羽ばたけ
水鳥彩花
もう誰にも落とさせやしない
**** 雲雀の悲鳴
「アンタなんか産まなきゃよかった!」
また言われちゃった。コレはおかーさんのクチグセ。いつもこの後に「アンタのせいであの人いなくなっちゃった!消えちゃった!」「私はアンタに全部奪われたの!全部全部ぜーんぶっ!」「アンタはただの悪魔よ」「早く消えればいいのに」って続くんだ。今日もそうだったよ。
「何笑ってるのよ、気持ち悪い」
アハッ、怒られちゃった。大人しく聞いてたのになぁ。僕はおかーさんの声が大好きだから、おかーさんの言葉を聞いていると嬉しくなって、つい、笑っちゃうの。おかーさんはそれが嫌みたい。「こんな時に笑うなんて……」っておかーさんは言うけど、ひとは嬉しい時は笑うんだよ。だって、本に書いてあったもん! 僕、正しいよね。
おかしくないよね。
「おかーさん、おかーさん」
「私を、そんな風に、呼ばないでっ」
ならなんて呼べばいいの? おかーさんは、おかーさんだよ。
僕のたった一人の、おかーさん。世界で一番、大切な人。
「ねぇ、ねぇ、どこに行くの? 僕も連れて行ってよ」
「アンタなんか外に出ていいわけないでしょ。一生ここで過ごすの」
「でも、でも、僕も行きたい」
おかーさんと一緒に。
「触らないでっ」
おかーさんのお洋服を掴んだら、突き飛ばされて壁に頭を打っちゃった。痛いなぁ。
目からポロポロ熱いのが零れる。僕、これ、嫌い。だってこれを零すと、おかーさん、怒っちゃう。「泣きたいのは私よ」って。
おかーさんがしたいこと、とっちゃダメだよ、僕。
でもこれの止め方がわからないの。困っちゃう。
「ごめんなさい、シリル」
「……え?」
おかーさんがしゃがんで、僕を見ている。綺麗な目が、僕だけを見ている。おかーさんが、おかーさんが、僕の名前を、呼んでくれた!
名前は両親に貰う初めての宝物、って本に書いてあった。僕って物知りでしょう?僕のお父さんは消えちゃったから(どうやって消えたのかなぁ?すっごく気になる)「シリル」はおかーさんがつけてくれた名前。でも最近は呼んでもらえなくて、ちょっぴり寂しかった。
でもいいや。今日呼んでくれたから、今までの寂しかったのがどっか飛んでっちゃった。嬉しい。凄く、嬉しいのー!
「痛かったよね、シリル」
「平気だよー、僕、強い子だから!うふふっ」
おかーさんが笑ってくれている。僕が強い子だと嬉しいのかな?
「ねぇ、おかーさん。僕も連れて行って」
「……それはできないの。でも、帰ってくるから、いい子で待っていて」
「いい子?」
「そうよ。……シリル、いい子はお母さんが来るまで、外に出ては駄目よ」
「うん! わかった!」
それなら簡単。おかーさんと一緒じゃないなら外なんて、どうでもいいもん。僕が行きたいのは、おかーさんの行きたいところなの。
「いってらっしゃい、おかーさん!」
「……バイバイ、シリル」
あ、いつ頃帰ってくるのか聞き忘れちゃった。
外が暗くなってきた。でも僕は明かりのつけ方なんてわからないから、おかーさんが帰ってくるまで待つの。ご飯はまだいらない。おかーさんが、一緒に食べよ、って言ってくれるかもしれないもんね。
どんどん暗くなってきて、ちょっと怖い。でも、おかーさんは強い子なシリルが好きだから、ジッと待つ。眠くなっても寝ない。おかーさんが帰ってくるの待ってなきゃ。おかえりなさい、って言わなきゃ。「人の留守中に勝手に寝ないで!」前、怒られちゃったんだ。
いい子だから、失敗は繰り返しちゃ駄目なんだよ。
あさになっても、おかーさんは かえってこなかった。どこかで おとまりなのかな。
つぎのひも、またそのつぎも。
わかった、りょこうに いっているんだね。うふふ おみやげ かってきてくれるかなぁ。でも、なくてもいいの。おかーさんが かえってきてくれれば。
おかーさん おかーさん
どこにいるの? いつ かえってくるの?
