第四の頁:暗殺者と幼き侯爵

「そろそろだとおもっていたわ」

 刺繍の施された垂れ絹カーテンのすきまから寝室に踏みこむと、金糸雀カナリアの髪が振りかえった。

 金細工の睫毛に縁取られた青い瞳。昏い青だ。殺された幸福の青い鳥を、瞳のなかに埋葬したのか。絹の夜着ネグリジェが細い肩から背にかけてを覆っている。胸もとにはカサルティリオ侯爵の紋章を象った留め飾ブローチ。彼女は幼さの残る頬に微笑みをたたえる。

「終わったのね」

「ああ、あんたからの依頼どおりだ。互いの胸を刺したように見せ掛けた。明朝の号外には子爵夫妻は娘をなくした悲しみのあまりに後を追い掛けたと書かれるさ」

「そう、よかった」

 彼女は安堵したようにか細い息をついた。

「親しかったんじゃないのか、子爵夫妻とは」

 あれは確か、彼女の伯父と伯母にあたる。血の繋がりは薄いが、親類といえばそうだ。されど彼女は、僅かな情も傾けない。

「いいえ、父様の機嫌を取って、おこぼれに預かっていただけよ。まして父様の死後、子爵はカサルティリオの領地で不正に利を得ていたの。些細なものでも火種は火種だわ。こちらに火の粉が降りかからないうちに、絶やさないと。火はひとたびまわってしまったら手の施しようがないもの」

 彼女は雛のような可愛らしい声で物騒なことを喋る。

 まだおんなにもならない年齢でありながら、彼女の昏い瞳にはその三倍は生き抜いてきたような達観と諦観が渦を巻いていた。彼女が幾度裏切られてきたのかはわからない。幾人を殺め、幾人から殺められそうになったのか。

「わたしはこわがりなのよ。わたしを不利にする危険のあるものは放っておきたくはないの。誰でも庭に狼が棲んでいたら。例えその狼がまだ鶏も馬も襲ったことがなくとも猟人にお願いするでしょう? ましてや、わたしは爵位を継いでから日も浅い。後ろ盾になるものがあまりないのだから」

 たった齢十四。それでも彼女は、カサルティリオのあるじだ。父親を暗殺され、母親を毒殺され、姉を銃殺された。彼女を護るものはなにひとつなく。ただ幸か不幸か、彼女は《剣》を拾った。

 望みどおりにひとを殺してくる《剣》だ。

「そういうものか」

「ええ、貴族としてのぼり詰めていくのならば」

 椅子に腰かけ、彼女は膝に乗せた指を組んだ。物書き机には蝋燭のあかりがひとつだけ。細い鼻から頬にかけての、繻子みたいな肌に影が落ちる。

「のぼり詰めた頂上にはなにがある」

 あたしが尋ねれば、彼女は瞳を細めた。

「骸の山の頂には骸があるだけよ」

「家族の仇か」

 彼女は家族を愛していたのだろうか。愛していたのだろうなと、なんとなく考える。彼女はあたしとは違う、生まれだ。まっとうに家族を愛せる生まれだ。想像する、彼女の瞳が黒ずんで昏く濁ることのなかった頃。家族と豪華な食卓をかこんで、敬虔に指を組んで「主よ」と祈りを唱え、幸福を疑いもせずに。幼い令嬢らしく純真な微笑みを振りまく。そんな頃が、彼女にもあったのだ。或いはこれからもそうなることができた。後見人にひき取られ、どこかに嫁いで。静かに。

 けれど彼女はそれを択ばなかった。

 彼女は誰が家族の仇かを知っている。だからこそまだいまの爵位では、殺すことができないということもわきまえているのだ。権力も、名誉も、矜持も、すべてが復讐の足掛かりにすぎない。

 その姿は敏く、愚かで、憐れで美しい。

 胸が焼ける。

「仇の髑髏をその頂に飾るのか」

「いいえ、頂にはいるべきは、わたしよ」

 彼女はうっそりと微笑む、紅を落とした唇の端を持ちあげて。

 その意を汲めないほどには、浅いつきあいではない。

 彼女は覚悟している。地獄に落ちることを。殺されるものはいつか殺されるということを。

「なあ、最後まで、あたしをつかえよ」

 最後まで、というところにちからをこめて訴えれば、彼女は驚いたように瞳を震わせ、微かに笑った。それはほんのすこしばかりの、素顔だ。年端もいかない娘らしいはにかみを頬に残して、彼女は頷いた。

「その時は、苦しむように殺してちょうだいね……」

 死者を愛してしまったのだと、思った。

 彼女はすでに地獄にいる。


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※ 額縁 ゴシック様式の豪奢な額縁

     金細工の薔薇と髑髏の彫刻が施されている


  紙  上質な羊皮紙

     うっすらと薔薇の透かしが焼きつけられている

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