第9話

「安野さんが脊髄アイスピック……さんなんすか」


 いきなり重ためのパンチが飛び出す。


「………そうです」


「マジすか?」

「マジです」

「マジなんすね」


 高梨君は、意識してるのかしてないのか。いや恐らく意識をして、早速確信に切り込み始めた。


「まぁ、そこを置いといて?置いとくのか?まぁ一番じゃないですし」


 高梨君はタバコを靴底でもみ消しつつ、深い煙を吐いた。


 本題が来ると安恵は直感した。



「安野さんは…………」

「はい」


 緊張でゴクリと喉を鳴らしてしまった。子供の頃、家族で出かけた遊園地で乗ったジェットコースターを唐突に思い出した。


 怖かった。一番怖かったのが動き出してゆるりと逆を登り始め頂上にたどり着く時。あれと同じ気持ちで。


 あれよりも今の方が怖い。手の内の汗がじわりと滲む。

 

「何で俺の事を好きなんすか」

「分からないです」


 え!?の顔になってた。完璧にえ!?の顔になってた。え!?の顔ってコレだよねの顔を高梨君はしていた。


 安恵は猛スピードで降り始めるジェットコースターになった。


「分からないんですよ」

「いや…分からないって」


 高梨君の言葉を遮る。


「だから本当に分からないんです、私も」


 そう。分からない。知るかコッチはもう長いこと誰とも交わってきてない孤独だったんだ。会話なんて知るか。


 私は私の言葉で伝える。


「いや本当にもう分からないんです」


 私が私を分からない事を。


「嬉しかった。救われたたぶんソレがあった」


「へ…?なっなに……」呆ける高梨君。


「小説を誰かが見てくれた事が。誰かが私に伝えてくれた事が。苦しみが取れたんです。息苦しい宇宙みたいな孤独から。苦しかったんです。けど呼吸ができた、そんな感じがしたのです」


「あなたの言葉で」


 安恵は高梨君の瞳に自分の瞳をぶつける。怖い

?逃げたい?じゃあすんなよ、最初から───


 逃げれないならぶち壊す。ぶち壊す。


「…………」高梨君は黙って安恵の言葉を待っていた。


 深く息を吸う安恵。止まらないと決意する。

 そして感情の散弾銃に弾を込める、それを放つ。


「あなたの言葉が嬉しかった。涙が出た。そしてソレを言ったのが職場の人、高梨君だと知った」


 何当たっても知るかいな。



「ソレを運命だと思った?いやそんな事はあり得ない。運命なんてちゃちで粗末なものにしたくない。けどただ貴方が言って。私がそれに救われた。そして貴方が気になり出し始めた」


「貴方が気になりだしたら気づいたら貴方を目で追ってた。貴方を知りたいと休憩中の喫煙所の話を盗み聞きしていた」


 そんなんストーカーのヤベえヤツじゃん。うん確実にそうだと安恵は自分の心の中で自分に対してツッコミを入れる。


 いや……ストーカーのヤベえやつじゃんどころじゃないでしょとも。


「そしたらもう本当に分からなくなってた。自分で自分が分からなくなってた。ずっと書いてた小説も書けなくなった。頭の中で分からないがひしめいて」


 声のボリュームがみるみる上がっていく。

 

 ソレを止める事なく高梨君はただひたすら黙っていた。視線は安恵に固定されていた。


「そんな分からないがずっと頭の中でこびりつく?はびこる?まんえんする?ともかくなんかウイルスみたいな?そんな感じで」


 ベンチの上を照らす照明が唯一の光。それくらいに静まり返った深い夜の公園。


 だけど何かチカチカするくらい眩しいな。安恵は感じた。カラフルだと感じた。幻覚じゃないよね?とも感じた。


「そんな感じが続いてたら、さっきコンビニで貴方を見つけた。」


 止めないというより止まるなと自分で願いながら安恵は続ける。


「貴方を見たらストンと降りてきた」


 分からなくたって。伝わらなくたって。良いんだ

。だって私も───


「貴方──高梨君がめちゃくちゃ好きだわって…」


 ──分からないんだから。この恋って気持ちが。


「見たら直ぐビビッと来たの。あ、これめちゃくちゃ好きって」


 心の叫びをそのまま言葉に乗せた。


「……………」ずっと無言の高梨君からは何の感情も読み取れなかった。


「こ………こちらからはイジョウデス」

 言った達成感と言ってしまったやはり拭いきれない後悔が来て、安恵はしゅんとした。


 カラフルとか眩しいとか幻覚だった。ここは重たい言葉をぶつけて、少し息切れする安恵。


 何もかも終わった。


 重たい静寂。ソレを崩したのは高梨君だった。


「安野さん」

「は、はい」どもりつつも反射で返す安恵。

「お願いがあります」

「な、何ですか」

「今からおれめちゃくちゃ笑うんすけど。別に安野さんを馬鹿にしてるとかそーゆーんじゃないで許してくださいね」


「はい??」と安恵が言うのと同時、高梨君は夜空に向けて腹を抱えて爆笑した。爆笑の中の爆笑。


 こだまするくらいの大爆笑。


 さすがに耐えられなくなったのか、どこからうるせえよ!!!!!と雄叫びが聞こえてきた。それが一番響いていた。


 何コレ?安恵は思った。しかしさっきまでの安恵も何コレ?だったんだろうなと言う冷静な感情もあった。


「あーヤベえヤベえ……いや、すんません失礼しました」


 呼吸を整える高梨君。表情は微笑みだった。

 

 こんな時にどういう表情をすればいいのかと安恵は困惑していた。


「安野さん」

「ハイ」

「これまた失礼なもの言いなんすけどいいっすか?」

「ハイ、ドゾ」

「安野さんの事、正直まだ好きって感情は無いんですけど、俺と付き合ってくれますか」

「ハイ、ヨロコンデ」



「………………………………………………………………………え?」


「俺と付き合ってください、安野さん」


 慈愛みたいな微笑みを向ける高梨君に対して、安恵の表情は一番近しいものだと埴輪。ソレみたいだった。


 ナニガオキタ?

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