第12話 - PLAYER


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午後5時。

朝っぱらから何も食べなくて結局は腹が減って夢から覚めた。

出かける支度をした後、玄関のドアを開ける。そのまま家を出て近くの牛丼屋でも行こうとした。けど、僕の歩みは遠くまで行けずそのまま止まってしまう。

今の時、一番会いたくない人に会ってしまったのだ。

小野田麗音。

絶対的な力の権威が、そして僕が殺すべきの相手が道路の壁際にしゃがんでいた。二人の目が合う。こっちを向くその瞳は、さすがに不満に満ちている。

戸惑っている間に小野田が近づいてきた。喉に何かがかかったようだった。正直に言ってどう彼女と向き合えばいいか分からなかった。何で、彼女がここにいるんだろう。


「あんたが出る前までずっと待つとラインしたでしょう? 確認してたじゃない」

5時間前のことだ。だったら彼女は今までずっと僕が出るのを待っていたというのか。そんなむちゃな……とんでもないことをする女だ。

「どうして何の連絡もしないの? 私がどれだけ心配してたか分かる?」

「それが、その……」

「もう…! 定期報告会も全然出てこなくて! なによ! 本当に死んでると思ったよ!?」

「別にいいじゃん。ちょっとだけ連絡できなかっただけだし」


「よくない! ちっともよくないの!」


彼女の肩が震える。小野田は怒りを抑えていたがその目つきと高い声に滲んでくるのは隠せなかった。

本当にこいつは……僕が自分を殺せるとは想像もしていないんだろうか?

言葉一つ。それだけで、小野田麗音を殺せる。今のところそういうのは全然考えていないようだし、感情的に盛り上がってる。判断力も乱れているはずだ。

今、彼女を……殺そうか?

途端、すべての考えが吹っ飛んだ。殺すとかなんとかそんなことはどうでもよくなった。ただ心情的に困っててどうすればいいか、分からない。

小野田が泣き出したのだ。彼女はすすり泣きをしながら涙を流すのを見られないように裾で自分の目元を静かに、何度も拭く。そんな小野田の姿に、心臓の底からぬった切りされるような気がした。慌てながら涙を拭いてあげると小野田は荒く僕の手を振り切った。断れて振り切られてもずっと涙を拭いてあげる。小野田はようやく手を受け入れてくれた。


「何で小野田が泣くんだよ……」


「だって、だって……」


そういう彼女の目から大きい涙がぽろぽろと落ちる。僕はそんな小野田の涙を止めどもなく拭いてあげるだけだった。小野田麗音が泣いてるという事実は彼女への殺意を完全奪って行く。それがなんとなく滑稽ないと思いながら小野田が気付けずに小さく苦笑いをした。

そして……。

ぐうぅぅぅぅ――――。

「「あ」」

二人の声が重なる。小野田の腹から雷よりも大きい音がした。

「ご飯……食べてない? いてっ!?」

叩かれた。小野田が憤慨している。

「あああ、あんたのせいなのよ! ちょっとご飯食べに行ったときにどこかに行ってしまったらだめだから! それで、それで……!」

ぐぐうぅぅぅぅぅぅ――――。

小野田の顔がトマトのように赤くなった。彼女は顔を俯きながらもうこっちを見ようともしない。そんな小野田の姿がかわいくて、彼女の手をそっと握った。

「行こう」

小野田が少しだけ顔を上げる。

「待たせた分、埋め合わせするよ」



「なあ……」

「はむはむはむ」

「あの………」

「もぐもぐもぐ」

「小野田さん……」

「あい?」

口にいっぱい食べ物を満たした小野田が頭の上に疑問符を現す。

「本当に、こんなもんでいいの? もっと高いの食べてもいいと言ったじゃん」

「もぐもぐ……これでいいの。ハンバーガー好きだし」

小野田が選んだのは待ち合わせ場所のハンバーガー屋だった。個人的にはもっといいものをごちそうしたかったが、彼女が今日はこっちにしたいと意地を張ってたので結局やめることにした。小野田はまあ……見ての通りよく食ってる。結構大食いで、本当に驚いた。ハンバーガーを食べてる彼女を見て穏やかな気分になる。人の感情って不思議だ。


