第9話 - CHARIOT


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5月16日、日曜日。

待ち合わせの場所に行くと小野田はいつもの格好だった。スキニージンズにロングカーディガンをかけて耳にイヤホンを挿したまま僕を待っている。

「よお」

一日会わなかっただけなのに、とても久しぶりに会った気がする。なぜか分からないけど、ちょっとだけ、照れ臭かった。

初の激戦以来、僕たち1日を休んで今日からまた捜索を再開した。あの一日があまりにも長くて、二人とも少しだけ休むことにしたのだ。僕たちは互いに微妙な距離を置いては、ひたすら歩き出す。千桜市は意外と広くて、色んなところを回ったがプレイヤーを見つけることはなかなかできなかった。

「ねえ、矛院君。旅行を行くんだったらどこを行ってみたい?」

「何の脈絡もなくそんなの聞くんだ……」

「だって夜の9時から始まって3時間も矛院君と一緒だもの。歩くだけだったらつまんないし」

「まあ、それは確かにな……」

「暇だから、おしゃべりでもしよう」



5月17日、月曜日。

学校で偶然に会った小野田が挨拶をしてきた。まあ、それなりに返事をしたが、同じクラスの男子がなぜ矛院があんな美人を知ってるんだって口を叩いた。そして、また夜。

「……それで、趣味は?」

「えっと、一人でコンソールやるのぐらい」

「コンソールゲームか。いいね~。最近やった作品は?」

「ウィルスハザードの最新作ぐらいかな」

「うそ! もうやったぁ!?」

小野田の目がキラキラしている。まるで新しいおもちゃを見つけた子供のようだ。

「小野田って……ゲームやるの?」

「何言ってるの私ゲームオタだよ? 限定版買ってプレイしなかった作品家に山ほど溜まってるよ?」

「いや、それただの浪費だから」

小野田は嬉しそうにゲームの話を始めた。一番好きなタイトルとか一番ひどかったタイトルとか。ゲームに詳しい小野田の姿は何というか、とっても不思議な感じがした。

「なんつか、ちょっと意外だな」

「何が?」

「だから、君がゲームオタっていうの。こういうのは全然関心ないと思ったから」

「それ偏見なの。ゲーム好きな女の子って世の中たくさんいるんだもん」

「へえー」

「それに、ゲームって一人で遊べるから。私って家の事情で外に出て遊べる日が少なかった。お母さんは仕事で忙しかったし、父……が外で遊ぶのをとても嫌ってて……」

最後のところで小野田の声が小さくなった。しばらく沈黙が訪れる。無理でもない。例の激戦で、僕は小野田の記憶の短編を覗いた。それが本人にとってどれだけ苦しい記憶になるか、確認するまでもない。気まずい空気が漂う。お互い間違ってないけど、時には事実だけでもこんなに苦しい。かなりの時間をかけて小野田を呼ぶと視線がこちらに向けられた。言おうとしたが、なかなか口が開かない。小野田がおかしいと思うように首を少しかしげる。その姿が妙に可愛くて僕は視線を逸らしたまま呟いた。


