第5章「渦中」

 三年間で獲得した単位は110単位で4年で必要な単位は132単位で、順調にいけば三年であらかたけりはついた。ただ繰り返すが忘れてはいけないのはドイツ語が未履修だったということで、これは全て出席が必要。70点以上でなければ単位修得は難しい。全力で学ばねばならない壁であった。ゼミについては先取りして述べたがゼミでは原書に集中して今にして思えば、酒は鬼門で避けねばならなかったファクターであった。ゼミはタフな学びであった。クラブ活動ではカトリック学生の会に在籍し、孤独にならずキリスト教と云う背景が有るから大学で感ずる孤独を回避できた。時田聖書研究会には、出席していたが、佐藤新一の言う解放の神学や伊藤努の言う韓国カトリック事情など聴く側に終始して自分が知りたいのは福音の精神だ。と述べるとさも遅れているかのようにそんなのは前提だというが私にはイエズス会の今を知る必要も感じない。新一が言う「この大学はイエズス会の経営する大学でありこの会はイエズス会のスポークスマンを育成する唯一の会なのだよ」と新一が言うのには初耳であった。思うに会長になるのに格付けをしようと云う気なのかと思った。わたしは、福音の精神に照らして学園生活を過ごす道しるべの様なものが必要で、それには大所高所にたちリーダとして会を統率する人物を募り選挙で選ぶのが順当と会員として思って居た。

新一はシンプルが一番だと主張していた。

村中徹は私の意見に同調してくれて、はっきり言って私がここまで食い込むとは思って居なかった。中退の線が大きいと思って居た。だから距離を置かせてもらった。だがゼミも頑張りカト学でも力を発揮するなら側面援助するよ。

私の株が上がってきたのである。

大学生活のこの時期、勉学にクラブ活動にフル回転して頑張れねばならなかった。

弱点が有るとすれば深酒であり健全な精神を蝕む元凶であった。重ねて気を付けねばと自分を戒めるわたしであった。人生とは何?俺って何?と云う問題は、哲学的すぎると思い棚上げにしたのである。経済学を学ぶのに「二兎を追うものは一兎をも得ず」と肝に銘じ理論と数学の世界、グラフと解の世界に没頭した。

整理すると初年度に半年間勉学に没頭した時期の感触がこの時期の頑張りの基礎力となっていた。頑張れるということがこの上なくうれしかった。達成感を感じ始めた貴重な時であった。この感覚を忘れたくない不動のものにしたいと沈思して思い定めた。そんな鉄は熱いうちに打てと云う通りハードなゼミ生活であった。

そんな時先輩のNさんに呼び出され世間話をしたところで、カト学の会長選にはどう臨むつもりかい。会長に立候補する気はあるのかいと問われ、とんでもない,公生な選挙が行われれば、何も望みません。Nさんは言外に『それじゃだめだ。これは、DEAL[契約]なんだ。僕が見るに会長とゼミの兼職は、君には、無理だ。いいかいここで自分を高く売るのだ。副会長のポストをえなさい。そうすれば僕の会社に入れてやる。コクヨもいいが、果たしてゼミの勉強が生かせるかね。僕のN

物産なら総合商社として切磋琢磨し、そこは、君の頑張り次第だが、コクヨでインクに染まるよりわけがちがう道が有るよ。そこが違う。私は声を大にしてもコクヨだって立派な会社じゃありませんか。と憮然として言うと確かに国内では、超一流さ。しかし「金は世界を回る潤滑油だ」というのがこのゼミの趣旨じゃないか。何度も言うようだがこれはDEAL[契約]なのだから。君も大人になりなさい。

自分が正論と思って居たものが幼稚に思え、「金は世界を回る潤滑油」と云うのは、ゼミ生の共通認識であり生命線であった。

Nさんはカト学の前会長でOBの意見を集約する佐藤新一には前会長の意見は重いものであることは想像に難くない。そう推測するのは正論であるように思えてきた。

しかし、釈然としないのも本心であった。

考えてみれば、半年の出遅れが、新一とのすれ違いを生じた彼の意見にただ合いの手を打っていれば、副会長のポストはともかく親しい友でいられたはずだ。山田一雄に興味がないわけで、はなかったが。たまたま共感しなかっただけであった、しかし半年の勉強に専心したことで、4年卒業が視野に入り、当時は学部内では半年で中退する人と見なされていた、今頃になって学内の女子学生から君の存在はユニークであるとかボーイ君頑張っているねとか声をかけられたが、いまさら懐柔されはしなかった。半年の頑張りを認めたのは由紀子であり一時的にキョウジュなどと呼ばれたのも彼女に関係あるのではと惻隠するのであって暴き立てるほど子供ではないつもりであった。一度加速度がつくと、そんなに過酷な勉強ではなかった。ただドイツ語の中級の読本だけは辞書で単語を引きほとんど丸覚えで覚え接続法が最後まで手に余り70点をかろうじて超過し,後は出席点で講師の心証を良くするしかなかった。それでも大学で一度、分からなくなると悪夢にうなされ八方手をつくしてもダメは変わらないものであった。私の場合、ただ接続法を鵜呑みにするそう割り切って対処しようと思って居た。傷を広げない。大学の勉強は、そんなものである。

それでも、その後の人生において4年間で50科目近い科目を全部履修するだけの機会は、ないとは言わないが生かせるものが残るにはこれくらい学習せねばならないというのが不文律であった。わたしは、その中で26個の優と20の良と7つの可であった。ダメなものは深入りせずに可に修めた。私はこの成績に満足している

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る