第10話水瓶ババア


昔々、一度足を踏み入れると帰ってこれなくなる村があり、薬売りの武三という男も、いつの間にか知らず知らず村に入ってしまった。

のどかな村ではあったが、そこには人の気配を感じることがなく。

「こりゃ、どうしたことだ?」

静まり返った村の片隅に、煙の上がった一軒の民家があった。

安心したせいか喉が乾いてしまい、休憩もかねて、水を一杯もらうことにした。

「すみません旅の者ですが、水を一杯頂けないでしょうか?」

戸の向こう側からは、囲炉裏のバチバチと薪の音がしており、小窓から覗くと人が一人囲炉裏の前で暖をとっていた。

『婆さんか?』

囲炉裏の火に揺れながら、老婆の顔は不気味に揺れて、私の方を覗いていた。

「すっすみません、水を」

「どうぞ、お入りなさい」

その笑顔に安心して、私は家の中に入り草履を脱ぎながら一息ついた。

「この辺りには、人が一人もいないが、どうしたんですかい?」

「今じゃ、こんな山奥で百姓仕事するより、都に出て働き口を探すほうが利口なんですよ、若いもんはもちろん、家族揃って村を棄てて行ったんじゃ、そして、独り身のワシは、今でもここでのんびり暮らしとるんじゃ」

「寂しくはないんですか?」

「もう馴れたよ」

物静かに、囲炉裏に箸をつつきながら、火を見つめていた。

「でしたらこの旅終えたら、私もここで一緒になって住もうかな、ハハハ」

「それはおよし、まだまだ若いもんが、働きを棄ててまで、来る場所じゃありゃせんよ。」

また、ニッコリお婆さんは笑みを浮かべた。しかし、囲炉裏のせいもあってか喉が渇く、話をやめて瓶の水を一杯頂くことにした。

蓋を開けて中を覗くと、普通であれば自分の顔が水面に映るのであろうが、

そこには、不気味な婆さんの顔が水面一面に映し出し、そこから水が湧き上がり、その水が私の手を掴み水の中に引き摺りこんで行くのであった。

フッと囲炉裏のお婆さんを見たとき、私は声を失った。あの話しかけていたお婆さんの姿は、囲炉裏から出る煙から作られていた幻覚であり、私の引き摺りこまれたときには、ただの煙がモクモクと囲炉裏の中からは、流れ出ているだけであった。

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