3 貧乏くじの給仕(2)


 * * *


 夜もせまる夕刻に、マクロンは31番目の妃邸に向かっていた。夕食前のこの刻しか体が空かなかったのだ。夕食後も、城下町のうすになった警護をビンズと協議する仕事が残っている。騎士の少なさから、宿場町のけん事のちゆうさいが間に合わないとの報告やら、てん市場でもスリそうどうの増加など、四カ月半にわたる百名の騎士らの不在の問題が表面化していた。

 後二週間の妃選びもきようだ。ここで、王都の治安が悪化するのはけたい。

 マクロンはふと足を止め、がしらさえた。それをこのが心配気にうかがっている。

「すまぬ、問題ない。行くぞ」

 再度歩き出したマクロンの足は重い。ろうは限界で、さらに邸はかなり遠いのだ。重い足をるようにマクロンは31番邸に向かった。

 邸の入口が近づくと、そこからビンズが飛び出してきて、マクロンは足を止めた。

「どうした、ビンズ?」

「いえ、何でもありません」

 フェリアに断られはしたが、ビンズはドレスを調達しようとしていたのだ。

 そんなことなど知らぬマクロンはいぶかしげにビンズを見る。

「どうぞ、王様」

 ビンズは背筋をばしマクロンをうながした。

 マクロンは初めて31番邸に足を踏み入れた。すでに夜のような暗さの夕刻は、畑の様相をぼやかしていたため、マクロンはそれに気づかない。

 ただ、なんとも落ち着いた、ホッとするかおりに体がんだ。むせ返るような花のでなく、薬草の香がマクロンを包み、自然と深呼吸をしていた。

「(妃は)いるか?」

 マクロンは息をすと、もんの横に並んでいた三人の担当騎士と侍女に問うた。四人とも小首をかしげたが、侍女が一歩前に出てマクロンを先導し始める。

 時おり振り返る侍女のほおが煤けており、マクロンは無意識に手を伸ばしぬぐおうとしたのだが、侍女のげんな顔つきにハッとし、すように手を目頭に持っていく。ホッとするあまい香りが侍女から放たれていて、マクロンはそれにさそわれていた。

 邸宅に近づくにつれ、その香りは増していく。窯で焼かれているパンの香りだとマクロンは気づいた。

「こちらにございます。どうぞ、お入りください」

 窯を見つめるマクロンの足は止まっていた。侍女に促され、こぢんまりした邸宅に入る。

 部屋にはすでに夕食がはいぜんされている。どうやら妃は湯あみのようだ、と判断したマクロンは、顔には出さないものの参ったなと内心思う。マクロンにそのつもりはない。しかし、来た時刻が悪かったのだろう。この刻に来れば、そう考えても不思議ではない。つまり、夜のお渡りであると。最初で最後の一日に全てをかけているのだろうと。

 そうとわかっていても、マクロンは口にする。

「すまぬが、一時の時間しかない」

「はい。ごえんりよなさらず、お召し上がりください」

 侍女は、マクロンの発言を意に介さず夕食をすすめてきた。目の前のぼくな夕食が、マクロンの空腹をげきする。甘い香りのするパンは見ただけでしいとわかる。妃が来るまではどうせひまであるなと思ったマクロンは、席に着き勧められるまま食事に手をつけた。

 焼きたてのパンはふわりと口にやさしく、自然の甘さがする。この香りはくせになるなとマクロンはなつとくした。

 メインの皿はなつかしい肉の包みである。まだ、マクロンの母が健在だったころ、よく食べた料理だ。大人になり、ガッツリした肉を好むようになってからは食べていなかった。

 大きな葉っぱに包まれたひき肉は口の中でほろりとける。幼い頃に、母に切り分けてもらい食べさせてもらったおくよみがえり、思わず口元がほころぶ。

 つかれがまっているマクロンには懐かしく優しい味が体にんでいく。

 ほっと一息つくと、侍女がスープを運んできた。がねいろのスープだ。

 ていねいを取ったのだろう。にごりももなく、一口入れた時には、流れる川のごとく口に残ってはいなかったが、うまの残像が次の一口へと促した。体の中が洗われるようなスープに、マクロンの手は止まらない。

