第6話 - TOWER
煌く星空の下で響き渡った声に時間が止まったような気がした。小野田も僕もまさかそんな言葉が出てくるとは思えなかったのだ。
「どういう意味だ? 今君の言葉は筋道が通らない。先まで私たちを攻撃しといて今更チームに入りたいと? そんなの納得できるか」
「うーむ、えっとね、先のはあたしのミス。あくまでも敵としてみるべきかなと思ったけど、ちょっと考えてみたら味方をたくさん増やした方がさすがいいかなーと。それに、私実は神様になる権利とかそこまで求めていないからね。願い事ひとつだけで十分よ」
安城は両手の指が合わせてもどかしそうにもじもじする。それは安城の心理状態をそのまま見せているようだった。いや、しかしそう簡単に信用するわけにはいかない。これはサバイバルゲームだ。そのまま信じてしまったら、逆に殺される可能性さえある。
「悪いけど、その話には乗れない」
言い切る僕の声に安城の表情がこわばる。彼女はなぜか、本当に落ち込んだ顔をしていた。
「何を考えてるのかは分からないけど、今のところ君を信用することはできない。実際に君は私たちに攻撃をしてきた。明らかな敵意を持ってな。それをなかったことにすることって、僕たちをただバカにしてるとしか思えないけど」
「た、確かにあたしが攻撃してしまったのは本当だけど、考えが変わったって! どうすれば信じてくれるかな?」
「いや、何と言っても断って置く。君の力は要らないし、私たちは二人で十分だから」
「矛院君。感情的にならないで。タワーの提案自体は否定的なものでは……」
「小野田。もう忘れてるか?」
小野田の表情に戸惑いが浮かぶ。僕はため息をついては淡々と言葉を継いだ。
「僕たちを幻覚に放り込んだのは、あいつなんだよ」
いつの間にか言葉は鋭くなっていた。しかしそれは当然だ。こんなサバイバルゲームで人を簡単に信用してはいけない。人に心をたやすく許す人間は失敗する。世の中はそう甘くないのだ。安城が僕の言葉に首を俯いたまま気が滅入ったのはしようがしないが、僕には関係ない。その姿すらも嘘かどうやって分かるんだ?
「あたしとペアを組むのは、嫌?」
「当たり前だ。 現実的に考えて自分を殺そうとしている人に誰が心を開ける?」
「だ、だからそれは私の判断ミスで……!」
「悪いけど、そんな胡散臭い嘘には騙されない。バカか、お前は?」
安城の表情が変わる。彼女はすこしむっとした顔をして僕を睨み始めた。そしてその視線を
小野田に向けては静かに意見を求める。僕は黙って小野田が否定するのを待っていたが、彼女はなかなか口を開かなかった。名前を呼んで答えを促したが小野田は何も言わずに黙って安城と視線を交わす。そんな小野田の態度は僕を焦らせてそんな僕の気分を考えて小野田は落ち着いてと僕を宥めるだけだった。
「確かに、提案自体は悪くないと思う」
「本当!?」
「お、おい! 小野田!」
「二人とも勘違いしないで。 私は同盟になるとは一言もしてない」
安城は小野田の言葉にまた落ち込む。そんな彼女の行動が僕には相当気に入らなかった。何だよ。何でお前がそんな表情をするんだ? そうすると僕が悪者になったみたいじゃないか。そう考えている最中、小野田が安城に向けて言い始める。
「君の提案自体は悪くないと思ってる。このサバイバルゲームは始まったばかりよ。私も知らないことでたくさんだから。心強い味方がいると嬉しいでしょうね。でも、最後まで生き残れるのはあくまで二人よ。神になる権利、そしてひとつの願い事。二人以上の同盟は結局破棄せざるを得ない。だから残念だけど、あなたと同盟になることはできない」
安城は小野田をずっと見つめては小さく微笑む。何でだろう。自信満々に微笑む彼女の笑みは僕にとって妙に気に食わなかった。
「じゃあ、こんなのはどう?」
夜風が涼しい。安城の髪の毛が揺らいだ。
「今のペアをやめて、あたしとペアを組まない?」
ぎくっと。
心臓が弾ける。
「まさかそんな提案をするとは。これは驚いたね」
小野田は苦笑いを作りながら自分の頬を引っ掻いた。戸惑ったのはこっちも同じだ。まさかペアを奪うってことは予想だにしていなかったのだ。小野田は貴重な戦力だ。僕がこのゲームの最後まで辿り着くためには、彼女が絶対に要る。
「君のパートナーって、そこまで強そうには見えないよ? 言って置くけど、あたしは結構強い。あえて言うならトップクラスだよ」
「嘘で決まってんだろう! 自分でトップクラスだと名乗ってるやつなんて、ただの見栄にしか見えないけどな」
「そう焦ってるあなたこそ、実はただのヘタレな能力でこの子に取り巻くつもりじゃない?」
「うっ……! そんなことは……!」
だめだ。ここで小野田がタワーの味方になってしまえば、僕はどうしようがない。じゃあどうすんだ? 能力を、ジョーカーカードを使うしかないのか?