「そんなに食べて消化できる?」

「陸上してた時はこれよりももっと食べたよ?」

「マジかよ」

自然と微笑が浮かんでくる。気持ちがよくなった。何度考えても自分がおかしいと思う。小野田のせいで変になっちまった。

「あ、マヨネーズ」

「えっ?」

「付いてる、ほっぺたに」

「あ、本当?」

「ちょっと待ってな」

「ありがとう。じゃあ、そこにあるティッシュ渡してく……」

すっと、小野田の頬に付いてるマヨネーズを代わりに拭いてあげる。小野田はまるで石でもなったようにこわばっていた。ぷいと顔を逸らしては慌て始める。


「な、ななななんやっとるんや? おお、おかしなことせやあかんやで」

「なんでいきなり関西弁使ってんだお前」

「や、やかましい! うちにそんなんいちいち聞かずに自分で調べや!」

「知らないから聞くんですが……」

小野田は両頬をフグのように膨らませてはちょっとだけ時間を置いて元通り戻ってくる。ハンバーガーはそのまま置いて、コーラーをすすり始めた。

二人の間に静寂が訪れる。何も言わずお互いを見つめた後二人で2階からガラスの向こうを眺めた。不思議なことにその沈黙は気まずいことよりも心地よい気がした。一番面白い対話は、互いが沈黙を尊重し楽しむことだと。

以前、どこかの本で読んだ気がする。


「あのね、矛院君」


小野田は視線をガラスの向こうに固定したまま言い出す。

「もしものことなの」

かすがな微笑を浮かべてちょっとだけもぞもぞする。低い声で気が進んだら、と言う

と小野田はううんと答えた。

「もしね。私たち、このゲームに参加していなかったらどうなったかな?」

それは本当にもしもな話だな、となんか笑いが出てきた。プレイヤーじゃない小野田麗音と矛院守優也が一緒にいる場面など、まったく想像がつかないのだ。

「普通に学校とかですれ違ったんじゃんないかな? そもそも小野田って先輩だし。

あ―、その時は僕がちゃんと先輩と呼んだかも。あんなでたらめな出会いをしてなかったらな」

「あはは! あんたが私を先輩と呼ぶ姿全~然想像できない」

「ひでえこと言ってんなあお前。こっちも常識的な人だし、先輩への尊重ぐらいはする。まあ、小野田はなぜかため口の方が楽だけど……」

「そう……私も嫌いじゃないの」

小野田はそこでなぜか悲しそうな笑いをした。

「違う形で会ったら、違う関係になったかも知らないんだ」

小野田は呟いて僕の瞳を見据える。ゆっくりと小野田が名前を呼んできた。何も言わずに彼女と目を合わせると小野田は口をこう動かせる。


――私たち、二人でゲーム諦めようか?


それは、どういう意味だったんだろうか。その真意が分からなくてこれは小野田が僕を面食らわせるための作戦なのかなと思った。でも彼女の表情はあくまでも真剣で悪い冗談と言うにはその微笑があまりにも寂しかった。

結局僕はその意味をそのまま鵜呑みして言い返す。

「諦めるときっと警察に捕まえられるんだ。それはどうする?」


「一緒に逃げるの」


素敵な夢を見ているような気がした。小野田が夢を見ているのか僕が夢を見ているのかよく分からなかった。うまくは言えないが、その響きがとても甘美なことだけは十分分かっていた。

「誰も探せないところへ。とってもとっても遠いとこころへ逃げるんだ」

すぐに返事はしなかったが。自分の中でそれも悪くないねと。そう結論付けた。でも、あえて口にはしなかった。言葉にしたら何もかもが壊れそうだった。

「もちろん冗談なの」

小野田はくすくす笑いながら自分が言った言葉を否定する。

「今更諦めるなんてそんなはずないでしょう? 私も、矛院君も」

「……」

「矛院君」

「ああ。なんだ? 小野田」

「矛院君に、ぜひ打ち明けたいことがあるの」

そういう小野田の目は、いつの間にかストレングスのものに変わっていた。



小野田と共に色々な話をしているところだった。

いきなり僕の携帯が鳴り二人とも首をかしげる。携帯を確認すると、知らない番号だった。何だろう。今のところ電話をかけてくる人なんて全然いないのに。

「出てみたら?」

「いや、知らない番号だし」

「誰か用事があるから電話してきたんでしょ。 出てみて別に関係のないものだったらそのままき切ってしまえばいいし」

まあ、言われてみればそれは確かに。

画面の通話ボタンを押して耳にケータイを近づける。そのまま相手の反応を待つと向こうは何かをためらうようだった。なぜか息遣いが荒い気がするけど、どこかけがでもしたんだろうか。相手は深呼吸を一回。大きく吸って、吐く。そして、


「金崎……チャリオットだ」


彼は堂々と自分の名前を明かした。息が詰まる。どうしてこいつが……?

