第15話 - よかった


◁▷


その後どれだけの時間が経っただろう。

ゲームは幕を下りて、守優也と小野田二人だけが最終生存者になった。デミウルゴスの姿はまだ見えない。最後のために、席を外してくれているんだろうか。

「結局ここまできたね」

小野田麗音は感激しながらほっとする。守優也はそれを見ながら小さく肯定した。

「早く母さんたちを探さないと……」

そうやって駆け出そうとする小野田を守優也の手が軽く捕まえる。彼は小野田の顔をじっと見つめて小さくその名前を呼んだ。

「昨日のことなんだけど、ごめん。やっぱりちゃんと謝って置かなきゃいけない気がして。君には本当感謝してる。ここまでこれたのは全部小野田のおかげなんだ」

「矛院君……」

「全部……全部なんだよ小野田。君がいなければ本当ここまで来れなかった。小野田がいて、一緒にペアになってよかったと思う。君に会えて心から嬉しいと思う。だからさ……」

彼はそう言いながら両手でそっと小野田の手を握った。小野田は驚きながらも小さく笑って手を引かない。

「ゆ、勇気出して言うけど、このゲームが終わってからでも僕たち……ペアでいられるかな?」

矛院守優也は小野田麗音を見ながら微笑む。その微笑に、小野田は胸が大きくドキめいた。頑張ったと思う。辛いゲームだったけど色んな困難を乗り越えてきたと思う。最後まで好きな人と一緒にいられてよかったと。

ここで小野田麗音安堵の涙でその目を潤した。


「小野田」


守優也が小野田を呼んだ。小野田は潤った目を拭きながら答える。

「言って置かなきゃいけないことがある」

首を縦に振りながら、小野田は笑った。矛院守優也は同じく笑いながら小さく告白する。

「小野田、僕は小野田のことが好きなんだ」

「矛院君……」

「だから、」

矛院守優也が右手を腰のところに動かした。小野田は矛院を見ながら彼の言葉に胸が暖かくなることを感じる。

守優也は自分の手を動かして、今までずっと身に着けていたものを取り出す。

彼は銃を手に持って、


「さようなら」



「…………え?」

小野田が腹を触ってみると血が流れてくる。体に力が入らない。彼女の体がそのまま崩れ落ちることを、守優也が簡単に受け止める。

小野田は今、何が起きたのかよく理解できなかった。相変わらず彼の言葉はしっかり彼女の耳に入って来る。でもその声はなぜか氷より冷たく恐ろしかった。


「はあ……小野田、お前本当頭悪いな。バカか? 本当吐き気までする」


矛院守優也は膝を曲げて小野田の体を土に下す。彼は小野田の手を離さないまま、耳の近くで、恋人に話しかけるように甘い声で囁く。

「お前まさか、この状況を頭の中で一回も描かなかったとは言わないよな? だとしたらお前はもう人間以下の知能なんだよ」

くすくす笑う彼の言葉に小野田は何も言えない。止めどなく涙が出てくるのを感じながら小野田は問いかける。

「どうして……」

「どうしてストレングスの回復能力ができないかと? よく聞いてくれたな。それはさ、僕が愛おしく君の手を握っているからだ」

矛院は小野田の手に指を組みながら話を継ぐ。


「ジョーカーのもう一つの特殊能力だ。これはタワーやデスを殺して得た能力じゃない。最初から僕にあった能力だよ。金崎と戦う時もこの能力のおかげで助かることができた。これって戦闘能力がないジョーカーに与えられる防御能力と言えるだろう。この手に能力者が当たっていたら、それがどんなものだとしても10秒は能力を発動させなくすることができる。もちろん、ずっと握っていたら一生能力は発動できない。発動させるかさせないかも自由に選択できるだから今までずっと隠せた。この瞬間のためにな。

まったく、最初から言ったはずさ。僕は自分の能力についてうそがつけると。この時点でお前は僕を疑うべきだった。お前は、お前のことをいつも騙せるやつを信用していたんだよ。ははっ! これぐらいじゃ、哀れなもんじゃなくて情けないんじゃねえか。僕は最初から何もかもを独り占めする気だった。神の権利を継ぐことも、一つ叶えられる願い事も、何一つ譲るわけねえだろう。お前を殺すことも計画に入っていた。お前は見事に騙されたんだよ」