「ねえ、君はどうする? あたし本気で言ってるけど、新しくペアを組まない? あたし、君のこと結構気に入ってるし、じょ、女子会とか色々しゃべれそうだし!」
欲しがった状況ではないが、能力を発動するに条件は揃っている。相手との距離は10m以内。顔も知っるし、すでに名前も自分の口で明かした。やるなら今だ。いつを排除して、小野田との同盟を維持するしかない……!
自分でも驚くほどの毒気で安城を睨む。口を開いた。
僕は息を吸って、そのまま安城に向かって――――、
「ごめん。遠慮しておくね」
その断固たる行動に安城の眉がちょっとだけ歪んだ。納得いかない表情で、驚いたのはこっちも同じだ。
「あたしは自分の能力に対して悪くないと自負するけど? これはあなたにとっても悪くない話よ?」
小野田は安城の言葉を否定しない。しかし首を縦に振って同意しながらも、はっきりとした拒絶の意思を伝える。
「私もそうだと思う。君はとても危なくて、強い能力の持ち主だろうね。先実際に見てたし、戦闘的な面で考えると確かに矛院君よりあなたとペアを組んだ方がいいと思う。彼は正直に言って戦闘自体には役に立たないし。でも受け入れることはできない」
タワーは交渉が成り立たなかったことにがっかりする。 自分の提案に乗らなかったことが気にしているのか、彼女の顔はそこまで晴れてはいなかった。感情を読みやすい人だと、思ってしまう。
「理由を聞いてもいいかな? あたしは、君が言ってることがさっぱり分からないけど。君自身も能力は私の方が強いと言ったし戦闘時に役に立つのもあたしと言ったでしょう?」
「そうね。確かにそう言ったわ」
「じゃあ、どうして?」
安城の言葉に両腕を組んで小野田は小さいため息をついた。
「どうしてと言われてもね」
組んだ腕の上で人差し指を頻繁に動かしながら小野田は沈黙する。困ったようにどう説明するか悩んでいた小野田はようやくすっきりした表情で組んで腕を解く。そして、
「まあ人間関係って利害関係だけで成立するもんではないでしょう?」
そんな答えを出した。
「マーダラーゲームは始まったばかりよ。矛院君とペアを組んだのもここ数日のことね。まだ彼のことはよく知らない。 能力はちょっと中途半端だし、妙なところで固く信じ込むところもある。でも、それはまだ矛院君のほんの少しだけの、一部に過ぎないの。その一部から気に入るとこもあれば、気に入らないとこもある。だからなの。気に入るとこがあるから、まだ何も知らないあなたよりは、彼とペアを組んだままがいいと思っただけよ」
安城は黙々と小野田の答えを聞くだけだった。彼女はしばらく黙ったまま小野田を睨んでは深く深く、先の小野田と同じようにため息をつく。
「何それ、あなた、こんなめちゃくちゃな殺人ゲームで人を信用するというわけ?」
「そこまで言ってないけど、たぶんそんなもんかしら。矛院君はバカバカしいけど、だからこそ信用できるところがあるもの」
小野田お前人を前に置いてひどいことゆってるな……。
……とツッコミかけたい気持ちを押して置く。
「でも私に一緒におしゃべりしようといったあなたがそう言うの?」
「あはは、それもそうね! はあ……じゃあ、あれね。結局これは時間の問題ってこと? あたしがもっと早く君のことを知ってたら、あんな奴よりもとんでもないほどいいペアになれたってことよね?」
「まあね。敵じゃなかったら、 あなたとは結構気が合ったかも知らないわ」
「ふーうん、あの男のどこがあなたの心を引いたのかな。私が見るには器ちっちゃいけど」
「さあ、やっぱり本人の前にそれをいうのは恥ずかしいからやめておく」
小野田と安城が妙な視線を交わす。何か自分だけ仲間はずれされた気がしてちょっとだけ寂しくなっちまった。何なんだよ、この気分。小野田のやつは誰の味方だ?
