第5話 - TOWER

「なんだよ、あれ……」

呆れたものだ。超能力が与えられるのは分かっていたけど、どいつもこいつも化物だらけじゃないか。小野田が力の生粋だとしたら、あれは死の具現と言っても過言ではあるまい。

「ペルソナ《Persona》……」

「ペルソナって……それは心理学の用語だろう?」

「違うよ。このゲームで言ってるペルソナってカードに描かれたたイラストよ 。簡単に言ってシンボルかもね。『DEATH』カードの持ち主を確認したから、カードのイラストも確認できるはずよ」

小野田の言葉に携帯をい弄ってみる。彼女の言う通り相手の基本情報とカードのイラストが更新されていた。画面に表示されているのは白衣の男の後ろに現れた奇怪な形象だ。ミイラを連想させるその姿は、明らかに死者の形。においはしないが、その体は腐敗し痩せこけて、直ぐにでも折れそう病弱だ。体に纏った包帯は色あせてその体のように濁った色だった。その挟間からは黒い煙が耐えずに出ている。しばらくすると、やつは形が薄くなりまもなく姿を消した。


「ペルソナって基本的にこのゲームに関わったりしないよ。あくまでもシンボルだからね。相手への脅威を加えるぐらいだと言えるでしょう」

詳しい小野田の情報力に驚いたが、確かにそれもそのはずだと納得した。様子を見ようと思って第1回の定期報告会の最後まで残っていたけど、同じく残って質問を繰り返した人がいた。振り返ってみるとそれは小野田だったのだ。手回しのいい小野田の性格が分かる部分だった。彼女はそこまで言い、口をつぐんだ。戦いがより激しさを加えて行く。


広がる火薬のにおい。耳を裂く銃弾の音。グレネードが爆発すると黒い雨が降ってくる。屍は再び煙になり、また軍勢と化して少年の首を狙う。

一見すると、防御姿勢を保っている少年の方が不利と思えるが、そうでもなさそうだった。土堂という男は自分の足元から飛び出してく黒い生き物たちを見ながらを眉をしかめている。

決着がつかない状態だった。

「どっちも、ものすごい勢いだな……」

「そうね。重火器の方は再装填のための隙間があるけど、それが命を脅かす弱点にはなってない。すぐ後ろに下がって避けちゃうし。機関銃の威力も相当のものだ。迫ってくるやつは全部吹っ飛ばしてる」

「相手の男も同じよ。あの黒い煙から出てくる生き物って切りがないみたい。両方弾丸は制限なしってことね」

「重火器の方は分かりやすいけど、あの男の方はどんな能力だと思う?」

小野田はしばらく集中して白衣の男を眺めたが、結局首を横に振った。男に与えられたカードの名前は『DEATH』。なら、それに相応しい能力に違いないが、ぱっと見ては分かりにくい。


能力に一貫性がないのだ。黒い煙から生き物がだんだん押し寄せているが、それらは昆虫から始まって爬虫類まで種類が様々だった。何かの共通性があるとは思うけど、今のところ頭の中に思い浮かぶヒントはなかった。両方一瞬の隙も見られない。これはどっちが早く疲れるかで決まる消耗戦だろう。戦いは続けられる。決着は後何分ぐらいで着くだろうか。


「ねえ、矛院君」


隣で聞こえる小野田の声に返事しながら激戦から目を離さない。小野田はそれが気に食わなかったのか少し拗ねた口調でこっち向いて、と言う。そう言われてもだ。今夜の待ち合わせは情報収集のためだ。一瞬でもやつらの戦いを見逃したくなかったので適当に答えながら再び二人の男の戦いを眺めた。

「もう、矛院君ってば。ちょっと! 向いてと言ってるじゃない」

「はあ……君ね、情報を集めようと言っといてそれが得られる戦いから目を逸らしてどうすんだ。変なこと言ってる場合じゃないよ」

「矛院くんがそんな素っ気ない態度だから、私に会うまで彼女一人いない童貞男だったじゃない」

「お前言うことちょっと酷くねえ!? どうして僕が童貞かないかを分かるんですか!?」

思わずツッコミを入れながら振り返る瞬間。背筋に黒い蛇が絡みつく感覚がした。喉に何かぎっしりと詰め込まれたようだった。予想外のことに戸惑う。薄暗い夜だったはずの空は真昼になっていた。誰もいないはずの五十鈴公園は東京の繁華街になり、大勢の往来が繰り返している。ざわめく人たち、道路を走る車の音、日差しは暖かく、遠くから黒いカラスが空を飛んでいる。何よりもおかしかったのは小野田だった。


