第12話 菓子屋の親子

「なるほどね、バイスがスランプになったんだね。」


「ああそうだ、そしてシトル様のパンで人間になれたんだ。」


「へ、へぇー。それは良かったねー。」


屈託のない笑顔のバイスに対してメイズは苦笑いするしかなかった。

シトルは配達の仕事があるからと店に戻ってしまい残されたのはバイスとメイズ、フェリノの三人であった。


「冒険者のスランプはよく実戦で治せとは言うんだけどね。職人のスランプはどうすればいいんだろうね。」


「冒険者にもスランプなんてあるんですか?」


「ああ、あるとも。それまで毎日魔物と戦っていた剣士でもスランプに落ちると剣の振り方を忘れてしまうんだ。周りからみるとまるで初心者が剣を振ってるように見えるんだけど、本人からだとどうも思った通りに体が動かない感覚らしい。僕自身なったことがないからよく分からないんだけどね。」


「ああ、お前はスランプにならなそうだな。」


「うん、みんなにもよく言われるよ。」


皮肉だと気づかないのかメイズは喜んでいる。


「実戦、というと人形師にとっては人形作りになりますね。けれどあの勢いで素材を枝にされたら破産してしまいますね。」


「そうだね、幸いにもこの街には職人がたくさんいるんだから彼らにも聞けばいいんじゃないかな?」


実に盲点であった。

僕らの周りにも職人は多くいる。


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「というわけでここに来たんだがスランプの治し方を知らないか?」


「どういうわけよ、まったく。まあいいわ、今は店も人が少ないし付き合ってあげるわ。」


僕とフェリノはマリーの父親の店に来ていた。

メイズは店番をしながらお菓子でも食べているだろう。

お客もそんな多い店ではないし大丈夫なはずだ。

カウンターにはマリーがいて笑顔の接客をしていた、が僕を見ると真顔になった。

店の奥ではマリーの父親が焼き菓子を焼いているのか甘くて芳ばしい匂いが漂ってくる。


「すみません、マリーさん。ありがとうございます。」


「いいのよ、フェリノちゃんにはいつもお菓子作りを手伝ってもらっているからね。」


「ん?そうなのか?たまに遊びに行っているのは知っていたけどお菓子作りもやってたのか。」


「はい、と言っても混ぜるとかの単純作業や味見なんかだけなんですけどね。中でもマリーさんの木の実のクッキーが絶品で味見なのに食べすぎちゃうんです。」


「フェリノちゃんもお菓子作りがだいぶ上手くなったわよ。いつでもうちに手伝いにきてくれていい、って父さんも言っていたわ。それに一人でずっと同じものばっかり食べてると味が分からなくなるからフェリノちゃんの味見もすごい助かってるのよ。」


マリーが可愛がり、フェリノが照れている。

まるで仲のいい姉妹のようであった。


「そうだ、今度兄さんにも味見してもらいましょう。」


「よしてくれ、僕が甘いもの苦手なのを知ってるだろ。」


「大丈夫ですよ、鳥型のクッキーと同じでくどくないんで兄さんもきっと食べれます。」


「そう言えばずっと不思議だったんだが、あの鳥型のクッキーって他の店のと何が違うんだ?」


「うちの店の企業秘密よ、って言いたいけど別に大したことじゃないわよ。他の店との違いは油ね。普通クッキーには牛乳から作った油を使っているんだけど、うちの場合は植物から搾り取った油を使ってるのよ。まあ、他にも色々と秘密はあるのだけどバイスが食べれるのは多分それのおかげね。」


「植物の油かー。それであっさりしてたのか。」


「ええ、くどいものが食べれない老人の方にも大好評なのよ。」


「おい、その言い方だとまるで僕の舌が老人の方並に肥えてるみたいじゃないか、ありがとう。」


マリーはまるで皮肉を言ったが通じなかったかのような表情をした。

僕がよくメイズにする顔であった。


「そう言えばスランプの話だったわね。私はなったことはないから分からないわね。父さんなら何か分かるかもしれないわ、呼んでくるわね。」


店の奥から出てきたのは鬼ではないかと思うほどの大男であった。

年の割に若く見えるこの大男、クロッカスさんはマリーの父親であった。

クロッカスさんはとてもお菓子を作る風貌には見えないが焼き菓子職人としては街でもトップレベルであり、またマリーを男手一つで育てた凄い人であった。。


「坊主に嬢ちゃん、久しぶりだな。何もない店だけどゆっくりしていってくれ。」


「お仕事中にすみません、クロッカスさん。実は…。」


僕はクロッカスさんに経緯を説明した。


「なるほどな、それでスランプについて聞きに来たのか。そうだな、俺でよければ助言くらいしてやるぜ。」


「ありがとうございます。早速ですがクロッカスさんはスランプになったことはありますか?」


本来職人にとってスランプとは思い出したくない事もあるだろう、それでも僕はストレートに聞く。

クロッカスさんは真面目な顔になり、思いだすように話し出した。


「ああ、あるな。あれはスランプと言っていいのか分からないんだが、どデカいのを一発食らった時があったな。あの時は調理場に立っていることすら辛かった。」


僕達は静かに聞き入っていた。


「菓子を作ってると頭の中を様々なことが駆け巡って菓子作りに集中できないんだ。その時はちょうど店が軌道に乗り始めた時だったからな、店を休ませるわけには行かずに俺は無我夢中で菓子を作ったよ。あれほど菓子作りが辛かったことは無かったな。」


話には出てこなかったがあの時とはおそらくクロッカスさんが妻を病気で失ったときなのだろう。

マリーが荒れていたのもたしかその時だったはずだ。


「当然そんな状態で良い菓子なんて作れなくてな、店の評判も落ちていったんだ。店を畳むことを考え出したときあの子がこう言ったんだ。『お父さんがお菓子を作れなくなったら私がお菓子を作るから大丈夫よ』って笑ったんだ。」


あの子とは今クロッカスさんの代わりに奥で作業しているマリーのことだろう。


「情けない話だけど俺はあの子の笑顔に救われたんだ。そのとき思い出したんだよ。俺が最初どうして菓子を作り始めたのか、何のためにお菓子を作り始めたのかをね。俺は、誰かの笑顔が見たくてお菓子を作り始めたんだ。それが分かったら俺はスランプを抜けていたよ。」


そうやって照れくさそうに笑うクロッカスさんを僕はカッコイイと思った。


「湿っぽい話になっちまったがまとめると初心を思い出せってことだな。こんなもんだが参考になったか?」


「はい、とても参考になりました。ありがとうございました。」


そう言って僕は深く深く頭を下げた。

実際には言葉で語った以上の挫折があったはずだ。

おそらくそれは僕でも誰でもないクロッカスさん本人にしか分からないものであったのだろう。

それを他でもない僕のために話してくれたんだ、感謝の気持ちがとても言葉では言い表せなかった。


「ところで坊主、いつになったらうちの娘を迎えに来るんだ?」


「ブッ、ゴホッゴホッ…いきなり何を言うんですか?」


あまりに唐突なのでむせてしまった。

明言しておくが僕とマリーは決してそのような関係ではない。


「いやあ、マリーもそろそろ年頃だからな。坊主がはやく貰ってくれないと嫁に行き遅れるんじゃないかと心配なんだ。なに、マリーのお菓子の腕は確かだ。坊主がスランプで無職になっても養って貰えるだろう、だからはやく孫の顔を…グフッ」


楽しそうに話をするクロッカスさんはいつの間にか店の奥から出てきたマリーのパンチをくらいそのまま店の奥に引きずられて行った。

マリーの表情はこちらからは見えなかった。


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