第13話 - すれ違い
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薄暗い闇の中から目が覚めた。
カーテンの隙間から入って来る日差しが眩しい。妙なことに今日は朝から頭がすっきりとしていて淀みなく考えをまとめることができた。
金崎の話によると母さんは開発中止になった南側の工事現場にいるようだった。土堂帝はそこを拠点として使っているそうだ。
彼の話に基づいて救出作戦と呼ばれるものを議論し合い、すべての案をまとめた結果。作戦の実行は今日の零時を過ぎて22日の午前2時ぐらいに決行することとなった。
小野田とも話したことだったが状況は僕たちにとって不利だ。
こっちとしては直接戦闘ができる人は小野田しかいない。冷静に考えて僕が真正面で敵と戦うことは到底無理である。それに比べて相手側は恐ろしい能力の土堂帝とまだどういう能力かはっきりしていないマジシャンがいる。加峰さんの場合、空間を飛び越えることさえできた。実際に、工事現場にいた僕を一瞬に自宅の前まで連れてきたし。
ゆえに戦闘のところは小野田がメインに立ち、僕は隙を狙って能力を発動することにした。ジョーカーの能力は、まだ2回も残っているのだ。
金崎と雪永は……、母さんの所在を教えてくれた後、僕たちが見るところでゲームを諦めた。チャリオットはともかくハングドマンまでそんな形でゲームを諦めるとは思っていなかったのでその点については確かに驚いたものだ。金崎の看病にハングドマンはかなり気を使っていたが……彼女は金崎のことが好きなんだろうか。
もう残ったプレイヤーは4人。僕と小野田。そして土堂と加峰さんだ。
土堂帝が小野田を殺すまで与えた期間は23日まで。
23日、までだけど。やはり僕は……小野田を殺せない。
方法はもう揃っている。1:2の状況は小野田に結構キツイかも知らないが、ストレングスの力と回復力なら耐えられるだろう。
小野田を殺すもんか。小野田も、お母さんも全部救って見せるんだ。
どれも手放さない。全部抱え込んで、成し遂げる。
そうしなければいけない。
いや。そうしなければならないんだ。
横になっていた席から身を起こす。簡単に布団を整理して自分の部屋を出た。午前6時43分。ぐっすり寝て気持ちもいいしこの調子で今日の一日を過ごそう。
明日の作戦に入ったら実際にどう動くかもきちんと考えなければならないし。
だから、シャワーでも浴びよっか。
……と思って浴室のドアを開けた瞬間だった。
「…………お」
「…………………あ」
小野田がいる。
黒いボブカットは水で濡れて、その先から小さい水滴が滴っている。シャワーを終えたばかりで今から着替えようとしたのか手は服を入れたバケットに向かっていた。そして、小野田は、その、なんつか。服を何も着ていなかった。一糸も纏わない裸というのは語弊があるが、長いシャワータオル一枚だけで体を隠している。
でもうちに置いてあるシャワータオルの面積は長いけどそこまで大きくはない。そのため隠せることだけ最小限に隠して小野田はその白い肌が全部見せられいた。
二人ともそのまま固まって何も言わず相手だけをじろじろ見つめる。
小野田の唇が見えてきた。相変わらずさくらんぼのようで、その下に細い首とその先から見える鎖骨が魅惑的でつい目を奪われてしまう。丸い肩は小さく胸もそこそこ大きくてタオルで全部隠せない。すらりとした弱腰、そして大きいお尻と長い間走ることで鍛えてきた小野田の美脚が……。
「きゃああああああああああ!!!」
「うわあああああああああああああああ!!!」
一テンポ遅れた反応をした。
「きゃああああああああああああああ!!!」
「うわあああああああああああああああああああ!!!」
悲鳴が終わらない。
「きゃあああああああああああああああああああ!!!」
「うわあああああああああああああああああああああいてえええええぇっ!!!」
潔く叩かれた。
「あほったれ!! うちがそんぐらい大声出したらさっさと出て行けや!! それぐらいの空気も読めへんの!?」
