嵐は突然に

 次の日の朝、僕たちが黄色の空を見ながらいわしの刺身を食べていると、急にセンブリがやってきた。朝食に彼が部屋に来るのは珍しいことだ。

「フレイルの王子様からお電話です」

「今か? 早いな」まだ朝の八時ちょっと前だった。

「もしもし、ジャンと申しますが」僕は急いで電話に出た。

「ああ、ジャン殿下。ごぶさたしております」甘い声が電話口から響く。バラの香りまで漂ってきそうだ。相変わらず少し舌足らずな少し幼い声。

「モンブラン殿下、ご無沙汰しております」

「いえいえ」と相手は言った。

「ちょうど二年ぶりでしたっけね? 殿下の結婚式以来ですかね」そうだ、僕は二年前にグロリオサと結婚式を挙げていた。

「そうですね、相変わらず貴人の見目麗しさは健在ですかね」

「ははは」と相手は笑った。

「相変わらず殿下は口がうまくていらっしゃる」

「いえ、本心です」事実、モンブラン王子は美少年との呼び声も高く、隣国の姫様が彼を取り合って日々喧嘩しているとの噂があるほどだった。僕も一度だけ彼を見たことがあるが、なるほど金髪にオレンジの瞳で、甘いマスク。なかなか女にもてない方がおかしいといったところだった。

「早速ですが要件を」と僕は咳ばらいをしながら言った。

「実は先日ダムが私の国でできたのでね、フレイルにも水を供給できないかと考えていて」

「なるほど、ダムですか。いいですね。それで、こちらにも供給できそうな規模なんですか?」

「可能です。フレイル全土は無理かもしれませんが、戸数を決めて提供することは可能です」

「なるほど」と彼は言った。二秒だけ沈黙が流れた。

「一度そちらのダムを見学することは可能でしょうかね?」

「ええ、責任者にかけあってみます」と僕はすかさず答えた。

「詳しい日取りはまた追って連絡しますので」

「ええ」と彼も高い声で答えた。

「楽しみにしております。ダムがあればもっと安定して水が使えますからね」

「ええ」と僕も答えた。

「では改めて」僕は電話を優しく切った。

「なんと?」センブリが後ろから聞いた。

「ダムの責任者に繋いでくれ」

「わかりました」


 結局彼はダムの視察に来た。僕とはスケジュールが合わなかったが、あとで責任者に聞いたところ、ずいぶん熱心に質問してきたそうだ。

「それで、ちゃんと供給できそうなんだよね?」と僕は責任者に再度確認した。

「はい。何か災害が無ければ大丈夫でしょうね」

「というと? この国の歴史の中では、一度ちょっとっした地震はあったみたいだけどそんなに被害はないはずだ」

「ええ、そのはずなんですけどね。でもまあ、わかりませんよ。何が起こるかは」

「古い文献をあたってみるか。何しろ地震何て僕の父さんすら知らないからね」

「左様ですね」と彼は恭しく笑った。


 僕は次の日、早速父に会った。父は教皇の座を僕に譲ってからも、時折僕に口を範さんだり講演をしたり、木造について調べてたりして余暇を過ごしていた。父は主に土木関係に強い人で、住宅整備政策を進めた人だったが、もともと学者肌でもあった。その性質は僕にも多分に受け継がれている。僕は教皇になる前は、ずっと魚解剖学者をやっていた。おそらく血筋的に研究が肌に合っているのだろう。

 父は僕とグロリオサのいる城の後ろの屋敷に、一人の男性執事と一緒に暮らしていた。僕は早速父のところに参った。

「父さん」久しぶりに会う父さんはなんだかひどく痩せた気がした。公務が無いと男は結局やつれてしまうのだろうか。

「ああ、ジャン」と父さんは恭しく笑った。久しぶりに息子に会えてうれしいのだろう。それは僕も同じだった。

「ちょうどヒナゲシがパンを焼いてくれたんだ。食べよう」

「ありがとう」僕は父さんの屋敷の中に入った。後ろで父さんの召使のヒナゲシが毅然と立っていた。僕は彼に会釈した。口は堅いが、なかなか実直な男だ。彼が気を聞かせてカモミールティも淹れてくれた。

「早速だが父さん、昔あった震災のことが知りたいんだけど、誰か知らないかな」

「震災?」

「ええ」と僕は神妙に言った。

「震災が起きた時の防災を行っておかねばならないと思っておりまして。幸か不幸か、なんせまだこの国は一度しか地震に見舞われておりませんし、それももう百年以上前の話です」

