第14話 - 決戦


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5月22日。午前2時27分。

僕らの最後の夜が始まった。いつもの待ち合わせに着くと遠くないところで小野田の姿が見える。小野田が僕に気付いたが、気まずく視線を逸らす。それは僕も同様だった。

「よ、よお……」

「こんばんは……矛院君」

そこには高さを測れない大きな壁が置かれているようだった。壁の存在に空しさを感じながらあえて小野田に声をかける。

「来てくれて……ありがとう。そして先のことは本当にごめん」

「謝る方は私なの。私が勝手に調子に乗っていたことだから……本当にごめんなさい」

「小野田は悪くない。全部僕が悪いんだ。だからそんなこと言わないでくれ」

小野田はその言葉に苦笑いを見せながら静かに首を縦に振った。彼女の笑みに同じく苦く笑っては、心を決める。

「お互い、最後まで生き残ろう」

僕はそこまでして担いでいたクロスバックからある物を取り出した。

黒い拳銃だった。金崎から最後に渡されたやつで有用に使うことを頼まれた。彼はゲームを諦めたが、マーダラーゲームが完全に終了されるまで彼の能力は残っている。そのため、この拳銃は金崎がゲームを諦めた今でも僕の手に存在していた。

「それでは、行こう」



千桜市の南側にある工事現場は長い間放置されたままだった。

誰も探さないその工場の姿はあたかも廃墟のようだ。小野田も僕も、ここがこのゲームの最後の舞台ということに気付いて少しだけ緊張する。

「それでは矛院君。計画通り私は真正面で入って行くから」

「ああ、頼む小野田。直ぐ後ろでフォローする」

小野田が軽く頷いてそのまま正面の入り口へ入って行く。僕はそんな小野田を見送ってから工事現場の後ろに足を運んだ。

ほこりが溜まった工事場は深い闇に包まれていた。月光だけを意志して少しずつ前へ前へ進んで行く。周りは静寂に呑まれて悲鳴すら上げず消化される。静けさゆえに耳鳴が聞える。ずいぶん時間が経って草の虫の合唱が耳元に響く。錆びついた空気の下で聞える小さい合唱祭は少しだけだったが気を楽にさせていた。

このままお母さんを助けられたら、最後まで生き残られたら、どれだけ嬉しいものか。そんなことを思いながら工場の裏側に入る。ぎゅっと銃を手にしたまま、気を抜かずにゆっくりと見回る。夜が音を食べていた。草の虫の音さえ再び消えてしまう。まるで音が消えた世界に一人で残された気分だ。

どうしてこんなに静かなんだろう。小野田は先に入ったから少しぐらいは騒がしくてもおかしくないはずなのに。もし計画が狂ってしまったりしたのでは……。

背筋がくすぐったい。謎の不安感がやってきた。

異常を感じながらより中へ入って行く。いつでも撃てるように胸元まで銃を引き上げて、恐る恐る探索を続ける。誰もいない。夜の沈黙が続くだけだった。


「……いない」


工場の後側にたどり着いたがそこには何も残っていなかった。母さんも、小野田も、はなはだしくは敵の姿も見えない。

これはいったい……?

どこからか拍手の音が聞こえてきた。まさに面白いと言うように、楽しくてたまらないと言うような表情で向こう側からんやつは姿を現す。

「土堂、帝……」

「いやあ、自分の母を助けるためにここまで身を投げるとは。素晴らしいです、矛院くん。さすがに人間の愛情というものは仕方ないですね」

くそ、小野田に二人を任せて隙を狙うつもりだったが、結局一人までが限界だったのか。 どうしようもない。能力を発動して土堂を何とかしないと……!

「決着がつきましたね。これで、この殺人ゲームも終わりです」

「……あ?」

その声は予想外のものだった。土堂帝に含めてマジシャンカードの持ち主加峰さんまで現れる。頭がうまく回らない。何でだ。どうして彼が、ここにいる?