「仕方ないね」
安城はそこまで言い、半肩にかけていた自分のショルダーバックを近くに下した。風にワイン色の髪の毛が柔らかく踊り始める。彼女は再び長い自分の髪を横に払いのけては、にこっと、笑って見せた。
「私はそこまで欲張ってはいないけど、絶対に勝てなきゃいけない理由があるよ」
空気が変わる。涼しい夜風が真冬のような寒気をもたらす。僕たちを見つめる彼女の瞳孔は、いつの間にか鮮血のような紅に染まっていた。
「だから君たちには悪いけど、ここで死んでもらうね」
タワーの微笑みは相変わらず優しいが、その紅蓮の瞳は彼女の口元とは対照的にみじんも笑っていなかった。
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音は閃光のようなものだった。
パチンと指を弾く音。そして何よりも早く衝撃が迫る。
「がっ――!?」
「矛院君!?」
10m以上を飛ばされる。激痛。体中の骨が悲鳴を上げた。
何という、能力だ……!
「ふふ、余所見をするなんて度胸がいいじゃない?」
「あんたね……!」
再び安城がその場で手を上げる。その手先にあるのは小野田だ。タワーの細い指が小野田を狙って再び音を鳴らす。
ドカァン!
「いない……!?」
指の向こうに小野田の姿はすでにいなかった。残されたのは小野田の代わりに安城の攻撃を受けた樹木だけ。樹木は折れたまま力なく地面を転がった。
「あいつ、どこに……」
安城の言葉が済むよりも早く小野田の姿が彼女の真下で現れる。ギリギリのタイミングで安城が指を鳴らしたが、もう小野田はその姿を消していた。
「バカな……!なんて速さなのよ!?」
「まあ、それは当たり前でなんでしょう」
「うっ……!」
「私は中学3年の間、ずっと陸上部だったから」
タワーの砲撃が続いているが、どの攻撃も小野田には当たらない。
小野田は疾風になって戦場を駆けずり回る。彼女の動きは、音速を超えたと言えるぐらいだった。何度も何度も安城の見えない砲撃が繰り返されるが小野田はどの砲撃も簡単に避けてしまう。タワーの顔に焦り気味が滲んできた。それに比べて小野田の方はまだ余裕らしい。
「この……! ネズミみたいにあちこち逃げ 回って!」
「あら、そう?」
タワーの斜め後ろ方向、いつの間にか小野田が安城の死角に入っていた。安城が振り向くけど遅い。すでに小野田はステップを踏んでいた。一歩深く踏み込んで、拳をしかと握る。体重にかけて、腰を回す。
一気に、
そのまま、
安城の顎を狙って拳を――――――、
「!」
突き出された拳が何もない空を切る。拳の先にタワーの姿は消えていた。小野田は自分の力を耐えきれなくて中心を崩してしまう。
「驚いた。恐ろしい能力ね。人間の限界を遥かに超えてるんじゃない」
「それはお互い様でしょう? 今のは普通の人間だったら反応さえできなかったはずよ」
「まあ、それもそうけど」
少し離れたところで、安城が再び指を鳴らす。地面が、石が、樹木が、壊されて粉々になる。しかしどの一撃も小野田に害を与えることはない。それは小野田も同じで、何度も何度も死角を狙って安城に突き進んだが、攻撃したところで幻のように消えてしまう。繰り返される消耗戦。けど、だんだん焦って行く小野田とは対照的に安城の表情は喜びで満ちていた。
「は、ははっ! 結構疲れさせてるじゃない……息まで荒くなって来た。いいよ! 本当、精一杯汗をかくのって何年ぶりなのかな……!!」
楽しそうに笑ってる安城を前に、小野田がもう一回拳を振る。しかし、今回の攻撃も空気だけを貫くだけだった。
「ずっと同じではつまらないよね?」
タワーが後ろ手を組む。彼女のフレア―スカートが小さく揺れてどこかで風が吹いて来た。
「こんなのはどうかな?」
優しく笑って、精一杯息を吸う。
そして、
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛――――――――――!!!」
「くうっ!?」
「耳が……!?」
形容できない音が直接脳にぶつかる。目まい。鋭い頭痛が襲ってくる。目の前が真っ白だ。小野田も僕も、まともにいられなかった。
パチン!
