第4章「激流」
「会長選挙など必要なく大学生活を楽しみたい」佐藤新一は。こういうのである。私も新一と同学学年に会を二分してまで争うとまで強弁する人はいないと思った。
ただ私は、正義と公平のもとに会長選びを実施する。それは会の活性化に繋がりどういうポリシーでこの会は成立しているのか一年に一度想起する時だと考えたのであった。青臭いと言えばそれまでだが私はそう固守していた。私の考えも一理有る筈だと思っていた。大学の講義の予習復習大好きな読書を思う存分することは、人生でも数少ない機会だと思い本を読んだ。だが授業とはかかわりのない文学に時間を割いたがゆえに、経済学部の授業が分からなくなりこのままだと大幅に単位未修得と云うことになりかねなかった。それは由紀子に対する感情の高まりを抑えがたくその時の気持ちを趣味のクラッシクの曲が鳴り響いた。それはオランダのマエストロ、エドデ・ワールド指揮、ロンドンフィルの演奏・ソロがラド・ルプー、ピアノ演奏のブラームスのピアノ協奏曲第一番に聞き入った。演奏の紹介文にブラームスが恩師シューマンの妻クララに魅了されその生涯の恋の始まりの時がこのピアノ協奏曲には感じられると主観的な音楽評論家の論評で有った。一般には、ブラームスがピアノから交響曲に飛躍するための過渡的作品と位置づけられるのが定説であるが音楽は主観的でプライベートな思いを託すことも有ると思う。由紀子をどう自分の中で位置づけるのかに迷っていたその思いを込めてこの曲のCDを聞きつつ心の整理をした。そんなことも含めて先輩のNさんに相談すると読書も恋もほどほどにして外書購読(2),中級ドイツ語、専門科目の選択必修は(本来4科目必要だが)そのうち2科目は必ずとれ!後の科目はお前ならなんとかするだろう。それだけ本を読めば、おおかたはとれるだろう。やけになるな。2年で70単位を取れば振出しに戻る。その時初めて、お前の「悩み」も聞いてやろう。
結果として74単位修得して問題の中級ドイツ語は読本と会話のうち難解な会話が取れて読本まで手が回らず落としてしまい専門科目は、取捨選択して二科目の未履修にとどまった。これは先輩のNさんのコメントで真価を発揮すべきは私が大学三年以降になる。これからだ。もうNさんは卒業だ。この会で会長をやり彼なりに考えた結果会社も最大手商社のM物産に、晴れて本社勤務となり希望に胸躍らせている・その俺が言うお前には独特なペーソスが有りそれを理解する女性が現れる事を祈るばかりだ。お前の志望会社はどこだ「コクヨかパイロット。なぜだ。」私は答える。「コクヨの様な文房具大手が廃れる事はないしパイロットのブランドも生き残ると思うからです。」20歳にしては見識が有ると言われた。念を押すが哲学や文学などに手を染めるな。お前、ガルブレイスやマックス、ウェーバーは読んだか。まだならぜひ読破したまえ。ドラッカーも忘れるな。Nさんは、後輩思いでは有ったが会長になったのが有利に働いてM物産に入った彼に会長選の矛盾等相談出来る筈はなかった。
激流に流されまいと抗う私であった。経済学部では、ゼミナールが必修になり、私は就職実績のよいクラスに所属した。Nさんにそのゼミに入る必勝法を伝授された。東山にも村中にも要領は教えた。実践したのは君だけだ。言って置くがここは勉強も厳しいが人付き合いもできなければゼミで浮いてしまい、勉強は一人では出来ない英語のテキストだからね。その代りゼミ生は例外なく志望の会社に入っている。俺が心配するのは、深酒だ、ほどほどにしろよ。心からの忠告だ。身を誤るな。実際このゼミの指導教授の武田先生は、原書の読み方から酒を飲んでも論旨を外さないことは偉い先生だと私はつくづく思った。た。ゼミ長から酒はほどほどにして学業に専念しろと言われ飲むとくらくらする自分には酒は、向かない。勉強の方を頑張ろう。原書をいきなり読んで意味を理解するほど甘くはなかった。日本の国際金融の代表的教科書は読んで個々の文はこういう意味だ。と最初は類推するのである。外れてそこは単なる補足やジョークである場合もあって一筋縄ではいかない文献であった。原書を5ページ~8ページの訳を作り論点を絞ってゼミの前段階にサブゼミと云うのが有って原書の意味をいわば解読するのである。順番にクラスで発表の機会が有り90分英語をたたき台に金融の基礎、英語の読み方のコツ、日本経済新聞の読みかた等を学んだ。飲む方はこいつと飲んでも面白くないようで酒は飲むべしされどおまえは30分で十分。急性アルコール中毒などになったらせっかくの勉学がフイであると先輩に言われた。
激流に耐え仲間と川下りをしているかのようである。皆と一緒に激流を下りきろうと頑張ったゼミ生活であった。
カトリック学生の会などわたしがいなくとも機能していた。一週間に2~3回行く程度で、英文学科の中山君も授業がついてゆくのが大変でおれも週に2~3回しかカト学には来てないよ、わたしは実は単位が普通にとれてなく74単位しか取れてないのだ。ゼミ生は、ほとんど八五~九〇単位取れて四年になったら就職活動に専念することが出来るのに俺は、どうなるのだろう。心配するな。俺の所など単位こそとれているが就職活動などする奴は、数えるほどしかない。英語を生かすしか道はなく大学の教員か翻訳家ぐらいしか考えられない。今にして思えば私もまた中山君と同じ立場であることに気付くべきであった。単位なら楽勝コースを履修すればよいだけの話であった。楽勝コースでは東山にでも聞けば済むことであった。
皆がお互いに今を大切にするしかないのだよ。
と励まし合った。楽勝コースとは東山に聞くと高校の延長のような科目を教えてくれて、これなら何とかなるはずと得意げに話し、何より自慢なのは彼が言うには彼女に限りなく近いガールフレンドと交際中でゼミなどどこも同じだと笑いながら彼女は英文科でセンス抜群だそうだ。そう言えば村中は専門科目をあらかた取り終えて就職活動に集中するようだ。
グットラックと云って健闘を誓いベストを尽くそうと語り合った。今を大切にする。それしかない。この時私は自分を支えているのは何か自問自答してみた。信仰か?確かにこの頃、その始まりを感じさせる心中の変化を感じていた。しかし土の中に芽生えた芽を大切にしたいとは思うが、私を支えた気持ちは自尊心ではなかったかと思う。プライド(誇り)とも違う。私は、それを福音書から学んだ気がする。それは、キリストの受難を福音に従って読むと、あれほどのあざけり、憎しみを浴びせられてイエス様が使命を全うできたのは、もちろん神様への揺るがぬ信頼があったからだと思うが、見逃せないのは彼の人間としての自尊心が受難に耐え、人間性を失わずに済んだ原動力ではないか。自尊心は、人ならだれでも持っているもので誇り(プライド)とも違う、重いプライドに押しつぶされる人も見てきた。プライドを否定するものではないが、人間の人間らしさは自尊心に培われているそのように私は思う。
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