小野田は、今頃この二人の中でせめて一人とは戦っているはずだった。その二人がここにいる状況は計画に含まれていない。土堂の口が耳まで裂けられる。闇を背後にして笑うその姿はあたかも鬼のようだった。


「これは実に素晴らしいオチだ。そうですね?」


闇の中を振り返って彼は口を開く。その口から僕がよく知っている名前が出た時は体中の血が凍りつく感覚がした。

「小野田さん」

向こうから歩いてくるのは紛れもなく小野田麗音だった。彼女は土堂帝、加峰明信と並んで僕に向き合っていた。手が震える。いや、震えるのは心臓か。すでに頭は結論を付けていたが、現実を認めたくなかった。この構図がどのようなできごとを現しているかを、分からないはずがない。でも信じられなくて、信じたくなくて、知らず知らず現実を否定してしまう。声を出したが、声は枯れて震えて自分のものではなさそうな気がした。


「小野、田……?」

「ごめんね、矛院君。私はこうするしかなかった」

「どうして……。まさか、小野田、僕を……」

「……」

「本当に、裏切ったのかよ、小野田……!」

叫びに土堂は肩をすくめる。

「まあ、仕方ないでしょう。彼女はあなたと同じ立場を取っていたのですから。彼女の母である『小野田恵美』さんの命も僕が握っていますので」

腹が分けられ体中の臓器が流れ落ちる感覚だった。吐き気がした。今この場で空気を吸う行為自体が苦しい。こいつは今何と口を叩いた……?

「あなたが僕の提案で悩みながら寝ている間です。まさかあなたにしか自分のペアを殺せと言うはずがないじゃないですか。やるなら両方が、互いを殺し合う方がより効率がいい。あなたのように自分の大切な母を助けるため、彼女はあなたを裏切ったのです」

「約束は守りなさい。私が殺したら母さんを放して」

「ええ、もちろん。あくまで彼を殺した後に限ってですが」

「くうっ、土堂――――!!」

「さてと。それでは、小野田さん。彼を殺してくれますか?」

小野田が僕に立ち向かう。その表情はどこかある種の切なさがこもっていた。全身に力がない。血が回らない気分だ。脳に酸素が届かない。もうどうすればいいのか分からなくて、ただ休みたかった。


「本気かよ、小野田……」


残酷な現実に視界が霞んで行く。僕は……泣いているん、だろうか。

「僕は、お前だけは信じたかった。なのに、どうして……」

「甘いですね、矛院くん」

小野田の代わりに土堂帝が口を開いた。彼は当然だと言うように深いため息まで吐いては僕を見下ろす。

「こんな地獄で人を信用してる方が愚かなんです。例えそれが一番身近な人だとしてもですね」

反駁ができなかった。死が口にした言葉は何一つ間違っていない。彼の言う通りだ。人間なんて信用できるもんじゃない。見ろよ。結局小野田も、僕を裏切ったじゃないか。

「確かにお前の言う通りだ、土堂」

「やっと分かってくれましたか? それはよかったですね。来世があればそこではぜひ、

このことを活かして生きてください」

「でも、一つだけ忘れているじゃないか?」

死が言うことは、何も一つ間違っていない。

だけど、一つだけ彼が見逃したことがあったとしたらそれは……、

「お前だってたかが人間だろうが」

意識的に足を強く踏み鳴らした。大きな音が工場内を埋め尽くす。

そして、突風が吹いた。


鉄骨と地面に散らかされた砂が舞い散る。何回か激突が起こる。けど、風が強すぎて目をちゃんと開くこともできなかった。風が止まった後、ようやく周りを見回す。そして予想通りの光景が目の前に広がっていた。

土堂帝は悔しそうに喘ぎながら自分の右腕―切り落とされた―を握ったいた。彼はすさまじい目でこちらを見つめては低い声で猛獣のように吠え猛ける。

「これは確かに僕の失敗だ。あなたを甘く見ましたね……!」

初めて見せる黒い感情。彼は歯ぎしりをしながら目の前にいる人を睨みつける。

「まさか矛院守優也が、マジシャンを抱き込みするとは……!」

余裕が溢れていた土堂の顔が歪まれる。それを見ながら加峰さんは深く息を出すだけだった。

「人間の生ってほとんどそういうものでしょう、先生。いつも自分が望んだ方向とは逆に流れるんじゃないですか。地獄では人を信じてはいけないとあなたが言って置いて、驚くのも今更です」

