第十一章苦難


 最初は、何のことはない中島みゆきのDJやYMOの音楽を聴いたりしたのが、どこかおかしいと言われたのである。何言っているのかいまどきの若者のカリスマではないか。父親の主張は古臭い封建的なものであった。

ただ深夜にラジオを聴いたりするのに逃避のにおいを感じていたのも事実である。大学時代の奮闘は露と消え会社にも敗れこれからどうしようと考える事さえいとわしい。私は知らなかった。大学時代は卒業と云う目標が精神を支配し病気に勝っていた。しかしすっかり気が抜けて目標を喪失した時統合失調症に蝕まれそのことの自覚が、ない。それが難関大学を卒業し何をやるかと思えば深夜族となり昼夜逆転となり不健全な生活となった。そうした生活を改めるのに父は荒療治をした。精神病院に入院させたのである。これには父を恨んだ、怒った。天地がひっくり返るほど落胆した。そしてそこは絶望の巣窟であった。

大学卒業も努力もこんな報いが待っていたのか。聞けばいったんここにはいると最低でも三年は入院させられると言い震撼させられた。もう大人とも会うことなく朽ち果てるのか。そんな絶望で一杯であった。どうしたら退院できるか周りの人とは違うということを演じるという事、それは病気の全面的治療には、ならないがしかしここに居たら今まで築いたものを無くし元の木阿弥、骨折り損のくたびれもうけで、学校に出たことなど忘れろと迫ってくる医者、私が心の病に侵されてるにしてもあまりに無残な結末であると思うのであった。大学で培った生きる意味、社会への貢献をしたい。確かに健康を取り戻すことが第一だが何かないか。考えてもこの環境を脱却することが第一であると思うのであった。父に話すとあと半年我慢すれば病気など吹っ飛ぶ。と楽観的であった。その間、掃除を進んでしたり親睦の会に参加したりして回復していることをアピールした。医者は治療効果は認めても退院は認めなかった。結局、父が強引に退院を認めさせた。しかしその間、飲んだ投薬によって大学時代の快濶な自分からは一変していた。ヨブのような苦難の始まりであった。

両親は、私を会社に強引に入れてしまいたいと考えているようであった。

然し私には、その気力がない。学生時代、盛んであったモチベーションが欠けていた、何かのために、やり抜く力が学生の時は、有った。その気迫は度重なる投薬によって忘れかかっている。正直、投薬によって何のために生きているのだという深刻な価値喪失の危機を迎えただけでなく、身体の機能が散漫になり軽いパートタイムの仕事も困難を覚え心身共にボロボロとなり新約聖書とクラシック音楽が拠り所でかろうじて再入院を免れている状態であった。

父親は頑張れと云う勉強してみようという気が起こらない。中島みゆきのDJを聞いている時だけ心が安らげる。父親は其れをぐれたという。現代の青年像の根幹を理解しない旧式の頑固な父親にビクビクしていた。なぜ働けないかと云えば体が散漫になり注意力に欠け仕事をやるKNOW―HOWを教わる基本前提の数学力、語学力、など研鑚を積んだはずの事が全く相手に理解されず適応性なしの烙印ヲ押され統合失調症の二級と認定されてしまった。無念でやるせないが、心が高揚しない気力が出ないそれが病気だと言われるとそういう医学が無機的にしか判定していておらず医術の様なものにあこがれた自分が、浅はかであった。拠り所は、音楽と聖書であった。

聖書の詩編に心ひかれた、神と人間の本音が語られていると感じた。

 イスラエルの人がいかに神様を拠り所としたか詩編第94章―1[主よ報復の神として、報復の神として顕現し、全地の裁き手として立ち上がり誇る者を罰して下さい。主は必ず私のための砦の塔となり、私の神は避けどころとなり岩となってくださいます。彼らの悪に報い、苦難をもたらす彼らを滅ぼしつくしてください。私たちの神、主よ彼らを滅ぼしし尽してください」神様を崇め、またそれに逆らうものを報復してください]という人間の本音が現れていると思った。詩篇の裁く神は、何百年近くイスラエル民族の支えとなった

それほどの苦難ではないにしてもそれでもヨブのような悲痛な叫びは、私にも響く、統合失調症と認定されたため投薬を受けねばならず、その病気の病状として動作の動きの鈍さ、散漫さ、眠りついてしまう。とても就職どころではない状況であった。そして音楽が持つ癒し、安らぎ、安寧を心に響かせてくれた。クラシック音楽、とりわけマーラ、ブルックナーの長大な交響曲に信仰告白を重ね聴くのも一つの聴き方だと思う私であった。また若者らしくビートルズの曲にも「hey,-judo」[,[let it be]などに神様への思いも隠されているように思うのである。こういう思いのみは、まっとうな信仰の発露であると私は信じて疑わなかった。

何が苦しいかと云うと考える事と行うことの隔たり、こうあるべきだというのと実践の違い、かくあるべき姿とかくある姿の差異に歴然としたものである。大学時代の悩み「私とは、何者だろうという問いに答えを望んで悩んだあの時期とは、次元が違う。

あのときは、大学の勉強を行い学園生活を滑らかにするために投薬を受けた。いわばエリートの象徴と云われた。それに対してこの時は『中島みゆき』のDJを聞きたいばかりに深夜族となり結果として“ぐれた”と叱責され憤懣やる方ない有様であった。その延長に病院への入院そこでの扱いはひどかった。これは、感情論であるが精神病院に入ったおかげで重い荷を負うことになった。そう思えてならない。

この状態は不条理と呼ばれる状態だと思えてならない。

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深淵に アベ ユウジ @sdpnx436

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