「も、もしよかったらさ、こ、今度ウィルスハザード貸してあげよっか?」

「ホンマに!?」

「つい関西弁になってちまうほどいいんですか……まあ、本当」

「ありがとううう! えっ、えっと、い、いつ矛院君んちに行ったらいいの?」

「いや、一応僕たちサバイバルゲーム最中なんですけど」

「……うっかりしてた」

「うっかりするのかよ!」

こいつ何でも完璧にするタイプだと思ったのに結構おっちょこちょいなんだ……。

「後で僕が持ってくよ」

「お、おお! お待ちしております!」

「あ……」

「どうしたの?」

「いや……」

言ってからうちで一緒にゲームする? と誘った方がよかったと後悔した。

……いや、それはただの弁解か。僕は、勇気がなかったのかも知らない。



5月18日、火曜日。

この日も他の日と同じく午後9時から情報捜索を開始した。

マーダラーゲームに参加してから一周と一日。

ゲームはそろそろ中盤に至った。

小野田との捜索が終わったら、午前零時を堺目に二人で一緒に定期報告会に参加する。

そしてこの日は定期報告会で一つ特異事項が起きた。

「それでは5月18日の定期報告会を実施する。本日は、一人のプレイヤーが脱落し、二人の参加者がゲーム放棄を宣言した。

『THE SUN』カードの持ち主、戸村とむらリンゴ。『THE MOON』カードの持ち主、園部亜希そのべあき。二人はゲームの放棄を宣言したので、マーダラーゲームが終わるまで主催局の保護を受ける。以前に説明したルール通り、ゲームを諦めたプレイヤーはゲームが完全に終了するまで生存が保障される。なお、他のプレイヤーから攻撃を受けられず、同じく攻撃することもできない」

ゲームを諦めた人が現れたのだ。プレイヤーはより少なくなって同盟を結んでいる僕たちを除ければ、残りは7人だった。


「さあ、ゲームは中盤に差し掛かった。各プレイヤーは、もう少し頑張って神の後を継ぐように精進するがいい」


デミウルゴスの言う通り残った期間は後一周。

たぶん、ここからが瀬戸際だろう。


周りを見回すと神殿内部の空中円卓からプレイヤーたちがだんだん姿を消して行った。小野田の席も空いていて、今日はこの神の領域から早めに出たようだ。残っているのは僕しかいない。創世神は相変わらずだった。彼は大きい鉄製椅子に背をもたれたままこちらを見下ろす。神殿内部の空気が重くて冷たい。いつも思うところだが、ここの部屋はあまりにも殺風景だ。華麗さとかけ離れている。何も存在しない場所。色もなく活気もない。あるのは円卓と、時の流れのみだ。プレイヤーが姿を消すと人がいた跡すら残らない。人間美がないと言えばおかしい表現になってしまうけど、神殿と言うよりは灰色の牢獄みたいで正直に言うと気に入らなかった。


「お前は、いつもここで一人か?」


「おかしなことを聞いてくるな、矛院守優也」


「個人的な感想さ。何と言うか、神にしてはあまりにも寂しいと感じたから」

デミウルゴスはその言葉に目を閉じてしばらく黙っていた。彼は、何を考えているんだろうか。僕には神の意中がまったく読めなかった。再び口を開いたとき、彼の声は少し枯れていた。なぜかそこのところだけが神の唯一の人間美を表しているようだった。


「私はもう人間ではない。人間のように感想に漬かることはもうとっくに忘れた」

それはまさに驚くべきの話だった。機械で成り立っている神が以前は感情を持った人間だったとは。不思議な話だ。

「遠い昔の記憶だ。何十年か、何百年か、何千年かも忘れた。私は神に選ばれ、運命を受け入れた。マーダラーゲームを主催したのは、もう十分だからだ」

「よく分からない。万能の力そのものなのに、神たちそれを誰かに渡すのか?」

「私は永久不変の真理、太初の中心だが、それを誰かが受け継ぐことで存在する。私は個人であり複数の概念だ。私の時間は限られていて、時間が尽きると次の神が生まれる。ゆえに世界は存続されてきた」

「……じゃあやっぱり、マーダラーゲームは今回が初めてじゃないんだ」

「そういうことになるだろう」

「神の仕事はどういうものだ? そこまできついか?」

「人間という概念を改めて考えることだ」

「何それ?」

「君が神になると分かるはずだ」

「自分も人間だったくせによくそんなこと言ってるな」

眉をしかめながら文句を言うとデミウルゴスは何が面白いか低い声で笑を漏らした。それは、ある意味で彼が最初に見せた人間らしい行動だった。僕はそんなデミウルゴスを見て肩をすくめてはゆっくりと目を閉じた。



気が付くと近くの公園に戻っていた。

「遅かったね。お疲れ様」

「何だ、待ってた? 悪い。小野田もお疲れ」

お互い伸びをしながらだるくなった体の筋肉を解す。小野田も僕も、相当疲れが溜まっていた。

「本当疲れた。早く帰って寝たい」

「結構休んでるけど、やっぱり3時間も歩くのって大変だな」

「そうよね」

小野田がにししと笑いながら空を見上げた。夜は暗く、星は煌めく。その景色はせめて一瞬だけ、僕たちがこの恐ろしいゲームに参加していることを忘れさせるに十分だった。


「星がきれいだね」


小野田の言葉を肯定しながら一緒に星を眺める。しばらくの間僕たちは星空に浸かった。空気は冷たかったけど、隣に誰かのぬくもりが確かに感じられた。あの殺風景な神殿とは違って、そばには小野田がいる。どれだけ時間が経っただろう。小野田が満足したように笑う。