「だ、だって自分の人生にこんなハレム漫画の典型的なクリシェが起きるとは全然思ってなかったから仕方な……けええっ!!」
「ホンマに空気よめ、アホ!!」
台所で冷水を飲んでいると小野田は髪を乾かして出てくる途中だった。もちろん服もちゃんと着ている。僕のもんだけど。お互い目が合った。
「ふん!」
鼻を鳴らしながら目を逸らす小野田。どうしようもなくて戸惑っているとこちらをめちゎくちゃ睨んでくる。パッと見て分かるような真っ赤な顔だ。
「変態め」
「いや、何でだよ事故だろ、事故!」
「何が事故やん、あんたのデリケートが足りなくて起きたことやろ」
「ちょっとなあ! 我が儘言わずに現実的に考えてみろよ。朝の7時ぐらいですよ!? そろそろ起きる時間ですよ!? 起きてから洗いに行くのが何が悪いんですか!? 小野田さんがこんな朝っぱらからシャワー浴びてると普通思わないんですって!」
「ううううちは昔から起きてたらすぐシャワー浴びてたもん!」
「だからあんたんちの文化ってどうやって僕が知るんだよ!」
「ノックすればいいじゃん! 何でノックしなかったんや!?」
「む、それは……う、うっかりしたから」
「だいたい! 昨日朱雀蘭平から家が遠いからうちで寝て行けと言ったの矛院君やで!?」
「言い間違ったと気付いてて今のはなしと確かに言った! お前が戦略的行動つかなんつか言いながらうちで寝たんだろ!」
金崎から情報をもらって小野田と色々話を終えた後だった。ふと考えてみれば、朱雀蘭平から小野田の家ってかなり遠かったのだ。千桜市は東京の外郭なので終電が結構早い。駅まで間に合うかどうか時間的に微妙だった。そこのところを考えて小野田を誘ったが……。
「小野田、家遠いし、うちで寝て行くか?」
言った後で別にそうする必要がないことに気づいた。考えてみれば小野田ってストレングスカードの所有者だ。ちょっとだけ能力を使ったらすぐにでも家に着くだろうし心配はいらない。むしろ僕がここから家まで歩いて帰る時間がよりかかる。
「あ、ごめん。そうする必要はないか。やはり家に母さんがないからと言っても今の発言はおかしかった。今のはなし。忘れてくれ」
「……あら、悪くないんじゃない?」
「はい?」
「だって、もうすぐ最後の激戦だし、もし私たちが寝ている間にデスカードの持ち主が襲撃してくるとそれは大変なんでしょう? 私はいいと思うの、戦略的行動でね」
……こんな形で、結局小野田は僕の家で泊まることになったのだ。
「万が一のためやとゆった! じゃあ、うちの言うこと間違っとるゆうの?」
「ま、間違っては、ないけど……でもなぁ!」
「せやろ! だからこれは全部矛院君のデリケートなし! ほおら、認めよ!」
「くうっ……悔しいけど、認めるしかないのか……!!」
「いよいよ認めるんやな! わはは、私の勝やで!」
「……」
直後、小野田が黙ってしまう。妙な雰囲気。どう反応したらよかったんだろう。結局、普通な感想を言うことにした。
「小野田って興奮したらめっちゃ関西弁使うんだ」
「ちゃ、ちゃうわ! これはなんつか、く、癖的な……!」
「まあ、誰も悪いと言ってねえし。かわいいよ、そんなところ」
あれ。
小野田がいきなり顔を俯く。なんでやろう。
「あの、小野田さん?」
「な、なによ……?」
口を尖らしたままつんとしてる。視線はこちらを見てない。
「なんだよ、いきなり。怒った?」
「お、怒ってないの」
「じゃあ、なんでいきなり……」
「あ~、うっせうっせうっせー! なーにも聞こえへんから!」
小野田は耳を覆って貸してあげたお母さんの部屋に走り出した。
「き、着替えてくる!」
ぺらっと頭だけ出して言ってそのままいなくなる。何であんなに激しい反応だ?
「誉め言葉しかやってないじゃん」
普通にかわいいと感じたからそう言っただけだし、まさか僕なんかの言葉で小野田が恥ずかしがることもないだろうし……。
言ってからちょっとだけ変な気持ちになる。
いや、そんなはずないだろう。あの小野田だぞ? 力の権威だって。脳みそでなくうどん入ってる?の小野田だ。
そんな小野田が、
僕なんかの言葉に、
ドキめいたりは……しないよな?
