていた。フェリアにそれを感じたのだ。

 ビンズが今まで膝を折った存在は二人だけだ。先王とマクロン、そして今日、新たに一人加わった。フェリアがその三人目になったのだ。

 三人の騎士も従う。フェリアに感じる何かに心が動いた。

 ビンズも騎士らも同じ感情だろう。


 * * *


 ダナン国の妃選び。その会議のただなかである。

「まず、1番目のお妃様はまだ七さい。ダナンに姫を一時出した……つまりダナン国の妃選びに協力したとの事実にんていにより、お妃様からの辞退になりましょう」

 マクロンがまんいられたままごと姫である。二十九歳のマクロンが七歳の妃候補とどう交流できようか。しきたりはけいがい化され、りんごくからの妃候補は違った意図で送られてくる。マクロンの心の疲弊はこのようなことからも起こっていた。無理に妃候補を出し、たがいに時間と労力を取られる一方の妃選びにである。

 国家間の親交を深めるには、有効な手段ではあるし、必要な外交だ。

 だからこそ、意図をくみ取り適切じんそくに処理していくことをマクロンは望んでいる。

「次に、5番目と6番目のお妃様も同様のようです。先方より内々に辞退のしんせいがきております」

 長老の報告がマクロンに笑みをもたらした。

「では、一日、五日、六日は妃の相手をしなくていいな」

 マクロンが妃候補の国の意向をくみ取り発言した。しかし、長老たちはまゆを下げる。

「そういうわけには……」

 笑みが消えたマクロンに対し、長老のその後の言葉はしりすぼみになり続かない。それを補うように、ビンズが声を上げる。

「お妃様との朝の一時の交流は、外せません。交流とは例えば、贈り物とえた手紙でもいいでしょう。先ほど報告があった姫様方には、ダナン国が貴国の協力を感謝するという記念品を贈れば、それをたまわり任務を果たしたと胸をはって帰国できましょう。長老の皆様、いかがでしょうか?」

 長老たちは、それならばと頷くと、マクロンも頷き笑みが復活した。

 よほど、ままごとが嫌なのだ。子供がきらいなわけではない。ただ、妃候補との交流の時間でとどこおってしまう国政に頭をなやませているのだ。こんなことをしている場合かと自身を叱責してしまう。必死になってダナンを背負ってきたマクロンの気質とも言えよう。それほどに、この四年間は狡猾な貴族らとそうぜつに渡り合ってきたのだ。

 そして、マクロンは強い王へとへんぼうした。

 今、マクロンを支えているのは、真の忠臣だけである。長老たちとて、マクロンの忠臣である。その長老たちの苦言がわからぬわけではない。

 辞退を申し出ている国も、大国ダナンの王が望めば辞退をくつがえすだろう。辞退は姫の体面を保つための一種の駆け引きでもある。互いの腹の内をいち早く理解するための方法だ。

 三カ月の期間を、妃として過ごすのか、国家間の親交を深めるためにじんりよくするのか、そのせんたくのための辞退申請である。つまり、ダナンの王マクロンの意向に沿うとの意思表示であり、高度な外交でもある。

 長老らがしているのは、マクロンがどの妃候補らにも興味を示していないことだ。

 マクロンとて妃を選ばねばならぬことも理解している。しかし、マクロンの心はどの妃にも動かされはしなかった。

 会議を客観視しているビンズは、マクロンの気持ちも長老らの心配も痛いほど理解していた。だからこそ、苦笑いを王である友に返した。マクロンもビンズの苦笑いに頷いて応えた。

 この二人だからそれで通じ合える。なぜなら、マクロンとビンズは友であるからだ。それもやつかいな友である。

 マクロンは幼い頃、おしのびで城下町に出向いた時にビンズと出会った。ビンズはその頃から台頭するリーダーで、いくにんかの子分を引き連れて町をかつしていた。少年期独特の『○○団』みたいなグループを作り、騎士団のごとをして遊んでいたのだ。

 マクロンがしよみんてん市場で迷子になっているところを、ビンズ率いる『れつ団』が拾い上げたことから二人の関係は始まった。

 まだ世間知らずのおっちゃんであったマクロンが、ビンズに染まるのも仕方ない。ビンズもマクロンを王子とは思っていなかったし、子分として『烈火団』に入れたのだ。

 そんな幼い頃からの付き合いが、まさかここまで来るとはと、ビンズは苦笑いし、マクロンをかんがいぶかげに見つめるのだった。

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