*父のことを少し話していいですか
【 まずは長文になることをお許しください。
いつもの「ごった煮ノート」とはちょっと違うので、これはちょっと・・・と思われたら読み飛ばしてくださいね。
実は書くかどうか迷ったのですが、やっぱり書き残しておきたくなって。
この回だけ、この時間に公開させていただきます。
そして、明日の朝からは、いつもの「ごった煮ノート」に戻ります 】
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人には二種類のタイプがあるといいます。
褒められて嬉しくなって頑張れるタイプ。
わたしは確実に後者です。
まず、失敗すると誰かに言われる前に自分を責めてしまって萎縮してしまうのです。
反省する事は大切だと思う。
間違いを繰り返さないように確認するのも必要ですよね。
でもある程度それをしたら、気持ちを切り替えて引きずらないようにした方が効率的だと思うのに。とにかく全てに自信がもてない。
今はそれでもかなり、自分を許せるようになってきたんですが、若い頃のわたしにはまったく余裕が無くて(今もあるとは言えないけど)失敗=終わり みたいな・・・極端さでした。
思うのは、怒るのではなくて、きちんと叱ることの難しさです。
その上で、ちゃんと褒めるべき所は褒めて、認めてやって自信をつけさせたい。
自分がそうされたかったから、これは反面教師としてかもしれません。
*****
歳を重ねてくると、親も一人の人間で、欠点も弱さも持っているんだってことをわかってきますが、それでも長年の呪縛みたいなのはなかなか解けません。
それに今更、年老いた親に価値観を変えて欲しいと思うのは無理でしょうし酷いことでしょう。
わたしの母は数年前に亡くなり、今は父だけです。
父という人は、とても家族思いで家族を愛して来た人でしたが、反面、一度こうと思い込んだら見方を変えることのできない融通の効かない頑固さと、家族を自分の思う形に囲いこんでおきたいという所がありました。
人がどう思うか、何を求めているかよりも、自分が相手にしてやりたいことが "間違いない、相手の為に良いこと" なのだという信念で生きてきた人なのです。
自分はいつでも、何くそ!と負けん気でやり遂げてきた。だから、お前も出来ないはずがない。父は誇り高い人です。
人一倍愛情深い人でもあります。
母を愛し家族を愛してきました。
家族の為が生き甲斐の人です。
いつもわたしは言われ続けてきました。
「良いお父さんね」
「感謝しないとね」
父が周囲に話すのです。
「こんな事をしてやった」
「あれにも手を貸してやった」
その通りです。
父のしてきてくれたことには感謝しかありません。
でも、わたしもわたしなりに両親に尽くしてきたこともあるのです。
母の看病や看取りもその後の色々も。
でも、いまだに父から「ありがとう」の言葉を聞いたことはありません。
人に娘からこんな事をして貰ったと話すこともありません。
わたしもそれなりの人生の辛酸を嘗めてきました。父の意に添わないことも多かったことでしょう。
父から認めてもらったという実感はこの歳になっても持てずにいます。
結局、今更なのでしょうね。
もう諦めるべきだとわかっている。
寧ろ、憎んで反抗できた方が良かったのかも、なんて思ったこともありました。
でもやっぱり大切な愛する父なのです。
わかっては貰えなくても、認めては貰えなくても。だからずっと苦しいのかもしれません。
いい歳をして、諦めの悪い愚かな娘です・・・。
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