「遊びに行く?」
「でもそれは……」
朝食後、時間も残ってるしこれからどうしようかという質問に小野田はそう答えた。
確かに母さんを救うまでほぼ18時間以上残っている。だけど、息子の僕がお母さんを置いて遊んでいては……。小野田は僕の気持ちが分かったか苦笑いを浮かべた。
「休みは大事よ。私は陸上部の大会を目の前にしていたら必ず精一杯遊んで休んだの。バカなことだというかも知らないけど悩んだって今すぐ矛院君のお母さんを助けられるわけでもない。もやもやした気分がすっきりするように気分転換はどうか?」
言われてみれば彼女の言う通りだった。それに作戦と呼んだがそれらしきものでもない。真正面から小野田が攻めて、僕は裏から攻める。後はその場の臨機応変に任せるだけ。
だから、
気が付くと、僕らは東京の繁華街に出ていた。
天を貫くような高いビール。歩道を行き来する人込み。春の風は涼しくその光は眩しい。小野田は近くの店でクレープを買ってくる。ひとつずつ手に持ってのんびり東京の真ん中を歩いた。
デジャヴと言うか、確かに安城が作った幻でこんな状況あったんだよな。
「そーいえば矛院君」
クレープを食べながら幸せを思う存分味わってる小野田が尋ねてきた。
「この前安城の時さ、最初に幻覚とかあったよね。 私はお母さんと遊びに行くことだったけど、矛院は何だった?」
「秘密です」
「ええ? 何それ、教えてー」
絶対にいや。何それってこっちのセリフだ。デートする幻って僕だけだった? 恥ずかしくて死にたい。何でそんなのを見ちまったんだ。まさか僕はその時から小野田のことが気になってたのか?
……言って、足が止まってしまう。気になる? 小野田が?
隣でクレープを食べている小野田はその甘い幸せに酔っていた。その嬉しそうな笑顔はとっても可愛いくて独り占めしたい言うわがままな気分もしないわけではない。そんなことを考えると余計に意識してしまい頭がぐちゃぐちゃになった。
二人の間にそこまで話はなかった。なぜかこの前よりうまく話ができない。僕だけがデートの幻を見てたなどのつまらないことを知ったからだろうか。 今朝のこともそうだし。
今朝小野田がいきなり顔を逸らしたことが思い付く。本当にほめ言葉のせいで? まさか。小野田だったらクールにありがとうと言って終わりそうなのに。遊びに行こうと誘ったのは休憩のためだけど、別に僕と一緒にいる必要はないんじゃないのか? ちょっとだけ気持ちが複雑になる。
小野田は僕のことをどう思っているんだろう。
「ねえ、矛院君。クレープ食べ終わったら映画見ない?」
これって、デートなんだろうか。
「あ、ああ。僕はいいけど。どんな映画が好き?」
「私? 別にこだわりはないの。アクションも好きだし、ロマンスも好き! 恐怖やドラマ系も好きよ!」
「なんでもいいやってことか」
「僕らタイムフライヤー~、時を~駆け上がる~」
「そっちはないやだろうが!? てか、何その脈略のないギャグ!?」
「えっ、カラオケもいいかなと思って……」
「あんた意外と突拍子もないところあるな」
「えっ、ひどい……」
「しょんぼりすんなよ……」
小野田と一緒に最近開封したSF映画を見て、近くのカフェで映画の話で盛り上がる。
小野田との会話はとても生き生きしてて聞き手を話の中へ引き寄せる。たいしたことで
もない話に大きく反応してくれて、僕がしゃべるときも負担がなかった。
一緒にいたら、楽しい。
小野田麗音はきっとモテているんだろう。客観的に見ても彼女はすごい美人だ。綺麗で秀でる容貌。スタイルも良く成績も悪くないと言う。彼女を狙う男もたくさんいるだろう。話をしている途中に分かったが、交友関係も幅広いらしい。関西からの元陸上部の後輩と今も連絡を続いていて、後輩の相談にも乗っていた。
「……なあ、小野田」
「ううん?」
注文したフラペチーノを飲みながら小野田がこっちを見つめる。
「小野田って、その……狙ってくる男多かったよな?」
小野田が首をかしげる。変なことを聞くねと言ってるようだった。自分の頬を引っ搔きながら答える。
「告白されたのはたぶん10回以上かな。付き合ったのは3回?」
「そ、そんなに?」
「でも2ヶ月も経たなくて全部振ったの。私って家がその、きびしかったから。あんま外出られないし、デートができない女ってつまらないでしょう?」
「それは小野田が悪かったんじゃなくて……!」
「あ、でもそれがちゃんとしたな理由にはなってないの。あの頃の男の子って全部我が儘で大人しくないもの。一緒にいると楽しいけど、それと恋の感情って違うと思わない? だからあんまり長く恋愛できず全部振ってしまったわけ」
「よくわかんない。相手と一緒に過ごす時間が楽しければそれでいいんじゃないか?」
「逆にそれは友達でも十分できると思うの。恋人って友達とは違うことでしょう? 男と女で、夜エッチなことができるとそれは恋人なのかな? 世の中LGBT性向の人もいる。彼らの恋は恋でなくなるの? 結局恋愛ってそんな単純なものではない気がする。誰かと付き合った経験もあるしドキドキした経験もあるけど、これが恋だという感覚はあんまりなかった。だから結局、私は3回の恋愛に全部失敗したかも知らない」