「じゃ、そろそろ行くね。夜も遅くなったし。おやすみ、矛院君」

「うん、小野田もおやすみ」

手を振って別れの挨拶をする。小野田は背を向けて少しずつ遠ざかって行った。僕はその後姿を見守って口を開く。もう一度小野田の名前を呼んだ。

「なあに?」

振り返る小野田。

僕は、彼女に向けて――――、

「後一週……頑張ろう」

そんな言葉を口にした。小野田は少し目を丸くしては嬉しそうに肯定する。

やっぱり、

送ってあげようかと言うのは、ちょっと恥ずかしかった。


◁▷


5月19日、水曜日。

少年は工事現場の3階に立っていた。外国のある企業から投資をもらって進んでいた着工は、不況でその投資が途切れる途端に中止された。現場は整理されず残ったまま、東京の一区域を占めている。 毎年投資が再開されるという話が出てきたが、話は進まなく空回りをするだけだった。結局は千桜市の市役所もこの建物に対しては特別に問題がなければ放置して置くという立場を取り始めたのが数年前だった。

建物の最上層に立っている少年は横に首を振って深く息を吸い取った。何度も深呼吸を繰り返し、決意を固める。


「迷うなよ」


彼はそう言って前に一歩進んだ。その先は何もいない崖だった。落ちてしまったら少年の体は人間の形を失いただ肉の塊になるに違いない。


「俺は、秋菜あきなと一緒に生きて行ける、そんな世界を作ると決めた」


少年はそう呟いて、もう一歩を進んだ。その先はやっぱり何もない空。少年の体が落ちて行く。彼は3階から千桜市を俯瞰しては、そのまま墜落した。

爆発するようなものすごい音がした。立ち込めるほこり。1階はぼうっと視界がかすんでて何も見えない。きっと、この砂の霧が収めたらそこには真っ赤な彼岸花が咲くだろう。少年の血で美しく飾られた花が咲くに違いない。

しかし、収めた霧の中から現れたのは、3階のビールから落ちて無傷だった少年の姿だった。

そして少年が土を駆けたその瞬間、すでにその場には何も残っていなかった。


◁▷


学校が終わって下校の時がきた。

なんとなく昼休みに小野田にラインをして、今後のことを議論したいという口実で一緒に帰ることにした。3年生の教室がある3階をうろうろしてると、遠くから小野田が僕を見つけて小さく手を振った。

「お待たせ、ごめんね、遅くなって」

「別にそこまで遅いわけでもないし」

「ところで矛院君。今後のことを議論したいから一緒に帰ろうと言ってくれたけど、矛院君の家、私と真逆じゃない?」

「マクドワールドまでだよ、マクドワールドまで」

「議論したいことってそんなにしょうもないの?」

「えっ、あ……まあね」

「あら、そう? じゃあここで話してもいいんじゃない?」

「えっ? いや、その……アイス食べたい、から」

小野田は何が面白いのかくすくす笑い出す。

ちっ、余計に勘が鋭いんだってばこいつ……絶対にからかってる。

小野田はいたずらっこ子のようににししと笑っては僕の肩を叩いた。

「ほら、行きましょう、坊ちゃん」

小野田と共に階段を下りて行く。とぼとぼ聞こえる二人の足音。それが妙に気持ちよくて、二人とも何も言わずに耳を傾けていた。たまに僕の足が速くなったので、わざと小野田のペースに合わせる。視線を交わして色んなことを喋り出す。妙なことだ。小野田とは、会話が途切れない。それが楽しくて楽しくて仕方がない。

ゆったりとしたテンポで歩いていつの間にか1階にたどり着く。もうちょっとこのまま歩きたいと思ったのは人生で始めてだった。小野田は何か思い出したように僕を呼びかけた。