「があ゛っ!!」
「小野田!」
タワーの攻撃に小野田の体が飛ばされる。何度も指を弾く音が繰り返す。夜の公園は、小野田を含めてタワーの手に撲殺されていた。
指を弾く音が止まる。立ち込めたほこり、砂が四方八方に弾いて顔がひりひりしている。
「あ……あ、うっ……」
残骸の向こうから、小野田がぶるぶる震えながらも何とか体を起こした。彼女が生きてるという事実にほっとする。小野田の目は、まだ光を失っていない。
「うそ……。あれだけ打たれて軽傷だと? 出力は最大だったはずなのに……!」
「かなり、痛かったけど、残念ね……私、『内在能力系列』だから回復はものすごく早いの」
小野田はそう言いながら前に一歩進んだ。彼女の頬にできた傷が、信じられない速さで治って行く。
マーダラーゲームの能力は大きく二つに分かれる。
一つは『内在能力』で、自分の体を中心に能力を展開するやつだ。小野田がそうだし、重火器のやつもこっちの類に違いない。もう一つは『固有能力』で、こっちは自分の外的で能力を具現化するものだ。僕がこっちの類で、デスカードの持ち主もたぶん一緒だろう。RPGで例えると、内在能力が戦士、固有能力が魔法使いぐらいだろうか。
「先のは結構痛かった。認めえあげるよ、あんたの腕……」
「どうも。気に入ったらしくて嬉しいよ」
一歩の下がりもない神経戦。二人の目に火花が散っている。
「それじゃ、今度はこっちの番だよね?」
「そうね。どうせ無駄だと思うけど、頑張って。応援するから」
明らかな挑発に小野田の口元が歪まれる。覚悟を決めた笑みが見えていた。
「オッケー、認めざるを得なくしてあげるから期待して」
言い終わって小野田はストレッチングを始めた。体中をもみながら全身の筋肉をほぐす。タワー、安城葉月は呆れたように小野田を見ている。無理でもない。僕さえ今彼女の意中が読めない。いったい何をするつもりだ? 小野田のストレッチングが止まる。深く息を吸った小野田は腰を曲げた。彼女が取った動作は、見覚えがあるものだった。
「クラウチングスタート?」
「たかがスタート姿勢で何を……?」
「言ったでしょう? 私は中学の頃、ずっと陸上部だって」
黒いボブカットに隠れて小野田の顔は見えない。が、その言葉はすでに勝機を捕まえていた。
「それで何? あんたの攻撃ってあたしに通じないよ。先までの攻撃は全部当たらなかったこと、忘れた?」
「あんたね―――――――」
小野田の声が低くなる。悪寒がした。五感が凍りつく。彼女の落ち着いた声はその場を北極の雪原に変えてしまう。そして、
「私の中学3年を、勝手に舐めてるんじゃないわよ」
小野田が、土を駆けた。
すべてを切り裂く轟音。音が暴力になり、何もかもをぶち壊す。また耳鳴りが聞こえる。
僕は唖然として力が抜けるのを実感しながら崩れるように跪いた。
「は、はは……」
何だ、これ。
サバイバルゲームとか、そういうものではない。
小野田は、
小野田麗音は、
まぎれもなく、このゲームの頂点に立っている。
食物連鎖的に上の立場だ。小野田がその気になったら、このゲームはたった一人だけの殺戮戦になり得る。それほど彼女は圧倒的で、絶対的な力の権威だった。
地面はまるで掘削機でも使ったように長い穴が掘られている。公園の木々は粉々になりそれが何百メトール以上も続いていて安城の姿は見当たらない。目に入って来ないぐらいに小野田の拳に飛ばされたのだ。以前まで幻のように攻撃が通じなかった安城が飛ばされた理由はただ一つ。今回は小野田のスピードに反応すらできなかった。彼女が目の前に迫って来るのを気付けなかった。
小野田は乱れた呼吸を整える。深呼吸をして自分の胸を撫で下ろす。心的に結構落ち着くと、そのまま歩き始めた。彼女に何度も呼びかけたが答えは返って来ない。僕は何も言わずにその後ろを追うだけが精いっぱいだった。100m以上を歩いて、ようやく向こうに安城の姿が見えてくる。淡泊しながらも洗練とした印象だった彼女の姿は見る影もなかった。唇は裂けられて血まみれだったし、服は小石に引掻かれてボロボロになっている。薄いワイン色のツートンカラーの髪の毛はほこりでその潤沢さを失い、堂々だったタワーの姿はどこにもいない。