 その横で、侍女は茶をれている。

 マクロンは、懐かしく美味しい食事と、何とも落ち着く香りのするごこのよい邸宅に体がほぐされていく。

「お好きなだけ、おくつろぎを。では、失礼いたします」

 侍女はそう言って茶を差し出し、邸を出て行った。

 きっと妃の湯あみの足し湯を取りに行ったのだろう。マクロンはふぅと息を吐き出した。茶を飲みさらに体の力がける。そして、ゆっくり目を閉じた。

『参ったな。会えずに出ることになるか。それとも、顔だけでも見ていくか。女の準備は時間がかかるはずだ。戻ってきた侍女に妃の準備を促すか……いや、そうやってかせば、かんちがいするやもしれん。参った……ねむい』

 マクロンはからずり落ちそうになり、重い体を必死に持ち上げ茶を再度飲んだ。

 このままでは意識が飛びそうだと、立ち上がりうろうろと歩く。

 だんの前の揺り椅子が視界に入る。そんなところに体をおさめてしまえば、どうなるかはわかっているのに、体はマクロンの意に反するようにそこに向かってしまっていた。

 体に逆らうことができなくなったマクロンは、まれるように椅子にすわった。揺り椅子の揺れが心地よい。まぶたはもうくっつく寸前だ。

『まずいな。まずい、眠い……』

 とうとう、意識がとんだ。


 その頃、邸宅を出たフェリアは、ビンズ、近衛、担当騎士に囲まれていた。

「フェリア様、どうされたのです? なぜ、お一人で出てこられたのです?」

 ビンズはばやいてくる。フェリアは口を押さえ何とかこらえていたが、クスクスと笑い出した。

「あー、おっかしいの。もう、おなか痛いわ。笑うのを必死で堪えたのよ」

 近衛はここでやっと、この侍女らしき女性が31番目のお妃様だと気づいた。ビンズの呼んだ名で。

「私をたぶん侍女だと思っているの。私、夕食を勧めて、お茶も出したわ。あの疲労はひどいわね。騎士に出している疲労回復薬草茶を出したから、きっと今頃眠っているわ」

 フェリア以外の者が、クワッと目を見開き固まった。これでは、事実がどうであろうが夜のお渡りになってしまうのだ。明朝までこのフェリア邸にマクロンがたいざいしたなら。

 フェリアはそんなことには全く気づいていない。ただ王の疲労が重いことから、フェリアにできることをしたまでだ。それは、いつも邸に来る騎士らにするのと同じことであった。

 しかし、ビンズはここで英断する。

「近衛は王様をしんしつに運べ。その後は邸の入口で待機だ。担当騎士は門扉で警護を。フェリア様は王様のおそばでお世話ください」

 その英断に、近衛も担当騎士も異議はないようで、サッと行動に移る。しかし、フェリアはちがった。

ている人のお世話なんてないわよ。寝顔をただ見ているだけなんて、なんてごうもんなのよ。私は、くさベッドで寝るわ。明日も早いしね」

 フェリアはあくびをかみ殺しながら、農機具小屋に向かっていく。あわてたのは、ビンズと担当騎士である。邸に戻ってほしいと何度もこんがんしたが、フェリアはうなずかない。

「王様は私を侍女だと思っているわ。妃だとにんしきしていないの。その程度だってこと。私はその程度よ」

 フェリアは少しだけ瞳をせた。

 ビンズは最初の間違いに今さらながらに気づき後悔した。きちんと、フェリアをマクロンにしようかいしていなかった失敗を。邸に入ってすぐに紹介すべきだったのだ。いくら慌てていたとしても大失態である。