それはとても彼女らしい返事だと思った。なお彼女の恋愛観を覗くことができてとても不思議な感じもした。妙な優越感。僕だけが彼女の秘密、一部を知るという快感。一個上の年上がこんなにも大人しいとは。ただの高校3年生なのにものすごく美人の女性に会っているらしい。唾をごくんと飲む。ちょっとだけ喉の奥がが渇いた。ずっと気になること。聞きたいことがある。いや、でもそれは……。
バカな真似は禁物だ。下手に言ってしまったら傷つくだけだ。けど心とは違って口は勝手に開かれる。眼の前の小野田に僕は何でそんなことを聞いたんだろう。
「小野田は……好きな人、いる?」
小野田の眼が大きくなった。でもすぐ元通りに戻っては手を組んで腕をテーブルに乗せる。静かに微笑みながら細く開けた目でさくらんぼのような潤い唇で囁く。
「どうだと思う?」
にやにやしながら逆に問い返す。そういう言い方ははずるいと思ったがあえてそれを口にはしなかった。
「いる……と思う」
「いるよ~?」
ほんの少しだけ、心臓が普段よりも高鳴った気がする。
「私だって女だし」
やはりと思った。小野田みたいな人に男がないっつのはうそに決まってる。
「そいつと付き合ってんのか?」
思わずそんなことまで言う。聞いても傷つくばかりなのに、こんなことを聞いてどうするんだ? 先からくだらないことばかり言ってる自分の口を裂きたい。別に聞くつもりじゃなかったけど、心のどこかで焦っていた。バカバカしい。なんか恥ずかしいし死にたい。どうみても僕の姿……ただのナードじゃないか。
「うむ……まだ付き合ってない、かな」
「そう、なのか」
「なんかね、あの人ものすごくじれったいってば!」
「じれったい?」
「そうよ! 何というかね、うざい! 変なところで生真面目で自分の意見がはっきりしていて……いや、それはいいけどたまに裏をかく行動してびっくりさせたりこっちの話にうまく乗ってくれたりして……いや、これもいいけど! 結局私のこと好きかどうかはっきり表現してくれないから好きかどうか私としてはわかんないしええっと、だから、だからうざいのよ! 本当にアホだってば!」
その感情の滝に僕は唖然とするだけ。彼女がこれほどの乱れた姿を見せるのは初めてだったので驚かざるを得なかった。それが一方では面白く、一方では悲しい。彼女のいう話の主人公は僕ではない。僕にはここまで小野田の感情を揺さぶることができない。
僕はこの様だ。小野田の話を聞きながら見知らぬ相手に嫉妬する情けない人男だ。
小野田はぶつぶつさんざんある男への文句を僕に言いつけては最後は苦く笑った。
「あの人は、自分に自身を持てない気がする」
彼女の言葉が続く。
「嫌われるのが怖くて、失敗することが怖くて、いつも誰かの顔色うかがって……それでその場に立ち止まってる臆病な人よ。私としては、もっと勇気を出してくれたらいいのに」
「鈍いやつだな。なんでそんなやつが好きなんだよ?」
フラペチーノがストローに沿って彼女の口流れ込む。小野田はカフェの窓の向こうの人込みを眺めた。その姿はどこかもどかしい気がする。何となくストローをいじりながら小野田は複雑な顔をする。彼女の考えが読めなかった。やがて帰ってきた答えは分からないという言葉だった。分からない。胸に当たらない言葉だ。好きな相手を好きになった理由さえ知らない。気が付いたらいつの間にか好きになっていたと。
その夢物語に僕はあっけなくて笑ってしまう。
定められた運命は信じない主義だ。人間の運命は無数の選択によって構成される。赤い糸で結ばれた運命の相手とか御伽話だ。ゆえに理由のない恋話は存在しない。性格が好きとか見た目が好きとか何かの理由があって、なかったらその理由を作ってでも人を好きになるのが人間だ。自己に対する合理化、あるいは正当化。小野田自身は気付いていないらしいが、彼女が誰かを好きになったこともある種の理由を作ったに違いない。本人は自覚していないようだが。
「あいつ、優しいとか?」
「うーむ、確かに優しいけど、優しさと言ったら今気になる人より元彼の方が……」
あ、そうですか。なぜか分かんないが無駄に腹立つ。これだからモテ女は。
小野田は残りの飲料をすべて吸っては音なしで笑った。妙なことにどうしたと尋ねると小野田は僕のことをじっと見つめる。
「うんとね、私女の人って優しさだけじゃ相手のこと好きになれないと思うんだ。そういう意味で今気になってる人は元カレより優しくはないけど、ものすごく考えが深くて素敵な夢を見ている気がするの。彼が一人で悩んできたことの跡や理想、最終的に叶いたい夢。たぶんそーゆうのを見ちゃったからじゃないかな。それだけが原因とは言えないけど、たぶんきっかけになったのはそれだと思うの」
小野田の言葉に僕は何も言えなかった。コーヒーだけ口に移して、ガラスの向こうの人込みを見つめる。眼を合わさないまま彼女に聞いた。
そんなに好きか?