「は、はは……その通りです。これは、僕も人のことを言う場合じゃなかったんですね」

土堂はそう言いながらその恐ろしい目つきを収めなかった。すぐにでもかじりつくような獣の眼光を見せながら彼は静かに問う。


「……いつからですか、加峰さん。あなたはずっと僕と一緒にいました。ジョーカーと交渉を進める時間なんてあり得ないと思いますが?」

「あなたの指示によって彼を家まで送ってくれたときです。最初は悪い冗談だと思いましたが、僕の連絡先を聞いてきました。そして、僕に提案をしてくれたのです」

土堂はそこで笑いを上げた。加峰さんはそんな土堂を見て肩をすくめるだけだった。

「そうですか。確かに、僕らの願いは重複していますからね。ただの願いだけでは足りないと思ったんですか?」

「ええ。あなたも、私も。すでに死んだ人が生き返ることを望んでいますから。矛院君は私に神の権利を約束しました。彼とストレングスでのペアもたぶんその条件だったと思います。どうせ小野田麗音が彼を裏切った以上、私がその代わりに神の座を受け継いでも問題はないでしょう」

土堂は何も言わず僕と加峰さんを睨んできた。彼は血を流している自分の右腕を左手で締め付ける。すると傷跡からおぞましい虫の群れが出てきては虫は土堂が流す血を飲みながら彼の腕を止血する。彼はその作業を黙々と見ながら小さく彼女の名前を呼んだ。


「小野田さん」


小野田は何も言わず俯くだけだった。

「仕方ないです。元々は人質を握って強制的に動かしていましたがこうなるとお互いに手を握るしかない。生き残るためには、僕とペアを組みましょう」

小野田はその言葉に何の返事もしなかった。土堂の表情がこわばる。彼の顔に初めて焦りが見えていた。

「どうするつもりですか、小野田さん。善かれ悪しかれ、決断しないと犬死になるだけです。あなたはここまで来てこう簡単に諦めてもいいのですか!」

「いや、土堂。そうする必要はない」

「なに?」

彼の目の前で勢いよく笑って見せる。いつか彼が口にかけていた微笑を、そっくりなもので同じく返す。作戦は成功した。すべては計画通りだった。

土堂帝は恐ろしい能力者の一人だ。そして、加峰明信もそれと同等もしくはより強くて劣ったりはしない。この最強のペアを踏みつぶしてこのゲームの頂点に立つカギはたった一人。


「そもそも小野田は僕を裏切ってないから」


土堂帝が瞳孔を動かせる。彼は理解できないと言わんばかりの表情を作っては狂人のような表情で叫び出した。

「加峰さん! 今すぐ、今すぐ人質を!」

「待って矛院君、それはいったいどういう意味……」

「まだ分かってないんですか!」

土堂の声が荒くなる。彼は以前とはまるで別人のように動揺していた。


「彼らは最初からこうするつもりだったんです! すべてがこの一瞬の隙、そのための偽だったのです! あなたは騙されたんですよ! 小野田麗音と矛院守優也は、まだペアを維持している!」


風船が避ける音がして加峰の姿が一瞬に消える。たぶん空間を移動したんだろう。人質にしている小野田の母か母さんのところに行ったはずだ。けど、

「もう遅いよ」

手を上げて拍手を打った。以前土堂帝が見せた動作と同じ仕草。土堂の顔色が真っ青に変わる。彼の目の前では、巨神が鎌を担いだまま空間を裂いていた。巨神が鎌を振り下ろす。鎌に刺されていた何かがその動きに飛ばされた。ものすごい破壊音が工場に反響されて土煙が立ち込める。ほこりが収めると、土堂の顔は驚愕に染まった。巨神の鎌に飛ばされたのは他の誰でもなく加峰明信だったから。


「あり得ない……ジョーカーの能力は10m以内の条件付きだ。目立ったわけでもなく1秒に500m以上の空間を飛び越えることができる加峰さんとどうやって……?」

「なあ、土堂。一つ忘れてねえか」

土堂の顔に苛立ちが満たされる。彼は失った自分の右腕に手を出したままひたすら僕を睨んでくる。けど結局それまでだ。彼にできることなどがあるわけない。そんな土堂に向けて僕は決定的な事実を告げた。

「僕が、安城葉月を殺したっていうことをさ……!」

一歩を前へ進む。逆に土堂帝は一歩を後ろへ引いた。

「マーダラーゲームでは他のプレイヤーを殺した時能力が強化される。これはゲームの進行が円滑に回るようにする潤滑油みたいなものさ。強者をより強くさせるこの狂ったルールは人を殺す行為そのものからご褒美をもらえる。正気じゃないルールなんだよ。おかげで得はしたけどな。このルールに基づいてタワーを殺した僕にも面白い能力が追加された。言葉でなく、行動で殺すことだ」