矛院守優也は本当に愉快というように高く笑った。彼の言葉が青い夜空の下を漂う。

小野田麗音はその姿を涙を流しながら力なく見据えるだけだ。


「小野田、ジョーカーっていうカードはなあ、戦闘能力は何もないくせに、他人を騙すことには最適化されてるんだ! 人を騙して敵を殺し、人を騙して身の安全を確保する。そして、最後は条件さえ満たされたらどの能力者でも人間へと引き下ろせるんだよ!見ろよ! そのたくさんのタロットカードから僕が選んだトランプカードは粟立つほど僕に相応しい! 僕は神なんか信じないけど、この時だけは運命っていうやつを信じたい。このゲームは僕の勝ちを望んでいる!」

矛院はそこまで言って小野田を見つめる。彼女の顔にはひとしきりの涙が物悲しく流れ落ちていた。

「安心しろ。僕も基本的な道徳はある人間さ。今までお互い助け合った分、ちゃんと君が死ぬ姿ぐらいは見守ってあげるよ」

「矛院君」

小野田の声がその場にはっきりと響き出した。彼女は辛そうな、悲しそうな顔で彼を見つめて口を開く。


「もう……悪い人のふりはしなくて、いいの……」


「……」


その言葉は、矛院守優也のすべてを奪い去った。理性も、感情も、思考も、すべてを奪い去って、彼に小さい不安だけを残す。

「何を……言ってる」

「もう……うそはつかなくていい。そんな風に自分まで騙さなくていいの……私は、矛院君を、信じるから……」

「何とんでもないこと言ってる? バカかよ、お前は!」

守優也は声を上げる。彼は荒く息を出していた。

「お前は最初から僕に利用されたんだよ。弄ばれたんだよ。そんなことも分かってねえのか!? どれだけ頭が悪いんだよお前は!」

「そんなの、全部うそに……決まってる……」

「ふざけるんじゃねえよ。下手なこと言わずにお前はさっさと死ねばいいんだよ!」

矛院守優也の感情はますます激しくなる。彼はもうひたすら小野田に対する悪口だけを繰り返した。

「勘違いするんじゃねえよ。お前、本当に僕があんたのことを好きとでも思ってる? それ全部口を合わせただけなんだよ。適当に利用するために配慮して会話して、君を思ってるふりをしてただけなんだよ。お前なんか死んでもくたばれてもこれっぽちも悲しくねえ。分かる!? あんたなんかちっとも好きじゃねえんだよ! いつまで現実逃避してるつもりだ、小野田! お前が、 お前が言ってることは、全部一人だけの妄想に過ぎな……!!」

「矛院君」

小野田は再び彼の名前を呼んだ。

矛院守優也は、耳を塞ぎたかった。


「じゃあ……、どうして、泣いてるの?」


「―――――――――――――――――――――――」


彼の全身に総毛が立つ。守優也は、その言葉に片手を自分の頬に当てた。彼の手はパッと見ても分かるように激しく痙攣していて、それが頬に当たると彼女の言う通りに熱い涙が続けて出てきている。

涙が止めどなくとめどなく出てくるのも、気付かずにいたのだ。

「大丈夫……大丈夫、矛院君。矛院君が……悪い人じゃないってことは知っているもの。暖かくて優しい人だっていうことを、知ってる。絶対そんなこと、本当に言ってるんじゃないってことも知ってる……」

「バカなこと、言う、なよ……僕は、お、お前のことを騙して、弄んだと、いったい何回を言わせ、るんだ」

「ううん……違うの。矛院君はただ、悪い人のふりをしてるだけ。そうしないときっと、矛院君は自分を許せないから」

「それは全部、お前の、か、勘違いだ……」

「じゃあ、どうして……泣いてる? どうしてそんなに、悲しい顔をしてる?」

答えられなかった。彼は自分自身の感情を定義できなかった。何が正しいか、何が美しい選択だったか。その答えを誰から求めたらよかったのだろうか。いや、もともとこの結末に答えなどはなかったのかも知らない。小野田は泣いている矛院守優也を見ながら限りなく優しい視線を送った。


「こんな怖いゲームから生き残ったから……」


小野田の口が、言葉を紡ぎ出す。


「胸を張って、誇らしく笑ってよ……」


ジョーカーは、

矛院守優也は、

その言葉に崩れ落ちた。彼の胸を貫いたのはピストルの弾丸でも、超音波の波動でも、血をこわばらせる猛毒でもなく。

たった一つの言葉だった。

守優也は痙攣する手で小野田の両手を握ったまま彼女の隣で泣き叫ぶ。守優也の頭は、ただ分かりにくかった。

どうして、どうしてそこまで僕を信じてくれるんだ?