おかーさん おかーさん
くらいのは、いや。しずかなのも、いや。ひとりぼっちは、こわいよ。
あるひ、とつぜん とびらが あいた。
でも、おかーさんが かえってきたわけじゃなくて。みたことのない ちょっとおおきな おんなのひと。そのひとは、ぼくをみて いやそうな かおをした。おかーさんが よくするかお。おかーさんのほうが きれい だけど。
「あの女……こんな子残して逃げたのね」
にげた だれが
「こんな気味の悪い子、どうしろっていうのよ!」
おんなのひとは、とっても おこっている みたい。
「……ねぇ、おかーさん、は?」
ぼくのこえは、ぼくじゃなみたいに がらがら だった。
おんなのひとは、ぼくのことを みおろしながら、はなをならした。
「ふんっ、わかんないのかい? アンタ置いていかれたの、アンタのママにね。捨てられたの。ったく、どうしようもない女だよ。ありゃあ屑だね、屑!」
やめて やめて。おかーさんのこと わるく いわないで。
「そんなことない。いい子にしてたら、帰ってくるって」
そう いってたんだよ。わらってくれてたんだよ。
「いい子ぉ? ……じゃあ一生帰ってこないね。アンタがいい子なわけないし。屑の子は屑。昔からアンタは気持ち悪い子だと思ってたけど、親がアレなら仕様がないのかもね」
おんなのひとの くちからは、いやなことばしか でてこない。
いや いや ききたくない。おかーさんは そんなひとじゃないよ。かえってくるって いったから。まってて、って。いい子にしてるの。
「おかーさんのこと、悪く言うなよ」
とまらない おんなのひとの くち。
ちゃんと ぼくは やめて っていったよ。でも、むし、するんだもん。だから、ぼくは
「きゃああああああああ!」
おんなのひとに とびかかった。
のどにかみつく。ほっぺをひっかく。おなかをける。
やめて やめて。おんなのひとから こぼれる ひめい。
きこえない きこえない。だって ぼくだって いったもん。でも きいてくれなかったでしょ。だから ぼくも、きいてあげないの。
ちまみれになった おんなのひと。おとこのひとが あわてて やってきて ぼくはなぐられた。おかーさんに たたかれるより いたくて おもかった。
それからは だれも こなかった。
なんども なんども よるがきて、なんども なんども あさがくる。あさは ねむらないと こないんだと おもってたけど、そうじゃないみたい。
ぼくは また かしこくなったよ。おかーさん、ほめてくれるかな。
おかーさん おかーさん。ぼく、まってるよ。いい子にしてるよ。ねてないよ、そとになんか でてないよ。
かえってくるよね。ぼくのこと おいてって ないよね。すててないよね。
まってる まってる。まってるよ。ぼくは まだ まてるよ。
**** 金糸雀は囁く
たまたま立ち寄った小さな島は、海賊には慣れているらしい。
少し一人になりたくて、市場から離れたところを歩く。頭に浮かぶのは、船員たちの目。不満、侮蔑、猜疑、困惑……どれをとっても好意的なものなんて一つもない。
自分の船だというのに、居心地の悪さにため息が零れる。
仕方がないことだとは思う。まだ十代の子供が船長になったのだから。こっちは子供なんだから、もう少し優しくしてくれてもいいじゃないか。そんなの武器にもならないことぐらい、わかっているんだけどね。
色々なことを考えていたら、大分遠くまで来てしまった。港の方角さえわかっていれば、帰れないなんて恥ずかしいことにはならない。
でも、もし船に置いていかれたらどうしよう。絶対に有り得ないとは言い切れないものだから、自分で考えだしたくせに悲しくなった。そうなったら、嫌だな。
僕は皆のこと、好きだから。
例え彼らの視線が僕の心を切り裂こうとしても、どうしても、捨てられそうにはない。あんな針の筵でも、あそこが僕の居場所だ。誰にも譲りたくはない。
そろそろ、戻ろう。
足を止めて、伏せていた目線を上げる。その時視界に入った家は、なんだか周りと違う気がした。特に汚れや損傷はないが、少しくらい。「お前は勘が冴えているね」いつだったか、兄に言われた言葉。これが勘なのかはわからないが、このままにしておいては駄目な気がする。理由なんて、ないけれど。
「誰かいるの」
ノックをして、声を掛ける。返事はない。頭の中で誰かが「開けてしまえ」と囁いた。ドアに鍵はかかっていない。
「お邪魔します」