死が息を呑む。彼はその言葉に茫然とした。


「絶対殺人権を使って予め殺す対象を指定する。そして自分が定めた行動をすればそれがトリガーになっていつ、どこでも空間と時間の制約を受けずに相手を殺すことができる。残念なのは、一度殺す相手を決めたらそれを変更することはできないぐらいかな」

一瞬、後ろから何かが飛び上がる。それは人間の形ではない異形のものだった。怪物はすさまじい叫びとともに僕の首を狙ってその手を突く。良く研がれた刀のみたいな爪が僕の首を貫くその直前、それは小野田のたった一発の一撃に粉々になって粉砕された。

「あんただって能力が変わったな。虫や動物などのウィルスからこれは病の根源とでもなるのか?」

土堂帝は失笑を含んで苦く笑った。現実を受け入れたくないという絶望感がこちらの肌にまで染み付く。しかし、それはあくまであっちの話だ。やつに与える温情は残念ながら持っていない。


「その通りです。僕は『Justice』、そして『The High Priestess』の二人を殺しました。そのおかげで強くなったけど、最後がこの様じゃすべて台無しだ。これは明らかに僕の敗北です。僕一人じゃあなたちのペアに勝てない」

彼は虚脱感が満ちた笑いを見せながらため息をついた。そして鋭い目で僕と小野田を見据えながら決定的な論点を切り出す。

「僕は矛院くんに小野田さんを殺すように、小野田さんには矛院くんを殺すようにして、お二人が互いを殺すことを計画しました。その計画はとても効果的のように見えた。矛院

くんの心を折って小野田さんにも負担を与えるように見えた。だが実情は違ったんですね。あなたたちは僕の離間にも騙されず、逆にこの計画を利用しました」

土堂の眼光が煌めく。その眼は理解できないと強く言っていた。

「どうしてそのペアを維持することができたんですか?」

土堂の言葉に小野田を見つめた。小野田は同じく僕を見つめながら軽く首を縦に振る。


「小野田が先に僕を信じてあんたの提案を言ってくれたおかげさ」

小野田は二日前に、あの待ち合わせの場所で金崎の電話がくる直前言ったのだ。

土堂帝から、僕を殺すように脅迫されたと。彼女の言葉は文字通りものすごい衝撃だったが、小野田は土堂ではなく僕を選んでくれた。だから僕も土堂に脅迫されたことを小野田に話しお互いこの状況を突破できる道を探った。そしてその結果は非常に成功的で、かけがえのない結果を成し遂げたと言っても過言ではないだろう。

土堂はその言葉に呆れたように手で自分の顔を覆い隠す。

「とんでもない。この地獄から、あなたたちはお互いを信用することができたと言うのか」

力なく左手を白衣のポケットに挿した土堂は小さい注射器を取り出した。彼は注射器を逆に持ち込んで首の近くに当てる。


「本当に笑えない。映画でもあるまいしそんな希望に満ちた話があり得るなんて……しかし、これは認めざるを得ない。ある意味ではこれも非常に人間的だ」

土堂はそう言いながら、その注射器を自分の首に刺し込んだ。

彼の体が変質する。秀でた容貌の皮膚がそのまま解け落ちてその肩甲骨から頑丈な黒い腕が飛び出てきた。人間の形象は崩れ落ちあっという間に原型さえ見当たらなくなる。耳を貫く声。ぞっとした姿のその黒い化け物は定められた肉体を持たずに煙の集約体として存在する。そしてその姿を瘦せこけた黒い包帯のペルソナがすべて食らい尽くした。包帯の怪物が煙を纏う。その姿は、死の顕現と言ってもすべての人が納得するに違いない。


死が土を駆ける。地面を滑るように走ってきて黒い死はその手を伸ばした。

土が揺らぐ。波動が工事場に広がった。ものすごい風が何もかもを吹き飛ばす。

死の源が突いた手は、力の権威がその細い両手でぎゅっと掴んでいた。ぎりぎりの差で、僕の目の前でその鋭い爪が止まっている。


「絶対殺人権を発動する」


時空を裂いて、巨神がその姿を再び現す。


「デミウルゴス」


巨神の名前が呼ばれて、彼はその鎌を高く持ち上げた。


「デスカードの持ち主、土堂帝のゲーム資格を剥奪する」


そして、振り下ろされた鎌によって……土堂帝は悲鳴すら上げずに絶命した。

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