僕は君のことを信じられなかった。君から背を向けた。

実は二人で勝つこともできた。すべてを明かして君と相談することもできた。

けど、最後に不安感が僕を吞み込んで、最後に僕は君を裏切ってしまった。

裏切られることが怖くて、怖くて、最後の時。君を信じると言う決断から逃げ出した。


小野田。

どうして君は、

そこまで僕のことが信じられる?

「僕が……憎くない?」

「全然……どうして矛院くんを憎むの?」

小野田はそこまで言って、いつものように優しく微笑む。

君が言ってくれたじゃない。

「怖かったら怖いと、言っていい。辛かったら辛いと、言っていい。逃げたくなったら、逃げてもいいの。誰も、矛院君を……、責めたりはしないから」

「………。あ、うぅ、……、、僕は……ただ……!!」

矛院守優也の頭の中で短編的な映像が再生される。記憶のかけらは弦を放れた矢のように彼の頭を掻き分ける。走馬灯のように暴力の記憶が、彼の頭を横切った。

僕に、君を信じる勇気が、もっとあったら……。


「小野田……、小野田ごめん、僕が悪かった。まだ、まだ生けるはずだ。ストレングスのカードだからもう少し頑張れば回復できるはずさ! だから、だから……!」

「ううん……自分の、体だから、分かるもの。もう……手遅れなの」

「小野田、お願いだから……」

「これは、きっと、罰なの。誰かを殺した対価として、罰を受けるの」

「何でその罰をお前が受けるんだよ! 罰を受けるやつなんて他にあるだろう! お前じゃない。せめてお前じゃないから、そんなこと言うなよ……!!」

「ありがとう……矛院君が、そう言ってくれると、本当に嬉しい……」

小野田の体が冷たくなって行く。ぬくもりが、消えて行く。

「矛院君……一つだけ、聞いて、いいかな?」

そのお願いを彼が断われるはずがなかった。小野田はやさしく微笑んで、もう一度同じ質問を繰り返す。


「矛院君の夢は、なんですか……?」


矛院守優也は笑いが出てしまった。こんな状況でも、小野田麗音はわけを分からないことを聞いてくる。ああ……本当に。バカバカしいほど彼女らしい。

そう思った彼は自分の涙を拭いた。けど、何度を拭いても涙は止まることなく流れ出してきて、彼は涙だらけで、発音もちゃんとできないままだ。

矛院守優也はそんなでたらめな姿で、

素直なな気持ちで、

その心を打ち解ける。

「僕はね……他人の心の傷を癒せる人になりたいんだ。人の心を治療する人になりたいんだ」

言の葉を継ぐ。もっと強く、もっと深い響きで。彼女に届くように、世の中にちっぽけな彼の存在を刻印させるように。

「大学で臨床心理を勉強したい。人の心を支えることがしたい。彼らの悩みを聞き、尊重し、よりいい人生を送れるように僕がその苦しみを分かり合いたい! だって、僕らは、」

少年は、最後に告げる。


「春が、すべての人に平等ではないことを知っているから」


その答えを小野田麗音はどれだけ待っていたんだろうか。暖かい涙が小野田の目尻からでもこぼれ始める。

「ああ……」

喉が痛い。何か言いたいけど、ぎゅっと詰まっていて、彼女はしゃべることさえできな

かった。しかしこの瞬間、誰にもその心を許せなかった人が自分にだけその心を開いたという事実は、彼女を幸せにするのに十分だった。

「やっと、言ってくれるんだ……」

小野田麗音は思い出す。

いつか彼の部屋に入った日。その本棚に置かれていた無数な心理学の本を。赤線を引いて、メモして、人の心を開くためには何が必要かを工夫し、勉強していた彼の足跡を、小野田は先に見たのだ。それが誰かのための気持ちだと。

自分が泣いた分、他の人は泣かないで欲しいという気持ちから滲んだものだと。

それが矛院守優也という少年が見た夢であり、少女が恋心を持った少年の後姿だった。


ゆえに、小野田は最後まで彼を信じ続けることができた。彼のかけらを、心の奥を、その優しさを分かってしまったから。

小野田は小さく息を出した。力が抜けて行く。

「小野田、小野田しっかりしろ、小野田……! 頼む……頼むから……!!」

小野田は最後に声を絞り出して彼の名前を呼んだ。抱きしめてくる彼の体には言葉では表せない暖かさが溢れている。小野田は潤った瞳で彼を見つめる。

声を、なんとか絞り出した。


――――矛院君とペアを組んで、本当によかった。


彼女はそんなことを言って、笑いながら目を閉じた。

遠くから夜明けが訪れていた。

5月22日、午前5時49分。

ストレングスカードの持ち主、小野田麗音は。

そう死亡した。

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