彼女はいつものつんとした表情ではなく穏やかに微笑んで白いワンピースを着ていた。履いているのもスニーカーではなくかかとのあるフラットシューズで、洗練で清楚なイメージを演出している。唐突な出来事に戸惑っていると小野田がおかしいといわんばかりに首をかしげる。

「何してるの? ほら、行こう。ぼうっとしてたら間に合わないよ?」

「間に合わないって、何が?」

「何がって映画に決まってるじゃない」

「はあ?」

違和感を覚える。映画? 何言ってるんだ。僕たちは今人を殺すための戦いの最中だ。映画なんて、そんな場合じゃない。馬鹿なこともほどほどにしろ。

そう文句を言うつもりだったが、口が開けない。目の前で笑っている小野田の姿は、本当に映画を楽しみにしてるようで期待に満ちたその姿はとても眩しかった。先まで見てた光景がすべて幻だと言うような微笑み。僕はその穏やかな微笑みに酔ってすごく複雑な気分を味わった。


「どうしたの? 今日矛院君ちょっとおかしいよ」


夢でも見ているんだろうか? そう考えて頬を抓ってみたが、相当痛い。夢……じゃなさそうだった。じゃあ、やっぱりこれは現実なのか……? 小野田を呼ぶと彼女はにこにこ笑う。


「なあに?」

「えっと、その、僕たちは先まで公園にいてなかったけ?」

「いてたよ?」

「そ、そうよな! やっぱり夢じゃなかったよな? じゃあ、あの重火器と白衣の男は……!」

「先クレープ食べたじゃん。バナナ味おいしかったね」


小野田はヘラヘラしながら楽しそうにクレープを食べた記憶思い出している。でも、それは小野田だけの記憶だ。僕にそんな記憶はまったくない。状況の乖離に、冷や汗をかいてしまう。もう頭の中がぐちゃぐちゃだった。

小野田が名前を呼んできて考えを止めて彼女を見つめるといつの間にか小野田が横で僕を見守っている。何か恥ずかしそうな、そうでもないような、いたずらな感じがたっぷり入ってる表情を作りながらじっとこっちを見つめる小野田に僕は何もいえなかった。小野田を見て最初に感じた感覚―それは美しさだった―が脳内から反復して再生される。余計に、緊張してしまう。

「そろそろ私たち、名前で呼ばない?」

突拍子もないことを言ってくる。呼び方とかそういうのは気にしないタイプだが、なんでいきなり……?


「名前で?」

「そう。名前で」

「お互い、か?」

「うん。他に誰かいるの?」

「ないけど、何で急に?」

「だって付き合ってからもう1ヶ月も経ったし」

「はあああっ!?」

思わず大声を出してしまう。顔が熱い。え? え? き、聞き間違い、だよな? 僕と、小野田が? きっとからかうのだろうと思いきや、小野田は僕に寄り添ってきて戸惑ってる暇もなく自然と腕を組んでくる。

「ちょ、ちょちょちょちょっっと! 何やってんだ、こんな大勢の中で!?」

「別にいいじゃん。お互い好きだし、付き合ってるし」

「問題ある! 僕が恥ずかしいんだ! だからやめろよ!」

「相変わらずナードの男ね。どうしてこんな草食系で恥ずかしがり屋が好きになったんだろう」

「むっ……」

「じゃあ、手つなぐ。これだけは譲らないよ?」

「で、でも……」

「返事は?

「……は、はい。す、好きに……どうぞ」

小野田はにししと笑って組んでいた腕を放した。そして細くて白い手がするっと僕の片手をつないでくる。

「恋人同士だから、これぐらいはいいよね?」

「う、うん……」

「じゃ、行こう……守優也」

小野田の手に引っ張られて町を歩きだす。まあ、こいつはいつもこんな感じだった。口が荒くて、ちょっと強引で。行動力があるって言うか、我が儘って言うか。そして自分が心を開いた人に対してひたすら可愛く優しい人になって……。振り返ってみると、彼女が見せてくれた優しさに惚れていたのかも知らない。たぶん。

……あれ?