そっと中を覗く。暗い。それに、なんだか臭い。思い切ってドアを全開にした。
「っっ!」
玄関からすぐの部屋の、更に奥にあるドア。そこは開けられていて、先は暗闇に近い。けれど、キラリと光る二つのあれは、目か。
驚きすぎて心臓どころか、身体も一緒に跳ねた。
こんな情けない姿、兄たちに見られたらなんて言われるか。いる筈もないのに、つい周りを見回してしまう。
一度大きな深呼吸をし、室内に足を踏み入れた。引き返す、という選択肢がないのが不思議だ。床に扱いなれた道具を見つけて、手に取り明かりをつける。ここは、リビングか。ソファやテーブルがある。暫く使われていないのか、埃が目立つ。それなら奥の部屋は寝室かな。
変わらず爛々と光っている二つの光に、ゆっくり近付いてみると、やはり目だった。しかも持ち主は、僕より小さな子供。座っているその子に合わせて、しゃがみこんだ。
臭いの原因は、この子だ。正直見るからに不潔で、怪我をしているのか肌に血がこびりついている。頭からだけど、これ、大丈夫かな。
「こんばんは」
挨拶してから、まだ夕方前なのに「こんばんは」は早いかな。まあ、いいか。
「ここ、お前の家?」
反応はない。目は僕を見ているようで、見ていない。
試しに明かりを近付けてみたけれど、一度瞬きをしただけ。生きてるってわかっただけ、いいかな。
「一人? 親は?」
「……~~あ、っ、あっ」
今度は反応した。でも、声が上手く出せないみたいだ。息を吐く音や、意味のない音しか出ない。なんとなく「おかーさん」って聞こえた。
育児放棄
頭の中で、その言葉が点滅する。この子の親は、きっと帰ってこない。そしてこの子は、もうすぐ死ぬ。
冷静にそう判断した自分の頭に、寒気がする。
こんな現場を発見したからには、放置なんて出来ない。
「よかったら、僕のところへおいで」
**** 船医は思案する
『小さな子』がまた海に飛び込んだ。一体今日で何度目なんだろう。その度に、あの子が助けに行く。小さな子は、泳げない。なのに飛び込んで、どこかへむかおうとする。いつもすぐに沈んでしまうけれど。
休息として立ち寄った島で、一人どこかへ行ってしまったあの子は、日が沈む頃になって小さな子を抱いて帰ってきた。血まみれで。
小さな子は酷く衰弱していた。あのままだったらもって二日だったと思う。そんな消えかけた命を回復させるには相当な時間がかかる。小さな子が来て数日経ったが、勿論本調子なわけがない。そんな身体で海に飛び込めば、いつ死んでもおかしくない。
船員の間では「本当は死にたいんじゃないか」「あいつのせいで死ねないんだろう」なんて言われている。
あいつ、というのは小さな子を連れてきたあの子、カナリアのこと。前船長が死ぬ前に次の船長として指名した、まだ十六歳の少年。
あんなことを言う船員たちは、何もわかっていない。カナリアのことも、小さな子のことも。小さな子は死にたいのではなく、帰りたいんだ。
小さな子はカナリアの部屋で生活している。はじめは医務室だったけれど、あまりに暴れるものだから、カナリアが引き取った。それ以来、彼には傷が絶えない。そしてうっする隈が出来るようになった。
「サンディ。私はあの小さな子を島に帰すことを、提案するよ」
副船長であり、幼馴染でもあるサンディに告げると、彼は私を見て眉を寄せた。最近彼もつかれている。原因は勿論、小さな子。
「そんなこと、」
「わかっているだろう。小さな子のせいで、あの子が……カナリアがまた悪く言われているよ」
「駄目だ」
「どうしてさ」
おかしいな。カナリアの名前を出せば、同意してくれると思っていたのに。
「船長のカナリアが決めた。あいつをここの一員にすると」
「……まだ名前もわからないのに?」
サンディは一度瞬き、鋭い目を甲板に転がる二人へ向けた。私が知る中で誰よりも目付きの悪い彼は、唯一人にだけは、特別優しい色を滲ませる。
「あいつを、小鳥だとでも思っているのか」
パンケーキにトッピングされた生クリームみたいな声に、私は肩を竦ませることしか出来ない。
「カナリアは
「狼相手に鷹とは、大きく出るね」
それぐらいの男だ。と言い切るぐらいなら、是非本人にも伝えてやってほしいものだ。次期船長はサンディで間違いないと信じていた他の船員たちからしてみれば、カナリアへの陰口を彼が止めないのは、サンディもまたカナリアを良く思っていないのだろう、と結論付けてしまっている。この男が動けば、船員たちの意識だって、一気に変わるというのに。