好きよ。だから、彼が勇気を出すまで待ってるの。
小野田は、答えはもう決まっているようにそう言っ切った。
「時代も変わったし、私の方から告ってもいいけど、そうなると彼はいつまでも自分に自身を持てない気がする。私は彼がもっと素敵な人になって欲しいから。だから待つの。じれったくてため息も出るけど、仕方ないよ好きだし」
逸らしていた目を前に向ける。小野田麗音がこちらを見つめていた。お互いの視線が交わされる。小野田がにっこりと笑って黒いボブカットが小さく揺れる。複雑な気分で胸の奥が焼かれるようだった。何で、こんな感情を感じてるんだろうか。なぜ僕は見知らぬ男に劣等感を感じているんだ。
僕は、
僕は小野田のことを……。
「結局、お前はその男の夢を見てたってことか」
「ぷっ! 何それ、矛院君意外とロマンチックとこあるんだ?」
小野田は口を隠してはくすくすと笑った。なんか笑われるようで少し恥ずかしい。でも彼女の微笑みがあまりにも眩しくてそれに対する文句は言えなかった。笑いが止まり小野田の目が細くなる。静かに開らかれる唇。名前が呼ばれる。そして彼女は僕が予想だにしていなかったことを言ってきた。
「矛院君の夢はなに?」
電池が切れたように体が止まる。その言葉は僕の首を絞めつける感覚さえ感じさせた。
「この前進路希望調査票も出したでしょう? 結局何書いたの? 私、矛院君がこれからどうしたいか聞きたいけど」
口が止まる。何を、どう答えたらいいのか、さっぱり分からなくなった。
「何も書いてない」
僕はただそう答える。小野田はその答えに眉をしかめた。
「未来なんてわかんねえし、高校2年の生活も精一杯だ。成績もまあまあだし、そんなもんまだ何も考えてねえよ」
「本当にそう思ってる?」
言い終わる途端、小野田がそう聞いてきた。なぜか彼女の声は少しだけ怒っている気がする。
「本気で言ってるの?」
「ああ。適当に卒業して、適当に大学行って、また適当に就職して、また適当に結婚して……そう適当に生きるんじゃないかな」
「うそ」
言葉が胸を刺す。小野田を見つめると彼女は悲しい視線で僕を見ていた。どうしてと思いながらも、悲惨な表情を作ってる彼女にちょっとだけいらっとする。
「私には話したくないの?」
「何でそんな言い方する? そんなんじゃないよ」
だんだん自分の声が低くなることを感じる。僕の口から出る言葉とは思えないほど重く冷たい感じがした。小野田は僕の言葉にしばらく黙っては静かに、しかし断固な声で言う。
「うそじゃなかったら、私の顔を見てまだ何も決めてないと言って」
眼を合わせられなかった。僕はそのまま石になってテーブルの上に置いてある自分の携帯だけを無心に弄るだけだった。
「何で見ないの? うそじゃない言ったでしょう?」
「止せよ。何でそこまでこだわるんだよ?」
「こだわるんじゃない。私は矛院君ともっと話したいの。もうちょっとだけ胸の内を打ち明けてもいいじゃない。私が矛院君の夢を笑ったりでもすると思う?」
「しない……! 僕だって小野田がそんな人じゃないっていうのは知ってるんだ」
「じゃあどうしてなの?」
小野田の言葉に頭がずきずきとする。お前は、何でここまで僕を追い詰めるんだ?