でも、

僕と小野田が、

いつから付き合っていたっけ?

頭全体に耳鳴りが響く。誰かが、精一杯叫んでいた。


手を繋いで先に歩いてた小野田が足を止めてこっちを振り返る。片手を彼女に取られたまま、頭の中をかき分ける耳鳴りに苦しむ。小野田が心配げな表情で様子を聞いてきた。頭痛が迫ってくる。誰かが、名前を呼んでいる。聞き覚えがある声。それが繰り返される。切実な思いが込めた叫びが、何回も何回も絶えずにに頭の中から聞こえていた。


「守優也?」

「ごめん、ちょっと手放してくれる?」

小野田の表情が歪められた。 文句の代わりに頬を膨らませている。

「……これだけは譲らないと先言ってたじゃない」

「放してくれ」

不満げな表情が帯びたが小野田の手が遠ざかる。彼女はしっとりと濡れた黒い瞳で僕を見上げた。

「どうしてそういうの? 私といると楽しくない?」

「そういうもんじゃない。きっと楽しくなりそうだし、一緒にデートするのはうれしいと思う」

「じゃあ、どうして?」

繁華街に照り付ける日差しがとても眩しい。ビールの森の中、 歩き回る人々の群れ、その中に彼女と僕。悪くない物語だ。いや、結構気に入った。普通に人と出会い、普通に恋愛して、普通に結婚する人生は昔からの憧れだった。

「目を覚ましてくれる人がいるから、待たせるわけにはいかない」

再び声が聞こえてくる。後ろのたくさんの人派の向うだった。

「でもさ、小野田。いい夢だったと思う」

その言葉だけを残して背を向ける。振り向かずにそのまま駆け出した。気を抜くと、また幻の中に戻ってしまいそうだったから。

聞こえないはずの小野田の声が、町中に響き出す。


「もう少しで食えたのに残念」



「矛院君! 矛院君しっかりして!」

「かはっ……!、 ぐぅっ、 げえ―――――っ」

目の前が真っ白だった。頭痛が激しい。腹が鋭い刃物で刺される気がした。吐き気がして苦い唾と胃液を何度も吐き出す。背中にぱたぱた刺激が伝わる。小野田が気分が落ち着くように背中を叩いていた。ちょっとだけ時間が経てようやく安定を取り戻す。こめかみを苦しませる片頭痛はまだ残っていたが、一応耐えるぐらいまでマシになった。小野田の様子を見ると、彼女の顔もかなり青ざめていた。

空を見上げる。

真っ暗な世界が広がっていた。周りは夜が舞い落ちた五十鈴公園だ。少し離れたところで戦っていた二人の男はどこにも見当たらない。


「何が……どうなっちまったんだ」


襲ってくる頭痛を我慢しながら小野田に聞くと彼女も首を横に振った。

「詳しくは分からない。でもたぶん、いや、きっと他のプレイヤーの仕業だと思う。矛院君もその幻を見たんでしょう?」

「僕もって、小野田も?」

「うん。ストレングスカードの持ち主じゃなかったら、そのままずっと幻に呑まれたはずよ」

「小野田はどうやって……」

「私はものすごく運がよかっただけなの。ストレングスは肉体能力の限界まで引き上げる能力だけど、肉体と精神は基本的に繋がってるから。 目覚ました後は矛院君を覚ませようとした」