「げほ、が――っ、あ、あぁふ……スト、レングス……!!」
悔しそうに歯ぎしりをしながらタワーが体を起こす。けど、すでに彼女の体は全身がガタガタ震えていてまともに戦える状態とは到底言えなかった。
「まだやる気?」
「あたしは……! 諦めるわけには、いかない……!!」
「そう?」
次の瞬間タワーが血を吐く。2秒が経たないうちに小野田は安城の胸倉を掴んで5回も公園
の地面に投げ込んだ。コンクリートの破片が弾く。タワーの口元には彼女がこぼした血がたらたら流れていた。
「どう? これでもまだ続くつもりかしら?」
「こほ! こほこほ……! が、あ――、あぅっ……」
投げ込まれながら肺にダメージを受けて息ができないのかタワーが苦しむ。 小野田はそんなタワーの胸倉を片手で握ったまま、 硬い表情で静かに追い詰める。
「ここでゲームを諦めなさい。そうしたら命だけは助けてあげるわ」
「ふ、ふふ……ねえ、ストレングス……勝手に口を、叩くんじゃないよ……」
まだ残ってる意識でタワーがそう告げる。彼女の黒い目は先まで紅蓮に染まった時よりもより強く光っていた。
「諦めると? 冗談じゃない……あたしにはもうこれしか残ってない。何があっても、諦めるわけにはいかない」
「諦めなかったら、あなたは私の手に死ぬ」
「諦めたってあたしは死ぬ!!」
安城の声が荒くなる。その目と声には、よく分からない何かへの切迫さと執着を帯びていた。
「だからあたしは諦めない、君なんかに負けない! どうせ……」
タワーは決意が込めた表情で小野田をまっすぐ見据えながらその言葉を口にした。
「どうせあなたは、あたしを殺せないから」
ぴたっと。まるで糸が切れた人形のように小野田の動きが止まる。異変が起こる。小野田の後ろから赤色の何かが揺らめいた。人間の形をした化け物。目は眼帯で両方隠していて、その腕は4本に至る。大きな体は筋肉でがっしりとして、その肌はまるで死人のように青白かった。ガチャンと金属の音が公園を埋める。その音はやつの体中を縛る重たい拘束球と鎖から流れ出していた。けど、そのどれも化け物を飼い慣らすためのしがらみにはなれなかったままだった。
小野田の口が静かに開く。
「メジャーアルカナNum.8――――内在能力系列、『STRENGTH』カードの持ち主、小野田麗音。我は絶対的な位置からすべてを圧倒する純粋なる力なり」
ストレングスのペルソナが吠えたける。小野田が恐ろしい勢いで安城の顔をを殴り始める。
「……ふざけないで! 私があんたを殺せないと? あんたなんかは相手にならない。適当に遊んであげだけで調子に乗って付け上がるんじゃないの!」
拳がだんだん早くなる。彼女は、巨大な暴力に化して行った。
「何が殺せないんだ! あんたなんか、あんたなんかはすぐにでも……!」
小野田の拳が止まる。彼女は両手でタワーの胸倉を掴んだまま精一杯叫んだ。
「ゲームを諦めて……! 諦めないと私は、今度こそ……!!」
怒鳴ってる小野田の声にはある種の切なさまで滲んでいる。そこでようやく気付いた。安城の胸倉を掴んでいる彼女の手は、遠くから見ても分かるほど激しく痙攣していた。歯ぎしりの音。小野田の息が荒くなる。彼女は唇を噛んで、自分の右手を後ろに伸ばす。そして、
「っ―――――!!」
「小野田」
固い意志が執着を作る前に彼女の腕をかろうじて捕まえる。同時に彼女の後ろに立っていたストレングスのぺルソナが痕跡もなく消え去った。
「もういい」
「なに、言ってるの……?」
「だから、もういいんだ」
返事をする彼女の声も震えている。僕はそんな小野田を見ながら複雑な気持ちに陥る。考えてみれば、何で忘れていたんだろう。何で気付けなかったんだろう。これはゲームや漫画の物語ではない。いきなり異世界に落ちて冒険をしてるのではない。学校に通いながら、周りの他人と触れ合う。授業を聞いて、宿題をやって、サークル活動したり友達とおしゃべりしたりする。家に帰ったら普通に家族が待っている。
これは、明らかな現実だ。
そして小野田麗音は現代社会を生きて行く、普通の高校3年生だった。
「怖かったら怖いと言ってもいい。辛かったら辛いと言ってもいい」