「お前、僕の携帯はどうやって分かった?」

「落ち着け。別に今の状態でお前と戦う気はない。番号の方はすまないが、墨ヶ丘学院の生徒名簿を探った。お前とストレングス二人とも墨ヶ丘の生徒だし、連絡する方法はそれしかなかったので……勝手な真似をしたのは悪いと思ってる」

「くだらないことはどうでもいい。何を企んでる?」

思わず口が荒くなる。無理でもないだろう。僕たちを殺そうとした人間だ。簡単に信用してしまえばそれこそ問題だ。金崎は息を整った後声に力を込めて強く言い出す。

「単刀直入に言おう。お前の母を救いたいなら21時まで信条寺高木町にある朱雀蘭平高校に来い。そこで待つ」

「はあ? 何バカなこと言ってんだお前」

「詳しいことは直接会ってから説明する。用件はそれだけだ。来るかどうかはお前の勝手だが、この機会を逃したらお前の母は助けられない。それだけは覚えて置け。それじゃ」

「お前それどういう意味……っておい! ちょっと待っ……」

すぐに切ってしまった。くそ。勝手にしやがって。

小野田と金崎のことを相談した後僕たちは結局朱雀蘭平に向かうことにした。

待ち合わせまでの道は星が桜のように満開した夜空だった。



チャリオットは待ち合わせの場所でちゃんと待っていた。

彼の姿はは朱雀蘭平の校庭、その真ん中にいたのでたやすく見つかることができた。

予想と違ったのはどう見ても金崎の様子がおかしかったこと、そして彼が一人ではなく他ののプレイヤーと一緒に待っていたことだ。金崎はハングドマンと一緒にいた。この前の戦いで小野田の最後の一撃を防いだ少女。金崎は彼女に抱かれたまま冷や汗を絶えずにかいて片手で自分の頭を押し付ける。ハングドマンは荒く息を吐いてるチャリオットの頭に手を出して彼の熱を冷やしている途中だった。

電話からでも様子がおかしいとは分かっていたが、彼の状態は先よりも酷くなっている。


「格好わりい姿を、してるのは、俺だって分かてる。お前らにはもうしわけない。

これはデス……土堂先生の能力だ。俺は今まで先生と取引をしていたが、その取引が無効になって殺されるところだった。それをぎりぎりに雪永が助けてくれたけど正直に言うとあんまり長くは耐えられねえんだ」

金崎の体が大きくひょろっとした。ハングドマンーフルネームは知らないがたぶん雪永―が支えてくれなかったら今頃地面に鼻が折れたはずに違いない。

「デスカードの能力は恐ろしい。その情報を知ってるのと知ってないのは確かに違う。個人的な考えでは先生の能力はたぶんプレイヤーの中から1、2位を占めていると考えてる」

「彼は動物とか昆虫を操る能力じゃなかった?」

小野田の言葉に金崎は強く首を振った。

「ただそれだけならそこまで脅威的でもないだろう。先生の恐ろしいことは先生が操るあの生き物のすべてが死と同然ということだ」

「どういう意味だ?」

「先生が操ってるのは動物なんかの生き物ではない。先生の能力は病だ」


「ヤマイ?」


金崎が何度も咳を繰り返す。その闘病の過程は見ているだけでも苦しそうだった。血が混ぜた咳をしてからようやく体が落ち着く。彼の闘病を見守る雪永はどうしようもなくてすぐにでも泣きそうだった。

「話を続ける……」

口元に付いた血を拭いては金崎が言葉を継ぐ。彼の目は生き生きとした覚悟が込められていた。

「デスカードの能力は、対象の体に病を伝染させてそれの症状を急速に悪化させる能力だ。対象に病を運ぶための媒介なら何でも操ることができる。動物、昆虫、飛ぶやつか、這うやつか、生殖環境、繁殖。それらは全く関係ない。ただ病の源になるウィルスをその身に取り入れて相手に伝染させることができるか。

その一つの事実だけで先生の能力は成り立っている。簡単に言って先生は生きているウイルスの集合体と言っても過言ではないだろう」

金崎の目は半開きになってその目蓋は軽い痙攣を起こしている。そこでようやく気付いた。彼もそのヤマイの呪いにかかったことを。今までの金崎とは違い様子がおかしかったのはデスの能力のせいだったのか。金崎はまた咳をする。血が混じった咳は小さい地獄を見ているようだった。


