第14話 迷惑な来訪者

「ジークベルトだと!!?」


 俺を含めた全員が一斉に席を立ち、顔面蒼白となる。


「戸の隙間から覗いたら巨大な椅子が見えた! マスター、あれは間違いなく話に聞いていたジークベルトだ!」


 これは緊急事態だ! まさかジークベルトが店に来るとは想定外だぞ!


「ユージス! どういう事だ!? ノッドルフの派閥に入ったらジークベルトは手が出せないんじゃなかったのか!?」

「わ、わかりません! これには私も驚いています!!!」


 ユージスの慌て様。

 どうやら本当に訳が分かっていないらしい。


「しかも何でこの場所を知ってんだよ!」

「ご主人様。ノッドルフさんに店の場所を教えていたから、たぶんそこから漏れたんだと思います」


 ジークベルトの野郎……既に二人が商人ギルドに所属してノッドルフ派に入った事実を掴んでいるぞ。      


「師匠、っちゃおうよ……」

「マスター、私もエルテに賛成だ。どのみち始末するのなら、ここでやっても変わりあるまい」


 こいつら血の気が多いいよ!


「ダメだ。今は日暮れ時。ジークベルトがこの場に来たところを多くの者に見られているはず。ここで始末したら、間違いなくエルテとアプリコットはお尋ね者。というか、せっかく手に入れたこの店から逃げ出さなくてはならない」


 それだけは避けたい。

 いま拠点を失うと、後はもうジリ貧だ。


「エルテ。近所迷惑だからジークベルトを店の中に入れろ。だがそれ以上奥へは入れるなよ。それから俺の命令無しでは絶対に手を出すな。今まで通り、品行方正な少女商人として振る舞え。これは厳命だからな」