「なるほどな、一応資料はあるはずだが」

「国会図書館にはもちろん足を運んで一通り資料は見ました」僕は鞄から資料の一部を取り出して見せた。

「なるほど」

「しかし僕は市民の生の声も聞きたくて……しかしもう生きている人と言えば……」

「キッシンジャーに聞くしかないな」

「え?」聞いたことのある名前だった。確か教皇になる前の、あの地獄のような教育期間で聞いたことがある。

「お前の、そして私の先祖だ。のちに他国の女のところに嫁いだがな」

「ああ」僕はようやく思い出した。

「キッシンジャー様ですか。でもそんな、この国の設立に関わった人が生きているなんて」

「彼は実はまだ生きておるのじゃ。なんじゃ、知らんわけはなかろう」父は半ば呆れたように音を立てて召使に出された紅茶を飲んだ。

「っていうと、彼はあの魔法を?」

「なんじゃ、本当にそんなことも知らんのか。全くセンブリはいったい何をしておるんじゃ」父は本当に呆れたみたいにため息をついた。

「いや僕のせいだよ父さん。センブリのせいじゃない」

「まあいい。何にせよ無知はお前の落ち度だ。オータスの国でキッシンジャー様はまだ生きておる。魔法で姿を変えたてな。とにかく彼なら、あの震災についても知っておるじゃろう。彼自身知らなくとも、彼なら震災に詳しい人を知っているだろう」

「ありがとう父さん」

「あの」と○○が後ろからおずおずと声をかけた。

「ちょうどクッキーが焼きあがりまして。オレンジピールをかけてみたのですが」

「「頂こう」」と僕と父が言った。


 「ところでお前、グロリオサさんにはちゃんと奉仕しているのか?」

「ああ、しているのかな。わからないや。彼女には助かっているよ。彼女が僕と結婚してくれて本当に良かったね。国民の人気も高いみたいだし」

「噂は聞いておる」と父はゆっくりクッキーを頬張りながら言った。

「まあせいぜい彼女の機嫌を損ねないことだな。女と言うのは、とりわけ妻と言うのは本当に丁寧に扱い過ぎることはない」

「そればっかりだね父さんは。母さんはそんな人だったの?」

「無論じゃ。まあ、甘いものを与えると一時的に期限は良くなるが、そんなものは本当に一時的にすぎないからの。まさに焼け石に水を与えるようなものじゃ」

「ふうん」実はグロリオサは甘いものを食べてもそんなに機嫌がよくならないのだが、それは黙っておいた。

「まあ、とにかく彼女の機嫌を損ねず、いつも注意深く見ていることじゃな」

「わかったよ」これは父の口癖だった。僕の母は僕が幼いころに亡くなったそうだが、父は彼女に随分尻に敷かれていたみたいだった。父は会うたびにこの話をするし、結婚前後はずっとこの話をしていた。

「肝に銘じておくよ」

「ああ、それがいい」

 僕は父の屋敷を後にし、早速オータス国とのアポイントを取ることにした。


 城に帰るとグロリオサがいの一番にやってきた。

「どこに行っていたわけ?」彼女は少しだけ怒っていた。まずかった。彼女に何も言わないで朝出かけてしまったから、早速彼女の機嫌を損ねてしまったらしい。

「ごめん、父のところに政治の相談に行っていたんだ」

「仕事ね?」彼女の口調には少し棘があった。

「仕事だよ、れっきとしたね。大丈夫、魚の解剖なんかしていないから。本当だよ」

 僕は暇さえあればついつい魚を見つけて解剖してしまうのだが、妻は僕のそんな性質が気に入らないみたいだった。僕も悪いとは思うのだが、いかんせん見たことのない魚を見つけると我を忘れてしまうのだ。

「本当だよ。ちょっと地震災害マニュアルを作ろうと思って相談に行ってたんだ」

「ふうん。それは良いわね。確かに地震なんてみんな夢物語みたいにみんな起きないと思っているけど、そうとも限らないものね。いいんじゃない? それでお義父さまはなんて?」