「カナリアを想うなら、もう少し態度を改めるべきだ」
「それでは、意味がない」
彼が首を振る理由を、私はまだ理解出来なかった。
**** 金糸雀は歌う
殴られ、蹴られ、噛まれ。
この子と居ると血だらけになる。連れてくる時も大変だったけど、少し元気になったおかげで、もう、なんか、凄い。
頬の傷に水が沁みる。腕や脚は引掻かれた跡や歯形だらけ。首への攻撃は避けているから無傷だけど、そこだけ綺麗なのが変な感じ。
「うーッ、うーッ!おかーさん、おかーさん!やだやだッ、帰るのー!」
焦点の合ってない目を見開いて、ずっとそう叫ぶ。
体力、よくもつな。僕よりもガリガリで小柄な身体でも、全力で暴れられると、押さえつけるのは大変だ。怪我をさせないようにするんだから尚更。
いくら暴れられようが、怪我をさせられ「帰りたい」と喚かれようが、僕の中にこの子を手放そうという考えは浮かばない。面倒な子だとはわかっている。船員たちからなんて言われているかも知っている。でも僕は、僕だけは、この子を捨ててはいけない。頭の中で、誰かがそう言うの。
「帰りたいッ、帰らなきゃあッ、お家にー!」
「うッ……」
骨と皮だけの細脚が、僕の腹にめり込んだ。一体どこにそんな力があるんだ。打ち所が悪かったのか、上手く力が入らなくなった身体が、彼に覆い被さるように倒れる。ベッドが軋む。こんな無防備な状態じゃ、また殴られるかな。
「ッあ、……うう、」
予想に反して、彼は小さく呻くだけ。なんだか今までと様子が違う。これは、チャンスかもしれない。下敷きになった彼を押し潰さないように、少しだけ起き上がる。鼻と鼻が触れ合う距離で、彼の瞳を覗き込んだ。視線は、合わない。
「ねぇ、もう帰る必要なんてないよ」
「うーッ!」
彼が小さく震える。
横に転がって彼を抱きしめると、大きな夕焼け色の目が揺れているのに気が付いた。いつもと違うね。驚いているの?それにしても、すごい隈。
「帰らなくていいよ。ここは、家にしちゃえばいいよ」
「あッ、でも……おかーさんが、おかーさんが」
この子にとって『お母さん』という存在は僕が思っているより大切らしい。僕には母なんていないも同然だから、よくわからない。
船医によると、この子は日常的に暴力を受けていて、満足な食事も与えられなかったようだ。挙句の果てには、捨てられて。それでも、この子は『お母さん』を求めている。本当に大好きなんだね。
理解できないよ。
「おかーさん、いい子にしてたら……帰ってくるって、だから、待ってて、って!僕、いい子だからッ、帰らなきゃ……ッ!おかーさん、帰ってきてくれないよおッ!おかーさん、おかーさん、いい子、いい子は、外出ちゃ駄目って。だから、だから、お家に。お家に……おかーさん、」
大きな目からポロポロと涙が零れる。泣いているところを見たのは初めてだ。かさかさの肌を、涙が撫でる。
隈が出来ているのに、目尻は真っ赤。なんだかそれが面白くて、指で撫でた。指先が触れて、途端に彼の動きが止まる。
「どうかした」
「あ……う、おこらないの?」
「ええ?ふふふっ、怒るわけないよ」
そう言って、まだ硬直している彼の頭も撫でてみた。ごわごわした感触は好きじゃないけど、今はとても、心地好い。
**** 雲雀の唄
やさしい人に であいました。
とびらのむこうから やってきた その人は、光を もっていました。でも、ぼくには その人が かがやいているように見えました。
ぼくは やさしい人のことを たくさん けりました、かみました、ひっかきました。まいにち まいにち、やさしい人は血でいっぱいです。
きっと いたい。ううん、ぜったい、いたい。
それでも やさしい人は ぼくを見て笑います。やさしい やさしい笑顔。それに かわいい笑顔。おかーさんは しなかった笑顔。
ぼくは、わらってもらうたびに、ぽかぽか したの。
やさしい人は かみと おめめが とても あったかい色をしています。ここを お家にしちゃえばいいよ って。やさしい人の ことばは あったかくて甘い。ぼく、とけちゃいそう。
でもね、ぼくは おかーさんが いるんです。いい子にしていれば おかーさんは かえってきてくれる。いい子は外に でちゃいけないから かえらないと。
いい子だから いい子だから ぼく、いい子だから。
「じゃあ、お前はもういい子じゃないから、お母さん帰ってこないね」
「……え?」
いい子、じゃ ないの?