「……分かったよ、師匠……」


 俺の言葉にしぶしぶ納得したエルテは、店の方へと歩を進めた。


「セラーラたちはここで待機だ」

「……主様はどうされるのですか……?」

「少し状況を見てくる」


 俺はエルテの後を追って店までいき、奥から様子を窺った。






「いったい何の騒ぎなの?」


 エルテがそれらしく振る舞いながら、店の戸を開ける。


「やっと開けやがった……か……」


 彼女の顔を見たジークベルトは、目を大きく見開いてその美貌に見惚れた。


「……こりゃまた噂以上の美人だな……この分だと、妹のアプリコットちゃんも期待できるぜ……」


 まじまじとエルテを見ていたジークベルトに、恰幅の良い中年男性が苦言を呈す。


「ジークベルト様、一目だけですからね。一目見たら帰りますからね!」

「分かってるって、ノッドルフ。俺も親父にどやされたくねえからな」


 あの太った男がノッドルフか……なるほどね。

 どうやらジークベルトに無理やり押し切られたようだな。


「えっ! もしかしてジークベルト様ですか!?」


 エルテが然もわざとらしく驚いて見せた。


「そうだ。俺がジークベルトだ。お前がエルテか?」

「は、はい……そうです……」


 エルテの奴、すごい演技力だな。


「ちょっとお前たちの噂を聞いてな。こうして顔を出しに来てやった訳だ」

「……それはそれは、わざわざ有難うございます。それで、今日は如何様なご用件で?」

「いっただろ、顔を見に来たって。お前は見たから、今度は妹のアプリコットが見たい」


 一瞬だけ頬を引き攣らせるエルテだが、直ぐに微笑みを浮かべた。


「そうですか、分かりました。ここでは何ですので、お店の中にお入りください」


 エルテに促されたジークベルトが先陣を切って店内へと入り、その傍らにはノッドルフが付き従う。

 彼らの両脇には黒い全身甲冑フル・プレートメイルを身に纏った二名の騎士、漆黒騎士が追随し、後からは一般の騎士たちがぞろぞろと続いた。


「ご覧の通り、まだ商品を仕入れていない状態なので、棚には何もございません。それに埃だらけでお恥ずかしい限りです」

「そんなことは気にしないぜ。俺はただアプリコットちゃんの顔が見たいだけだからな」

「分かりました。では直ぐにアプリコットを呼んでまいります」


 エルテは足早に店の奥へと引っ込んでいく。


「しかし惜しいねえ……あのエルテとかいう娘も、もうちっと若けりゃ俺の食指が動いたんだがなあ。仕方ねえか、あれは親父や兄貴にくれてやろう」

「ジークベルト様!」

「ノッドルフ。そんなに目くじらを立てるなよ。お前があいつらに目を掛けているのは知っているからよ。冗談だよ、冗談」


 ……あのゴミ野郎……俺の乙女精霊を自分の物のように見てやがる……


「……師匠、どうするの……?」


 俺が怒りに囚われていると、いつの間にか戻って来たエルテが悲壮な顔でこちらを見ていた。


「……」


 ……どうするも何も大ピンチだ……


「師匠……皆殺しにしちゃおうよ……」


 ……俺もそうしたい……だがダメだ。それは最終手段だ……


 そうこう考えていると、漆黒騎士の一人がジークベルトに申し立てを始めた。


「ジークベルト様」

「んだよ、レーヴェ」

「店の奥から何やら殺気が漂っています……」

「なに?」


 ジークベルトの訝しむ視線が店の奥へと向けられる。


「エルテ、今すぐ殺気を鎮めろ……」

「うん……」


 俺もエルテも気が立っている……

 早いとこ対抗策を考えねば……


「……」


 くっ! いい案が浮かばねえ。


「……」


 ジークベルトや騎士たち全員が店の奥を凝視していた。


 ……やばいな、奴ら怪しがってる……

 これ以上待たすと奥まで入ってくるかもしれん……


「……アプリコットを呼んで来い……」

「う、うん」


 重苦しい俺の声音に、エルテは急ぎリビングへと向かった。


 ……もうだめだ、ここで戦うか……


「……」


 ……ん……?

 ……ちょっと待てよ……何もここで戦う必要があるのか……?


「師匠、連れてきたよ……」


 考えが纏まりかけたとき、エルテと共にアプリコットがやってきた。

 彼女は不安そうな顔で俺を見ている。


「来たか、アプリコット」


 俺は彼女の両肩に手を置いて、諭すように言い聞かせた。


「いいか、アプリコット。これからお前はジークベルトと会う。その時やつから嫌がらせを受けるかもしれん。だが耐えるんだ。どんな事をされても我慢しろ。従順で無垢な少女を演じ、奴に従え」

「分かりました、ご主人様」


 彼女は深刻な顔で頷く。


「エルテ、お前も辛抱しろ。決して勝手な真似はするな」

「……うん……分かったよ、師匠」


 よし。これでこいつも無茶な行動は取らないだろう。


「さあエルテ。アプリコットと共に行け」


 二人は俺に促され、静かに歩を進めた。


「おっ、来た来た。何が殺気だよ、おかしなこと言ってんじゃねえ」


 店の奥から出てきた彼女たちを見て、ジークベルトが邪悪な笑みを浮かべる。


「ジークベルト様、お待たせしました。アプリコットを連れてまいりました」

「始めまして、ジークベルト様。アプリコットと申します。以後、お見知りおきを」


 姿勢を正して笑顔を見せるアプリコット。

 その身体を、ジークベルトの舐めるような視線が頭のてっぺんからつま先まで這いずった。


「……ほう……いいよ、いいよっ! さいっっっこうにいいよっ!!!」


 両手を大きく広げ、体全体で悦びを現したジークベルトの面様が醜悪に歪む。


「やっと会えたよー、アプリコットちゃーん」

 

 あろう事か、奴はそのままアプリコットを抱きしめた。


「……」


 咄嗟の行為であったが、抱き着かれた当の本人は目から光を失わせ、外界からの情報を遮断する事でその行為に対処した。

 エルテも俺からの言い付けを守り、能面のような表情で目の前の惨事に耐える。


 ……二人とも……よくぞ堪えてくれた……


 そして俺も、蟀谷に血管を浮き上がらせて、拳を震わせながら怒りを押し留めた。


「アプリコットちゃーん。今日は君に用があってきたんだ」


 話しかけられたアプリコットは、受け答えをするため意識を外に向ける。


「……ジークベルト様が私に? それはいったい何ですか?」

「ねえねえ、今から俺の家に遊びに来てよ」


 透かさずノッドルフが言葉を挟んだ。


「ジークベルト様!」

「うるせえノッドルフ! 俺は気が変わった!」


 聞く耳を持たないジークベルトだが、ノッドルフは怯まず言い返す。


「御父上にお叱りを受けますよ!」

「構わねえ! こんな可愛い女の子と遊べるんならよ、親父に怒鳴られるなんて訳ねえよ!」

「ジークベルト様はそれでいいかもしれませんが、私も叱られるのです!」


 んん? ノッドルフが以外にも頑張ってるぞ?

 頼む!

 そのままジークベルトを連れて帰ってくれ!!!


「ちっ、仕方ねえな……」

「あ、諦めてくれましたか?」


 やった! 助かった!


「ちげえよ」


 え?


「なあ、ノッドルフ。俺に貸しを作る気はないか?」

「……貸し、ですか……?」

「そうだ。見逃してくれたら、お前が欲しい情報を持つ奴の口を割ってやるよ。お前ら商人にとって情報は大切なんだろう?」

「……あなたは確か口割りの天才。どんな者でも簡単に真実を話させる事ができる……」

「そうだノッドルフ。俺に掛かりゃあ、誰もが自分の秘密をペラペラと話す。これならお前にとっても損はないだろう?」

「……」


 ノッドルフは逡巡すると、ジークベルトの提案を受け入れた。


「……分かりましたよ。今回だけですからね」


 おい! 