深く顔を俯いたので表情が見えない小野田に対して、ゆっくりと話を切り出す。
「逃げたくなったら、逃げてもいい。誰も君を責めたりはしない」
力を込めて彼女の手を両手で捕まえるとやっと片手の震えが止まる。
「できなかったら、僕が代わりにやるから」
タワーは小野田に何度も殴られたせいか気を失っていた。けど、基本的にマーダラーゲームのプレイヤーは身体能力が強化される。それは人間としての回復力も含めてるからそのまま放って置いたらいつ気を取り戻すか分からない。だから、彼女を何とかするなら今のうちだ。そして僕の能力だったら、お互い痛い目にならずに簡単にできる。
それを、小野田はあえて首を振って断った。
「そんなんじゃない。できる。できるから」
「小野田、我が儘言うなよ。お前すぐにでも泣きそうだ。昨日はあれこれ言ってたけど、実はやっぱり誰かを殺すことなんか―――」
「私はこのゲームで勝つつもりなの!」
小野田の声が上がって行く。泣き叫ぶ、切なさに満ちた宣言に僕は何も言えなかった。ただ彼女が睨んでくるのを静かに見返す。
「私は、最後まで生き残る。生き残って、神になるの。そして、そして私が失われたすべてを取り戻して、お母さんと一緒に幸せになる」
小野田は残った手を使って自分の目尻を拭いては顔を逸らす。震えは止まったが、声はまだしゃがれたままってことが分かった。
「だからこれは私がやる。邪魔したら、あんただって許さない 」
彼女は2,3回深呼吸を繰り返して心を落ち着かせる。そして自分の手を後ろに回しては思いっきり突いた。肌を裂ける音がした。血なまぐささが鼻を刺して来る。僕には、彼女の殺人を見守ってあげることだけが最善だった。小野田は貫いた安城の胸から自分の手を取り出す。ぐちゃっと疎ましい音がしながら小野田の腕からどろどろと。自分のものではない他人の血が滴った。
「はあ……、はあ……」
やっと落ち着いたのにまた彼女の息が荒くなる。そんな小野田に、僕は何を言ったらよかったんだろう。きっとどの言葉も似合わないはずだ。人を殺した人にできる言葉なんて、そもそもないのだ。
「う゛……!」
小野田が口を隠して走り出した。でも結局遠くに行かずにお腹のものをすべて吐いてしまう。すぐ走って行って彼女の背中を軽く叩いたが、小野田は強く僕の手を振り切った。
彼女は自分の口元を拭いては、かろうじて身を起こす。表情がよくなかった。胸のどこかが、ぶすっと刺されたように痛い。
「今日は、帰る……」
「……うん」
「シャワー、浴びたいし……」
「……ああ」
「……疲れた」
すすり泣きながら小野田はそう言った。余計なことは言わずに頷くばかりだ。その方が小野田のためだと思った。
「死体とかは……」
「自然にいなくなるとあいつに聞いた。だからたぶん、大丈夫……」
あいつとはきっとデミウルゴスのことだろう。こんなところまで真面目に調べて置いた彼女に感心しながらも、苦笑いさえ作れなかった。
「送ってあげる。夜中だし、危ない」
「一人で行ける……矛院君はもう帰って」
「でも……」
「本当に大丈夫だから……」
心配になったが、一人だけの時間が要ると思った。僕は小さく頷いて小野田を安心させる。
「分かった」
小野田は僕の言葉に、苦く微笑んだ。
「じゃあ、また明日……」
小野田の小さい背中を見ながらその心がこれ以上折れないことを心から望む。あんなに頼もしくて強大だった力の権威が、今は泣き虫の少女に落ちている。そのことは何と言えないほど寂しく、悲しいことだった。小野田が遠ざかっていく。そんな後姿に複雑な感想を抱いた。
「恋人ごっこはそこまでしてくれる?」
心臓が、胸の中から軋んだ。小野田が驚愕に染まった顔でゆっくり後ろを振り向く。
タワーが、
安城葉月が、身を起こしていた。
「だから、言ってたじゃない」
恐怖に蝕まれる。誰もこの状況は想像していなかった。それもそのはずで、安城葉月は胸に大きい穴ができている。にも関わらず、彼女は普通に喋って身を起こして、こちらを睨む。そこでようやく気付いた。僕らは、とんでもない勘違いをしていたと。
「あなたはあたしを殺せないって」
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