「フランダースの犬」のやり切れなさを思う

「人魚姫」関係のお話を書いたので関連?で少しだけ真面目に語りたいことをm(_ _)m


「マッチ売りの少女」もだけど、報われないまま最期を迎えるお話ってありますよね。

 勿論、救いというか、天使達が迎えに来て天国に…的なのはあるわけですが。


 そういうお話の中に「フランダースの犬」があります。

 ラスト、唯一の身内だった祖父を失い、最後の希望だった絵のコンテストにも落選したネロは、飢えと寒さの中、大聖堂で奇跡的にどうしてもひと目と願っていたルーベンスの絵をみることができ、愛犬パトラッシュと共に静かに息を引き取ります。


 このルーベンスの絵をみることができたことが救いとして書かれているのですが、実は次の日までネロが生きていたとしたら、全ては好転していたのです。


 コンテストには落ちたけれど、ネロの絵の才能を認めて指導したいという著名な画家がネロを探していたし、誤解していた村人や交際を反対していた頑固な幼なじみの父親もネロにこれまでの事を謝り、改めて救いの手を…と思っていました。


 全ては遅すぎました。

 たった一日、間に合わなかったのです。


「フランダースの犬」は名作です。

 感動と涙で人々の胸を震わせます。


 でも、わたしは、最期にあれだけみたかったルーベンスの絵をみれて、パトラッシュと共に天使に連れられ天国へ行ったから、救われて良かった、とはどうしても思えないのです。


 明日になれば、幸せになる道が待っていた。

 ネロが、あと一日生きていることができていれば…。


 わたしはよく、子供達に苦しい時、言います。

「フランダースの犬のネロのようにだけはなるまいよ」と。


 明日、何があるかは誰にも分からない。

 今日、辛く苦しく絶望しかないように見えても、今日を生き延びれば、明日には好転しているかもしれない。

 それを見ないままで諦めるのはあまりにも悔しいじゃないですか。


 わたしの好きな漫画「銀魂」の

 坂田銀時の言葉に


 ❝ 美しく最後を飾りつける暇があるなら、最後まで、美しく生きようじゃねーか。❞

 ……… 「銀魂」坂田銀時より引用


 というのがありますが、わたしもこうありたいと思うのです。


小綺麗な生き方や最期は迎えられなくとも

なら尚更に

自分に出来うる最後まで

無様で不器用だとて諦めないこと。

"明日"は誰にもわからないから。

だからこそ、

"明日"の自分の為にも。

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