「キッシンジャー様に会えってさ」

「ふうん」


「ああ、キッシンジャー様ですか」オータスの王子に電話したところ、あっさりと彼は言った。

「今はどこにいるのでしょうね。ええっと待ってください。良かったら電話、彼に代わりますよ」

 僕はあまりのあっけなさに拍子抜けした。もっと厳かな雰囲気と煩雑な手続きが必要かと思われたが、実際にはオータスの王子への電話を待つ数分間だけで事が済んだ。

「もしもし、それではキッシンジャー様に代わりますね」と彼は理路整然と言った。彼には僕の結婚式で会ったことがあるが、なかなか何を考えているのかわからないような男だ。ただすごく童顔だったことを覚えている。なかなか仕事はできるようで、ものの数分で僕はキッシンジャー様と話すことができた。

「もしもし、ジャンと申しますが」と僕は言った。

「左様か、キッシンジャー・オータスじゃ」低い、威厳のある声だった。その声は僕の想像した声とぴったりだったので思わず笑いそうになってしまった。

「初めまして」

「左様」どうやらこれは彼の口癖らしい。

「ディーン王子からお伺いとは思いますが、実は150年前に会った震災のことについてお聞きしたいのです」僕は挨拶もそこそこに、早速本題に入った。

「左様、聞いておる」と彼はゆっくり喋った。

「震災のことか」

「ええ。文献では一通り勉強しました。しかしあの震災で、市民の危機感が強まったとは思えません。150年経った今、人々の記憶からも薄れ、ただの『過去』に成り下がり、もう当時の恐怖を知る者はいなくなってしまいました。かくゆう私も震災の恐怖を知りません。いささか乱暴な言葉を使えば、我々は150年かけて平和を取り戻し、ただ記憶から消し去っただけで何も学んできてはおりません。あの時と同じようなことが起こっても、我々はおそらくまた当時の悲劇を繰り返すでしょう。市民の間では、震災がまた起きるなんて、夢物語みたいな話です。何しろ150年間に一度も起こっていないのですからね。でも平和ボケした今、再度考察するべきではないかと思いまして」

「左様」と彼は言った。やはり彼の声には何かしら厳かな雰囲気があった。

「それで、主は何を知りたい?」

「貴方様の知る、主観的な震災の全てです」と僕は言った。

「文献は単なる記録にしかすぎません。震源地、被害状況、負傷者と死亡者の数。それらは生々しく我々を客観的に傷として跡を残しますが、それはあくまで物事の一面にしかすぎません。当時を味わった人の考えや感じ方、それらをぜひ知りたいのです」

「左様か……」と彼は息の多い声を発した。

「震災で、妻と娘をなくした」と彼は言った。何も言えなかった。それは初めて彼から語られる真実であった。勿論歴史の教科書には書いていない。

「ディーンは後妻との子なのじゃ。まあ、男を生まねばならないなどのいろいなしがらみがあった。私も結局は生きてゆかねばならなった。男児を生まない事には、私の生存意義はなかったのじゃ。それは理解してくれるな」

「無論です」と僕は即座に答えた。

「左様。初めの妻との記憶は……ほとんど語ったことが無い。勿論ディーンにもな。よければ……そうだな、三人で話そう。少し時間をを改めて」

「え」僕は少し驚いた。その展開は予想していなかった。

「三人というと、ディーン・オータス様もですか?」

「左様じゃ」キッシンジャーはきっぱりと言った。なんだか断れない雰囲気だった。

「いいですけど、日時が合うかどうか……」

「何、今ディーンに確認してきてやる」と彼は言い。そのまま声が途切れた。沈黙が訪れた。

「よかろう、貴人もかなり忙しい身だろう、しかしそれはディーンとてそうじゃ。申し訳ないが、今夜22時過ぎにテレパシーテレビで会談をしよう。大したことではない。メインは私との会合だ。気を張る必要はない」

「はあ」と僕は返事をしたが、正直に言うとディーン王子と話よりかは、キッシンジャー様と話す方が随分気が重かった。今のやり取りを聞いただけでも、実質ディーン王子はキッシンジャー様に頭が上がらないみたいだ。

「左様。それでは今宵、待っておる」

 受話器が切れた。ツーツーと音が鳴った。一瞬、何がどうなったのかわからなった。

「ずいぶんと長電話だったじゃない」気づくと後ろにグロリオサがいた。

「あ、ああ」僕はやっと我に返った。

「ちょっと非常事態だな」

「なによ、隕石でも吹っ飛んでくるの?」

「まあ、そんなもんだね」と僕は力なく笑った。

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