決意
過去を思い出しながらじっとしていた私は、壁にかかっている時計を見て、もうすぐ終業時間だと気づいた。
だが、その場から動くに気になれなかったものの、なぜあの人が今になって私の目の前に現れ、呼び方を元に戻したのか気になった。
丁度その時、部屋の外からの控えめなノックがあり、私にはそれがなぜか、若先生ではないかと思った。
「由良君、さっきの男が君に渡してほしい、と置いていった」
私が扉を開けようとした直前に、若先生の声が聞こえた。
その声には一切の感情が含まれておらず、まるでロボットのような喋り方だった。
「――――いらないならば、捨てるが?」
だが、私がとっさのことに返答できず、続けて言われた言葉は、まるでそれとは正反対の感情の含み方をしていたように思えたのは、気のせいか。
私はまるで天照大神よろしくその言葉に、思い切り扉を開けることで応えた。
「いいえ、捨てないでください。どうやら、私は過去のことに決着をつける時が来たようです」
私はそう確信していた。
あの人が動いたということは、今までおざなりにしていた過去との決着をつけるときのようだ。
そう覚悟しながら、雄太郎さん――いや、瀬良さんからの手紙を受け取った。
「そうか。俺にもできることがあったら、言ってくれ」
若先生がそう言ってくれた。
その言葉だけでも嬉しかった。
私は少し無理やりだったが、笑顔を浮かべた。
「はい。その時はよろしくお願いします」
そう言って頭を下げると、頭を撫でられた。
まるで、
家に帰り、瀬良さんからの手紙を開封すると、一枚の便せんが入っていた。
『由良美香さん
お久しぶりです。
同期の遠藤から、由良さんのことを聞きました。大学生活は問題なさそうで何よりです。
ただ、最後に寿美礼社長から届いた手紙にもあった通り、大学卒業後はこちらに戻ってきてもらいたいです。
そして、今、鹿野歯科でアルバイトをされているようですね。
多分、この手紙を読んでいるということは、あなたに鹿野歯科で会えなかったときか、会っても話すタイミングがなかったときかのどちらかでしょう。
一つ、どうしても話したいことがあるので、二人きりの夕食会をセッティングしてあります。ぜひ、来てほしいです。
場所:コンクルド・ホテル レストラン『フェニクス』 』
彼は私の単位の取得状況を知っていたようだった。
あの祖母の最後の手紙はよく覚えている。だからこそ、私は早くすべての単位を取る必要があったのだ。
放したいことって何だろう?
夕食会の日時を確認すると、明後日の夕方。週末はアルバイトも休みだったし、行くことにするか、私はそう決めた。
翌日。
昨日の今日で少し気まずかったものの、それでも最後までやると決めたからにはやる。
私は気持ちをリフレッシュするためにも、アルバイトへ向かった。
「由良ちゃん、昨日、君の知り合いが来たんだって?」
そうだった。午前中は大先生の診療もあったんだっけ。
どうやら若先生から予期せぬ客人の情報が伝わっていたようだ。
「はい。久しぶりに食事に誘われまして」
関係などを聞かれなかったので、当たり障りのないことだけ返答した。
すると、大先生はにやりと笑った。
「へぇ。じゃあ実家に戻るなんていう事もあるのかなぁ?」
その言葉に、私は一瞬、固まってしまった。
この人は何故、私が実家に戻るかもしれないという可能性を考えるのだろうか?
「――――な訳ないよねぇ」
大先生は私の考えに気付いたのか、気づいていないのか、分からなかったが、すぐにそれを否定した。
「ま、何かあったら連絡してね」
この話題を終えるとき、大先生もそう言ってくれた。
私は昨日の若先生だけでもよかったが、大先生のこの言葉にも嬉しくなった。
よろしくお願いします、と頭を下げた。
そして、食事会当日。
出かける直前まで着ていく服を悩んだけれど、結局、今まで着ることもつけることも叶わなかったあの青いワンピースと青いネックレスにした。
付けて見せたいと思った人が食事会の相手ではないのが残念だが、それでも何故だか心が軽くなった気がした。
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