そんなの うそだ。そういいたかったけど、やさしい人の言葉は ぼくの むねに ぴったりはまりました。
そうか。そうだったんだ。
おかーさんが かえってこなかったのは、ぼくが いい子じゃないからなんだね。
ぼくの目から あつい水が どんどんでてきました。ちょっと しょっぱい。やさしい人は ぼくが水を こぼしても おこりません。やっぱり やさしく かわいく笑うの。それでね ぼくの頭に手をのせて、よしよし、ってしてくれる。
ぽかぽか、あったかい。よしよし、やさしい。この人は、きっと すごい人なんだね。だって、こんなに僕を幸せでいっぱいにしてくれる。
「こんなに肌かさかさなのに、人ってまだ水分出せるんだね。人間って、凄い」
「うー……」
「こするな。赤くなるよ、えーっと……あれ?そういえば、名前、まだ聞いていないね」
名前。おかーさんからのおくりもの。
僕は自分の名前が、大好き。大好きなおかーさんから貰ったものだもん。好きじゃないほうが、おかしいよね。
「シリル……僕、シリル」
「シリル?」
「うん」
やさしい人が呼んでくれた名前は、キラキラ、光ってる気がするの。おかしいな。今まで一番はおかーさんだったのに。
「そっか。シリル、ね。みんなにも教えてあげないと」
「みんな?」
「いーっぱいいるよ。きっとみんな、シリルのお兄さんになってくれる」
お兄さん。それはとっても素敵な響き。とってもわくわくする。なら、この人は何になってくれるんだろう?
「ねぇ、ねぇ、君は?」
「僕? ……僕は、ここの、船長。なりたてだけどね」
「せんちょー……」
うーん。知らない言葉。僕が読んできた本にはそんな人、出てきたことないや。
「この船の……えっと、一番偉い人、かな。一応」
「すごおい!」
そんなことないよ、って何故か悲しい顔をしたけど、凄いに決まってる。
「じゃあ僕、船長って呼ぶー! うふふー!」
「え、?」
「いいでしょー?」
「う、うん……! 勿論だよ!」
「えっへへー船長!船長!」
何度も何度も呼ぶと、船長は嬉しそうに笑ってくれた。やさしい、かわいい!顔が少し赤いのは照れちゃってるからー?
「船長かわいい!」
「え、ええ!?」
ぎゅうう、って抱きつくと船長は小さく笑いながら、背中に手を回してくれた。わあ、いい匂い!
「船長、船長、あのね、あのね、うふふっ、僕ね、船長のこと好きー!ふふっ!」
「……ありがとう、シリル」
僕もだよ。って、船長の言葉はやっぱり甘い。
**** その羽音は、誰のもの
「サンディ、あの子の名前『シリル』って言うんだ」
「そうか。名前、わかってよかったな」
夜の甲板で潮風を浴びる。僕は海を見ながら。隣のサンディは、縁に身体を預け、海に背を向けながら。
彼はこの船で今、誰よりも人望の厚い副船長。発言力は僕より大きい。
僕が船長になったとき、サンディは反対しなかったけど、喜んでくれたわけでもない。
「シリルね、僕のこと『船長』って呼んでくれる。……凄く嬉しい」
なんだか認めてもらえたみたいだった。シリルはあまり意味が分かっていないみたいだけど、それでも嬉しかった。
ずっと誰にも呼ばれなかった重いだけの肩書が、ようやく僕のものになったみたい。
「僕、みんなに認めてもらいたいんだな、って思わされたよ。今、ジョンブリアンの船長は僕なんだぞ、って」
サンディは何も言わない。返事を考えてくれているのか、考えていないのか。それともする必要がないと思っているのか。でも横からの視線を感じる。それだけで充分だ。
「頑張るね。みんなに『船長』として好きになってもらえるように、努力する」
「そうか。……応援してる」
「うん、サンディはそれぐらいが丁度好いよ」
いつになるかはわからない。簡単に成せることだとは思わない。それでも、大好きな船員たちに、その気持ちだけでも届けていこう。
『
羽ばたけ 水鳥彩花 @mdraaa
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