 簡単に懐柔されてんじゃねえ! 

 それに何だよ口割りの天才って!

 ただ拷問にかけて吐かせるだけだろうが! 


「アプリコットちゃん待たせたね。このおじさんが邪魔してきたけど問題ないよ。さっそく俺の家に行こうか」


 ジークベルトは上機嫌で小さな可愛らしい手を握った。


「お姉ちゃん……」


 アプリコットが潤んだ瞳で訴える。

 そんな彼女にエルテはそっと頭を撫でると穏やかに口を開いた。


「ジークベルト様は高貴な御方。そのような方にお招きいただけるなんて光栄な事だから、失礼がないように振る舞うんですよ」

「……分かりました、お姉ちゃん……」

「よし決まり、さあ行こうか。アプリコットちゃーん」


 もうジークベルトの視界にはアプリコットしか映っておらず、奴は彼女の手を引くと素早く店から出ていった。


 続いて取り巻きの騎士も外に出たが、先ほどレーヴェと呼ばれた漆黒騎士とノッドルフだけがその場に残る。


「……ノッドルフ殿。後でエルテ嬢に慰労金を渡してください……」

 

 レーヴェの言葉にノッドルフは頷き、申し訳なくエルテに告げた。


「……という訳で、エルテくん。後で商人ギルドの方に顔を出してくれないか……」

「……分かりました、ノッドルフさん……」


 あのレーヴェとか言う騎士、エルテに温情を掛けたつもりだろうが大間違いだ。

 俺の乙女精霊の価値は、千金万金ごときでは測れん!


「ではエルテくん。私は商人ギルドに戻っているから、後からおいで」

「私も失礼する、エルテ嬢」


 そう言うと、ノッドルフとレーヴェは店を後にした。


 彼らが出て行った事を確認したエルテは、慌てて俺の元へと走ってくる。


「師匠! ボクもう我慢できないよ! 今からあいつらを皆殺しにしてくる!!!」

「早まるなエルテ」

「でもコットちゃんが!」

「俺が早まるなと言っているんだ。落ち着け」

「し、師匠……」

「……何も言わずに付いて来い……」


 俺は血気逸るエルテを制すると、彼女と共にリビングへと戻った。


「主様」

「マスター」

「トモカズ様!」


 リビングで待っていたセラーラ、パーシヴァリー、ユージスの三人は、事の成り行きを教えてくれと目で訴えている。


「みんな聞いてくれ。アプリコットが連れ去られた」


 俺は簡潔に最悪の結果だけを述べた。

 しかしセラーラとパーシヴァリーは、意外にも狼狽えてはいない。

 むしろ冷静に状況を見ていた。


「そうですか……で、主様。これから私たちはどのように動けばよろしいのですか?」

「マスター、早く私に命令を下してくれ」


 落ち着いている二人に対し、ユージスの方は取り乱している。


「トモカズ様、それは大変ですよ! ジークベルトは小さな女の子にしか興味を持たないド変態です! 早く何とかしないと、アプリコットさんがとんてもない目に合わされてしまいます!!!」


 分かっている、ユージス。

 そんなことは絶対にさせん。


「セラーラにパーシヴァリー」

「はい!」

「はっ!」


 良い返事だ。

 自分たちのやるべき事が分かっているようだな。


「これから俺たち三人でアプリコットを奪還する」

「分かりました、主様」

「了解だ、マスター」


 待ってましたと言わんばかりに二人の表情が獰猛な顔付きに変化した。

 しかしその美しい容姿は一つも損なわれておらず、それが却って恐ろしさを感じさせる。

 

 こいつらの妹とも言えるアプリコットが連れ去られたからな。

 二人とも気合は十分だ。


「師匠! ボクも行くよ!」

「エルテは駄目だ」

「どうして!?」

「お前と俺たちの繋がりを知られたくはない。共に行動を起こすと今までの行為がすべて水の泡だ。大人しく待機していろ」

「……」


 済まんな、エルテ。ここは俺たちに任せてくれ。 


「セラーラ、パーシヴァリー。これから言う言葉をよく聞け」


 二人の視線が俺に釘付けとなる。


「アンドレイは無法者だったため始末した。ジークベルトも人道に反する輩なため始末する。俺たちは領主に苦しめられた民を助ける弱者の味方、この路線で行く」

「承知しました」

「心得た」


 二人は従順に頷いた。


「だから俺たちは、アプリコットとは何の面識もない。ジークベルトを誅する際、偶然そこにアプリコットがいた。分かったな」

「主様の御心のままに」

「私は何時でもマスターの意に従おう」


 セラーラとパーシヴァリーから不退転の決意が発せられた。


「……」


 それを感じ取ったエルテは、もはや口を出す事はないのであった。





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