Beautiful Harmony
阿部 梅吉
でも、そこまでこの音楽に繊細ではないだろう?
今日の空は水色だ。この町の空はいつも青いとは限らない。赤や緑や黒の日もある。でも今日は透き通るような水色だ。おまけに『ハレルヤ』だって歌っている。そうそう、この町の空はよく歌うんだ。まあ、空だって生きているからね。どうやら今日の空はだいぶ機嫌が良いらしい。
この世には秘密のコードがあると聞いたことがある
それはダビデが奏でたもので、主を微笑ませた
でも、そこまでこの音楽に繊細ではないだろう?
そのコードはこう刻む
4度、そして5度の和音、短調で下げて長調で上げて
困惑しながら王は、主を讃える曲を作った
ハレルヤ
主に感謝し、喜びと賛美を
「懐かしいな」と僕はつぶやいた。窓に目をやる。町にはまだあまり人がいない。
「何が?」後ろから声がした。妻のグロリオサだった。
「君が暴れていたころを思い出したんだ」
「馬鹿」彼女がふくれる。
「いつまで昔の話なんかしているのよ」
「ごめんごめん」彼女は頬を膨らませた。
「とっとと朝ごはん食べちゃってよね。今日は新しくできたダムの視察に行くんだから。あとは病院も訪問しなくちゃだし」
「はいはい」
妻のグロリオサの正体は鮫である。彼女は一時期まで、正体を現したときの自分をコントロールできなかったが、最近は自制することができるようになっていた。おかげで最近は水中環境調査や、子供向けのイベントにも出演するようになり、王子の僕より忙しいのである。
「それにしても君は丸くなったなあ」
「何よ、そんなの元からじゃない」妻はまた顔を膨らませた。
「ああ、そうだね、うん」僕はいつも、彼女には逆らえない。まあ、父にも結婚するときに「妻に逆らうな」って口酸っぱく言われたから、そのせいかな、うん。
「食べて着替えたら出るわよ」彼女はもう朝食を食べ、歯を磨いていた。
「センブリは?」
「彼も来るわよ、勿論」センブリは彼女の秘書だった。最近仕事の依頼が多いから専属の管理者を彼女がつけたのだが、なかなかに仕事のできる男だ。
「わかった」僕も急いで朝食を食べた。
「お待ちしておりました」一階のロビーにセンブリはいた。背が高く軍服を着こなしている。トレードマークの口髭もいつも手入れされている。
「おはよう」僕が言う。
「さあさ、今日は馬車を用意しましたので。準備はできています」
「今日は飛脚じゃないのね」グロリオサがちょっとがっかりしたように言う。
「まあ、いつも飛脚を用意すると高いからさ」と僕がなだめる。
「そうですね、馬も可愛いですよ」
「私、見えないもの」
城の馬は「魔馬」と言い、特殊な技能を持つ人物にしか見えなかった。
「かわいいもんですよ」馬車の荷台の上から一匹のドブネズミが顔を出した。
「ワールテロー」僕が挨拶する。
「やあや、ジャンの坊っちゃん」ネズミが快活に返す。彼は城の専属の馬車引きだった。
「久しぶりだな。何していた?」僕らは荷台に乗る。
「いやね、最近は他国の馬車引きも掛け持ちしているんでね、そっちがちょっと大変ですよ」
「ああ、オータス国だっけ」
「まあま、そうなんですけどね、なかなか色々ありまさあ。坊っちゃんはどうです? 見たところすごく忙しいようですけれど」
「まあ、休みはないね、正直。でも僕より最近は妻の方が忙しいから」僕は笑った。
「ああ、最近姫様は縁起がいいんでらっしゃるようでな」
「まあそこそこね」と妻は興味が無いように言った。
「今日の行先はダムでよろしいんでしょう?」
「そうだな」
この町の建造物はいつも唐突に現れる。特に誰かが建てるわけでもない。寝て起きたらだいたいは既にできている。誰が建てているのかもわからない。ただ、それを僕たちは管理しなくてはならなかった。
「つい先日できたんでしたっけね?」
「まあね」
「発電所はまたできないんでしょうかねえ」ネズミがなんでもないことのように言う。僕と妻はかつてあった発電所で殺されかけたことがあった。彼女は一瞬ぴくりと顔を動かしたが、またなんでもないように外の景色を眺めていた。
「わかんないね、町って気まぐれだから」
「まあそうですね、坊ちゃん」ネズミは馬車をぐんぐん走らせた。
「あっしらも何か、建てられないもんなんですかねえ」その言葉だけが宙にぽつりと浮かび、やがて消えた。
ダムの視察は滞りなく終わった。治水に関しては妻も興味のあるところらしく、たくさん質問していた。秘書のセンブリが他の町のダム資料を集めてくれていたため、それが役に立ち、僕もなんとか会話に参加することができた。責任者は既に先日決まっており、彼によれば標高は800mほど、貯水量は4割ほどだそうだ。
「それで、各家庭に水を分配することはできそうなんだね?」
「左様です。工事は必要ですけどね」
「どの範囲まで可能かな」
「隣国のフレイルまで可能ですよ」
「それなら大丈夫か」僕は安堵した。
「フレイルの人は知っているのか? このこと」僕は責任者に聞く。
「さてね」と責任者は笑顔を崩さずに言った。
「まあ、話してみる価値はありますよ。こちらから水が提供できれば、国の金になりますからね」それはもっともな話だった。
「フレイルの王子に会う日取りでも決めようか」僕はセンブリに言う。
「かしこまりました」彼は敬礼しながら、面白くもなんともなさそうに答えた。
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