そう、なのか。小野田がいなかったら、僕はその幻覚に囚われてそのまま殺されることも十分あり得た。率直に感謝の気持ちを伝えたら小野田は苦く笑うだけだった。


「礼は後にね。まだ敵がこの周りにいるかも知らないし、安心するのは早いの」

「う、うん。それで、結局ここは……?」

「公園の外郭よ。そのまま中央広場にいたら他のプレイヤーに見つけられる可能性もあったし、その場を去った方がいいと判断して……」

「いい判断だったと思う。確かにその場にいたら状況がますます悪くなったかも知らない。それじゃ今からは……」


「矛院君、危ない!!」


地面を駆けて小野田が僕の身を強く押した。すぐ先まで僕がいた場所がぺこんと凹んでいる。

「……敵!?」

「来る! 走って!」

「くそ……! どこに隠れてるんだよ!」

言葉が終わる次第に再び見えない弾丸が打たれる。弾丸は僕のこめかみを掠り、後ろにあった樹木をぶち壊した。次の、そしてまた次の弾丸が打たれる。空気の波動が空を切って首を貫くために空間を駆け走る。走って、走って、走りまくる。砲撃が続く。息が荒くなり、汗が出始めた。どれだけ走ったら、この攻撃から逃れるんだ?何かちょっとだけ、釈然としない気がする。周りの景色が異常だった。足を止めて再び周り見つめる。


「矛院君、足を止めてる場合じゃ……!」

答える代わりに人差し指を口に当てる。 再び周りを、よく見据える。

「小野田、普通こんな小っちゃい公園を走りまくると、すぐにでも公演の外側に着くんじゃない?」

小野田が静かになった。自分の唇を軽く噛みながら、ようやく事態を把握する。

「つまり、同じところをずっと回っていた?」

「ああー、もうバレてしまったね」

後ろからはっきりとした声が聞こえてくる。夜に包まれた公園、木々の中に長く垂れた暗闇から人影が揺らめく。

そして、影から姿を現したのは一人の少女だった。

ベージュのベレー帽を被って、 半肩には明るい色のショルダーバック。黒い髪の半分は薄いワイン色のツートンカラーで背中まで垂れている。身長はそこまで高くない小型。たぶん157㎝前後だろうか。白いワイシャツにコントラストの低い葡萄色のフレアスカート、その上には黒いサスペンダーが付けられていて、下にはほんの少しだけ中が映るタイツを穿いてた。少女の靴は真っ黒いローファーだったけど、その材質のおかげで、暗闇の中からでも月明かりに光っている。


「もう、こんなにも早く抜け出してくるとは。幻覚に放り込んで裏側で戦ってる二人を見守るつもりだったけど、計画が台無しになっちゃった」

彼女がそう言っているうちに小野田の手が素早くM.I.P.Sを確認する。彼女の登場にM.I.P.Sが反応しなかったのは、同じところをずっと巡ったのと関係してるんだろうか?


「矛院君。この子……『TOWER』の持ち主よ」


「正解。私は『THE TOWER』カードの持ち主、安城あんじょう葉月はづきと言う。よろしくね」

にっこりと笑って安城も自分の携帯を弄り始める。

「えっと、どれどれ……あなたたちは、『STRENGTH』と……あれ? もう一人はカードの確認

ができない……」

安城はもうちょっとだけ自分の携帯を弄ったが、すぐに興味を失くしてバックの中に放り込む。

「まあ、所詮バグでしょう。それで、君たちはチーム行動? 珍しいね」

小野田も僕も何も答えず口を噤む。安城はその大きい目でこちらに目を通しては自分の頬に指を当てて首をかしげる。


「ふふ、チーム行動がダメという原則はないから良いけど。私と歳の近いプレイヤーが仲いいのを見るのはちょっとぐらいは羨ましいね」

意味不明の言葉に僕も小野田も眉をしかめる。こいつは、何を言ってるんだ?

タワーは大きく伸びをした。夜風が吹いてツートンカラーの髪を柔らかく撫でた。

安城が両手を伸ばす。彼女は眼を閉じたまましばらく吹いてくる風を感じていた。その光景は、こんな状況に置かれた僕らにとっては異常に過ぎなかったが彼女は誰よりも精一杯夜の心地よさを感じているようだった。清らかの声が僕らを呼んだ。安城葉月は汚れのない笑みで問う。


「風、気持ちよくない?」


その問いは何のため、何を求めていたんだろう。安城は自分の髪の毛を払いのけて少しは緊張した顔をした。何かを言おうとするけど、すぐ喉に引っかかってしまう。。表情がこわばってることを自覚して自ら深呼吸を繰り返した安城はもじもじしたけど、もう一回自分の中で勇気を絞る。


「その、て、提案があるけど」


予想外の言葉に小野田も僕も面食らった顔をした。僕たちはお互い視線を合わせた後、まずは安城の次の言葉を待つ。


「あ、あたしもペアに入れてくれない?」

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