「そういえば前からちょっと気になってたものがあるけ……」

いきなり僕の目の前に小さい拳が現れた。訳を分からなくてぼうっとしていると、小野田の表情が怒ったように鋭くなってる。

「あの……小野田?」

「狙撃」

「えっ?」

彼女はそう言いながら自分の手のひら見せた。置いてあるのは濁った色の小さい豆のようなものだ。

……銃弾だった。僕が知ってる限り、こんなことができるのは一人しかいない。

「まさかあいつ、こんなに人がたくさんいるのに……!」

どこからどっしりとした爆発音が聞こえてくる。土が爆発の反動に激しく揺れて、耳を裂くように轟音が何度も繰り返す。生徒たちの悲鳴があちこちで鳴り響いた。廊下向こうからてくてくと歩く音がする。


『250m以内に敵接近中、情報を確認しました。対象は、』


携帯のアプリが大きく音を鳴らす。M.I.P.Sが相手の情報を告げると共に奴はその姿をを現した。


『チャリオット(THE CHARIOT)です』


最初に屋上で僕たちを狙って、5日前は白衣の医者と正面から叩き合った重火器を操る少年。彼は目の前にその姿を現して馴れ馴れしく手を上げて見せる。

「ずいぶんと派手なお出ましね。注目されるのがそんなに好きなわけ?」

「まさか、そこまで好きじゃない。どっちかと言えば静かな方がもっと好きだ。わざと騒ぎを出したのはこうした方が人を引かせるのに向いてると思っただからさ」

「よくも生きていたね。てっきりあの虫たちに喰われて死んだと思ったけど」

少年の表情が変わる。彼は後ろ髪をかきながら困ったようにため息をついた。

「状況を知ってると言うのはどこかで見てたっつわけか。まあ、結局そのとき勝負はつけなかった。このゲームで知り合いに会うのはどうしようもなく疲れてしまう」

チャリオットの口調は単調だった。程よい丈の文字デザインが入ったマンツーマンシャツ。裾の短いブラックデニムパンツとスニーカーを履いた彼は自分の手首をあちこちに回している。彼の眼は何日も休めなかった初老の鋼夫のように疲れていたけど、その瞳は頑固で揺るがない何らかの意志が込められていた。小野田を始めて見たときの感想が、彼からでも感じられる。瞳が美しい男だった。


やつがここにいるというのは、結局僕らを狙っていると言うことだ。この前屋上で僕らに喧嘩を売ってきたからいつかこうなるとは思っていたけど……予想より早い。考えの最中に異常の音が聞こえる。目の前チャリオットは、まるで竜が炎を吐くように、極自然にその腕の一部が銃へと姿を変えた。銃はひとつだけでなく無数で、限度がない。拳銃、狙撃銃、機関銃など。それらすべてが人を殺せる兵器だった。マーダラーゲームの能力はプレイヤーの人の個性に合わせて変化する。なら、この兵器だらけの体を持った彼は一体どのような人生を送ってきたんだろうか。

その問いへの結論に達するも前にチャリオットの声が静寂を切り離した。


「そんなことはないと思うけど、もしゲームを諦めてくれる意向はあるかい?」

淡々と語る質問に思わず瞬く。自分でも分かってるのか、失笑を含んで言い出す。

「戦うのはあんまり好きじゃないので。それに君たちと戦うのはもっと後になると思ったし」

小野田と僕の視線が合う。どっちも答えはすでに決まっていた。

「悪いけどない」

「悪くもないけどない」

「ははっ! いいペアしてんじゃねえか、お前ら」

彼は本気で楽しそうに笑いながら小さく呟く。


「じゃあ……僕にはどうしても勝たなければいけない理由がある。お前たちには悪いけど、ここで倒されてもらう」

その直後だった。異変が起こる。重心を保てないほどの暴風が起こり、その中から少年の声が聞こえる。


「メジャーアルカナNum.7――内在能力系列、『The Chariot』カードの持ち主、金崎慶かなざきけい


彼の後ろから鋼を纏った巨人が無口に動いた。開かれた口から寒気が満ちた霧が流れ出てくる。

「その名には偽りが、我が存在には真実だけが残るなり」

放課後の誰も残っていない校舎で、激戦の鐘が響いた。

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