彼女が僕の夢をあざ笑うわけがないしそんな人ではないというのは誰よりも知っている。言わないのは、ただ僕の劣等感だ。そんなことを言ってしまえば小野田の好きなやつに完全に負けそうだったから。
見ろよ、この格好を。自身もないし、背もそこそこで顔も平凡だ。何一つうまいとこがない。それに比べてお前は素敵な美人で誰にだって愛される人だ。好きなあいつは自分の夢を追いついて、お前にだけはそこそこ優しくてたぶんそんなところをお前は好きになったんだろう。そんな素敵な人の後姿をお前は見つめて、僕はそんなお前の背中を仰ぎ見るだけだ。僕にできるのはせいぜいそれぐらい。好きだと言えず、余所からちらっと覗くだけ。そんなことで幸せを感じて安堵感を覚えるのが僕には精いっぱいだ。だから話したくない。お前が好きになったあいつの比較対象なんかになりたくないんだ。お前は僕のことを笑わないと言ってたな。
分かるよ、小野田。君はきっと笑わないだろう。しかし内面の君は違うかも知らない。
表ではなく裏の小野田は違うかも知らない。お前も僕も、所詮人間だから。人という
言葉はただ美しいだけの言葉ではない。私は己を嫌悪する人間だし他人を丸ごと信用することなんかできない。お前だからといって何かが違うとでも思ってる?
「別に……お前に話したくない」
その言葉に小野田はどんな表情を作ってたんだろう。俯いたまま彼女がどんな表情をしているか想像してみたが、到底彼女の表情を描けなかった。。何分の時間が経って、ようやく小野田の声が聞こえた。その声は掠れていて、すぐにでも泣きそうだった。
「私はそんなに、信用できないの?」
何も言えない。
「私はもう矛院君と、打ち解けるまでの、間柄になったと思ったのに」
「やめろ」
「私だけの勘違いだった」
「やめろよ」
「やめろって、何をやめたらいいの? 矛院君は私に何ひとつ聞かせてくれなかったじゃない」
「やめろと言ったんだろう!!」
叫ぶ。胸の奥が、黒い感情で渦巻いていた。息苦しい。もやもやした感情が気持ち悪い。干からびた花びらのような沈黙の後、ようやく顔を上げて小野田と向き合う。彼女の顔は、僕が予想していた以上にめちゃくちゃになっていた。その顔を見て、戸惑いよりつれなさを覚えた僕はダメなやつだろうか。
「もうちょっとだけ……あなたを知りたいと欲張ったらダメなの?」
「お前に僕のことを分かってくれとお願いしたこと一度もない」
「矛院君……!」
「映画やドラマで見たのと同じく格好よく適当にしゃべったらそれで何とかなるとでも思ってるのか。思い上がるなよ、吐き気する。相手を欺瞞するのもほどほどにしろよ、差し出がましいから。 今お前がやってるのは、勝手に人の心を開こうとする単なる暴力に過ぎないだろう……!!」
そこまで言って、ようやく我に返った。僕は激しく息を出していて小野田は俯いて土だけを見てるままだ。胸の奥が、燃えるように熱い。息苦しい。何で、小野田にこんな酷いことを言ってるんだ。小野田はただ……。くそ、こうするつもりじゃなかったのに!
「ごめん。言い過ぎた……」
正しく謝ることが僕にできる精いっぱいだった。
興奮が収まらない。彼女に対する怒りより、自分に対する嫌悪感が収まらなかった。そして、何もかもがめちゃくちゃになったまま、小野田はたった一言を口にする。
「ごめんなさい」
小野田はそんな言葉を残してそのままカフェから出て行く。僕は追いつくことも忘れてそのまま席に座り込んだ。
「ちくしょう。ちくしょう……!!」
どうしてこんな様になった。傷つくことも、傷つけることもしたくなかったのに。
どうして、こんな形しか僕にはできないんだ……!!
その後何度も小野田に電話をしてみたが、小野田は電話に出ず、ラインも送って置い
たがそれすらも読まなかった。
家に帰って自分のベッドに横たわって何時間を過ごすと、待ち合わせの場所で見ようという答えだけが作戦時間の1時間前にようやく返ってきた。
僕はその返答に安堵しながらも、どんな顔で小野田を向き合うべきか悩み始めた。
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