「マラリアだ。マラリア菌に感染された蚊によって伝染される。たぶん先生がどこかで用意していたやつに刺されたらしい。俺としてもまったく気付けなかった。幼い頃の予防接種をしたのと、プレイヤーとしての身体強化。雪永が熱をずっと冷やしてくれなかったら俺はとっくに死んでたと思う」

雪永は悲しそうな表情で金崎から少しも離れなかった。彼女の額には汗しずくが付いている。看病することだって簡単なことじゃないのだ。

その光景は、妙な錯覚を起こした。たぶん金崎がゲームで優勝する可能性は低いだろう。こんなヤマイにかかってしまったら生き残れるかも疑問だ。その失敗した金崎の姿と、彼を何とか助けようとする雪永の姿が僕と小野田に重なったのだ。ひたすら運が良かっただけで、奴の呪いにかかったのが金崎でなく僕だった可能性もあるのではないか。ゆえに彼の姿は到底笑い飛ばせなかった。いくら彼が僕らを殺そうとした人間だとしても。

金崎は辛そうだった。こんな表現はよくないが、ゆえに彼の姿で最も人間らしいと。そんなくだらない感想を抱いてしまう。


「正直なところ俺はもうだめだ。雪永が言った通りこのゲームから俺が勝つ術は、残念だけどもう残っていない。それでも俺はゲームを諦めたくはないんだ。せめてゲームの方向性を変えたい。先生が勝てないようさせたい。そのためお前らに協力するんだ。お前らが土堂先生に、勝って欲しい」

金崎と視線が交わされる。彼の瞳は相変わらずだった。強直で美しい。揺るがない何かがその瞳に入っていた。どうしてここまでするのか。辛かったら、諦めてしまえばそれまでなのに。理解ができず沈黙を守り抜いていると金崎の状態はだんだん酷くなった。それでも彼は動く。雪永にその体を支えられたままだったが、意地で自分の足で立とうとする。「妹が、プレイヤーとして参加していた……」

小野田も僕も。誰も口を開かなかった。金崎がいう言葉の重圧感があまりにも重苦しくて息ができない。


「俺がこの前お前たちを殺しに行ったのも秋菜が先生に人質にされていたからだ。先生は、俺がお前たちを殺したら秋奈を逃してくれると言ってたが、結局俺は失敗して……妹は昨日殺された」

頭の中で昨日の場面が脳裏を貫く。両手を上げて拍手をした土堂。そしてどこかで殺された一人のプレイヤー。金崎の妹だったのだ……。

少年が腰を曲げた。


「お願いします」


その姿は相当信じられなかった。小野田と互角に競い合った金崎慶が、強大な戦車がそう言い出した。

「申し訳がないことだと知ってます。ずうずうしいと言われても無理ではないでしょう。怒っても飽きれても仕方ないと思います。でも、」

彼は悔しそうに悲しそうに深く頭を下げる。その姿はその厳しい戦いで見せた彼の姿とは到底思えないほど惨めでみすぼらしいものだった。

「どうか土堂先生を……止めてください」

その低い声にはどれだけの決心が詰め込んでいるんだろうか。妹を失った彼が表した深い感情の痣を僕たちはどう見守るべきだっただろうか。


「顔上げろよ、金崎」


少しの時間を置いた後彼に言ったが、彼はそう簡単に顔を上げようとない。深く息を出しては声を上げた。

「そんなこと頼まれても困る。僕らのペアは単純に僕らの目的を叶うため生き残るだけさ。お前のお願いとか知るもんじゃねえんだよ」

「……」

「だからいちいち、そう頭を下げなくていい。お前がお願いしなくても僕たちは生き残るだろうし、あいつに負けるつもりもない」

彼は何も言わなかった。無口で沈黙を守り抜いていた金崎の顔からひとしきりの涙が流れ落ちる。がっしりとした肩が震える。彼は歯をぎゅっと食いしばって何度も何度もありがとうと言うだけだった。

金崎慶が腰を上げる。彼の目元は赤く染まっていたがそれ以上の涙はこぼれていない。

「状況は知っている。一応名目上はに味方ということで先生の話を聞いたことがある。その計画に基づいて行動していたらお前の母の所在も分かるはずだ」

金崎はそう言いながらその計画のことを語り始めた。

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