「フェリア様」

「いいのです、ビンズ。私は、私の素のままでいいのです。かざることは私ではないし、へきの田舎娘、二十二のとつおくれが、生涯に一度王様にお会いして、その給仕ができたのですもの、ほまれよ。だから、もう寝かせて。明日もできたら、王様に朝食をお出ししたいわ。あんなに酷く疲れるまで公務をなさっていると知ったら、私の精いっぱいのことをしたいわ。最後になるものね……」

 ビンズの呼びかけをさえぎったのは、なぐさめなど聞きたくないフェリアの誇りであろう。

 フェリアからこぼれ落ちた言葉が、ビンズと担当騎士らの胸をつかんでめつけた。


 翌日、フェリアと担当騎士らはいつものようにあさに向かっていのる。それから、いつものようにパンを焼き、根菜スープを作る。至って素朴な朝食は王の体の疲れを考えてのこと。

 ちょうど朝食が出来上がった頃、バターンと邸宅のとびらが開いた。

 邸宅から出てきた王の顔がいくぶんスッキリしているのを見て、フェリアは笑んだ。

「こちらへどうぞ」

 フェリアは、いつも騎士らと食をるティーテーブルの上に、手作りクルクルスティックパンと根菜スープを並べた。

 パンは、フェリアが王都に来て初めて食べた露天市場のクルクルスティックパンである。パンを細く伸ばした後に、クルクルと棒キャンディのようにうずきを作って成形し焼き上げるパンだ。疲れのある体への補給に、シュガーを練り込み焼き上げた。

 根菜スープは、薬草畑からしゆうかくしたいもを使っている。葉は痛みをやわらげる薬草になり、芋は食べられるが苦味がある。その苦味がようきようそうになるタロ芋である。疲れが溜まった王の体には効くはずだ。ほくほくとしたひよこまめと苦味をおさえる薬草といつしよに煮込んである。やくぜんスープと言って良いだろう。

 昨日と同じ素朴な食事に誘われ、王は無言で促された椅子に座った。

「……(この邸の)主は?」

「……お気になさらず、どうぞお召し上がりください」

 フェリアは、給仕にてつした。

 王の手は、真っ先にパンを取った。パンをほおりながら、王の瞳が緑豊かな畑をながめている。

 少し小首を傾げる王の姿にフェリアは笑みをかべた。きっと、庭園のおかしさに気づいているのだ。

 ここは庭園でなく、すでに薬草畑である。あさつゆのついた薬草が朝陽を受けてキラキラとまぶしい。そよぐ風は、緑の香りを運ぶ。自然と大きく息を吸い込むのは、この邸におもむいた者全て同じである。

 王の体は内から洗われていく。瞳は、何も言わずただ緑を追っている。疲れた目にはよい景色だ。

「頭がスッキリとえる薬草茶でございます」

 フェリアは、コポコポと王の目前でカップに注いだ。湯気が王の疲れたうるおいをあたえる。

 王は目を閉じ、湯気と香りを吸い込んだ。ゆっくり息を吐き出して緑の茶を眺める。

「良い香りだ」

 王は顔を上げた。

「ありがとうございます」

 フェリアは軽く頭を下げる。そして、ゆっくりとフェリアの頭が上がる。王の視線はフェリアに向いたままだ。

 フェリアとマクロンの瞳が初めて重なった。ほほみが二人の顔をいろどる。

が名はマクロン。フェリア嬢、そなたのこころづかいに感謝する」

 マクロンは気づいた。あのいつしゆんの微笑みで全てわかったのだ。


 この邸の主はずっとマクロンの傍にいたことを。ずっとマクロンの体を気遣っていたことを。名のりもせず、短い時間であったがずっとずっと……。

 マクロンが気づかねば、最後まで給仕に徹していただろう。

 マクロンの言葉でフェリアの目は見開かれた。それから、じよじよに頰がれていく。マクロンの瞳がずっとフェリアを見つめていたからだ。

 そんなにぐに、優しい瞳で見つめられたことのないフェリアは、ただただ頰をももいろにさせるだけであった。


 こうして、フェリアとマクロンは初めての出会いを果たしたのだった。

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31番目のお妃様 桃巴/ビーズログ文庫 @bslog

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